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蒼の樹海の魔素使い——魔法が使えない少年は、世界の秘密を視ていた  作者: 蒼月よる


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第23話 地下の心臓

第九話 地下の心臓


 翌朝、ギルドに着いたとき、すでに会議室は冒険者で埋まっていた。


 銀牌を持つ者ばかりだ。紋視を使うまでもなく、佇まいで分かる。鎧の手入れが行き届いている。武器を身体の一部のように扱っている。僕が見たことのある冒険者たちよりも、どこか空気が硬い。

 カイとルークはその中に自然に溶け込んでいたが、僕とミラは場違いな気がして、壁際に立った。

「大丈夫だよ、ユーリくん。パーティ応募なんだから」

 ミラが小声で言った。自分に言い聞かせているようにも聞こえた。


 ギルドの職員が壇上に立った。白髪交じりの男で、デルガ支部の副長だという。

「昨夜の嵐で港の東端が崩落した。地盤ごと陥没して、地下に空洞が露出している。ギルドの感知器が大規模な魔素反応を確認した。地下遺跡だ」

 会議室がざわめいた。

「第一次調査の目的は三つ。一、内部構造の把握。二、危険度の評価。三、活用可能な素材の有無の確認。選定は二パーティ。一パーティは調査の主軸、もう一パーティは支援と護衛だ」

 副長の視線が会議室を巡った。

「応募するパーティは、この場で名乗り出ろ」


 ルークが手を挙げた。

「ルーク。銀牌5。罠師・機構解析。パーティメンバーはカイ、銀牌5、前衛。ユーリ、鉄牌7。ミラ、銅牌8、薬師」

 周囲の視線が僕たちに集まった。鉄牌と銅牌がいることへの疑問が、空気に混じっている。

「鉄牌と銅牌か。理由を聞かせてもらおうか」

「ユーリは紋視の使い手です。遺跡の回路構造を肉眼で視認できる。地下遺跡の調査にはこの能力が不可欠です」

 副長の眉が動いた。

「紋視か。……いいだろう。応募を受理する」


 もう一組、銀牌のパーティが名乗り出て、二パーティが決まった。もう一方は前衛二人と弓使いと斥候の四人組で、護衛と支援を担当するという。僕たちが調査の主軸だ。ルークの売り込みが効いたらしい。

 出発は昼前。それまでに装備を整えろ、と副長が言った。


 宿に戻って、準備を始めた。

 カイが剣を鞘から抜いて、刃を確かめた。蒼牙鋼の剣だ。刃こぼれはない。鞘に戻して、腰に帯びる。予備の短剣を革帯に差した。

「地下か。狭い場所だと剣が振りにくい。短剣も要るな」

「洞窟系の遺跡なら天井が低い可能性がある。長物は当たるぞ」

 ルークが工具袋の中身を一つずつ確認しながら言った。細い金属棒、小瓶に入った薬液、巻かれた導線、小型の魔石灯。罠師の道具は精密で、一つでも欠けると仕事にならないとルークは言っていた。

 ミラは薬箱を開けて、中身を数えていた。

「止血の軟膏、昨日の配給で使い切っちゃったから……今朝、市場で材料を買い足してきたんだけど、調合が間に合わないかも」

「応急処置ならどのくらい持つ」

「軟膏なしだと、包帯と消毒液で三人分くらい。治癒魔法は軽傷なら五、六回。重傷は……一回が限界かな」

 ミラの声に不安はなかった。足りないなら足りないなりに、できることをやる。薬師の現実主義だった。

「毒霧対策は?」

 ルークが聞いた。

「解毒の丸薬を十二錠。吸入毒用の布マスクが四枚。これは大丈夫」

「助かる」


 僕は革鎧の留め具を確認して、背嚢に携行食と水筒を詰めた。携行食は硬パンと干し肉と干し果実だ。地下にどのくらいいるか分からないから、多めに持っていく。

 紋視の準備というものは、特にない。目を使うだけだ。ただ、長時間の紋視は目に負担がかかる。鼻血が出ることもある。ミラが布を余分に渡してくれた。

「はい、これ。鼻に詰める用」

「……ありがとう」

「無理しないでね。目が痛くなったらすぐ言って」

 ミラが僕の顔を覗き込んだ。心配そうだけど、笑っている。


 昼前、港の東端に着いた。


 嵐の爪痕がそのまま残っていた。石畳がひび割れ、その先が丸ごと陥没している。直径にして二十歩ほどの穴が、地面にぽっかりと口を開けていた。穴の縁から覗くと、底は暗くて見えない。湿った風が下から吹き上がってくる。土と苔と、かすかに金属のような匂いが混じっていた。

「深いな」

 カイが穴の縁に片膝をついて、下を見た。

「ギルドの測量で、底まで約四十歩分の深さだそうだ」

 ルークが書面を見ながら言った。

「四十歩。結構あるな」

「縄梯子を下ろす。ギルドが用意してくれている」


 縄梯子が穴の縁に固定された。太い麻縄に、木の横棒が等間隔に括り付けてある。もう一方のパーティの前衛が先に降りて、安全を確認する手筈だった。

 待っている間に、僕は紋視を使った。

 穴の中を見下ろす。暗闇の向こうに——光が見えた。

 壁だ。穴の内壁に沿って、魔素の回路が走っている。細い線が何本も、縦横に交差しながら下に伸びていた。淡い青白い光を帯びている。脈動している。昨夜の嵐で目覚めた遺跡の回路が、まだ生きていた。

「回路が見える。壁の中を走ってる。全部生きてる」

「全部?」

 ルークの声が上擦った。

「うん。死んでる回路がない。全部、光ってる」

「……面白い。これまでの遺跡は、回路の大半が休眠していた。全て活性化しているということは、この遺跡はまだ動いている」

 ルークの目が輝いていた。眼鏡の奥で、知的好奇心が抑えきれずに溢れている。


 下から合図が来た。安全確認完了。

 カイが最初に降りた。縄梯子を掴んで、慣れた動作で降りていく。次にルーク。それから僕。ミラが最後だ。

 梯子を降りるたびに、空気が変わった。地上の風が遠ざかり、湿った冷気が首筋を撫でる。壁の回路が、近づくほど鮮明に見えた。青白い光の線が、手を伸ばせば触れられそうな距離を走っている。

 底に着いた。


 そこは、巨大な空間だった。


 天井が高い。見上げると、穴の入口から差し込む光が遠い丸い白に見えた。壁は滑らかな灰色の石材で、以前探索した遺跡と同じ質感だ。だが規模が違う。縦にも横にも、桁違いに広い。

 魔石灯を点けた。白い光が空間に広がる。

 壁を伝う回路が、四方八方に分岐しながら奥へ伸びていた。紋視で見ると壮観だった。回路が壁だけでなく、床にも天井にも走っている。青白い光の脈が、空間全体を覆うように張り巡らされていた。規則正しい間隔で、同じリズムで脈動している。心臓のようだ、と思った。この空間そのものが、巨大な心臓のように脈を打っている。

「すごい……」

 声が漏れた。

「どうだ」

 ルークが隣に来た。

「全部。全部光ってる。壁も床も天井も。回路が空間の隅々まで走ってて、全部同じリズムで脈を打ってる。今まで見た遺跡とは比べものにならない」

「密度が違うか」

「桁が違う。前の遺跡が川だとしたら、ここは海だ」

 ルークが小さく息を吐いた。

「なるほど。やはりここは、ただの遺跡じゃない」


 もう一方のパーティが周囲の安全を確認している間に、僕たちは奥に向かって進み始めた。

 通路は広かった。大人が五人横に並んで歩けるほどの幅がある。天井も高い。カイが剣を振り回しても余裕がある。

「思ったより広いな。狭い場所を心配したが、これなら剣が使える」

 カイが安堵の混じった声で言った。

「建造当時、大型の機材を搬入する必要があったんだろう。通路幅はそのためだ」

 ルークが壁を手で触りながら歩いている。時折立ち止まって、回路の合流点を観察していた。

「ユーリ、この合流点の回路構造を教えてくれ」

「えっと……三本の回路が一つに集まってる。集まった先は太くなって、奥に向かって伸びてる。合流点に小さな結節があって、そこが一番強く光ってる」

「中継器だな。信号を増幅して転送する装置。この遺跡は通信インフラだ」


 三つ目の分岐を左に曲がったところで、空気が変わった。

 湿度が上がった。壁に薄い苔が生えている。緑ともつかない、灰がかった色の苔だ。足元に水が薄く溜まっていて、靴底が滑る。

「苔が生えてる。遺跡の中に?」

 ミラが壁の苔に指を近づけた。触りはしない。

「魔素濃度が高いと、遺跡の中でも苔が育つことがある。この苔は……見たことないな。普通の苔じゃないかも」

「触るな」

 カイが低い声で言った。

「苔が生えてるってことは、苔を食う奴がいるかもしれない」

 カイの勘は正しかった。


 通路の奥から、地鳴りが聞こえた。


 ずん、と。重い振動が足元を伝わってくる。一定の間隔で、ゆっくりと。何かが歩いている。大きくて、重い何かが。

「止まれ」

 カイが片手を上げた。全員が足を止めた。

 振動が近づいてくる。ずん。ずん。ずん。通路の先、魔石灯の光が届かない暗がりの向こうから。

 僕は紋視で見た。

 暗闇の中に、巨大な魔素の塊が動いていた。

 三歩分——いや、四歩分はある。人の形をしている。太い腕、太い脚、丸みを帯びた胴体。全身が濃い魔素で覆われている。体表に無数の小さな回路のような模様が走っていて、周囲の魔素を吸い込んでいた。壁の回路から流れ出す魔素が、そいつの体に向かって川のように流れ込んでいく。

 そして、体の中心に——核がある。

 胸の奥、心臓があるべき場所に、拳よりも大きな高密度の魔素の結晶。回路が凝縮された、眩い光の塊。核石だ。

「苔巨人だ」

 カイの声が低く、硬くなった。

「でかい。四歩分以上ある。——ユーリ、核は見えるか」

「見える。胸の中心。心臓の位置に核石がある」

「よし。位置が分かってるなら話は早い」

 カイが剣を抜いた。蒼牙鋼の刃が魔石灯の光を受けて、鈍く光った。


 苔巨人が通路の闇から姿を現した。


 魔石灯の光に照らされたその姿は、異様だった。灰緑色の苔が全身を覆っている。岩のような体の輪郭が苔の下にうっすらと見える。頭部は丸く、目らしきものはない。代わりに、顔面の位置に苔が厚く盛り上がっていて、そこから湿った息のようなもやがゆっくりと漏れ出していた。

 腕が太い。僕の胴体より太い。その腕が、ゆっくりと持ち上がった。

「散開!」

 カイが叫んだ。


 苔巨人の腕が振り下ろされた。

 石の床が砕けた。衝撃で水飛沫が上がり、砕けた石材が散弾のように飛んだ。僕は横に転がって避けた。腕があった場所に、拳大の穴が開いていた。

「硬い。重い。まともに食らうな!」

 カイが苔巨人の側面に回り込んで、剣を横に薙いだ。蒼牙鋼の刃が苔巨人の脚に食い込む。灰緑色の苔が裂けて、中から黒っぽい肉が見えた。

 だが——

 切り裂いた傷口から、苔が生えた。

 見ている間に、傷口を覆うように灰緑色の苔がもこもこと盛り上がって、数秒で傷が塞がった。切る前よりも苔が厚くなっているようにさえ見える。

「再生しやがった。こいつ、切っても無駄だぞ!」

 カイが舌打ちした。

 苔巨人がカイに向かって腕を振った。カイが後ろに跳んで避ける。風圧だけで髪が乱れた。

「ルークさん! 壁の回路から魔素が苔巨人に流れ込んでる! 遺跡の魔素を吸収して再生してるんだ!」

 僕は叫んだ。紋視で見た通りのことを伝える。壁の回路から流れ出す魔素が、苔巨人の体に絶えず吸い込まれている。傷を負うほど吸収量が増えて、再生が加速する。切れば切るほど、こいつは強くなる。

「なるほど。環境魔素の供給を受けて再生している。つまり——供給を断てば、再生は止まる」

 ルークが工具袋から何かを取り出した。小さな金属の杭が四本と、導線が巻かれた魔石が一つ。

「結界杭だ。魔素の流れを遮断する。本来は遺跡の罠を無力化するために使う道具だが、応用が利く」

「使えるのか」

「範囲は狭い。苔巨人を囲むように四隅に打ち込めば、外部からの魔素供給を遮断できる。だが——打ち込むには、あいつの足元に近づかなければならない」

「俺が引きつける」

 カイが即座に言った。

「お前が杭を打て。俺があいつの注意を引く」


 カイが走った。

 苔巨人の正面に回り込み、剣で脚を叩く。再生されると分かっていても、痛みはあるのか、苔巨人がカイに向き直った。腕を振る。カイが身を低くして潜り抜ける。もう一撃。今度は反対側の脚だ。苔巨人の動きはゆっくりだが、一撃の重さが桁違いだ。当たれば終わる。

「ミラ、毒霧に備えろ。苔巨人は毒を含んだ靄を吐く」

 ルークがミラに声をかけながら、通路の壁際を移動していた。苔巨人の背後に回ろうとしている。

「分かった!」

 ミラが布マスクを取り出して、自分の顔に当てた。もう一枚を僕に投げてよこす。

「ユーリくん、つけて!」

 僕はマスクを顔に押し当てた。薬草の匂いがする。ミラが解毒用の薬草を染み込ませたものだ。


 苔巨人の顔面の苔が膨らんだ。

 ぶわ、と灰緑色の靄が吐き出された。甘ったるい、腐った果実のような匂い。毒霧だ。通路に霧が広がる。

「息を止めろ!」

 カイが叫びながら後退した。カイにはマスクがない。

 ミラが走った。薬箱から丸薬を掴んで、カイの口に押し込んだ。

「噛んで! 解毒の丸薬!」

 カイが丸薬を噛み砕いて、苦い顔をした。

「まっず……助かった」

「お礼は後!」


 ルークが動いた。

 苔巨人の注意がカイに向いている隙に、ルークが一本目の杭を床に打ち込んだ。金属の杭が石の床に食い込む。小さな魔石灯のような光が杭の頭に灯った。

 苔巨人が振り向いた。足元の異変に気づいたのか。

「カイ! もう一度引きつけてくれ!」

「分かってる!」

 カイが苔巨人の腕に向かって剣を振った。刃が苔を削る。苔巨人がカイに腕を振り下ろす。カイが横に転がる。石の床に二つ目の穴が開いた。

 その間にルークが二本目の杭を打つ。苔巨人の反対側だ。


 僕は紋視で見ていた。杭と杭の間に、薄い膜のようなものが生まれ始めている。魔素の流れを遮る壁だ。まだ薄くて、不完全だ。四本全てが揃わないと結界にならない。

「ルークさん、二本目が入った。あと二本。杭の間に壁ができ始めてるけど、まだ弱い」

「分かった。三本目を入れる。——カイ、あと少しだ」

「少しが長えんだよ!」

 カイが怒鳴りながら、苔巨人の三撃目を避けた。壁に背中をぶつけて、うめく。だが止まらない。すぐに体勢を立て直して、苔巨人の脚を蹴った。


 苔巨人が再び毒霧を吐いた。今度は量が多い。通路の半分が灰緑色の霧に覆われた。

「カイさん、丸薬もう一つ!」

 ミラが投げた。カイが空中で受け取って口に放り込む。

「まっず……二回目のほうがまずいのは何でだ」

「効いてる証拠だよ!」


 ルークが三本目を打った。

 僕には見えていた。三本の杭を頂点にした三角形の内側で、魔素の流れが明らかに弱まっている。壁の回路から苔巨人に向かっていた魔素の川が、結界の膜に阻まれて迂回し始めていた。

「三本目が入った。結界が形になってきてる。苔巨人に流れ込む魔素が減ってる」

「あと一本だ。最後の一本は——苔巨人の真後ろに打つ必要がある」

 ルークが杭を握って、苔巨人の背後を見た。苔巨人はまだカイと対峙している。だが、背後に回り込むには苔巨人の腕の範囲を横切らなければならない。

「僕が誘導する」

 声が出た。自分でも驚いた。

「ユーリ?」

「苔巨人の注意を僕に向ける。紋視で動きの予兆が見えるから、避けられる。カイさんが疲弊する前に、四本目を打ってほしい」

 カイが振り向いた。汗だくの顔に、短い笑みが浮かんだ。

「言うようになったじゃねえか。——いいぞ、やれ」


 僕は通路の中央に出た。

 苔巨人の体内の魔素が揺れるのが見える。腕を振る前に、魔素が腕に集中する。その予兆を読めばいい。

「こっちだ!」

 声を張った。苔巨人がゆっくりと、僕のほうに向き直った。顔面の苔の奥に、意思のようなものがあった。こいつは、見えていなくても僕の魔素を感じている。

 腕が動いた。魔素が右腕に集中する——右から来る。

 僕は左に跳んだ。苔巨人の拳が空を切って、壁に激突した。壁の回路が何本か断ち切れて、火花のような魔素の飛沫が散った。

 その隙に、ルークが走った。苔巨人の背後に滑り込み、最後の杭を床に打ち込む。


 四本目の杭が光った。


 結界が閉じた。

 四つの杭を頂点にした四角形の内側で、魔素の流れが断ち切られた。壁の回路から苔巨人に向かっていた魔素の川が、結界の壁に遮られて完全に止まった。

 紋視で見ると、劇的な変化だった。苔巨人の体を覆っていた魔素の奔流が、急速に細くなっていく。外部からの供給が絶たれて、体内の魔素が枯渇し始めている。

「供給が止まった! 再生が——」

 言い終わる前に、カイが動いた。

 苔巨人の脚を斬った。蒼牙鋼の刃が苔と肉を断つ。傷口が露出する。

 苔が生えなかった。

 傷口は開いたままだ。灰緑色の苔がぴくりとも動かない。再生が止まっている。

「——今だ!」

 カイが跳んだ。苔巨人の膝の傷に足をかけて、体をよじ登る。苔を掴み、肩まで上がり、胸の正面に立った。

「核石の位置!」

「胸の中心! やや左! 表面から二歩分の深さ!」

 僕は叫んだ。

 カイが剣を両手で握り、逆手に構えた。切っ先を苔巨人の胸に向ける。

 苔巨人が腕を振り上げた。カイを振り落とそうとしている。だが、魔素の供給が途絶えた体は鈍くなっていた。動きが遅い。

 カイが、剣を突き立てた。


 蒼牙鋼の刃が苔を貫き、肉を貫き、核石に達した。

 硬い。刃が止まりかけた。カイが歯を食いしばって、体重を乗せた。

 ぱきん、と甲高い音がした。

 核石が割れた。


 苔巨人の動きが止まった。

 振り上げた腕がそのまま固まり、体全体が震えた。体表の苔が一斉に色を失い、灰緑色から灰白色に変わっていく。魔素の光が消えていく。胸の核石から放射状に、生命の灯が消えていくのが紋視で見えた。

 そしてゆっくりと、苔巨人は前のめりに倒れた。

 ずうん、と地響きがして、通路の水が跳ねた。


 静寂が落ちた。

 僕たちは息を荒くして、倒れた苔巨人を見下ろしていた。

 カイが苔巨人の体から飛び降りた。着地して、膝に手をついた。

「……っは。重かった。核石が硬えの何の」

「カイさん、怪我は!」

 ミラが駆け寄った。

「ねえよ。毒霧で喉がいがいがするくらいだ」

「丸薬もう一つ飲んで。念のため」

「もう勘弁してくれ。あれ死ぬほどまずいんだよ」

「飲んで」

「……はい」

 カイが渋々と丸薬を噛み、盛大に顔をしかめた。ルークが杭を回収しながら、静かに笑っていた。


 それから、素材の回収が始まった。


 ルークが結界を解除すると、苔巨人の体は急速に乾燥し始めた。魔素の供給が途絶えた苔は水分を失い、ぱさぱさと剥がれ落ちていく。その下から、硬い灰色の肌が露出した。

「苔皮の回収は今のうちだ。乾燥しきる前に剥がせば、最高の状態で採れる」

 ルークが言った。

 カイが短剣で苔巨人の表皮を切り開いていく。苔が生きている部分を、肉から引き剥がすようにして切り取る。灰緑色の苔皮は、手で触れるとしっとりと湿っていて、指を弾くような弾力があった。

「これが苔皮か。すごい。水を弾きそう」

「最上級の革素材だよ。苔巨人の苔皮は、なめし工房でも滅多に入荷しない。この量なら……金貨十枚は下らないかな」

 ミラが目を丸くした。

「十枚?」

「加工後の話だ。生の状態でもギルドの買い取りで金貨三、四枚はいく」

 ルークが淡々と言った。金額に興味がないわけではないだろうが、ルークの関心はいつも仕組みのほうに向いている。


 核石の回収はカイがやった。

 剣で割った核石は、二つに砕けていた。割れた断面が魔石灯の光を受けて、蒼い光を放っている。僕は紋視で見た。内部の回路が極めて精密で、密度が高い。これまで見たどの魔石よりも、回路の構造が複雑だった。

「核石……高純度魔石だ。こんなの初めて見た」

「苔巨人の核石は良石以上の品質がある。下手をすると核石等級に片足を突っ込んでる。金貨の価値で言えば——ちょっと想像がつかないな」

 ルークが核石の断面を覗き込んだ。

「面白い。回路構造が遺跡の回路と相似している。この核石は、遺跡の魔素を吸収する過程で、遺跡の回路パターンを取り込んだのかもしれない」

 核石を革袋に丁寧に包んで、背嚢にしまった。


 最後に、ミラが体液の採取を始めた。

 苔巨人の切り口から、どろりとした緑がかった液体が滲み出している。ミラが小瓶を取り出して、慎重に液体を集めた。

「苔巨人の体液は万能薬の原料に近い希少素材なの。これだけで丸薬を百錠は作れる。解毒にも傷薬にも使える。市場に出回ることはほとんどないから、薬師にとっては夢みたいな素材だよ」

 ミラの目が輝いていた。苔巨人との戦闘のときよりも、素材を前にしたときのほうが目が生き生きしている。薬師の血だ。

「匂いが独特だね。苦いけど、奥に甘みがある。新鮮なうちに採らないと成分が変質するから……もう少しだけ待って」

 ミラが五本の小瓶を満たすのに、二十分ほどかかった。その間、カイは通路の先を警戒し、ルークは壁の回路を調べ、僕はミラの横で瓶を支えたり蓋をしたりしていた。

「ありがとう、ユーリくん。これで当分、薬に困らないよ」

 ミラが小瓶を薬箱に収めながら、嬉しそうに言った。


 素材回収を終えて、僕たちは奥に進んだ。


 苔巨人がいた通路を抜けると、空間が開けた。天井がさらに高くなり、壁が左右に広がって、大きな部屋のような場所に出た。

 部屋の中央に、それはあった。


 柱だ。


 床から天井まで届く、太い柱状の構造物。灰色の石材ではない。金属のような光沢を持つ、見たことのない素材でできている。表面に無数の回路が走っていて、全てが脈動していた。

 僕は紋視で見た。そして、息を呑んだ。

 回路が——集中している。部屋中の壁を走る回路が、全てこの柱に向かって収束していた。壁から、床から、天井から、何百本もの回路がこの柱に集まり、柱の中で一つの太い流れになっている。そしてその流れは、柱の根元から地中深くへと伸びていた。どこまでも深く。紋視の限界を超えて、視えなくなるほど遠くまで。

 さらに——横にも伸びている。柱から放射状に、何本かの太い回路が水平に走っていた。壁を貫き、遺跡の外へ。東に一本、西に二本、南に一本。遠い、遠い先に向かって。

「……これは」

 声が震えた。

「ルークさん。回路が全部、この柱に集まってる。何百本も。そして柱の中から、地下のすごく深いところに向かって太い回路が伸びてる。横にも伸びてて……東と西と南に。すごく遠くまで」

 ルークが柱に近づいた。手を伸ばして、表面に触れた。指先で回路の走る溝をなぞる。

「……これがノードだ」

 ルークの声が静かだった。興奮を抑えている声だ。

「ネットワークの中継点。ここから各地の遺跡に信号が流れている。この柱が、地下のネットワークの結節点だ。東と西と南に伸びている回路は、他の遺跡に接続している。デルガ近郊の遺跡で見つけた外部接続回路の行き先が――ここだったんだ」

 僕は柱を見上げた。脈動する回路が、柱の表面を光の線となって流れている。下から上へ、上から下へ。情報が行き交うように、光が走り続けている。

「生きてる」

 呟いた。

「この柱は、今も信号を送り続けてる。地下のずっと深いところと、遠くの遺跡と。止まってない。何千年もの間、ずっと動いてたんだ」

「ああ。嵐が目覚めさせたんじゃない。嵐が増幅しただけだ。このノードは、ずっと動いていた。デルガの街の下で、誰にも知られずに」


 カイが柱を見上げて、口笛を吹いた。

「よく分からんが、すごいもんだってことは分かる」

「すごいなんてもんじゃない。これは——世界の構造の一部だ」

 ルークの声に、いつもの皮肉がなかった。純粋な畏敬があった。

「各地の遺跡がネットワークで繋がっている。その中継点がここにある。つまり、デルガの地下は世界中の遺跡の通信を中継する要所だ。この発見は……僕たちが想像していたよりも、はるかに大きい」


 ミラが柱の根元にしゃがんで、床を見ていた。

「ねえ、この床の回路。脈の速さが変わるの。速くなったり遅くなったり。呼吸みたいだね」

 僕も見た。確かに、柱の根元の回路は一定のリズムではなかった。速い脈と遅い脈が交互に来る。まるで呼吸のように。吸って、吐いて、吸って、吐いて。

 心臓ではなく、呼吸だった。

 この場所は、ネットワークの肺のようなものなのかもしれない。魔素という名の空気を吸い込み、情報という名の酸素を全身に送り出している。


 僕たちはしばらくの間、ノードの部屋にいた。ルークが柱の表面を隅々まで調べ、回路の分岐点や結節点の位置を記録していた。僕は紋視で回路の流れを読み、ルークに伝えた。ミラは部屋の隅で薬箱の中身を確認し、カイは入口で通路を警戒していた。

「そろそろ戻ろう」

 カイが言った。

「もう一組のパーティが上で待ってる。長居はよくない。この遺跡にはまだ何がいるか分からん」

「ああ。今日のところは十分だ。報告すべきことは山ほどある」

 ルークが記録帳を閉じた。


 帰路は来た道を辿った。

 苔巨人の亡骸を通り過ぎるとき、僕はもう一度紋視で見た。核石を失った苔巨人の体から、魔素の光が完全に消えていた。ただの灰色の塊になっている。苔は干からびて、風に触れれば崩れそうだった。

 縄梯子を登り、地上に出た。

 午後の日差しが眩しかった。地下にいたのは三時間ほどだったが、ずっと長くいたような気がする。嵐の後の港の空気が、潮と泥の匂いを運んでくる。

「お疲れ様。無事で何よりだ」

 もう一方のパーティのリーダーが声をかけてきた。

「苔巨人と遭遇して、討伐しました。素材も回収済みです」

 ルークが報告すると、相手のパーティが驚いた顔をした。

「苔巨人? B級だぞ。それを四人で?」

「連携の賜物ですよ」

 ルークが肩をすくめた。


 ギルドに戻って、副長に報告した。地下遺跡の規模、苔巨人の遭遇と討伐、そしてノードの発見。

 ノードについては、ルークが慎重に言葉を選んだ。遺跡内部に大規模な回路の集約点があり、外部の遺跡と接続している可能性が高い、という報告に留めた。「ネットワーク」という言葉は、ギルドの公式報告には使わなかった。

「なぜ」

 僕がギルドを出た後に聞くと、ルークは眼鏡を押し上げて言った。

「ネットワークの存在が公になれば、反宗教国家の軍が動く。ヴェルナーの耳に入れば、この遺跡はギルドの手を離れる。今はまだ、僕たちが先に調べるべきだ」

 ルークの判断は正しいと思った。ヴェルナーの名前が出ると、胸の奥が少しだけ冷たくなる。軍の情報部。冒険者を道具としか見ない連中。カイの言葉が蘇る。


 宿に戻ったのは、夕方だった。

 全身が泥と苔の汁で汚れていた。宿の裏手にある共同の洗い場で、順番に体を洗った。井戸水は冷たかったが、地下の湿気を帯びた体にはちょうどよかった。

 苔巨人の体液がこびりついた革鎧を、カイが桶の水でごしごし洗っている。

「くせえ。苔の匂いが取れねえ」

「灰汁で洗えば落ちるよ。明日やってあげるから、今日はそのまま干しておいて」

 ミラが自分の革鞄を拭きながら言った。


 夕食は、宿の食堂で取った。

 女将が今日の仕入れで手に入れたという白身魚の煮付けと、根菜の汁物と、焼きたての硬パンだった。嵐の直後は食材が乏しかったが、二日目になって少しずつ市場が動き始めていた。

 白身魚の煮付けは、ひしおと蜂蜜で甘辛く炊いてあった。身がほろりと崩れて、口の中に広がる。疲れた体に染みる味だった。根菜の汁物は、蕪と人参と干し海草の出汁が効いていて、塩味が優しい。

「うまい……」

 カイが魚の骨まで啜って、汁物をかき込んだ。

「苔巨人と戦った後の飯は格別だな」

「命懸けの後だからでしょ」

 ミラが笑った。

 ルークは記録帳を食卓の脇に置いて、ノードについてのメモを書き足していた。箸を動かす手と、鉛筆を動かす手が交互に動いている。

「食べながら書くの、行儀悪いよ」

「忘れないうちに書いておきたい」

「忘れないでしょ、あの光景は」

 ミラの言葉に、ルークが顔を上げた。

「……確かに。あれは忘れられない」

 ルークが鉛筆を置いて、汁物を啜った。


 食後、僕は窓際に座って外を見た。

 港の夜景が見える。嵐で壊れた倉庫の修復が始まっていて、松明の光があちこちに灯っている。漁師たちが船を直している。街は傷ついていたけれど、動いていた。

 目を閉じても、あの光景が瞼の裏に残っていた。

 ノードの柱。何百本もの回路が集まり、地の底と遠い先に伸びていく光の束。何千年も止まらずに、信号を送り続けている構造物。

 デルガの街は、それを知らずにその上で暮らしていた。漁をして、市場で商いをして、子供を育てて。地面のすぐ下に、世界の構造の一部が脈動していることに、誰も気づかないまま。

 僕だけが、見えている。

 その事実が、少しだけ怖くて、少しだけ誇らしかった。

「ユーリ」

 ルークの声がした。

「明日もギルドに報告が要る。それから、遺跡の第二次調査の申請も出す。あの遺跡には、まだ僕たちが見ていない場所がたくさんある」

「うん」

「お前の目がなければ、あのノードには辿り着けなかった。核石の位置も、魔素供給の流れも、結界の効果確認も。全てお前の目が見せてくれた。——ありがとう」

 ルークがそう言うのは珍しかった。僕は少し驚いて、それから笑った。

「僕一人じゃ、苔巨人には勝てなかったよ。カイさんが引きつけて、ルークさんが結界を張って、ミラさんが毒を防いでくれた。四人だから倒せた」

「ああ、そうだな」

 ルークが眼鏡を外して、レンズを拭いた。

「——だからこのパーティは面白い」


 カイはもう寝台に横になっていた。

「おい、消灯するぞ。明日も早い」

 ミラが魔石灯の光を落とした。部屋が暗くなる。

 暗闇の中で、僕はまだ感じていた。地面の下で、ノードが脈動している。信号が走り続けている。デルガの街の下で、世界の一部が呼吸している。

 僕たちはその心臓を見つけた。

 これからもっと深く、もっと遠くへ。あの回路の先に何があるのか。東に、西に、南に伸びる光の行き先に、何が待っているのか。

 知りたいと思った。怖いけど、知りたかった。

 目の奥で、紋視の残像が淡く明滅していた。


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