百卅漆.変わらないもの
俺「もちろん好きだよ」
雪「それは男としてですか? 女としてですか?」
俺「……、よくわからない」
雪の質問に対する俺の答えは、今の俺にとって嘘偽りない真実だった。
俺「今の私は男としても女としても不完全で、それだけじゃなくて、人間の範囲も逸脱して、でも神さまではなくて、ただ何者でもない中途半端な存在でしかないから、私の今の気持ちが男なのか女なのかなんて答えようがない気がするの」
雪「ごめんなさい。私、失礼なことを聞いてしまって」
俺「ううん。大丈夫。ただ、私には雪が大切だってことは間違いないの。私にとって、雪だけが私が人間でいるための唯一の繋がりだから」
そう。そうなのだ。雪は俺が心を許して付き合える唯一の「人間」なのだ。その事実に今のこの瞬間まで気づいていなかったことに驚くと同時に、雪を失いたくないとこれほどまでに思う気持ちがどこから来るのかにようやく合点がいった気がした。
雪「かぐや姫さまは、元の世界に戻っても今のままなのでしょうか?」
俺「わからない」
雪「でも、きっと元にお戻りになりたいのでしょう?」
俺「もちろん」
雪「……」
そこで雪は言葉を切って、何かを考え込むようなふうになってしまった。俺はそんな雪をしばらく見ていたが、いつまでも話をしようとしない雪にこちらから声をかけた。
俺「どうしたの?」
雪「な、なんでも……、あ、ここで話さないのは卑怯ですね……」
俺「えっと、話したくないなら無理に話さなくてもいいよ」
雪「いえ。かぐや姫さまも話しにくいことを話して下さったのですから。ただ、こんなことを言ってかぐや姫さまに軽蔑されないかと……、なんて前置きもやっぱり卑怯ですね」
俺「大丈夫だよ、雪。私は雪を嫌いになったりしないから」
不安そうに目を泳がせる雪を安心させるように、俺はそう声をかけた。雪はそれを聞いて覚悟を決めたように俺を見て、飲み込みにくいものをゆっくりと咀嚼するように話し始めた。
雪「かぐや姫さまが私を必要としてくださっているのは……、かぐや姫さまが今置かれた状況が異常で、私の他に身近な人がいないからで、元の世界に戻った後も……、私のことを今のように必要としてくださるのかなと」
俺「戻った後……?」
雪「もしも元の世界に戻ってもかぐや姫さまが今のように超人的な能力を持ったままで、私以外に頼れる人がいなければ……、私はいつまでもかぐや姫さまに必要とされていられるんじゃないかと思って……、一瞬、元に戻れなければいいのにと思ってしまって……」
俺「あ……」
雪はこの話をするのが本当に苦しいらしく、声を震わせながら搾り出すように話していた。
その内容は、俺には衝撃的だった。雪がそんなことを考えていたことが信じられなかったのではない。俺がそのことに考え至らなかったことが信じられなかったからだ。
俺と雪の関係。それは非常に奇妙な状況の積み重ねの上に成立している関係であって、その状況が少しでも変わればその関係そのものが変わってしまう危険をはらんでいる。そんな関係のまま雪を連れて現代に行くということはどういうことかということをもっと考えるべきなのだ。
そこに気づいた時、俺は語る言葉を失ってしまった。雪も言うべきことは言ったようで、それ以上付け加える言葉もなく、ただ黙って俺の返事を待っていた。
非常に長い時間――それが実際にはどのくらいだったのか俺には分からなかったが――の後に、俺はようやく答えるべき言葉を見つけた気がした。
俺「雪がもし私と一緒に元の時代に戻ったら、きっと雪も今と違う生活になって今とは違うことを考えるようになると思う。例えば、そこには貴族はいないし、女房というお仕事もないわ。そういう環境で、雪が今と同じように私に仕え続けていきたいと思うかはわからないと思うの」
雪「そんなことはありません!」
俺「いいえ。ありえることよ。それに、それは悪いこととは限らないと思うの。むしろ、今の私と雪の関係のほうが元の時代の常識じゃおかしいのよ」
雪「そんな……」
俺「あ、別に雪のことが嫌いになったとか、雪が仕えてくれるのが嫌になったとか、そういうことじゃないのよ。そうじゃなくて、元の時代に戻るってことは、私も雪も大きく変わるってことなのよ。だから、もし雪が私と一緒に来るなら、私も雪ももっと変わらないものを大切にしなきゃだめだと思うの」
雪「変わらないもの?」
好きとか愛とかって感情は難しいですよね。これはお話なので「俺」と雪のお互いの気持ちの矛盾を表面化させることができたのですが、現実世界だとお互いに違う部分で惹かれ合ったままそのことにお互いに気付かないなんてことが長い間続いていたりします。だから、愛さえあればというのは怖いんですけど、盛り上がっているときはそれが移ろいやすいものだということを認められなかったりもするんですよね。