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蒼の樹海の魔素使い——魔法が使えない少年は、世界の秘密を視ていた  作者: 蒼月よる


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第五話 灰色の壁

第五話 灰色の壁


 三日目の朝、僕たちは再び遺跡に向かった。

 ベルトは村に残した。熱が下がらず、動ける状態ではなかった。リーナが付き添いを申し出たが、カイが「お前は来い。二人より三人のほうがいい」と言って、三人で出発した。

 昨日見つけた灰色の壁——遺跡の入口に辿り着いたのは、歩き始めて半刻ほどのことだ。


 入口の隙間を広げるのに、カイとリーナが蔦を切り、苔を剥がし、土を掘った。僕は周囲の粒の動きを見張っていた。

 流視が使えるようになってから、世界の見え方が変わった。粒の密度だけでなく、どこからどこへ流れているかが分かる。樹海の中の粒は大きな流れを作っていて、高いところから低いところへ、密度の高いところから薄いところへ、ゆっくりと移動している。川みたいだった。

 そして、この遺跡の周りの粒は——吸い込まれていた。壁の内側に向かって、粒がじわじわと引き寄せられている。遺跡が魔素を吸っているのだ。

「開いたぞ」

 カイの声で振り向くと、人が一人通れるくらいの隙間ができていた。灰色の壁と壁の間に、暗い通路が伸びている。


 中に入った。

 最初の印象は、「静か」だった。樹海の中は風の音や虫の声や木々のざわめきで満ちていたけれど、遺跡の内部にはそれが一切ない。自分の足音だけが壁に反響して返ってくる。

 壁は灰色で、表面が滑らかだ。石とも金属とも違う、見たことのない素材。継ぎ目がほとんどない。まるで一つの塊から削り出したような壁が、左右と天井を覆っている。

 カイが魔石灯を掲げた。常石——粗石より格上の魔石を使った携帯灯で、明るい光が通路を照らした。

 僕の目には、別のものが見えていた。

「……壁の中に、何かある」

「何?」

「光の粒が……壁の中を流れてる。表面じゃなくて、壁の内側に筋がある。魔石の中にあるのと同じような——模様というか、道筋というか」

 カイが壁に手を当てた。

「俺には何も見えねえ。冷たい壁だ」

「うん。普通の目には見えないと思う。でも僕の目には、粒がこの壁の中を通っているのが見える。壁全体に網の目みたいに広がってて——魔石の中の筋と、すごく似てる」

 カイが足を止めた。

「……魔石と、同じだと?」

「うん。同じような模様。ただ、魔石の中の筋は小さくてぎゅっと詰まってるけど、ここのは大きく広がってる。建物全体に張り巡らされてる感じ」

「面白いな……」

 カイの声は、さっきまでの冒険者の声ではなかった。もっと静かな、何かに気づいた人間の声だった。


 通路を奥へ進む。

 壁の中の筋——僕は「回路」と呼ぶことにした——は、奥に行くほど密度が高くなっていた。粒が回路に沿って流れていて、所々で分岐したり合流したりしている。

 リーナが足元を確認しながら慎重に歩いている。斥候としての動きが自然に出ているのだろう。壁に背を預けて角を覗き込み、安全を確認してから合図を送る。

「罠はなさそうですね。少なくとも物理的なものは」

「魔素式の罠があるかもしれない。ユーリ、何か見えるか」

「……あ。前のほうに、粒がすごく濃い場所がある。小さい部屋みたいな空間。その中に——何かがある。粒が塊になってる。でも生き物じゃない。動かないから」

 進むと、通路が開けて小さな部屋に出た。

 部屋の中央に、台のようなものがあった。灰色の素材で作られた、腰の高さの台。その上に、金属の箱のようなものが載っている。錆びて表面がぼろぼろだけれど、箱の輪郭ははっきりしている。

 そして、台の上にはもう一つ——薄い板のようなものがあった。表面に刻まれた何かの文字。読めない。見たことのない記号の羅列だ。

「遺物だ」

 カイが目を輝かせた。

「金属の箱と、文字の刻まれた板。これだけでも銀貨十枚はいく」

 リーナが箱を慎重に手に取った。

「重いですね。中に何か入ってるかも」

「ユーリ、箱の中は見えるか」

「……うん。箱の中にも回路がある。壁の回路と似てるけど、もっと細かい。ぎゅっと詰まってて、魔石の中身に近い」

 カイが息を呑んだ。

「まじか。生きた遺物か?」

「分からない。でも粒は流れてる。微かにだけど」

 カイが箱を持ち上げた。慎重に、壊さないように。


 さらに奥へ進む。通路は下り坂になっていて、空気がひんやりと冷たくなった。壁の中の回路はますます密になっていて、僕の目にはまるで光る血管の中を歩いているように見えた。

 もう一つの部屋に出た。ここはさっきの部屋より広い。天井が高く、壁面に回路が集中している。

「ここ……壁全体が光ってる。回路がすごく密で、粒がたくさん流れてて——」

 言葉を失った。

 壁の一面に、巨大な回路の結節点があった。回路の筋が四方八方から集まって、一つの大きな渦を作っている。渦の中心で粒がぐるぐると回っていて、そこだけ異様に明るい。

「……これ、魔石の中と同じだ」

 呟いた。

「この壁の回路も、魔石の中の筋も、同じものだ。大きさが違うだけで——構造が同じ。枝分かれの仕方とか、粒が流れる速さとか」

 カイが黙って聞いていた。

「何が言いたい」

「分からない。分からないけど——この遺跡と、魔石は、同じものでできてる。同じ仕組みでできてる。そんな気がする」

 自分でも何を言っているのかよく分からなかった。でも、目が捉えているものは確かだった。魔石の中の回路と、遺跡の壁の回路は、同じ法則で作られている。

 カイが壁に手を当てて、しばらく動かなかった。

「……ユーリ。お前の目は、とんでもないものを見てるぞ」

 静かな声だった。

「この遺跡は、ただの古い建物じゃない。お前の言う通りなら、建物全体が巨大な魔石みたいなものだ。動いてる。生きてる。——こんなもの、ギルドに報告したら大騒ぎになる」

 金になる、とは言わなかった。カイの目は、金儲けとは違うものを見ていた。好奇心だ。純粋な、まだ見ぬものへの興味。


 遺跡の中にはそれ以上進めなかった。奥の通路が崩れて塞がっていたからだ。

 回収した遺物——金属の箱と文字の板——を持って、僕たちは遺跡を出た。


 外に出ると、日が傾いていた。蒼い葉の隙間から夕陽の赤い光が差し込んで、樹海が赤と蒼の混じった不思議な色に染まっている。

 空気が変わった。

 僕はそれを、体の芯で感じた。粒の動きが——突然、おかしくなった。

「——何か、来る」

 カイとリーナが同時に構えた。

「魔獣か?」

「違う。もっと——大きい。粒が、全部一つの方向に引っ張られてる。上に。空に向かって」

 見上げた。

 蒼い葉の天蓋の向こう、空の高いところに——光があった。

 粒が見せる光ではない。もっと巨大で、もっと強烈な光。白くて、純粋で、圧倒的な光の柱が、天から地に向かって降り注いでいる。遠くだ。ここから何里も離れた場所に、空から光が落ちている。

 樹海が反応した。

 足元の蒼い植物が——動いた。

 蔦が伸びた。苔が広がった。木の枝が軋みながら成長した。地面から新しい芽が噴き出して、数秒で膝の高さまで伸びた。

「なんだこれは——!」

 カイが後ずさった。リーナが悲鳴を上げた。

 植生の暴走。蒼い葉が猛烈な勢いで茂り始めて、通路を塞ぎ、視界を覆い、足元を絡めとろうとしている。

「逃げるぞ! 走れ!」

 カイが叫んだ。

 僕たちは走った。蔦を切り、枝を払い、伸びてくる植物を蹴散らしながら、ひたすら来た道を戻った。粒の流れは上に向かって激しく吸い上げられていて、空気全体がざわめいている。世界が、怒っているようだった。

 光の柱は遠くにあった。僕たちのいる場所からは離れていた。だから直撃は受けなかった。ただ、その余波だけで——これほどの異変が起きている。

「あれが……」

 走りながら、僕は呟いた。

「あれが、神罰か」

 カイが振り返った。顔が引きつっていた。

「……知らねえよ。見たことなんかねえよ、こんなもの」

 禁忌を犯せば神罰が下る。言い伝えだと笑っていたカイの声が、震えていた。


 村に戻り着いた頃には、光の柱は消えていた。

 植生の暴走も、ゆっくりと収まりつつあった。だが、通ってきた樹海の道は、朝とは全く違う姿になっていた。蒼い蔦が道を覆い尽くし、木々が成長して道幅を狭め、昨日まで通れた獣道が蒼い壁に塞がれていた。

 村の人たちは青ざめていた。光の柱は、村からも見えたらしい。

「神様がお怒りだ」

 ドーラばあさんの声が、夕暮れの集落に響いた。

 誰も反論できなかった。カイでさえ。


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