第四話 牙と爪
第四話 牙と爪
遺跡は見つからなかった。
光の粒が一方向に流れていた場所はあったのだけれど、そこにあったのは苔むした岩壁だった。カイが岩を叩き、リーナが周囲を探り、ベルトが地面を掘ったけれど、それらしい入口は見つからない。
「埋もれてるのかもな。樹海の遺跡は地中に沈んでることが多い。今日は場所だけ確認して、明日改めて掘ろう」
カイがそう言って、一日目の探索は終わった。
野営地を作った。
巨木の根元に、苔皮のテントを張る。カイが慣れた手つきで骨材の簡易台を組み、その上にテントを載せた。地面が湿っているから、直に寝ると体が冷えるのだという。
「火は魔石コンロで起こせ。樹海で薪を燃やすと煙が出る。煙は魔獣を引き寄せる」
「え、そうなの」
「煙っていうか、燃えた木の匂いだな。樹海の獣は嗅覚が鋭い。魔石コンロなら匂いが出ないから安全だ」
なるほど。村では普通に薪を使うけれど、樹海の中では事情が違うのか。
リーナが水を汲みに行き、カイが肉を焼き、僕は蒼苔を採ってスープの準備をした。日が落ちると樹海の中は真っ暗になる——はずだが、僕の目には粒の微かな光で周囲がぼんやりと見えていた。カイたちには見えない光だ。
「ユーリ、見張りは任せていいか。お前、暗くても見えるんだろ」
「……うん、まあ。粒の動きで何かが近づいたら分かるから」
「最高だな。俺は寝る。交代で起こしてくれ」
カイは呑気だ。初めての樹海の奥で、見張りを出会ったばかりの少年に任せて眠れるとは。信頼なのか、図太いのか、あるいは両方か。
夜の樹海は、静かで美しかった。
蒼い葉の天蓋の隙間から星が覗いていて、空気中の粒が微かに瞬いている。昼間よりも粒の動きが緩やかで、ゆらゆらと漂う光が森全体をうっすら照らしていた。
遠くで何かの鳴き声がした。甲高い、短い声。鳥ではない。小型の魔獣だろう。粒の密度を確認する。遠い。こちらに向かってきてはいない。
大丈夫だ。
焚き火のない夜は寒い。魔石コンロの残り火がほんのり温かいけれど、それだけでは足りない。毛布を膝に掛けて、蒼酒を一口飲んだ。ばあちゃんが持たせてくれたやつだ。甘くて、少しだけ体が温まった。
二日目の朝。
岩壁の周辺を改めて調査して、地中に埋もれた構造物の入口を見つけた。蔦と苔に覆われた隙間を掘り広げると、灰色の壁が現れた。自然の岩ではない。人の手で——いや、何かの手で作られた、均質で滑らかな壁。
その話は次の機会に譲るとして。
問題は、二日目の午後に起きた。
遺跡の入口を確認した帰り道のことだ。
最初に気づいたのは、粒の動きだった。
それまでふわりと漂っていた粒が、急に騒ぎ始めた。騒ぐ、としか言いようがない。一定方向に流れるのではなく、あちこちに散り散りに動いて、空気全体がざわついたような感覚。
「——止まって」
思わず声が出た。
「どうした」
カイが足を止めた。
「粒が……変だ。何かが来る。複数。速い」
「何が来る?」
「分からない。でも、光の塊が六つか七つ、こっちに向かってる。装甲猪より小さいけど、速い。すごく速い」
カイの表情が変わった。軽薄な笑みが消えて、冒険者の顔になった。
「蒼牙狼だ。群れで来やがった」
剣を抜く音がした。ベルトも幅広の剣を構える。リーナが短剣を両手に持って、木の陰に身を隠した。
「ユーリ、下がれ。木の上に登れるか」
「無理。僕、目が悪くて木登り苦手なんだ」
「じゃあ俺の後ろだ。離れるなよ」
粒の塊が近づいてくる。
見えた。蒼い光を纏った獣の群れが、木の間を縫って疾走してくる。蒼牙狼。灰色の毛皮に、蒼く光る牙と爪。目が蒼い。六頭——いや、七頭。
そして、見えたのはそれだけじゃなかった。
粒が——流れていた。
狼たちの間で、光の粒が行き来している。一頭の周りの粒が隣の一頭に向かって流れ、その一頭からまた別の一頭へ。まるで見えない糸で繋がっているように、粒が狼たちの間を循環していた。
群れ全体が、一つの生き物みたいだった。
「——繋がってる」
「は?」
「狼たち、魔素で繋がってる。粒が群れの間を流れてる。だから連携が取れるんだ」
カイが一瞬目を見開いた。それから、歯を剥いて笑った。
「面白いこと言うじゃねえか。——で、どう動く!」
「左から三頭! 右から二頭が回り込む! 残りの二頭が正面!」
叫んだ瞬間には、もう狼たちは散開していた。粒の流れを見れば分かる。右に流れた粒は右からの攻撃を意味し、左に流れた粒は左からの奇襲を告げている。
カイが正面の二頭に斬りかかった。一頭目の突進を横に躱して、すれ違いざまに首筋を薙ぐ。速い。蒼牙狼と互角以上の反射速度だ。
ベルトが左の三頭を引き受けた。幅広の剣を振り回して、狼たちを寄せつけない。一頭が飛びかかったのを盾で叩き落とし、もう一頭を蹴り飛ばした。
「右から来た! ベルトさんの後ろ!」
僕が叫んだ。リーナが木の陰から飛び出して、回り込もうとしていた二頭の一頭に短剣を投げた。刃が狼の脇腹に刺さり、悲鳴を上げて転がる。もう一頭がリーナに向かったが、リーナは身をひるがえして回避し、二本目の短剣で喉を掻き切った。
カイが正面の二頭を倒した。リーナがさらに一頭を仕留めた。残りの三頭がベルトに群がっている。
「ベルトさん、左の一頭が下から——」
遅かった。
一頭がベルトの足元に潜り込み、脚を噛んだ。蒼牙が革鎧を貫通して、肉に食い込む。
「——っ!」
ベルトが初めて声を上げた。痛みの叫び。だが、倒れなかった。噛みついた狼の頭を片手で掴み、地面に叩きつけた。もう一頭をカイが背後から突き、最後の一頭が逃げようとしたのをリーナが追って仕留めた。
七頭。全滅。
「ベルト!」
リーナが駆け寄った。ベルトの左脚から血が流れている。自分の血と——蒼牙狼の血が混じっている。蒼みがかった黒い血が傷口の周りにべっとりと付着していた。
「まずいな」
カイが顔をしかめた。
「魔獣の血が傷に入った。すぐに洗わないと」
水筒の水で傷口を洗い、リーナが包帯を巻いた。でも、ベルトの顔色がみるみる悪くなっていく。額に汗が浮き、肌が青白い。
「……毒が回ってる」
カイが低い声で言った。
「蒼牙狼の血は特にきつい。体の中の均衡を崩す。熱が出て、ひどいと意識を失う」
「村に戻らないと」
「ああ。——ユーリ、帰り道は分かるか」
「分かる。来た道の粒の残り方を覚えてる」
「頼む」
僕が先頭に立って、帰り道を急いだ。ベルトをカイとリーナが支えて歩く。ベルトはまだ自分の足で歩けたけれど、歩くたびに顔が歪んだ。
歩きながら、僕はさっき見たものについて考えていた。
蒼牙狼の群れを繋いでいた、粒の流れ。あれは何だったのだろう。狼たちの間で魔素が行き来して、情報を共有しているように見えた。だから群れの連携があれほど精密だった。
粒の「動き」が見えた。密度だけじゃなく、流れの方向が。いつからだ。さっきの戦闘の最中から? いや——粒が騒ぎ始めたとき、最初に「変だ」と感じたとき。あの瞬間から、僕の目は粒の密度だけでなく、粒の流れを読めるようになっていた。
気づいたら見えていた。
目の奥が少し痛む。じんわりとした鈍い痛みだ。頭痛——というほどではないけれど、疲れたときの目の奥の重さに似ている。
……何が起きたんだろう。
村に着いたのは日が暮れる直前だった。
ベルトは高熱を出していて、意識が朦朧としていた。村の薬師が手当をしてくれたが、「魔獣の血の毒は時間をかけて抜くしかない」と首を振った。
エダおばさんが温かいスープと蒸し芋を出してくれた。カイとリーナは黙って食べた。さっきまでの軽薄な空気はなくて、二人とも疲れた顔をしていた。
「すまなかったな、ユーリ。危ない目に遭わせた」
カイが蒼酒を飲みながら言った。
「……ううん。僕は怪我してないし。それより、ベルトさんは大丈夫?」
「分からん。毒の抜け方は体質による。丈夫な奴だから、たぶん大丈夫だとは思うが……時間がかかる」
カイが杯を置いた。
「ユーリ。お前、さっき狼の動きを全部読んでたろ。あれ、どうやった」
「……魔素の流れが見えたんだ。狼たちの間を粒が行き来してて、流れの方向で、どっちから攻撃が来るか分かった」
「流れ。密度じゃなくて?」
「うん。今日の戦闘から——たぶん。それまでは、粒がどこに多いかしか分からなかった。でも今は、どっちに動いてるかも見える」
カイがしばらく黙った。
「……お前の目、進化するのか」
「分からない。ただ——ちょっと目の奥が痛い。使いすぎたのかも」
「無理するなよ。その目がぶっ壊れたら元も子もない」
カイがぶっきらぼうに言ったけれど、その声には本気の心配が混じっていた。
その夜、僕は自分の家に帰った。ばあちゃんが蒼苔のスープを温めて待っていてくれた。
「無事に帰ってきたね」
「……うん」
「怪我は?」
「してない。でも、一緒に行った人が噛まれた」
「そうかい。……それは気の毒だね」
ばあちゃんのスープを飲んだ。いつもの味だ。蒼苔の苦みと、ほんのりした温かさ。ほっとした。
窓の外を見る。夜の空気の中を漂う光の粒。いつもと同じだけれど、今の僕の目には、粒がただ漂っているのではなく、微かに方向を持って流れているのが見えた。
風のように。川のように。
世界が、昨日までとは少し違って見えた。




