第30話 地下の声
第三話 地下の声
四日目の朝、僕は異変に気づいた。
透視ではない。普通の流視だ。
基地の外に出て、何気なく灰原を眺めていたとき——視界の端に、かすかな光が引っかかった。
灰原の北側。地平線よりずっと手前の地面の下に——ほんのわずかな、温かい光がある。
魔素の光ではなかった。もっと弱くて、もっと——生きている感じがする。体温のような光。
「カイさん」
僕はカイを呼んだ。
「どうした」
「地面の下に、何かいる」
「何か?」
「……人、かもしれない。すごく弱い光だけど——生き物の体温みたいなものが見える。北のほう」
カイの表情が変わった。
「灰原の地下に、人だと?」
「分からない。でも、何かがいる」
ルークとミラも出てきた。セラスは建物の扉の影から、こちらを見ていた。
「透視で見てみろ。はっきり分かるか?」
「やってみる」
目を凝らした。透視に切り替える。体力が削られていくのを感じながら、北の地面の下を——見た。
見えた。
地面の下、五歩分くらいの深さに——空洞がある。自然にできたものではない。人工的な形をしている。トンネルのような構造。そして、その中に——
「……人がいる。複数。地下に空洞があって、その中に——たぶん十人以上」
「十人以上?」
カイが目を見開いた。
「灰原の地下に、人が住んでるのか」
僕は透視を解いた。頭がくらりとした。ミラがすぐに支えてくれた。
「大丈夫?」
「……うん。大丈夫。でも——確かに見えた。人がいる」
セラスが近づいてきた。
「……地下に人がいると言いましたか」
「はい。地下の空洞の中に」
セラスの顔が蒼白になった。
「……そんなはずは。五十年前の神罰で、この一帯の人間は——」
「全員が死んだとは限らない。地下に逃げた者がいたとしたら——」
ルークが言った。セラスが口を開きかけて、閉じた。
「行ってみよう」
カイが言った。
北に向かって一時間ほど歩いた。
灰原の平坦な地面に、わずかな窪みがあった。自然の地形に見えるが、よく見ると窪みの底に石が敷かれている。ルークがしゃがんで石を調べた。
「……蓋だな。下に入口がある」
石の蓋を四人で持ち上げた。重い。だが、カイの力があれば動いた。
蓋の下に、石段が続いていた。暗い。魔石の灯りで照らすと、石段は地下に向かって真っすぐ降りている。壁は荒く削られた岩肌で、ところどころに苔が——苔が生えている。
「苔だ」
ミラが声を上げた。
「灰原の地上には植物がないのに、地下には苔がある。水がある証拠だよ」
石段を降りた。十歩ほど下ったところで、道が横に広がった。トンネルだ。天井は低いが、大人が背をかがめれば歩ける。壁に沿って、小さな魔石の灯りが等間隔に設置されていた。とても弱い光だが、灯りがあるということは——
「誰かが管理している」
ルークが呟いた。
トンネルを進んだ。
最初に聞こえたのは、水の音だった。
チョロチョロと、細い水の流れる音。トンネルの壁沿いに、浅い水路が走っている。水路の中に、淡い緑色の苔が茂っていた。
次に聞こえたのは——人の声だった。
子どもの声。笑い声。それから、誰かが叱る声。
トンネルが開けた。
広い空間に出た。
地下の集落だった。
天井が高い。もともと何かの地下施設だったのだろう——壁や柱に人工的な痕跡がある。だが、今はそこに人の暮らしがあった。
壁沿いに並ぶ小さな住居。布と板で仕切られた簡素な部屋。中央に広場のような空間があり、子どもたちが走り回っている。水路沿いに苔の畑が広がり、棚には何かが干されている。
人が——二十人、三十人、いや、もっといる。
「止まれ」
太い声が響いた。
広場の奥から、一人の男が歩いてきた。
三十代くらい。中背で目立たない体格。黒い短髪に無精髭。目の下にくまがある。着古した外套を羽織っていて、左手の薬指がなかった。
目が鋭い。だが、殺気はない。品定めをするような目だ。
「上から来たのか。珍しい客だな」
男が僕たちの前で立ち止まった。視線がカイの銀牌に止まり、ルークの工具ベルトに移り、ミラの薬箱を見て、最後に——僕の目を見た。
数秒、僕の目を見つめた。何かに気づいたような表情が、一瞬だけ浮かんだ。
「……ほう」
男が小さく呟いた。
「まあいい。まず話を聞こうか。——俺の名はナギだ。ここの、まあ、世話役みたいなものだ」
ナギに案内されて、集落の奥の部屋に通された。
石壁の部屋に、木の机と椅子がある。壁に棚があり、巻物のようなものが積まれている。ナギの私室だろう。
「座れ。狭いが我慢しろ」
ナギが椅子を五つ並べた。六人分はない。ナギ自身は壁に背をもたれて立った。
「お前たちは誰だ。なぜ灰原にいる」
カイが名乗り、僕たちの素性を簡潔に話した。冒険者であること。灰原の地下遺跡を調査しに来たこと。ノードネットワークの存在を知っていること。
ナギは腕を組んで、黙って聞いていた。表情はほとんど変わらなかったが、「ノードネットワーク」という言葉が出たとき、目がわずかに動いた。
「なるほどな。冒険者が遺跡を探しに来た。——で、あっちの嬢さんは何だ」
ナギの視線がセラスに向いた。セラスは部屋の入口近くに立ったままだった。隠れ里についてくるかどうか迷っていたが、結局、僕たちと一緒に降りてきた。
「神聖国家の聖騎士か。魔素の気配で分かる」
「……はい」
セラスの声が硬い。
「安心しろ。ここには聖騎士を恐れる奴はいない。恐れるには、もう遅すぎるからな」
ナギの口元に皮肉な笑みが浮かんだ。
「この隠れ里の住人は、五十年前の神罰の生存者とその子孫だ。滅ぼされた側の人間だよ。今さら聖騎士が一人来たところで、何も変わらん」
セラスの顔がこわばった。
「まあ聞け。順に話す」
ナギが壁から背を離して、一歩前に出た。
「五十年前、ここにはアシュテラという国があった。小さい国だ。人口は二万程度。だが技術力があった。遺跡から遺物を掘り出して、それを使って国を豊かにしようとした。水路を整備し、建築に応用し、武器にも使った。——お前たちが灰原で見た城壁の精密さは、遺物の技術あってのものだ」
「それが禁忌に触れた」
ルークが言った。
「ああ。ある日、空に光が立った。地面が揺れた。植物が——狂ったように伸びた。建物を覆い、壁を砕き、道を塞いだ。一昼夜で国は緑に飲み込まれた。そしてその後——全てが枯れた。植物も、土壌の中の魔素も、何もかもが死んだ。残ったのが、あの灰原だ」
ナギの声は淡々としていた。誰かから聞いた話を語るときの声だ。
「死者は一万を超えた。だが、全員が死んだわけじゃない。地下にいた者が助かった。遺跡の地下施設にいた研究者たち、地下水路の工事をしていた労働者たち、地下倉庫に逃げ込んだ市民たち。三百人ほどが生き残った」
「三百人から、今のこの集落に」
「五十年で三世代だ。今は百五十人ほど。増えたり減ったりしながら、ここまで来た」
ナギが溜め息をついた。
「楽じゃなかったぞ。地上は死んでいるから、食料は地下で作るしかない。地下水路で苔を育て、キノコを植え、わずかな光で芽を出す植物を探して——五十年かけて、辛うじて食っていける仕組みを作った」
「見たいです」
ミラが前のめりになった。
「地下で苔とキノコを育ててるって、どうやってるんですか」
ナギがミラを見た。少し驚いたようだったが、すぐに口元を緩めた。
「食い意地が張ってるな、嬢さん。——いいだろう。見せてやる」
ナギに連れられて、隠れ里を歩いた。
集落の奥に、水路が広がっていた。
壁から染み出る地下水を集めた水路が、細い溝を何本も走っている。水路の底と壁に、びっしりと苔が生えていた。淡い緑色の苔。灰原の地上では一本の草も生えないのに、地下には苔が——生きている。
「この苔が主食だ」
ナギが水路の苔を指差した。
「水苔と呼んでる。そのままでは食えないが、乾燥させて粉にして、水で練って加熱すると粥になる。味は——まあ、期待するな」
「すごい……水路で苔を栽培してるんだ」
ミラがしゃがんで苔を観察していた。目が輝いている。
「ミラさん、よだれ出てるよ」
「出てない! でもすごいよこれ、苔をこんなふうに計画的に育てるなんて——灰原の地下水に何か特別な成分があるのかな」
「知らん。だが、地上の土壌は死んでいても地下水は生きている。苔はそれだけで育つ。丈夫な奴だよ」
水路の隣に、キノコの栽培場があった。
木の棚に並べた丸太に、白いキノコが生えている。丸太は——灰原の地下から掘り出した古い木材だ。五十年前の建物の梁や柱を再利用している。
「灰茸と呼んでる。灰原の地下でしか育たないキノコだ。乾燥させると保存が利く。水で戻して煮れば、まあまあ食えるものになる」
ミラがキノコを一つ手に取って、匂いを嗅いだ。
「土の匂いがする。薬効もありそう……乾燥させた灰茸って、もしかして解毒作用がある?」
ナギが眉を上げた。
「詳しいな。ああ、ある。毒消しに使ってる。灰茸を煎じた汁を飲むと、大抵の腹痛は治る」
「やっぱり! 灰原でしか育たない薬草——いや、薬茸? これ、外の世界では幻の薬として知られてるんです」
ミラが興奮して早口になっていた。ナギは少し呆れたような顔をして、でも悪くなさそうに笑った。
昼食をごちそうになった。
隠れ里の食堂は、広場の一角に設けられた共同の調理場だった。大きな鍋が二つ、かまどの上に載っている。かまどの燃料は——乾燥させた苔の茎だ。細くて頼りないが、じわじわと燃える。
出てきた食事は、苔の粥とキノコの干し物だった。
苔の粥は、水苔を乾燥させて砕いた粉を水で溶き、煮込んだもの。灰色がかった緑色をしていて、見た目はあまりよくない。匙で掬うと、とろりとした糸を引く。
口に入れた。
味は——薄かった。塩気がほとんどない。苔独特の青臭さがかすかにあるが、煮込むことで大部分が消えている。食感はとろみのある粥で、舌触りはなめらかだ。栄養はあるのだろうが、味覚的には物足りない。
「塩がないのが辛いところだな」
ナギが自分の椀を掬いながら言った。
「地下水に微量の塩分があるから、それで何とか味をつけてるが、足りない。たまに上に出て灰を集めて、灰からわずかに取れるミネラルを使うこともある」
キノコの干し物は、灰茸を薄く切って乾燥させたものだった。噛むと、じわりと旨味が出る。苔の粥よりずっと味がある。歯ごたえもあって、干し肉とまではいかないが、噛みしめる楽しみがあった。
「これは美味しい」
ミラが目を丸くした。
「干し方が上手いんだね。旨味が凝縮されてる」
「五十年かけて乾燥の技術を磨いたからな。これだけは自慢できる」
ナギが少しだけ胸を張った。
もう一つ、小さな器に入った液体が出てきた。地下水で作った薄い酒だ。苔と灰茸を発酵させたもので、色はほとんど透明だった。
一口飲んだ。
アルコール度数は低い。微かに酸味があって、わずかに苔の風味がする。お世辞にも美味い酒とは言えないが、喉を通るときにほんのり温かくなった。
「……辺境の蒼酒のほうが美味しいな」
正直な感想が口から出た。ナギが鼻で笑った。
「そりゃそうだろうよ。辺境には樹海がある。魔素がある。豊かな土壌がある。俺たちにあるのは灰と水と苔だけだ。その中で作れる最善がこれだ」
「ごめんなさい、失礼なことを——」
「いいさ。事実だ」
ナギの声に怒りはなかった。諦めでもない。ただ、静かな受容があった。
辺境より厳しい暮らしだと思った。
辺境の集落は貧しかったけれど、樹海があった。魔獣の肉があり、蒼苔スープがあり、蒼酒があった。土を耕せば芋が育ち、森に入れば薬草が採れた。
ここには、それがない。地下水と苔とキノコだけで、百五十人が五十年間暮らしてきた。
「ナギさんは——この隠れ里で生まれたんですか」
「いや、俺はよそ者だ」
ナギが粥の最後の一匙を口に入れて、椀を置いた。
「元は神聖国家の市民だった。中級神官の家に生まれて、聖典の管理に携わっていた」
セラスが微かに反応した。ナギの方を見る目に、驚きと警戒が混じっている。
「聖典の管理をしているうちに、教義と現実の矛盾に気づいた。禁書に近い記録を読んだ。——世界の仕組みの、ほんの断片を知っちまった」
「断片?」
「神罰は自動的に発動するんだ。神の意思じゃない。何かの——仕組みだ。条件を満たせば、自動的に起きる。禁忌の線引きも、誰かが決めたものだ。天から降ってきた絶対の掟じゃない」
セラスの顔から血の気が引いた。
「……何を根拠にそんなことを」
「根拠はある。だが今は言わん。長くなる」
ナギがセラスを見た。皮肉な目だが、敵意はない。
「お前も聖騎士なら、薄々感じてるんじゃないのか。任務の中で——何かがおかしいと。神の御意志とやらが、あまりにも機械的だと」
セラスが唇を噛んだ。答えなかった。
「まあ聞け」
ナギが僕の方を向いた。
「お前たち、遺跡に興味があるんだろう。なら話がある」
「……はい」
「この隠れ里の下に——さらに深い場所に、遺跡がある。五十年前のアシュテラの人間が使っていた遺跡だ。神罰で地上は消えたが、地下の遺跡はそのまま残っている。ただし、封印されている。神聖国家の封印だ」
ナギの目が鋭くなった。
「俺はこの遺跡を見たい。だが、封印は俺には解けない。聖騎士の権限が必要だ。——そして、遺跡の中に何があるかを見るには、お前の目が要る」
ナギが僕を真っすぐに見た。
「お前、魔素が見えるだろう。それも、ただ見えるんじゃない。壁の向こうが透けて見える。さっき上で透視を使ったとき、お前の目が光ったのを俺は見た」
「……ナギさんは、透視のことを知ってるんですか」
「神聖国家にいた頃に、記録で読んだ。極めて稀な異能だ。ナノマシン——いや、魔素が目に定着した者にしか発現しない」
ナギが「ナノマシン」と言いかけて、言い直した。僕はその言葉を聞き逃さなかった。聞いたことがない単語だ。
「ナノマシンって、何ですか」
ナギの表情が一瞬、固まった。
「……忘れろ。俺の口が滑った。——とにかく、遺跡に入りたいなら協力しよう。俺はこの灰原の地理を知っている。隠れ里の人間は遺跡の入口を知っている。お前たちには聖騎士の力と、透視の目と、罠師の技術がある。互いに持っていないものを持っている」
カイが僕を見た。ルークが頷いた。ミラが小さく微笑んだ。
セラスは——目を伏せたまま、何も言わなかった。
「どうする、ユーリ」
カイが聞いた。
「……行きたい。遺跡を見たい。この灰原の下に何があるのか——知りたい」
ナギがわずかに笑った。笑うと人好きのする顔になるが、目だけが笑っていなかった。
「いい返事だ。——じゃあ、まずは準備だな。遺跡に入る前に、隠れ里の備蓄から食料を分ける。お前たちの携行食だけじゃ足りないだろう」
「そんな、隠れ里の食料を——」
「いいんだよ。お前たちが遺跡で何かを見つけてくれれば、それが対価になる。この隠れ里の人間は五十年間、地下に閉じ込められてきた。上の世界で何が起きてるのか、遺跡に何が眠ってるのか、知りたい奴は多い」
ナギが立ち上がった。
「今日はここに泊まれ。明日、遺跡の入口を見せてやる」
その夜、隠れ里の住人たちと一緒に食事をした。
広場に集まった人々は、僕たちを珍しそうに見ていた。上の世界から来た人間は、めったにいないのだろう。子どもたちは遠巻きにこちらを見て、ひそひそと囁き合っている。
夕食は昼と同じ苔の粥とキノコの干し物だったが、「客が来た」ということで、特別にキノコの量が多かった。灰茸を薄く切って乾燥させたものを、水で戻して粥に混ぜ込んである。昼よりもずっと味がある。
ミラが隠れ里の調理係と話し込んでいた。
「この苔、煮る前に一度乾燥させてから粉にしてるでしょ? 直接煮るより青臭さが抜けるんだ。すごい。よく思いついたね」
「先代の調理係が試行錯誤してね。最初の頃は苔をそのまま煮て食べてたらしいけど、不味くて誰も食べなかったって」
調理係の女性が笑った。四十代くらいの、手の荒れた女性だった。
「乾燥させて粉にして水で練る方法を見つけるまで、十年かかったって聞いたわ」
「十年……」
ミラが感嘆の声を上げた。
僕は粥を食べながら、広場を見回した。
子どもたちが走り回っている。老人が壁際で何かを編んでいる。若い男女が水路の手入れをしている。苔の畑を世話する人、キノコの棚を見回る人、壁の補修をする人。
百五十人の小さな世界。地上が死んでいても、地下では人が生きている。苔とキノコと地下水だけの、限られた世界で、それでも文化があり、技術があり、笑い声がある。
「ナギさん」
僕はナギの隣に座った。
「この人たちは、五十年前の神罰のことを覚えてるんですか」
「覚えてる奴は、もうほとんどいない。当時の生存者で今も生きてるのは三人だけだ。みんな七十を超えている」
ナギが粥を匙で掬った。
「だが、語り継がれてる。神罰の日のことは。空が光って、地面が揺れて、植物が狂ったように伸びて、全てが飲み込まれた。それから——枯れた。何もかもが。地上に出た者は、灰しか残っていない世界を見た」
「……ナギさんは、なぜここに来たんですか」
「神聖国家を出て、各地を転々としてた。情報を売って食ってたんだが——ある日、灰原の噂を聞いた。死の大地に生存者がいるという噂だ。確かめに来て、見つけた。それから——まあ、居着いた」
ナギが苔の酒を一口飲んだ。
「俺が知ってる真実の断片と、この隠れ里の人間が持ってる五十年分の記憶。それを突き合わせれば、世界の仕組みの一端が分かるんじゃないかと思った。だが——足りなかった。封印を解く力がなかった。遺跡の中を見る目がなかった」
ナギが僕を見た。
「お前たちが来てくれて、正直、驚いてる。聖騎士まで連れてるとは思わなかった」
「セラスさんは——まだ迷ってます」
「分かってるさ。だが、あの嬢さんはもう引き返せないだろうよ。ここに来た時点で、任務の枠を踏み越えてる」
ナギの声には皮肉があったが、それだけではなかった。同じ国を出た者としての、静かな共感があった。
食事が終わった後、ナギが隠れ里の酒を出してくれた。
苔と灰茸の発酵酒。昼に飲んだものと同じだが、夜に飲むと少しだけ違う味がした。疲れた体に、微かな温かさが染みる。
「まずいだろう」
ナギが言った。
「……正直に言うと、あんまり美味しくないです」
「だろうよ。俺も最初はそう思った。だが三年飲み続けると、これがないと物足りなくなる。慣れってのは恐ろしいもんだ」
ナギが笑った。今度は、目も少しだけ笑っていた。
カイが隣で酒を啜っていた。
「なあ、ナギ」
「なんだ」
「遺跡の中に何があると思ってる」
「分からん。だが——記録がある。アシュテラの人間が遺跡から持ち出していた遺物は、単なる道具じゃなかった。遺跡の奥に、もっと深いものがあったはずだ。記録室のようなもの。あるいは——通信装置のようなもの」
ルークの目が光った。
「ノードか」
「その言葉は知らんが、似たようなものだろう。遺跡同士を繋ぐ仕組みがある。その中継点がここにもあるはずだ」
「なるほど。面白いな」
ルークが口元を緩めた。
「灰原の地下に大規模なノードがあるとすれば——デルガで見たものよりも重要度が高い可能性がある。神聖国家が封印して監視するだけのことはある」
「だろうよ。だからこそ、見に行く価値がある」
ナギがカイに目を向けた。
「お前、前衛だな。腕は立つのか」
「まあな」
「遺跡の中には何がいるか分からん。五十年間封印されていた場所だ。守護者がいてもおかしくない」
「守護者は二回やってる。何とかなるさ」
カイが不敵に笑った。ナギが鼻で笑い返した。
「威勢がいいのは嫌いじゃない」
僕は酒を飲みながら、隠れ里の天井を見上げた。
石の天井に、小さな魔石の灯りがいくつも埋め込まれている。弱い光だが、集まると夜空の星のように見えた。
灰原の地上で見た星空を思い出した。魔素のない、純粋な闇の中に光る星。この地下の灯りは、それとは全く違う——人の手で作られた、小さな光だ。
五十年間、この光の下で人が暮らしてきた。苔を育て、キノコを干し、水を汲み、子どもを育て、老人を看取り——ずっと、地下で。
辺境より厳しい暮らしだ。でも、ここには人がいる。灰原は死んでいるけれど、地下には生きた世界がある。
「ユーリくん」
ミラが隣に来た。
「どう思った? この場所」
「……すごいと思う。五十年間、こんな場所で暮らし続けるなんて」
「うん。私も思った。——でもね、苔の粥をもう少し美味しくできると思うの。塩がないなら、灰茸の煎じ汁で味をつければ旨味が出るし、干し方を変えれば苔の風味ももっと活かせる。明日、調理係の人に教えてもいい?」
ミラらしいと思った。
世界の真実とか、遺跡の秘密とか、そういう大きなことの前に、ミラはまず目の前の食事を美味しくしたいと考える。その優しさが、僕は好きだった。
「……いいと思う。きっと喜ばれるよ」
ミラが嬉しそうに笑った。
寝る前に、ナギが僕のところに来た。
「一つ聞いておく」
ナギの目が真剣だった。皮肉の色が消えていた。
「お前は、何のために遺跡を見たいんだ。金か。名声か。知識か」
「……知りたいだけです。世界がどうなってるのか。遺跡の下に何があるのか。なぜこの大地が死んだのか。なぜ、禁忌を犯すと全てが滅ぶのか」
「知って、どうする」
「分かりません。でも——知らないままではいられない。この目で見えるものが、何を意味しているのか。それを理解したい」
ナギが長い間、僕を見つめていた。
「……お前みたいな奴は初めてだ」
ナギが小さく笑った。今度は、目が笑っていた。
「いいだろう。俺が知ってることは、できるだけ話す。お前たちが辿り着く場所を——俺も見たい」
ナギが部屋を出ていった。
僕は隠れ里の寝台に横になった。苔の匂いがする。湿った、生きている匂い。灰原の乾いた死の匂いとは全く違う。
地下水路のかすかな水音が聞こえる。誰かの寝息が聞こえる。子どもが寝言を言う声が、遠くから届く。
明日、遺跡の入口を見に行く。
灰原の下に眠るもの。五十年前に封印されたもの。ノードネットワークの中継点。この死の大地が語る、世界の仕組みの一端。
目を閉じた。暗闇の中に、何も見えない。魔素がないから、まぶたの裏も真っ暗だ。辺境で眠るときは、まぶたの裏にもうっすらと光の粒が見えていた。ここではそれがない。
だけど、不思議と怖くなかった。
灰原は死んでいる。でも、地下には人がいて、水が流れて、苔が育っている。そしてもっと深いところに——遺跡がある。
僕の目が必要とされている場所が、この下にある。




