第26話 回廊の核
第十二話 回廊の核
地下遺跡に降りたのは、夜明け直後だった。
入り口のギルド職員に記録を取らせ、階段を下る。湿った空気が肌に纏わりつく。壁の回路が、薄い青白い光を放っている。いつもと同じ光。でも今日は、その光がどこか落ち着かないように見えた。脈動のリズムが、僅かに速い。
「紋視で見てくれ。前回と変化があるか」
ルークさんが小声で言った。
僕は紋視を起動した。壁の中の回路が浮かび上がる。配線のパターン、分岐点、集中する箇所。前回と比べて——
「……回路の光が強くなってる。特にノードがある方向。前より脈動が速い」
「活性化が進んでいるのか。あるいは——誰かがノードに干渉した」
ルークさんの表情が引き締まった。
「急ぐぞ」
カイさんが剣の柄に手を置いた。
ノードがある部屋へは、前回の探索で道を把握していた。東側の主通路を進み、途中で右に折れ、下りの傾斜を抜ける。苔巨人と戦った大広間を通過して、さらに奥へ。
大広間には、苔巨人の戦闘の痕跡がまだ残っていた。壁の一部が崩れ、床に苔の残骸がこびりついている。魔石灯を掲げると、乾いた苔が黒ずんだ塊になって散らばっているのが見えた。
「足跡がある」
カイさんが床を指した。
苔の残骸の上に、靴の跡が複数あった。僕たちのものではない。サイズも靴底のパターンも違う。三人分——いや、四人分か。時間が経っているが、それほど古くはない。一日か二日以内のものだ。
「工作員か」
「十中八九な。ノードに向かっている」
ルークさんが足跡の方向を確認した。ノードの部屋がある方角と一致している。
「排除するか」
カイさんが聞いた。
「必要はない。だが警戒はしろ。向こうが先にノードに触れていた場合、何が起きているか分からない」
ミラさんが薬箱の蓋を確認した。指が手際よく中身を数えている。準備は万端、という顔だった。
通路を進むにつれて、紋視に映る回路の光が強くなっていった。壁の中を走る配線が、脈を打つように明滅している。心臓に近づいていくような感覚。
ノードの部屋の入り口に着いた。
前回と同じ、大きな開口部。扉はない。壁から直接、部屋に通じている。中から青白い光が漏れている。
カイさんが先に入った。剣を抜いて、周囲を確認する。数秒後に、手で合図を送ってきた。安全だ。
四人で部屋に入った。
ノードの部屋は、前回と変わっていなかった。
壁一面に回路が走っている。天井にも、床にも。部屋全体が一つの巨大な回路盤のようだ。回路の光が脈動していて、部屋の中が呼吸しているように明滅する。
部屋の中央に、台座がある。人の胸ほどの高さの石の台座で、表面に回路が集中している。ここが、ノードの中核だ。前回はこの台座を観察しただけで、直接触れてはいなかった。
「足跡は——ここまで来ている」
ルークさんが床を調べた。
「だが、台座には触れていないようだ。台座の周囲に防護回路がある。素人が触れれば弾かれる」
「弾かれる?」
「魔素の衝撃を受ける。下手をすれば気を失う。工作員たちは、アクセス方法が分からずに引き返したのだろう」
ルークさんが台座の周囲を一周した。眼鏡のレンズが回路の光を反射して、青白く光っている。
「なるほど。この防護回路は、一定以上の魔素感受性がないと通過できない構造だ。つまり——」
ルークさんが僕を見た。
「お前の紋視なら、防護回路のパターンを読める。回路の隙間——安全に触れられる箇所が分かるはずだ」
僕は台座に近づいた。
紋視で見ると、台座の表面を覆う回路は複雑に絡み合っていた。何層にも重なった配線が、台座を鎧のように包んでいる。触れれば弾く——ルークさんの言う通り、防護用の回路だ。
でも、よく見ると——回路の隙間がある。配線が途切れている場所。ほんの小さな空白だが、そこだけ防護が及んでいない。台座の上面、やや右寄りの位置。
「ここ。この部分だけ、回路が途切れてる」
「見えるか。さすがだな」
ルークさんが頷いた。
「触れるか?」
僕は手を見た。自分の右手。指先が、微かに震えていた。
前回、この部屋に入ったとき、ノードの光は僕の紋視に強く響いた。回路の脈動が、目の奥に突き刺さるような感覚があった。あのときは見ただけだ。今度は、触れる。何が起きるか分からない。
「ユーリくん」
ミラさんが僕の隣に来た。
「無理しなくていいよ。危ないと思ったら、すぐに手を離して」
「……うん」
「俺が見ている。異変があれば引き剥がす」
カイさんが僕の後ろに立った。すぐに掴めるように、手を伸ばせる距離にいる。
ルークさんが離れた位置で、全体を観察する構えを取った。
息を吸った。吐いた。
右手を伸ばして、台座の上面——回路が途切れた空白に、指先を触れた。
世界が、弾けた。
最初に感じたのは光だった。青白い光が視界を埋め尽くした。紋視で見ていた回路の光が何倍にも膨れ上がり、目の中に流れ込んでくる。光というより、情報だった。回路を通じて、膨大な量の情報が僕の目に——脳に——直接注ぎ込まれてくる。
地図が見えた。
回路のネットワークが、蜘蛛の巣のように広がっている。この遺跡のノードを中心に、光の線が四方八方に伸びていく。北へ、南へ、東へ、西へ。線の先に——別のノードがある。光の点が散らばっている。一つ、二つ、三つ——数えきれない。各地の遺跡。各地のノード。全てが線で繋がっている。
情報の洪水だった。
脳が処理しきれない量の情報が、次から次へと押し寄せてくる。遺跡の位置。ノードの名前のようなもの——名前ではない、識別子のようなもの。数字と記号の羅列。意味は分からない。でも、それが何かの体系であることは分かる。
ネットワークの全体像が——断片的に、でも確かに、僕の中に刻まれていく。
そして——
視界が変わった。
紋視で見えていたものが、さらに深い層に到達した。壁の中の回路だけじゃない。壁の向こうが見える。石壁の裏側に走る回路。隣の部屋の構造。その先の通路。回路の配線が、建物の骨格のように透けて見える。
壁が、透明になった。
遺跡の構造が、目の前に裸のまま曝け出された。通路の配置、部屋の位置、回路の流れ。全てが見える。壁を通して、その向こうの構造が——
目が灼けた。
そう感じた瞬間、視界が白く飛んだ。光が爆発したように膨張して、そして——
暗転。
何も見えなくなった。
真っ暗だった。紋視どころか、普通の視界も消えた。目を開けているのか閉じているのかさえ分からない。暗闇が、僕の全身を包んでいた。
「——ユーリ!」
カイさんの声が聞こえた。遠くから響くように。体を掴まれている感覚がある。肩を、強く。
「おい、聞こえるか。ユーリ!」
「見えない」
自分の声が出た。掠れていて、薄い。
「見えない……何も見えない……」
目を開けているはずなのに、暗闇しかない。手を顔の前に持っていった——はずだが、見えない。指の輪郭も、自分の手の形も、何も。
「ミラ!」
カイさんが叫んだ。
「来てる。大丈夫、ユーリくん、じっとして」
ミラさんの手が、僕の顔に触れた。冷たくて柔らかい指先が、まぶたに触れる。温かい光——治癒魔法の感触だ。緑色の柔らかな光が、目の奥に染みていく。見えないけど、魔素の気配は感じる。ミラさんの魔素が、僕の目を包んでいる。
「目の周りの魔素が荒れてる。すごく。回路に触れた衝撃で、紋視が——いや、目そのものが過負荷を起こしてる」
ミラさんの声は冷静だったけど、僅かに震えていた。
「戻るか」
カイさんが聞いた。
「待って。今動かさないほうがいい。少し時間をちょうだい」
暗闇の中で、時間の感覚が曖昧になった。
ミラさんの治癒魔法の温かさだけが、確かな感覚だった。目の奥で何かがゆっくりと鎮まっていく。荒れていた魔素が、少しずつ落ち着いていくのが分かる。視覚は戻らない。でも、魔素の気配は感じる。ミラさんがすぐ隣にいること。カイさんが僕の肩を掴んでいること。ルークさんが少し離れた場所で立っていること。
時間がどのくらい経ったか分からない。数分かもしれないし、もっと長かったかもしれない。
暗闇の端に、光が滲んだ。
最初は薄い灰色だった。それが、少しずつ形を持ち始めた。ぼやけた輪郭。光と影の境界。
ミラさんの顔が——ぼんやりと、見えた。
「……見える」
「本当?」
「うん……ぼやけてるけど……見える」
視界が少しずつ戻ってきた。輪郭が明瞭になっていく。ミラさんの心配そうな顔。カイさんの険しい表情。部屋の壁に走る回路の光。
数分後には、ほぼ元の視力に戻った。紋視も——使える。壁の中の回路が見える。
でも、それだけじゃなかった。
壁の向こうが見える。
紋視を使った状態で、石壁の裏側の回路が透けて見えていた。前はこんなことはなかった。壁の中の回路は見えたけど、壁の向こう側までは見えなかった。
透視。
その言葉が、頭に浮かんだ。壁を透して、その向こうの構造を見る能力。ノードに触れたことで、紋視の次の段階に——
「ユーリくんの目、このままだと壊れるよ」
ミラさんが言った。声が真剣だった。いつもの明るさが消えて、薬師の顔になっている。
「今回はたまたま戻ったけど、次はどうか分からない。目の中の魔素が、普通じゃない動きをしてる。もう少し加減して。使いすぎたら——」
「分かってる」
「分かってない。ユーリくんはいつもそう言って無理する」
ミラさんの声が少し尖った。それから、ため息をついた。
「……ごめん。でも本当に、気をつけて。お願い」
「……うん。ごめん、ミラさん」
僕がまだ目を瞬いているとき、ルークさんが台座の前で膝をついていた。
「ノードから情報は引き出せたか」
「……うん。全部じゃないけど。ネットワークの地図みたいなものが——断片的に、頭に入ってる」
「地図?」
「各地の遺跡の位置。ノードの位置。繋がっている場所。全部が線で繋がってた。蜘蛛の巣みたいに」
ルークさんの目が輝いた。眼鏡の奥で、知的な興奮が浮かんでいた。
「面白い。それは——」
言いかけたとき、部屋の空気が変わった。
壁から音がした。
金属が擦れるような、重い音。壁の一部が——動いている。
僕は反射的に透視を使った。壁の向こうに——何かがある。金属の塊。人の形をした、金属の構造物。内部に回路が走っている。心臓のように脈動する中核回路が、胸の位置に一つ。
「守護者だ」
ルークさんが叫んだ。
「遺跡の防衛システムが起動した。ノードへのアクセスがトリガーになったんだ」
壁が裂けるように開いて、二体の人型が姿を現した。
金属の体。人間と同じくらいの大きさ。表面に無数の回路が走り、青白い光を放っている。顔はない。のっぺりとした金属の頭部に、二つの光点が灯っている。目の代わりだ。
一体が右腕を上げた。腕の先端が光る。
「伏せろ!」
カイさんが叫ぶのと同時に、光線が放たれた。青白い光の筋が、僕たちの頭上を薙いだ。壁に命中して、石が弾け飛ぶ。焦げた匂いが広がった。
もう一体が突進してきた。金属の腕を振りかぶって、カイさんに殴りかかる。
「重いな——!」
カイさんが剣で受けた。金属と蒼牙鋼がぶつかる甲高い音。火花が散った。カイさんの足が床を滑る。力で押されている。
「ルーク、罠を!」
「やっている!」
ルークさんが工具袋から何かを取り出した。細い金属線と、小さな魔石。床に這わせるように線を引く。突進してきた守護者の足元に——
金属線が魔素を放った。守護者の足が絡め取られる。一瞬、動きが止まった。
「カイ、今だ!」
カイさんが踏み込んだ。剣を振り下ろす。蒼牙鋼の刃が守護者の肩を削った。金属の破片が飛ぶ。だが——止まらない。守護者は腕を振り、カイさんを弾き飛ばそうとする。
「心臓部はどこだ!」
カイさんが叫んだ。
僕は透視を使っていた。壁の向こうだけじゃない。守護者の内部構造が見える。金属の体の中を走る回路。エネルギーの流れ。そして——胸の中央にある、脈動する核回路。
「胸の真ん中! 左寄りに回路の核がある! そこを壊せば止まる!」
声が裏返った。目の奥がじくじくと痛む。透視を使うたびに、さっきの過負荷の残響が響いてくる。でも、今は使わなきゃいけない。
もう一体の守護者が光線を放った。ミラさんが僕を引っ張って、台座の影に隠れた。光線が台座の端を掠めて、火花が散る。
「ユーリくん、目は大丈夫?」
「まだ——大丈夫。見えてる」
嘘だった。目の奥が熱い。視界の端が暗くなりかけている。でも、まだ見える。まだ使える。
カイさんが、動きを封じられた守護者に連続で斬撃を叩き込んでいた。肩、腕、脚。金属の体が少しずつ削れていく。でも、核を壊さなければ止まらない。
「胸を狙え! 左寄りだ!」
もう一度叫んだ。
カイさんが剣を引いた。一瞬の間。それから——全体重を乗せた突きが、守護者の胸に突き刺さった。
蒼牙鋼の刃が金属の胸板を貫いた。核回路に達した瞬間、守護者の全身を走る回路の光が激しく明滅して——消えた。
金属の体が崩れ落ちた。重い音を立てて、床に倒れる。動かない。
もう一体。
光線を撃つ方の守護者が、腕を僕たちに向けた。台座の影から出れば、撃たれる。
「ルーク!」
「分かっている」
ルークさんが台座の反対側から回り込んだ。守護者の注意がルークさんに向く。光線が放たれる——ルークさんが横に跳んで躱した。石壁に光線が突き刺さり、破片が飛ぶ。
その隙に、ルークさんが床に仕掛けていた二つ目の罠が作動した。金属線が守護者の脚を絡め取る。
「足が止まった。カイ!」
カイさんが駆けた。一体目で覚えている。胸の左寄り。
守護者が腕を向けた。至近距離での光線——
「させない!」
ミラさんが台座の影から飛び出して、守護者の腕に向かって何かを投げた。ミラさんの薬瓶だ。瓶が守護者の腕に当たって砕けた。中身の液体が腕の回路に掛かる。
一瞬、守護者の腕の回路が乱れた。光線が逸れて、天井に突き刺さった。石片が降ってくる。
「今!」
カイさんの剣が、守護者の胸を貫いた。
回路の光が明滅して——消えた。二体目が倒れる。金属が床に叩きつけられる重い音が、部屋に響いた。
静寂が戻った。
二体の守護者が、床の上で動かなくなっている。回路の光は完全に消えて、ただの金属の塊になっていた。
カイさんが剣を引き抜いた。刃に金属の欠片がこびりついている。息が荒い。額に汗が浮いている。
「……全員、無事か」
「無事。怪我はない」
ルークさんが立ち上がった。服に石の粉がついている。
「こっちも大丈夫」
ミラさんが僕の隣で頷いた。薬瓶を一つ使ったけど、怪我はない。
「ユーリ」
カイさんが僕を見た。
「目は」
「……まだ見えてる。大丈夫」
嘘じゃなかった。視界はある。でも、目の奥が熱い。じくじくと、鈍い痛みが続いている。透視を使ったぶんの負荷が、確実に蓄積している。
ミラさんが僕の顔を覗き込んだ。
「嘘。目が赤くなってる。充血してるよ」
「……ちょっとだけ」
「ちょっとじゃないでしょ」
ミラさんが僕の目に、もう一度治癒魔法をかけてくれた。緑色の温かい光。痛みが少し和らいだ。でも、完全には消えなかった。
「根本的な治療にはなってないからね。魔素の乱れを抑えてるだけ。これ以上透視を使ったら——本当に、戻らなくなるかもしれない」
ミラさんの声は静かだったけど、その静かさの中に、本気の心配が込められていた。
僕は頷いた。今は——頷くしかなかった。
戦闘の興奮が冷めた後、僕たちはノードの部屋で少し休んだ。
カイさんが水筒を回した。冷たい水が喉を通って、体に染みた。携行食の硬パンを分け合って、黙々と食べた。
硬パンを噛むと、小麦の素朴な味がした。戦闘の後の食事は、いつも味が濃く感じる。生きている証拠みたいに、一口一口が鮮明だ。
食べながら、僕はノードから得た情報を整理しようとした。
「ネットワークの地図……全体は見えなかった。断片だけ。でも、各地の遺跡がノードで繋がってることは確かだよ。デルガの地下遺跡のノードから、少なくとも五つ以上の方向に線が伸びてた」
「五つ以上。それぞれの先にノードがあると」
ルークさんが手帳を取り出して、書き始めた。
「方角は分かるか」
「大まかに。北に二本、南に一本、西に一本、東に一本。あと——真下に向かって伸びてる線が一本あった」
「真下?」
「このノードの下に、もっと深い層がある……のかもしれない。線が下に向かって消えてた」
ルークさんが唸った。
「面白い。縦方向の接続か。地下遺跡の下に、さらに深い構造物がある可能性がある」
カイさんが水を飲みながら聞いていた。
「で、そのネットワーク全体で、何が分かったんだ」
「一番大きかったのは——ネットワークの中心みたいなものが見えたこと。全部の線が集まる場所。一つの巨大な光の点」
僕は目を閉じた。あのとき脳に流れ込んできた映像を思い出す。蜘蛛の巣の中心。全てのノードからの線が収束する、一つの光。
「その光の点に——名前みたいなものがついてた。名前というか、識別子。文字じゃない。回路のパターンで表された、何かの記号」
「どんなパターンだ」
ルークさんの目が真剣だった。手帳のペンが止まっている。
「楔みたいな形。三角形が重なったような回路パターン」
ルークさんの手が止まった。
数秒間、黙っていた。それから、ゆっくりと口を開いた。
「楔」
その一言が、部屋の空気を変えた。
「これは全てのノードが集まる中心だ。楔——俺はヴェルナーの資料の中で、一度だけこの言葉を見たことがある。旧文明のネットワークの中枢を指す名称だ」
「中枢?」
「全てのノードを束ねる、ネットワークの心臓。各地の遺跡を繋いでいるのがノードだとすれば、楔はそのノードを全て統括する最上位の装置だ。ヴェルナーが本当に欲しがっていたのは、個々のノードの情報じゃない。この楔の場所だ」
ルークさんが手帳にペンを走らせた。楔の記号を、記憶を辿りながら書き起こしている。
「場所は——分かるか」
僕は記憶を探った。ネットワーク地図の断片。全ての線が収束する光の点。その位置は——
「……遠い。すごく遠い。南の方角だった。でも、正確な場所は分からない。地図の断片しか見えなかったから」
「充分だ」
ルークさんが手帳を閉じた。
「方角が分かれば、他のノードからの情報と照合して、位置を絞り込める。一つのノードでは断片でも、複数のノードから情報を集めれば——」
「全体の地図が完成する、ってことか」
カイさんが言った。
「ああ。各地の遺跡を巡り、ノードにアクセスして、ネットワークの断片を集める。それを繋ぎ合わせれば、楔の正確な位置が分かる」
カイさんが立ち上がった。守護者の残骸を見下ろして、それから僕を見た。
「大変な旅になりそうだな」
「……うん」
僕は頷いた。目の奥がまだ鈍く痛んでいた。
帰り道は、僕の目が回復するまでゆっくり歩いた。ミラさんが隣について、時々僕の顔を覗き込んだ。
「見え方、変わってない? 視界の端が暗くなったりしてない?」
「大丈夫。さっきより良くなってる」
「嘘つかないでね」
「嘘じゃないよ。本当に」
ミラさんは信じていない顔をしていたけど、それ以上は言わなかった。
地上に出ると、夕方の空が広がっていた。赤い夕焼けが港の水面に映って、揺れている。海風が頬に当たった。地下の湿った空気を何時間も吸った後の海風は、肺の奥まで洗い流してくれるようだった。
宿に戻る道で、ルークさんが隣に来た。
「一つ聞いていいか」
「うん」
「ノードに触れたとき——ネットワーク地図以外に、何か見えたか」
僕は少し考えた。
地図。ノードの位置。線の繋がり。楔の光。それだけ……じゃなかった。
「……回路のパターンが、いくつか。意味は分からなかったけど、繰り返し現れるパターンがあった。ノードの識別子みたいなもの。あと——」
言いかけて、止まった。
「あと?」
「……楔に繋がる線が、全部同じ方向に流れてた。各ノードから楔に向かって、情報が流れてるみたいに見えた。でも、楔からノードに向かう流れもあった。双方向だった」
「双方向の通信。ノードは端末で、楔は中央だ。情報を集約して、指示を返す。……なるほど。面白い」
ルークさんの口癖が出た。でも、その「面白い」の裏に、何か深い考えがあるのが分かった。
宿の食堂で夕食を取った。
女将が出してくれたのは、焼き魚と、芋の潰し煮と、白パンだった。焼き魚は小ぶりだけど脂が乗っていて、皮がぱりっと香ばしい。芋の潰し煮はバターが効いていて、とろりと滑らかだった。
食べながら、今日のことを考えた。
透視が使えるようになった。壁の向こうの構造が見える。守護者の内部が見えた。ノードから情報を引き出せた。
でも、代償がある。
目の奥の痛みは、食事をしている間も消えなかった。鈍く、持続的に、奥のほうでくすぶっている。ミラさんの治癒魔法で和らいだけど、完全には治っていない。
ミラさんが言った。このままだと壊れる、と。
僕の目は、少しずつ変わっている。粒視から流視に。流視から紋視に。紋視から——透視に。能力が進化するたびに、見えるものが増える。でも、目への負担も増えている。一時的な失明は、今回が初めてだった。次に同じことが起きたとき、戻る保証はない。
右目を、そっと手で触れた。
腫れてはいない。でも、触ると少しだけ熱い。
「ユーリくん」
ミラさんが、芋の潰し煮を僕の皿に追加した。
「食べて。体力つけないと」
「……ありがとう」
芋を口に運んだ。バターの風味が、温かくて、少ししょっぱかった。美味しい。ちゃんと美味しいと思える。
それだけで——今は、充分だった。




