表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼の樹海の魔素使い——魔法が使えない少年は、世界の秘密を視ていた  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/27

第26話 回廊の核

第十二話 回廊の核


 地下遺跡に降りたのは、夜明け直後だった。


 入り口のギルド職員に記録を取らせ、階段を下る。湿った空気が肌に纏わりつく。壁の回路が、薄い青白い光を放っている。いつもと同じ光。でも今日は、その光がどこか落ち着かないように見えた。脈動のリズムが、僅かに速い。

「紋視で見てくれ。前回と変化があるか」

 ルークさんが小声で言った。

 僕は紋視を起動した。壁の中の回路が浮かび上がる。配線のパターン、分岐点、集中する箇所。前回と比べて——

「……回路の光が強くなってる。特にノードがある方向。前より脈動が速い」

「活性化が進んでいるのか。あるいは——誰かがノードに干渉した」

 ルークさんの表情が引き締まった。

「急ぐぞ」

 カイさんが剣の柄に手を置いた。


 ノードがある部屋へは、前回の探索で道を把握していた。東側の主通路を進み、途中で右に折れ、下りの傾斜を抜ける。苔巨人と戦った大広間を通過して、さらに奥へ。

 大広間には、苔巨人の戦闘の痕跡がまだ残っていた。壁の一部が崩れ、床に苔の残骸がこびりついている。魔石灯を掲げると、乾いた苔が黒ずんだ塊になって散らばっているのが見えた。

「足跡がある」

 カイさんが床を指した。

 苔の残骸の上に、靴の跡が複数あった。僕たちのものではない。サイズも靴底のパターンも違う。三人分——いや、四人分か。時間が経っているが、それほど古くはない。一日か二日以内のものだ。

「工作員か」

「十中八九な。ノードに向かっている」

 ルークさんが足跡の方向を確認した。ノードの部屋がある方角と一致している。

「排除するか」

 カイさんが聞いた。

「必要はない。だが警戒はしろ。向こうが先にノードに触れていた場合、何が起きているか分からない」

 ミラさんが薬箱の蓋を確認した。指が手際よく中身を数えている。準備は万端、という顔だった。


 通路を進むにつれて、紋視に映る回路の光が強くなっていった。壁の中を走る配線が、脈を打つように明滅している。心臓に近づいていくような感覚。

 ノードの部屋の入り口に着いた。

 前回と同じ、大きな開口部。扉はない。壁から直接、部屋に通じている。中から青白い光が漏れている。

 カイさんが先に入った。剣を抜いて、周囲を確認する。数秒後に、手で合図を送ってきた。安全だ。

 四人で部屋に入った。


 ノードの部屋は、前回と変わっていなかった。

 壁一面に回路が走っている。天井にも、床にも。部屋全体が一つの巨大な回路盤のようだ。回路の光が脈動していて、部屋の中が呼吸しているように明滅する。

 部屋の中央に、台座がある。人の胸ほどの高さの石の台座で、表面に回路が集中している。ここが、ノードの中核だ。前回はこの台座を観察しただけで、直接触れてはいなかった。

「足跡は——ここまで来ている」

 ルークさんが床を調べた。

「だが、台座には触れていないようだ。台座の周囲に防護回路がある。素人が触れれば弾かれる」

「弾かれる?」

「魔素の衝撃を受ける。下手をすれば気を失う。工作員たちは、アクセス方法が分からずに引き返したのだろう」

 ルークさんが台座の周囲を一周した。眼鏡のレンズが回路の光を反射して、青白く光っている。

「なるほど。この防護回路は、一定以上の魔素感受性がないと通過できない構造だ。つまり——」

 ルークさんが僕を見た。

「お前の紋視なら、防護回路のパターンを読める。回路の隙間——安全に触れられる箇所が分かるはずだ」


 僕は台座に近づいた。

 紋視で見ると、台座の表面を覆う回路は複雑に絡み合っていた。何層にも重なった配線が、台座を鎧のように包んでいる。触れれば弾く——ルークさんの言う通り、防護用の回路だ。

 でも、よく見ると——回路の隙間がある。配線が途切れている場所。ほんの小さな空白だが、そこだけ防護が及んでいない。台座の上面、やや右寄りの位置。

「ここ。この部分だけ、回路が途切れてる」

「見えるか。さすがだな」

 ルークさんが頷いた。

「触れるか?」

 僕は手を見た。自分の右手。指先が、微かに震えていた。

 前回、この部屋に入ったとき、ノードの光は僕の紋視に強く響いた。回路の脈動が、目の奥に突き刺さるような感覚があった。あのときは見ただけだ。今度は、触れる。何が起きるか分からない。

「ユーリくん」

 ミラさんが僕の隣に来た。

「無理しなくていいよ。危ないと思ったら、すぐに手を離して」

「……うん」

「俺が見ている。異変があれば引き剥がす」

 カイさんが僕の後ろに立った。すぐに掴めるように、手を伸ばせる距離にいる。

 ルークさんが離れた位置で、全体を観察する構えを取った。


 息を吸った。吐いた。

 右手を伸ばして、台座の上面——回路が途切れた空白に、指先を触れた。


 世界が、弾けた。


 最初に感じたのは光だった。青白い光が視界を埋め尽くした。紋視で見ていた回路の光が何倍にも膨れ上がり、目の中に流れ込んでくる。光というより、情報だった。回路を通じて、膨大な量の情報が僕の目に——脳に——直接注ぎ込まれてくる。

 地図が見えた。

 回路のネットワークが、蜘蛛の巣のように広がっている。この遺跡のノードを中心に、光の線が四方八方に伸びていく。北へ、南へ、東へ、西へ。線の先に——別のノードがある。光の点が散らばっている。一つ、二つ、三つ——数えきれない。各地の遺跡。各地のノード。全てが線で繋がっている。

 情報の洪水だった。

 脳が処理しきれない量の情報が、次から次へと押し寄せてくる。遺跡の位置。ノードの名前のようなもの——名前ではない、識別子のようなもの。数字と記号の羅列。意味は分からない。でも、それが何かの体系であることは分かる。

 ネットワークの全体像が——断片的に、でも確かに、僕の中に刻まれていく。

 そして——

 視界が変わった。

 紋視で見えていたものが、さらに深い層に到達した。壁の中の回路だけじゃない。壁の向こうが見える。石壁の裏側に走る回路。隣の部屋の構造。その先の通路。回路の配線が、建物の骨格のように透けて見える。

 壁が、透明になった。

 遺跡の構造が、目の前に裸のまま曝け出された。通路の配置、部屋の位置、回路の流れ。全てが見える。壁を通して、その向こうの構造が——


 目が灼けた。


 そう感じた瞬間、視界が白く飛んだ。光が爆発したように膨張して、そして——


 暗転。


 何も見えなくなった。

 真っ暗だった。紋視どころか、普通の視界も消えた。目を開けているのか閉じているのかさえ分からない。暗闇が、僕の全身を包んでいた。

「——ユーリ!」

 カイさんの声が聞こえた。遠くから響くように。体を掴まれている感覚がある。肩を、強く。

「おい、聞こえるか。ユーリ!」

「見えない」

 自分の声が出た。掠れていて、薄い。

「見えない……何も見えない……」

 目を開けているはずなのに、暗闇しかない。手を顔の前に持っていった——はずだが、見えない。指の輪郭も、自分の手の形も、何も。

「ミラ!」

 カイさんが叫んだ。

「来てる。大丈夫、ユーリくん、じっとして」

 ミラさんの手が、僕の顔に触れた。冷たくて柔らかい指先が、まぶたに触れる。温かい光——治癒魔法の感触だ。緑色の柔らかな光が、目の奥に染みていく。見えないけど、魔素の気配は感じる。ミラさんの魔素が、僕の目を包んでいる。

「目の周りの魔素が荒れてる。すごく。回路に触れた衝撃で、紋視が——いや、目そのものが過負荷を起こしてる」

 ミラさんの声は冷静だったけど、僅かに震えていた。

「戻るか」

 カイさんが聞いた。

「待って。今動かさないほうがいい。少し時間をちょうだい」


 暗闇の中で、時間の感覚が曖昧になった。

 ミラさんの治癒魔法の温かさだけが、確かな感覚だった。目の奥で何かがゆっくりと鎮まっていく。荒れていた魔素が、少しずつ落ち着いていくのが分かる。視覚は戻らない。でも、魔素の気配は感じる。ミラさんがすぐ隣にいること。カイさんが僕の肩を掴んでいること。ルークさんが少し離れた場所で立っていること。

 時間がどのくらい経ったか分からない。数分かもしれないし、もっと長かったかもしれない。


 暗闇の端に、光が滲んだ。

 最初は薄い灰色だった。それが、少しずつ形を持ち始めた。ぼやけた輪郭。光と影の境界。

 ミラさんの顔が——ぼんやりと、見えた。

「……見える」

「本当?」

「うん……ぼやけてるけど……見える」

 視界が少しずつ戻ってきた。輪郭が明瞭になっていく。ミラさんの心配そうな顔。カイさんの険しい表情。部屋の壁に走る回路の光。

 数分後には、ほぼ元の視力に戻った。紋視も——使える。壁の中の回路が見える。

 でも、それだけじゃなかった。

 壁の向こうが見える。

 紋視を使った状態で、石壁の裏側の回路が透けて見えていた。前はこんなことはなかった。壁の中の回路は見えたけど、壁の向こう側までは見えなかった。

 透視。

 その言葉が、頭に浮かんだ。壁を透して、その向こうの構造を見る能力。ノードに触れたことで、紋視の次の段階に——


「ユーリくんの目、このままだと壊れるよ」

 ミラさんが言った。声が真剣だった。いつもの明るさが消えて、薬師の顔になっている。

「今回はたまたま戻ったけど、次はどうか分からない。目の中の魔素が、普通じゃない動きをしてる。もう少し加減して。使いすぎたら——」

「分かってる」

「分かってない。ユーリくんはいつもそう言って無理する」

 ミラさんの声が少し尖った。それから、ため息をついた。

「……ごめん。でも本当に、気をつけて。お願い」

「……うん。ごめん、ミラさん」


 僕がまだ目を瞬いているとき、ルークさんが台座の前で膝をついていた。

「ノードから情報は引き出せたか」

「……うん。全部じゃないけど。ネットワークの地図みたいなものが——断片的に、頭に入ってる」

「地図?」

「各地の遺跡の位置。ノードの位置。繋がっている場所。全部が線で繋がってた。蜘蛛の巣みたいに」

 ルークさんの目が輝いた。眼鏡の奥で、知的な興奮が浮かんでいた。

「面白い。それは——」

 言いかけたとき、部屋の空気が変わった。


 壁から音がした。

 金属が擦れるような、重い音。壁の一部が——動いている。

 僕は反射的に透視を使った。壁の向こうに——何かがある。金属の塊。人の形をした、金属の構造物。内部に回路が走っている。心臓のように脈動する中核回路が、胸の位置に一つ。

「守護者だ」

 ルークさんが叫んだ。

「遺跡の防衛システムが起動した。ノードへのアクセスがトリガーになったんだ」


 壁が裂けるように開いて、二体の人型が姿を現した。

 金属の体。人間と同じくらいの大きさ。表面に無数の回路が走り、青白い光を放っている。顔はない。のっぺりとした金属の頭部に、二つの光点が灯っている。目の代わりだ。

 一体が右腕を上げた。腕の先端が光る。

「伏せろ!」

 カイさんが叫ぶのと同時に、光線が放たれた。青白い光の筋が、僕たちの頭上を薙いだ。壁に命中して、石が弾け飛ぶ。焦げた匂いが広がった。

 もう一体が突進してきた。金属の腕を振りかぶって、カイさんに殴りかかる。

「重いな——!」

 カイさんが剣で受けた。金属と蒼牙鋼がぶつかる甲高い音。火花が散った。カイさんの足が床を滑る。力で押されている。

「ルーク、罠を!」

「やっている!」

 ルークさんが工具袋から何かを取り出した。細い金属線と、小さな魔石。床に這わせるように線を引く。突進してきた守護者の足元に——

 金属線が魔素を放った。守護者の足が絡め取られる。一瞬、動きが止まった。

「カイ、今だ!」

 カイさんが踏み込んだ。剣を振り下ろす。蒼牙鋼の刃が守護者の肩を削った。金属の破片が飛ぶ。だが——止まらない。守護者は腕を振り、カイさんを弾き飛ばそうとする。

「心臓部はどこだ!」

 カイさんが叫んだ。


 僕は透視を使っていた。壁の向こうだけじゃない。守護者の内部構造が見える。金属の体の中を走る回路。エネルギーの流れ。そして——胸の中央にある、脈動する核回路。

「胸の真ん中! 左寄りに回路の核がある! そこを壊せば止まる!」

 声が裏返った。目の奥がじくじくと痛む。透視を使うたびに、さっきの過負荷の残響が響いてくる。でも、今は使わなきゃいけない。

 もう一体の守護者が光線を放った。ミラさんが僕を引っ張って、台座の影に隠れた。光線が台座の端を掠めて、火花が散る。

「ユーリくん、目は大丈夫?」

「まだ——大丈夫。見えてる」

 嘘だった。目の奥が熱い。視界の端が暗くなりかけている。でも、まだ見える。まだ使える。


 カイさんが、動きを封じられた守護者に連続で斬撃を叩き込んでいた。肩、腕、脚。金属の体が少しずつ削れていく。でも、核を壊さなければ止まらない。

「胸を狙え! 左寄りだ!」

 もう一度叫んだ。

 カイさんが剣を引いた。一瞬の間。それから——全体重を乗せた突きが、守護者の胸に突き刺さった。

 蒼牙鋼の刃が金属の胸板を貫いた。核回路に達した瞬間、守護者の全身を走る回路の光が激しく明滅して——消えた。

 金属の体が崩れ落ちた。重い音を立てて、床に倒れる。動かない。


 もう一体。

 光線を撃つ方の守護者が、腕を僕たちに向けた。台座の影から出れば、撃たれる。

「ルーク!」

「分かっている」

 ルークさんが台座の反対側から回り込んだ。守護者の注意がルークさんに向く。光線が放たれる——ルークさんが横に跳んで躱した。石壁に光線が突き刺さり、破片が飛ぶ。

 その隙に、ルークさんが床に仕掛けていた二つ目の罠が作動した。金属線が守護者の脚を絡め取る。

「足が止まった。カイ!」

 カイさんが駆けた。一体目で覚えている。胸の左寄り。

 守護者が腕を向けた。至近距離での光線——

「させない!」

 ミラさんが台座の影から飛び出して、守護者の腕に向かって何かを投げた。ミラさんの薬瓶だ。瓶が守護者の腕に当たって砕けた。中身の液体が腕の回路に掛かる。

 一瞬、守護者の腕の回路が乱れた。光線が逸れて、天井に突き刺さった。石片が降ってくる。

「今!」

 カイさんの剣が、守護者の胸を貫いた。

 回路の光が明滅して——消えた。二体目が倒れる。金属が床に叩きつけられる重い音が、部屋に響いた。


 静寂が戻った。

 二体の守護者が、床の上で動かなくなっている。回路の光は完全に消えて、ただの金属の塊になっていた。

 カイさんが剣を引き抜いた。刃に金属の欠片がこびりついている。息が荒い。額に汗が浮いている。

「……全員、無事か」

「無事。怪我はない」

 ルークさんが立ち上がった。服に石の粉がついている。

「こっちも大丈夫」

 ミラさんが僕の隣で頷いた。薬瓶を一つ使ったけど、怪我はない。


「ユーリ」

 カイさんが僕を見た。

「目は」

「……まだ見えてる。大丈夫」

 嘘じゃなかった。視界はある。でも、目の奥が熱い。じくじくと、鈍い痛みが続いている。透視を使ったぶんの負荷が、確実に蓄積している。

 ミラさんが僕の顔を覗き込んだ。

「嘘。目が赤くなってる。充血してるよ」

「……ちょっとだけ」

「ちょっとじゃないでしょ」

 ミラさんが僕の目に、もう一度治癒魔法をかけてくれた。緑色の温かい光。痛みが少し和らいだ。でも、完全には消えなかった。

「根本的な治療にはなってないからね。魔素の乱れを抑えてるだけ。これ以上透視を使ったら——本当に、戻らなくなるかもしれない」

 ミラさんの声は静かだったけど、その静かさの中に、本気の心配が込められていた。

 僕は頷いた。今は——頷くしかなかった。


 戦闘の興奮が冷めた後、僕たちはノードの部屋で少し休んだ。

 カイさんが水筒を回した。冷たい水が喉を通って、体に染みた。携行食の硬パンを分け合って、黙々と食べた。

 硬パンを噛むと、小麦の素朴な味がした。戦闘の後の食事は、いつも味が濃く感じる。生きている証拠みたいに、一口一口が鮮明だ。


 食べながら、僕はノードから得た情報を整理しようとした。

「ネットワークの地図……全体は見えなかった。断片だけ。でも、各地の遺跡がノードで繋がってることは確かだよ。デルガの地下遺跡のノードから、少なくとも五つ以上の方向に線が伸びてた」

「五つ以上。それぞれの先にノードがあると」

 ルークさんが手帳を取り出して、書き始めた。

「方角は分かるか」

「大まかに。北に二本、南に一本、西に一本、東に一本。あと——真下に向かって伸びてる線が一本あった」

「真下?」

「このノードの下に、もっと深い層がある……のかもしれない。線が下に向かって消えてた」

 ルークさんが唸った。

「面白い。縦方向の接続か。地下遺跡の下に、さらに深い構造物がある可能性がある」

 カイさんが水を飲みながら聞いていた。

「で、そのネットワーク全体で、何が分かったんだ」

「一番大きかったのは——ネットワークの中心みたいなものが見えたこと。全部の線が集まる場所。一つの巨大な光の点」

 僕は目を閉じた。あのとき脳に流れ込んできた映像を思い出す。蜘蛛の巣の中心。全てのノードからの線が収束する、一つの光。

「その光の点に——名前みたいなものがついてた。名前というか、識別子。文字じゃない。回路のパターンで表された、何かの記号」

「どんなパターンだ」

 ルークさんの目が真剣だった。手帳のペンが止まっている。

「楔みたいな形。三角形が重なったような回路パターン」


 ルークさんの手が止まった。

 数秒間、黙っていた。それから、ゆっくりと口を開いた。

くさび

 その一言が、部屋の空気を変えた。

「これは全てのノードが集まる中心だ。楔——俺はヴェルナーの資料の中で、一度だけこの言葉を見たことがある。旧文明のネットワークの中枢を指す名称だ」

「中枢?」

「全てのノードを束ねる、ネットワークの心臓。各地の遺跡を繋いでいるのがノードだとすれば、楔はそのノードを全て統括する最上位の装置だ。ヴェルナーが本当に欲しがっていたのは、個々のノードの情報じゃない。この楔の場所だ」

 ルークさんが手帳にペンを走らせた。楔の記号を、記憶を辿りながら書き起こしている。

「場所は——分かるか」

 僕は記憶を探った。ネットワーク地図の断片。全ての線が収束する光の点。その位置は——

「……遠い。すごく遠い。南の方角だった。でも、正確な場所は分からない。地図の断片しか見えなかったから」

「充分だ」

 ルークさんが手帳を閉じた。

「方角が分かれば、他のノードからの情報と照合して、位置を絞り込める。一つのノードでは断片でも、複数のノードから情報を集めれば——」

「全体の地図が完成する、ってことか」

 カイさんが言った。

「ああ。各地の遺跡を巡り、ノードにアクセスして、ネットワークの断片を集める。それを繋ぎ合わせれば、楔の正確な位置が分かる」

 カイさんが立ち上がった。守護者の残骸を見下ろして、それから僕を見た。

「大変な旅になりそうだな」

「……うん」

 僕は頷いた。目の奥がまだ鈍く痛んでいた。


 帰り道は、僕の目が回復するまでゆっくり歩いた。ミラさんが隣について、時々僕の顔を覗き込んだ。

「見え方、変わってない? 視界の端が暗くなったりしてない?」

「大丈夫。さっきより良くなってる」

「嘘つかないでね」

「嘘じゃないよ。本当に」

 ミラさんは信じていない顔をしていたけど、それ以上は言わなかった。


 地上に出ると、夕方の空が広がっていた。赤い夕焼けが港の水面に映って、揺れている。海風が頬に当たった。地下の湿った空気を何時間も吸った後の海風は、肺の奥まで洗い流してくれるようだった。

 宿に戻る道で、ルークさんが隣に来た。

「一つ聞いていいか」

「うん」

「ノードに触れたとき——ネットワーク地図以外に、何か見えたか」

 僕は少し考えた。

 地図。ノードの位置。線の繋がり。楔の光。それだけ……じゃなかった。

「……回路のパターンが、いくつか。意味は分からなかったけど、繰り返し現れるパターンがあった。ノードの識別子みたいなもの。あと——」

 言いかけて、止まった。

「あと?」

「……楔に繋がる線が、全部同じ方向に流れてた。各ノードから楔に向かって、情報が流れてるみたいに見えた。でも、楔からノードに向かう流れもあった。双方向だった」

「双方向の通信。ノードは端末で、楔は中央だ。情報を集約して、指示を返す。……なるほど。面白い」

 ルークさんの口癖が出た。でも、その「面白い」の裏に、何か深い考えがあるのが分かった。


 宿の食堂で夕食を取った。

 女将が出してくれたのは、焼き魚と、芋の潰し煮と、白パンだった。焼き魚は小ぶりだけど脂が乗っていて、皮がぱりっと香ばしい。芋の潰し煮はバターが効いていて、とろりと滑らかだった。

 食べながら、今日のことを考えた。

 透視が使えるようになった。壁の向こうの構造が見える。守護者の内部が見えた。ノードから情報を引き出せた。

 でも、代償がある。

 目の奥の痛みは、食事をしている間も消えなかった。鈍く、持続的に、奥のほうでくすぶっている。ミラさんの治癒魔法で和らいだけど、完全には治っていない。

 ミラさんが言った。このままだと壊れる、と。

 僕の目は、少しずつ変わっている。粒視から流視に。流視から紋視に。紋視から——透視に。能力が進化するたびに、見えるものが増える。でも、目への負担も増えている。一時的な失明は、今回が初めてだった。次に同じことが起きたとき、戻る保証はない。

 右目を、そっと手で触れた。

 腫れてはいない。でも、触ると少しだけ熱い。


「ユーリくん」

 ミラさんが、芋の潰し煮を僕の皿に追加した。

「食べて。体力つけないと」

「……ありがとう」

 芋を口に運んだ。バターの風味が、温かくて、少ししょっぱかった。美味しい。ちゃんと美味しいと思える。

 それだけで——今は、充分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ