百拾参.はじめてのお留守番
雪視点での留守のかぐや姫の屋敷の話になります。
雪は自室で読書をしていた。父が従五位下になり、貴族の身分となった雪は、かぐや姫の第一の女房としてふさわしい教養を身につけなければいけなくなったのだ。それに、これまで行なってきた日常的な雑務は他の女房の仕事になり、真面目な雪は勉強でもしていないと手持ち無沙汰で困ってしまうということもある。
昨晩、かぐや姫から旅行のプランを聞いた時、雪は驚いた。しかし、主人が望むことならと、自らも住み慣れた平安京を離れる覚悟をして具体的なプランについて尋ねてみると、お供は連れずに車も使わず、墨だけを連れて1人で旅をすると言う。
雪「かぐや姫さま、貴族が畿内を離れるには帝の許可が必要ですよ。そうでなくても、事前に旅行の計画を朝廷に届けて置かないと、後からどんな問題が起きるか……」
俺「大丈夫。身代わりは置いていくから」
雪「身代わりって式神さまですか?」
俺「そ。だから、雪は式神のやつがボロを出さないようにサポートしてあげて」
そう言って、かぐや姫は式神を残して空へと飛び立って行ってしまった。
(かぐや姫さまは今頃どうしてらっしゃるのかしら)
いつの間にかページを繰る手も止まり、雪はかぐや姫が去っていった空を見上げて物思いに耽っていた。
式神「あ、雪ちゃん。いた、いた」
雪「式神さま、どうなさいましたか?」
式神「うん。また和歌の返事を書いたからよろしく~」
雪「はい。かしこまりました」
雪は不意に現れた式神から紙の束を受け取った。裳着の祝宴以来、連日のように和歌という名の恋文があちこちの男性から届くので、その返歌をしなければならないのだ。かぐや姫は今のところ誰ともそういう関係になるつもりはないので、断りの和歌を彼我の社会的な関係にひびを入れないように配慮しながら書く必要がある。
式神「なんか、偉い人からの和歌が多くて肩が凝っちゃったよ」
雪「お肩、お揉みしましょうか?」
式神「いいよいいよ。ごろごろしてれば治るからさ」
そう言って式神は雪の横にぐでっと横になって、雪を見上げるように眺めた。
かぐや姫は式神は変態だから十分注意したほうがいいと言い残して行ったが、今日のところは特に問題になりそうな言動はない。人目のつくところではきちんとかぐや姫の代理をやっているし、和歌の返事も相手のことを考えて対処している。
式神「うへへ。やっぱり雪ちゃんはおっぱいよりも顎と首筋のラインだよね~」
……、うん、正直ちょっと微妙な言動もあるけれど、取り立てて大きな問題にするほどのことはないと思う。多分。
雪「それでは、式神さま、こちらのお返事の方、お送りして参りますね」
式神「うん。よろしくね」
旅行先のかぐや姫との連絡は、雪の部屋に置かれた遠見の鏡という鏡を使って取ることになっている。式神とは記憶を共有しているので大体何が起きているのか分かるし、話をしようと思っても式神は変態なのでまともな話にならないから雪のほうがいいのだそうだ。
遠見の鏡というのは、鏡といっても普通の鏡としての役割は全く果たさない、一見はただの石版でしかない。2つで1組で使い、鏡の前で合言葉を呼びかけることで、対になる鏡の前の光景が映し出され、音声が再生される。要するに現代でいうところの相手先限定のテレビ電話だ。もちろん、雪はテレビ電話なんてものは知らないが。
(連絡が来るのは夜になるっておっしゃっていたけれど)
かぐや姫は遠見の鏡を雪に渡した時、基本的には毎晩連絡を入れるけれど、無理なこともあるかも知れないから遅くなるようなら待たないで寝ていてもいいと言っていた。だけど、雪としては毎日かぐや姫の声を聞きたいから無理しても起きて待っているつもりだ。
(今日はどこにお泊りになるのかな)
とりあえず春日神社に行くと言っていたが、さすがにかぐや姫でも1日で奈良に着くことはできないと思うから、どこか途中のお寺か何かで夜を明かしているに違いない。きっと粗末なものしか食べられないし、寝床の床も固いに違いない。そんな旅の苦労を思うと早くかぐや姫の元気な声が聞きたいと思う雪だった。