百卅玖.食パンが足りない
(何にも言わないで飛び出して来たけど、墨は大丈夫かな?)
昨日の夜は雪のことで頭がいっぱいで、墨にも天児屋にも誰にも声を掛けないで飛び出してきたけれど、天児屋はともかく墨は見知らぬ土地で1人取り残された形だから不安になっているかもしれない。
使い魔の念話なら距離が離れていても会話できるけど、結局、今日も1日、雪と話し込んでいたから墨とは連絡を取っていなかった。今は呼びかけても返事がないからきっと寝ているんだろう。
(まあ、俺がいなくてもご飯くらいは食べてると思うけど)
とはいえ、急いで戻るに越したことはない。俺はできるだけ急いで出雲への空の道を駆け抜けた。
(えっと、この辺だったよな)
出雲の杵築大社について、記憶を頼りに隠された入り口を探しだして神域へと再び足を踏み入れた。途端に身体を包む空気が一変する。
(やっぱり神さまの世界は違うよな)
快適さの指数が一桁上がったくらいの大きな変化に改めて自分の来た世界が特別なのだということを再認識したところで、俺はその広い敷地の中を早足に歩いていった。
杵築大社の神域は春日神社の神域に比べて随分と広い。前にそのことを天児屋に聞いた所、毎年神無月に日本中から神さまが集まってくるから、それを全員収容できるようになっているんだということだそうだ。それにしても最近はこの場所だけでは全員収容できなくて、近くの神社にも神域を新設して位の低い神さまにはそっちに滞在してもらっているらしい。
そう。神さまは年々増えているのだ。これは人間の活動が活発になってきているのが主な原因らしく、各地に新しい神さまをどんどん生まれているのだそうだ。おかげで、大国主の仕事は年々忙しくなるばかりで、昔は結構のんびりやっていたのに、最近は営業時間が終わっても行列が残ったままなんてのは珍しくないらしい。
(世界は違ってもやってることは似たようなものだけどな)
そんなことを考えながら走っていると、何かと急に正面衝突して尻もちをついてしまった。
俺(ご、ごめん。だいじょう……ぶ?)
前方不注意でぶつかったことについて謝ろうと視線を前方に向けると、そこにはどこかで見たことのある人物が同じように尻もちをついて転がっていた。
天照『い、痛ったーい』
俺『あ、天照?』
天照『ひっ、姫ちゃん!!!』
天照は俺の顔を見ると、きゅうにあたふたとし始めて挙動不審になった。
何をやっているんだと思いながら、身体を起こそうとして手を動かすと、何かが手の指に触れた。何かと思って拾い上げると、それは何かの本だった。
俺『「二本書紀シリーズ ~ヤマタノオロチ編~」?』
つまみ上げたその表紙には、何か漫画風の絵が描かれていて不思議なタイトルが書き込まれていた。何か美形な男性と、なぜか美形な首が8つもついている大蛇が描かれた不思議な絵。
天照『だ、だめっ。それは返してっ!』
(二本書紀って、日本書紀のパロディか何かか?)
天照が何かわあわあと言っているが、いつものことだから無視をして、中身を見てみることにした。どうせろくでもないものなんだろうけど。
…………
………
……
結論:見なければよかった。