百廿.紺色の豚
天児屋(おーい、いないのかー)
天児屋はそんなふうに叫びながら歩き回っているが、一向に誰も出てくる気配がない。
俺(やっぱり、舎弟だとか言ってんのはお前だけなんじゃ)
天児屋(そ、そんなはずはっ。大国主ー、いるんだろっ。返事しろよっ)
だんだん痛々しくて見ていられない感じになってきて、俺は思わず天児屋の腕を掴んだ。
俺(分かった。分かったから、もういい。普通に正面から入ろう)
天児屋(ち、違うんだよ。僕は……)
俺(わかってる。もしかしたら昼寝していて声が聞こえないだけかもしれない。そうだよな)
天児屋(え、ああ、うん。そうそう。そうだよ。よし、玄関に行こう)
いつまでも痛々しい天児屋をなだめすかして正面玄関らしいところに向かうと、天児屋は声もかけずにいきなりずんずんと上がり込んでいった。
俺(おい、勝手に上がり込んでいいのか?)
天児屋(ん? 別に大国主なんかに遠慮なんてしなくていいんだよ)
(いや、大国主って序列的には天児屋より格上だろ?)
人間界で知られている神話と実際の神さまの世界の現実には差があるのかもな、と思いながら、俺はどんどん進んでいく新しい使い魔の後ろ姿を追いかけていった。足取りを見るに天児屋はどうもどこか目的を持って進んでいるようだ。
天児屋(確か、あいつの部屋はこっちの方にあったはずだけど……)
(えっ……?)
今、俺の視界に何か映ったような気がするのは気のせいだろうか? 何か、絶対にこの世界とは相容れないはずのポスターカラーの何かが……
(いやいや、まさかそんなはずは)
頭を振って俺はその荒唐無稽な考えを視覚とともに振り払おうとしたが、しかし目に入ってくるものを偽ることはできない。俺の内心の葛藤とは無関係に天児屋は先へ先へと進んでいき、どうやら目的の部屋にたどり着いたようだ。
天児屋(大国主ぃっ!)
天児屋が目的地とおもわれる部屋の障子を勢い良く開け放つと、そこは極彩色の空間だった。
ぶた(みゆきちゃん。ぶひぶひ)
壁一面に貼られたポスターカラーの何かによって完全に異世界と化したその空間の中央にはぶたが一匹鎮座していた。
天児屋(大国主っ、お前、いるんならなんで出てこないんだよっ)
ぶた(ひっ、天児屋!)
天児屋(お前が出てこないせいで、僕がなんか変なやつみたいに見られたじゃないかっ。大体、仕事はどうした、仕事は!)
ぶた(も、もう今日の仕事は終わったんだよぉ)
ぶたは上下紺色のジャージを着込んで80インチはありそうなテレビにかぶりつきで女児向けの某アニメを見ているところだった。さっきから俺の視界に映り込んでいた何かはそれのキャプチャ画像のプリントアウトだったのだ。
俺(おい、まさかと思うが、そのぶたが大国主か?)