百肆拾捌.小倉山
雪は一体何が起きるのかと脇からひやひやと眺めていたが、当の式神はどこ吹く風で堂々と親王と会話をしている。いつものきわどい棘も健在のようだ。
親王「本日、こちらに伺ったのは他でもありません。例の仏の御石の鉢が見つかりましたので、お届けに上がりました」
式神「そうですか。それはおめでとうございます。拝見してもよろしいですか?」
親王はすっと合図を送ると、お付きのものがきらびやかな錦の布に包まれたものを三方の上に載せて運んできた。
親王「日本には聖徳太子が遣隋使を始めて以来、仏法の様々な宝物が中国を通して伝来しています。そして、それらは帝の元に収められ、代々受け継がれてきました。私はもしやその中にかぐや姫殿がお探しの品があるかと思い、見つけましたのがこれにございます」
そう言って錦の布を開けると、その中から石造りの鉢が現れた。
爺「こ、これは……」
思わず息を呑む爺の声。他に並びいるものたちもすべて場の雰囲気に飲まれて、現れた石の鉢に釘付けとなっていた。
親王「一目見た時からこの鉢の持つ類まれなる気品、造形に心を奪われまして、これこそが御仏のお使いになった鉢に違いないと心から確信した次第でございます」
爺「確かに、この鉢は普通の鉢とは違います。私はこんな形の鉢はこれまで見たことがありません」
爺はすっかり感心してしまっている。親王はにやついていて、雪はすっかり顔が青ざめてしまった。天竺からの渡来品であるならきっと本物なのに違いないと誰もが確信していたのだ。
しかし、そんな中、なぜか怒ったような顔をしている式神がいた。いや、怒ったようなではなく、実際に怒っていた。
式神「急いでのご訪問に、何かと思えばこんながらくたのような石の鉢を持っていらっしゃるとは、如何に親王さまでもご冗談が過ぎませんか?」
親王「な、何をおっしゃいますか」
式神は鉢に手を伸ばすと、すっと持ち上げて周りの人にも見せるように掲げた。
式神「仏の御石の鉢は釈尊が終生お使いになられたという天竺に1つしかない鉢のことでございます。それは神々しく自ずから光が溢れてくると伝えられています。ですのに何ですか、これは? ホタルの光ほどの輝きも漏れてきてはいないではないですか」
式神の剣幕に周囲のものたちはあっけに取られ、親王の顔色はみるみる青ざめていった。
親王「いえ、それは間違いなく天竺から伝来した宝物で……」
式神「近頃、親王さまは小倉山に登られたと聞き及んでいますけど、そんな暗い山の中で露程の光も宿っていないのに一体何を拾ってきたのですか?」
親王「いや、これは間違いなく本物です。き、きっと、かぐや姫殿のお美しさに輝きを失ってしまったのに違いありません。ええ、きっとそうです」
式神「……もう、これ以上言うことはございません」
親王「……もう一度、もう一度チャンスをください。必ずお望みのものを手に入れて見せますので」
式神「お帰りください。これ以上は何をおっしゃっても無駄でございます」
その後も親王はみっともなく泣き喚いていたが、式神はそんな親王を尻目にさっさと席を立って引き上げてしまった。かぐや姫の意志が固いことを見た親王は、ようやくお付きのものたちを引き連れてすごすごと帰っていった。
雪「式神さま、よかったですね」
式神「親王がバカで助かったね。三羽烏の報告で親王が山に登ってたことは知ってたけど、まさかそこで拾った鉢をそのまま持ってくるとは思わなかった」
雪「私はてっきり本物だとばかり」
式神「誰も彼も騙されすぎよ。多分、親王の周りもあんなふうにすぐに騙される人ばかりだから、どうせ強く出れば嘘がばれないとか思ったんでしょ。でも、それはちょっと舐めすぎだよね」
雪「ごめんなさい。すっかり騙されてました」
雪は頭を下げてすっかり恐縮してしまっていた。まさか親王のような高貴な人が嘘を付くなんて考えてもいなかったのだが、式神が冷静でいれくれなかったら、きっとかぐや姫はあの親王と結婚することになっていたに違いなかった。かぐや姫の留守でのそんな失態は想像すらしたくなかった。
式神「いいよ。今度から気をつけて。親王はバカだけど、抜け目のなさそうなのもいるみたいだから」
雪「はい」
その後、親王が偽物の鉢でかぐや姫を騙そうとしたことはすぐに世間の噂になり、親王は恥ずかしさでしばらくは表を歩くことすらできず、家に引きこもってしまったそうだ。
5人の公卿や帝とのやりとりについては、内容や時間の流れなどで竹取物語の内容をアレンジする部分があります。
たとえば、石作皇子の場合、鉢を持ってくるのは3年ほど経ってからということですが、すぐに持ってくるようにしました。また、和歌のやり取りで終えているところを対面させています。
このようなアレンジは今後も発生するのでご承知おき下さい。って、誰も原作通りだと思ってないですか、そうですか。