百伍拾.ケルベロスのお巡りさん
洞窟は広いが長く、入り口からの光はすぐになくなって真っ暗になった。俺の目は例によって真っ暗でも普通に見えるから平気だけど、墨はそんなことはないのでさっきから腕をしっかりつかんで足元が覚束ない。
俺「ちょっといいか」
墨「ふぇっ」
俺は墨を抱えて足を早めた。
天児屋(えっ、ずるい。じゃなくて、はやく帰ろうよ。……僕を置いてくなっ)
天児屋はさすがに神さまだから暗闇でも目は見えるらしく、少しくらい離れてもすぐに追いつく。裾を掴んでいるのは見えないからじゃなくて引き戻すためだ。……、ここが怖いからというのもあるかもしれない。でも、1人で逃げ出すという選択肢はないようだ。
狩衣の裾で綱引きをしながら洞窟を進んでいくと、どうやら出口が見えてきたようだ。彼方から差し込む光は存外明るい。
俺(本当に根の国なんだ)
天児屋(ひえぇっ)
洞窟をずっと下ってきて明かりが差し込んだということは、地上に出たということはありえない。ということは根の国ということなんだろう。
天児屋はもう裾を引っ張る力もなくして俺にしがみついてきた。顔からいろんな汁が垂れているんだが、それを俺の服で拭うのはやめてもらいたい。
出口を出ると、普通に屋外だった。ただし、空の色が違う。透き通った空色ではなく、暗くて彩度の低い青という感じだ。地上に近いところは少し赤みがかって紫色をしていて若干不気味だ。とはいえ、空の色から想像するものとは違って地上はそれなりに明るい。太陽はないみたいだけど、どこから光が差しているのか。
墨を下ろして、さらに目の前に広がる森の中に入ってみた。
天児屋(ど、どこまで行くの?)
俺(んー。せっかくだからちょっと散歩してみようかなと)
天児屋(だめだよ。今すぐ帰ろうよ。帰れなくなっちゃうよ。醜女が来て食べられちゃうよっ!)
(醜女って、そういえばそんな伝説があったっけ。桃を投げつけて追い払ったんだったかな?)
ぼんやりと神話の一節を思い出しながら、洞窟の出口付近の森をふらふらと歩いて、特段面白いものもないなと思って元の場所に戻ってきたと思ったのだが、はてさて、そこにあるべきものがない。
俺(あれ?)
天児屋(何?)
俺(洞窟の入り口ってこの辺じゃなかったっけ?)
天児屋(ええぇぇぇっ!!!)
墨「ええぇぇぇっ!!!」
よく見ると森の木々は定期的に場所を移動している。それだけじゃなくて、岩もゆっくりと位置を変えているのでそれらを目印に歩いていたら道に迷うわけだ。
俺(というわけで、道に迷ったらしい)
天児屋(だから言ったのにぃーーー)
天児屋は半狂乱になって俺の腕を掴んで振り回してくるし、墨は魂が抜けたような顔でへたり込んでいる。ていうか、墨、お前、本当に魂が抜けかけてるぞ。
俺「しっかりしろ」
墨「はっ、か、かぐや姫さま。今、私、黄泉比良坂を歩いていた夢を見ました」
俺「そうだ。さっき、そこを通って根の国にやって来て、今道に迷ってるんだ」
墨「ひゃぁぁぁぁ」
墨にとっては今の状況は臨死体験よりも恐ろしいことのようだった。