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蒼の樹海の魔素使い——魔法が使えない少年は、世界の秘密を視ていた  作者: 蒼月よる


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第20話 遺物商の天幕

第六話 遺物商の天幕


 翅粉の小瓶を光にかざすと、虹色の粒が揺れていた。

 遺跡の中の生き物にも、遺跡と同じ回路が走っている。全部繋がっている。

 その確信が、日に日に強くなっていた。


 朝の港市場は、いつも通り騒がしかった。

 漁師が夜のうちに揚げた魚を並べる台の横に、遺物を広げた露店が隣り合っている。魚の生臭さと、遺物に塗られた防錆油の匂い。潮風がそれらを混ぜて、デルガの朝の匂いを作っていた。

 僕たちは朝市に寄ってから遺跡に向かうつもりだった。ミラが食材を買い、僕とカイが遺物の露店を冷やかす。ルークは宿で機構の解析ノートを整理していて、昼前にギルドで合流する手筈だ。


さばが安いよ。三匹で銅貨二枚」

 ミラが魚売りの前で足を止めた。

「今日の晩ご飯、煮魚にしようかな。ユーリくん、煮魚好きでしょ」

「うん。ミラさんの煮魚、好き」

「じゃあ決まり。——おじさん、この鯖三匹ちょうだい」

 ミラが魚を選んでいる間、僕はカイと遺物の露店を見て回った。


 錆びた金属の欠片、ガラスのような透明な塊、用途不明の丸い石。どれも遺跡から掘り出されたものだ。紋視を使わなくても、目を凝らせば微かに魔素の粒が見える。遺物はどれも、ほんの少しだけ光っている。

「見るだけか。買わないのか」

 カイが言った。

「買っても使い道が分からないし」

「まあな。——おい、あそこ」

 カイが露店の向こうを顎で示した。

 見ると、人だかりができている。露店の並びから少し外れた広場に、大きな天幕が張られていた。天幕の下に木箱がいくつも積まれていて、その前に——。

 大柄な男が立っていた。

 白髪交じりの長い髪を後ろで束ねている。片目に深い傷跡。上質だが派手ではない外套を羽織り、指に遺物のアクセサリーをはめている。

 ——ガゼルさんだ。

「おう」

 向こうも気づいた。

 ガゼルが人だかりの向こうから、にやりと笑った。あの笑い方だ。口の片側だけ上がる、商売人の笑い。


「まさか坊主がデルガにいるとはな。灰枝にいた小僧が、港街の冒険者か」

 ガゼルが大股で近づいてきた。近くで見ると、灰枝で会ったときよりも少し日焼けしていた。各地を回っている証拠だろう。

「ガゼルさん。お久しぶりです」

「半年ぶりくらいか。——おう、そっちの兄さんもいるな」

 カイが軽く手を挙げた。

「遺物商。何の用でデルガに」

「商売だよ。デルガは遺物の流通拠点だからな。南方の遺跡から出た品物を買い付けに来てる。——それと、坊主に頼みがある」

 ガゼルの片目が、僕をまっすぐ見た。

「鑑定の仕事だ。銀貨で払う」


 天幕の下に案内された。

 木箱の蓋が開けられると、中に布で包まれた品物がいくつも入っていた。ガゼルが一つずつ取り出して、台の上に並べていく。

 金属片が三つ。石板が一枚。拳ほどの大きさの球体が一つ。それから、手のひらに収まる小さな円盤が二つ。

「南方の遺跡から出たものだ。売り先は決まってるんだが、値段がつけられん。なぜか分かるか」

「……回路が生きてるかどうか、ですか」

「ほう。覚えてるな」

 ガゼルがにやりと笑った。

「そうだ。遺物の値段は、回路が生きてるかどうかで天と地ほど変わる。死んだ回路の遺物は——まあ、珍しい金属の塊だ。装飾品にするか、鋳潰して素材にするか。銀貨数枚がいいところだ。だが、回路が生きてる遺物は違う」

 ガゼルが指を一本立てた。

「十倍だ。最低でも十倍。物によっては百倍になる」

「百倍……」

「回路が生きてるってことは、魔石を繋げば動く可能性があるってことだ。動く遺物は——使える遺物だ。使えるものには値がつく。当然だろう」


 僕は台の上の遺物を見た。

 まだ紋視は使っていない。普通の目で見ても、どれが生きていてどれが死んでいるかは分からない。外見は全部同じだ。古びた金属と石の塊。

「見てくれ、坊主。一つずつ」

 紋視を使った。

 目の焦点が変わる。表面の下に意識を潜らせる。じん、と目の奥に痛みが走ったが、回路が見えた。


 最初の金属片。

 長さが掌ほどの、薄い金属の板だ。表面は灰色で、微かに緑青が浮いている。

 紋視で見ると——回路が走っていた。金属の内部に、細い線が三本。線は端から端まで伸びていて、途中で一度枝分かれしている。

 だが、動いていない。線はあるが、光が流れていない。静止している。

「これは、回路はあるけど止まってます。動いてない」

「死んだ回路だな。次」


 二つ目の金属片。

 これは形が違う。円筒形で、片方の端が細くなっている。管のようだ。

 紋視で見ると——何もない。回路の痕跡すらなかった。

「回路がないです。ただの金属」

「それは遺物じゃない。比較用に混ぜた。正直に言ったな。よし」

 ガゼルが満足そうにうなずいた。試されていたらしい。


 三つ目の金属片。

 掌大の、不定形な塊。何かの部品が壊れた破片のように見える。

 紋視を集中させた。

 ——いた。

 回路が走っている。しかも、光が流れている。微弱だが、確かに脈を打つように明滅していた。金属の内部を、淡い光の粒が巡っている。

「これは生きてます。回路が動いてる」

 声が少し上ずった。

「脈を打ってます。遺跡の下層で見たのと同じ感じの……ゆっくりした脈動です。回路は五本で、中央に結節点が一つ。結節点から放射状に枝分かれしていて——」

 僕は言葉を探した。

「何かを受け取ろうとしてるみたいに見えます。結節点が開いてる感じがする。外から来るものを待っている、っていうか」

 ガゼルが腕を組んだ。

「受信待機状態ってところか。——面白い。それだけで金貨一枚は下らない」

「金貨?」

「回路が生きていて、しかも何かの機能を保持している遺物だ。軍でも研究機関でも、喉から手が出るほど欲しがる代物だぞ」


 石板を見た。

 平たく、両手で抱えるくらいの大きさだ。表面に細かい刻印がある。遺跡で見た文字と同じ種類のものだ。

 紋視で見ると、石板の全面に回路が走っていた。密度が高い。文字の一つ一つに回路が接続されていて——。

「これは回路が生きてます。しかも、文字と回路が繋がってる。遺跡の奥で見たのと同じ構造です」

「文字が回路の一部、か。ルークが聞いたら喜びそうだな」

 カイが横から言った。

「ルーク? 誰だそりゃ」

「パーティに入った罠師です。遺跡の機構解析が専門で」

「ほう。坊主もパーティが大きくなったな」

 ガゼルが石板を布で丁寧に包み直した。


 球体を手に取った。

 ずしりと重い。拳大で、表面は滑らかな灰色。遺跡の壁と同じ素材だ。

 紋視を使った瞬間、目が眩んだ。

「——っ」

 思わず顔を背けた。

「どうした」

「明るい……回路がすごく密で、全部動いてる。球の中に回路が何層にも重なっていて、全部が脈動してます。眩しいくらいです」

 ガゼルが低く口笛を吹いた。

「そいつは南方の遺跡の最深部から出た。掘り出した冒険者も何だか分からないって言ってたが——やっぱりか。活きた回路の塊か」

 僕はもう一度、目を細めて球体を見た。

 回路が幾重にも重なって、球体の中心に向かって収束している。中心部が最も密度が高く、光が絶え間なく明滅している。遺跡の管理室で見た六層構造を、さらに圧縮して球に押し込んだような——。

「六層以上の入れ子構造です。中心に向かって回路が収束していて、何かを制御するための……核みたいなもの、かもしれない」

「核か。遺跡の管理装置の部品かもしれないな。——坊主、値段をつけるとしたら、いくらだ」

「僕には分からないです。値段のことは」

「正直でよろしい」

 ガゼルがにやりと笑った。

「金貨十枚でも安い。こいつは特別な客にしか売らない」


 円盤は二つとも回路が死んでいた。ガゼルはそれを聞いて「やっぱりな」と頷いた。


「鑑定料だ」

 ガゼルが革袋を僕に渡した。中で銀貨が鳴った。

「銀貨五枚入ってる。一品につき一枚の約束だったが——球体の情報は二枚分の価値がある。おまけだ」

「そんなに……」

「お前の目がなかったら、俺は球体を金貨三枚で売るところだった。活きた回路の塊だと分かれば十倍で売れる。お前に五枚払っても、俺は大儲けだ。感謝しろよ、坊主」

 ガゼルが僕の肩をばんと叩いた。大きな手だった。


 カイが腕を組んで黙っていた。

「何だ、兄さん。不満か」

「不満じゃねえよ。ただ、こいつの目の価値を知ってる人間が増えるのは——あんまり気分がよくない」

「賢い判断だな。だから忠告してやったろう、灰枝で」

 ガゼルの声が少しだけ低くなった。

「坊主の目は、使い方を間違えなければ一生食いっぱぐれない。だが使い方を間違えると——命に関わる。俺は商売人だから、商売の範囲でしか使わない。だが世の中には、商売じゃ済まない使い方をしたがる連中がいる」


 午後になって、ガゼルが「飯を奢ってやる」と言い出した。

「鑑定の礼だ。デルガに来たら美味い魚を食わないと損だぞ」

「奢りなら断る理由がねえな」

 カイが即答した。

 ミラとルークにも声をかけようとしたが、ミラは宿で煮魚の仕込みをしていて、ルークは解析ノートの整理が終わらないと言った。

「二人でいいよ。私たちは宿でご飯食べるから。——ユーリくん、ガゼルさんに変なもの食べさせられないようにね」

「変なものって何だ、嬢ちゃん」

 ガゼルが笑った。ミラは笑い返したが、目は笑っていなかった。ミラなりの警戒だった。


 ガゼルに連れられたのは、港の東側にある酒場だった。

 通りから一本入った路地にあって、看板には魚の絵が描かれている。入口は狭いが、中は奥行きがあった。木の梁が低く、魔石灯の暖かい光が薄暗い店内を照らしている。

 壁には干した魚や貝殻が飾られていて、潮の匂いと炭火の匂いが混じっていた。

「ここは港の漁師が贔屓にしてる店だ。冒険者は知らない。朝獲れの魚をその日のうちに出す。鮮度が違う」

 ガゼルが奥の席に座った。席は半個室のようになっていて、厚い布の仕切りで隣と区切られている。商談向きの造りだった。


「親父。すずきの刺身と、海老の蒼酒煮と、焼き貝の盛り合わせだ。酒は蔵出しの白蒼酒を一瓶。それと——坊主たちにも蒼酒を」

「僕、あんまりお酒は——」

「果実水でいいか」

「……はい」

「蒼酒でいい」

 カイが言った。


 料理が運ばれてくるまで、ガゼルは商売の話をした。

「遺物市場はここ数年で急に大きくなった。昔は物好きな収集家がこっそり買うだけだったが、今は反宗教国家の軍が公然と買い付けている。値が上がるのはありがたいが——きな臭い」

「軍が遺物を買ってるのか」

 カイが蒼酒を受け取りながら聞いた。

「ああ。特に、回路が生きてる遺物を重点的にな。あいつらは遺物を集めて、何かをやろうとしている。何をやろうとしてるのかは——まあ、俺の知ったことじゃないが」

 ガゼルの声には、知らないふりをしている響きがあった。


 料理が来た。

 最初に出てきたのは、すずきの刺身だった。

 白い皿の上に、薄く引かれた切り身が扇のように並んでいる。身は半透明で、光に透かすと薄紅色の筋が走っていた。その上に、微塵に刻んだ薬味が散らしてある。緑の香草と、黄色い柑橘の皮。

「刺身だ。生の魚を薄く切って食うやつ」

「生で?」

「朝獲れの鱸だから問題ない。まあ食ってみろ」

 僕は箸で一切れつまんだ。柑橘を搾ったひしおにつけて、口に運ぶ。

 ——冷たくて、甘い。

 噛むと、身がねっとりと歯に絡みつく。脂が舌の上で溶けて、潮の香りがふわりと広がった。その後から醤の塩気と柑橘の酸味が追いかけてきて、口の中で全部が一つになる。

「……美味しい」

「だろう。生の魚ってのは鮮度が命でな。港から離れたら食えない。デルガにいるうちに覚えておけ」

 カイも箸を伸ばした。一切れ食べて、目を閉じた。

「……懐かしい味だ。ガキの頃、港の裏で漁師に分けてもらった魚を思い出す」

「お前、デルガ出身だったな」

「ああ。ここの魚は知ってる。——いいものを食わせてくれるじゃねえか」

「金を使うべきところでは使う主義だ」


 海老の蒼酒煮が来た。

 大ぶりの海老が五尾、蒼酒の煮汁に浸かっている。殻が蒼みがかった琥珀色に染まっていて、煮汁から甘い湯気が立っている。蒼酒の果実の香りと、海老の出汁の匂いが混じって、鼻の奥がじんと温かくなった。

 殻を剥いた。指先が煮汁で濡れる。身はぷりっと弾力があって、噛むと蒼酒の甘みが染み出してきた。海老の味が濃い。身の中に出汁の旨味が行き渡っていて、噛むたびに味が変わる。最初は甘く、次に塩気、最後にほんのり苦い蒼酒の余韻。

「これ、蒼酒で煮てるんですか」

「蒼酒と塩と、少しの砂糖だ。それだけでこの味になる。蒼酒煮は港の名物だ」

 カイが殻ごと齧って、煮汁を啜った。

「殻の出汁も旨いんだ。残すな」

 言われた通り、煮汁を小皿に取って飲んだ。海老と蒼酒が混じった、濃厚で甘い汁だった。体が温まる。


 焼き貝の盛り合わせは、金属の大皿に五種類の貝が山のように盛られていた。

 帆立に似た大きな貝、黒い殻の小さな貝、巻貝、細長い二枚貝、それから見たことのない平べったい貝。どれも炭火で焼かれていて、殻の隙間から汁が泡立っている。

「好きなのから食え」

 帆立に似た貝を開いた。白い身が殻の中で縮んでいて、汁がじゅうじゅうと音を立てている。身を箸で取って口に入れると、貝の甘さと磯の塩気が一度に来た。噛むと歯応えがあって、噛み切ったところから旨味が溢れる。

 黒い殻の小さな貝は、一口で食べられる大きさだった。身を吸い出すと、濃い味が舌を打った。酒の肴だ、とカイが言った。

「辺境じゃ貝なんて食べたことなかったろう」

「ないです。海がないから」

「坊主は辺境の出か。道理で、初めて魚を食ったときの顔をしてる」

 ガゼルが蒼酒を注ぎ足しながら言った。

「世界は広いぞ。まだ食ったことのないものが山ほどある。それだけでも旅をする価値はある」


 食事が一段落したところで、ガゼルが蒼酒の杯を置いた。

 目が変わった。商売の顔だ。

「坊主。一つ聞きたいことがある」

「はい」

「灰枝で、お前は言ったな。遺物の回路に共通のパターンがあると」

「……言いました」

「あの話の続きだ。俺は二十年、遺物を扱ってきた。数にして千を超える遺物を見てきた。その中で一つ、どうしても気になることがある」

 ガゼルが酒場の天井を見上げた。低い木の梁に、魚の干物が吊り下がっている。

「どの遺跡から出た遺物も、同じパターンの回路を持っている。北の山岳遺跡から出たものも、南の海底遺跡から出たものも、東の砂漠遺跡から出たものも。形は違う。大きさも違う。用途も違う。だが——回路のパターンだけは、同じなんだ」

 ガゼルの声が低くなった。

「俺は目で見えるわけじゃない。二十年の経験で、肌で感じたことだ。遺物の表面の手触り、重さの分布、魔石を近づけたときの反応。そういう間接的な情報を積み重ねて、共通する何かがあると気づいた」

「それは——」

「言い換えると、こうだ」

 ガゼルが僕を見た。片目の奥に、鷹のような光があった。

「全ての遺跡は、同じ者が造った。同じ設計思想で、同じ技術で、同じ回路を使って。——そして、それらは全て繋がっている」

 空気が変わった。酒場の喧騒が遠くなったように感じた。

「繋がっている、というのは」

「文字通りの意味だ。各地の遺跡は、独立した遺構じゃない。一つの大きな仕組みの——部品だ」

 遺跡の下層で見た回路が、頭の中に蘇った。壁の中を走る線。外壁を貫いて、遺跡の外に伸びていた回路。ルークが言った「ネットワーク」という言葉。

 ガゼルは同じことを、二十年の経験から辿り着いていた。

「……坊主。お前の目で確かめてほしいんだ。俺の推論が正しいかどうか」

「確かめる、って」

「さっき見せた遺物だ。あれは全部、違う遺跡から出ている。三つ目の金属片は南方、石板は東方、球体は北方の遺跡だ。全く別の場所から出た遺物の回路に、共通のパターンがあるかどうか——お前の目なら分かるだろう」

 僕は目を閉じた。

 さっき見た回路を思い出す。三つ目の金属片の、五本の線と一つの結節点。石板の、文字に接続された密な回路。球体の、何層にも重なる入れ子構造。

 回路のパターン。線の走り方。枝分かれの角度。結節点の形。

 ——同じだった。

 線の太さや密度は違う。回路の規模も、機能も違う。だけど、線が分岐するときの角度、結節点の配置の仕方、光が流れるときのリズム。そういう、設計の根本にある法則のようなものが——全部同じだった。

 遺跡の壁で見た回路とも。魔石の中の回路とも。鏡面蝶の翅に走っていた模様とも。

「同じです」

 目を開けて、ガゼルを見た。

「全部、同じ基本パターンで作られてます。線の分岐角度も、結節点の配置も、脈動のリズムも。違う場所から出た遺物なのに、回路の基礎構造が同一です」

 ガゼルが長い息を吐いた。

 大きな体が、ほんの少しだけ弛緩した。何年も張り詰めていたものを、やっと下ろしたような顔だった。

「……やっぱりか」

 それだけ言って、蒼酒を飲み干した。

「二十年だぞ、坊主。二十年かけて俺が辿り着いた結論を、お前はひと目で確認しやがった。——ああ、嬉しいやら悔しいやら」

 ガゼルが杯を台に置いて、にやりと笑った。

「だが、嬉しいほうが勝ってるな。俺の目は間違ってなかった」


「ガゼルさんは、その——遺跡が全部繋がってるって、いつ頃気づいたんですか」

「十年くらい前だ。遺物を千個くらい扱ったあたりで、何かおかしいと思い始めた。遺跡ごとに出る遺物の形は違うのに、手に取ったときの感触が似ている。重心の位置が同じ法則で設計されている。魔石を近づけたときの反応が同じ。——最初は気のせいだと思った。だが、数が増えるほど確信に変わった」

 ガゼルが白蒼酒を注いだ。上等な酒で、蒼みが強く、花のような香りがした。灰枝で飲ませてもらったものと同じ系統だが、こちらのほうがさらに深い。

「俺は冒険者の頃、樹海の最深部まで行ったことがある。金牌時代にな。あそこで——」

 言いかけて、止めた。

「いや。その話はまだ早い。坊主にはまだ早い」

「何を見たんですか」

「いつか分かる。お前の目がもっと先に進んだらな。——今のお前には、まだ見えないものがある」

 ガゼルの声が、低く落ち着いたものに変わっていた。豪快な商売人の顔ではなく、元金牌冒険者の顔だった。


 料理の追加が来た。焼いた魚の骨で取った出汁に、細い麺を入れたもの。締めだとガゼルが言った。魚の出汁が澄んでいて、麺を啜ると喉の奥が温かくなった。

 カイが出汁を飲み干しながら言った。

「遺跡が全部繋がってるとして——それが何を意味するんだ。俺たちに何の関係がある」

「いい質問だ、兄さん。繋がっているってことは、情報が流れているってことだ。遺跡の回路が生きているなら、その回路を通じて何かがやり取りされている。何千年も前から、今この瞬間も」

「何がやり取りされてるんだ」

「分からん。だが——」

 ガゼルが僕を見た。

「坊主が今日見た球体。あれは受信待機状態だと言ったな。遺跡から取り出されてもなお、何かを待っている。何かを受け取ろうとしている。——誰が、何を送っているんだ?」

 答えは、僕にも分からなかった。

 だけど、球体の回路が遺跡の外で脈動し続けていたことは確かだった。遺跡から離れても、回路は死なない。どこにいても、何かと繋がり続けている。

 全部が繋がっている。遺跡も、遺物も、魔石も、魔獣の中の回路も。

 一つの大きな仕組みの中に、全部がある。


 酒場を出ると、夜の港が広がっていた。

 日が沈んで、空は濃い藍色をしていた。港に停泊した漁船の灯りが海面に映って、橙色の光が波に揺れている。沖のほうにも灯りが点々と散らばっていた。夜の漁に出た船の漁火いさりびだ。

「きれいだな」

 カイが呟いた。

 潮風が吹いていた。昼間の生臭さは消えて、夜の海は清潔な塩の匂いがする。波の音が遠く、規則的に聞こえていた。

 漁火が一つ、ゆっくりと沖に向かって動いていく。光の軌跡が海面に長い尾を引いて、それが波に砕かれて消える。また別の漁火が灯る。港全体が暗い海の中に浮かんでいるように見えた。

 ガゼルが外套のポケットから煙管を取り出して、火をつけた。白い煙が潮風に流された。

「坊主。もう一つだけ忠告してやる」

「……はい」

「お前の目のことは、まだあまり広まってない。俺みたいに直接会った人間しか知らない。だが——いつまでも隠しておけるもんじゃない」

 煙を吐いた。白い煙が、夜の空気に溶けていく。

「反宗教国家の軍には、遺跡を調べている連中がいる。本格的にな。遺物を集めるだけじゃなく、遺跡の仕組みを解明しようとしている。そいつらが坊主の目を知ったら——放っておかない」

「灰枝でも、同じことを言ってましたね」

「同じことを言ってるってことは、状況が変わってないってことだ。いや——悪くなってる。半年前より、軍の動きが活発になってる。遺物の買い付け量が増えてるし、遺跡周辺で軍の斥候を見たって話もある」

 ガゼルが煙管を口から離した。

「お前に目をつけるのも、時間の問題だ。鉄牌の坊主が遺跡探索で異常な成果を上げ始めたら、嫌でも目立つ。気をつけろ」

「気をつける、って言っても——」

「派手にやるなってことだ。遺物を鑑定するのはいい。だが、その能力を公にするな。俺みたいに信用できる相手にだけ使え。——まあ、俺が信用できるかどうかは、お前が決めることだが」

 ガゼルがにやりと笑った。あの片側だけ上がる笑い方。怪しいけれど、嫌いになれない笑い方だった。

 カイが黙って聞いていた。

「……あんたの忠告は、まっとうだ。感謝する」

「礼には及ばん。坊主が捕まったら、俺の鑑定人がいなくなるからな。純粋に商売上の損失だ」

「素直じゃねえな」

「商売人ってのはそういうもんだ」


 ガゼルが煙管を仕舞った。

「そろそろ行く。明日の朝には船で発つ。次に会うのがいつになるかは分からんが——」

 大きな手が、僕の肩に置かれた。

「坊主。お前の目は、いつか世界の全体像を見るだろう。遺跡が繋がっている。遺物が繋がっている。その先にあるものが何なのか——お前はいずれ辿り着く」

 ガゼルの声が低かった。

「そのとき、俺の言葉を思い出せ。遺跡は全て繋がっている。そしてそれは——偶然じゃない。誰かが、意図して繋いだんだ」

 その言葉が、夜の潮風の中に消えた。

 ガゼルが背を向けて歩き出した。大柄な背中が、港の灯りの中に遠ざかっていく。途中で一度だけ振り返って、片手を上げた。それから、路地の角を曲がって消えた。


「……行ったな」

 カイが言った。

「うん」

「信用できると思うか。あの男」

 僕は少し考えた。

「……全部は信用してないと思います。でも、嘘は言ってないと思う。少なくとも、遺物の共通パターンのことは本当だし——忠告も、本気だった」

「俺もそう思う。あの男は善人じゃないが、嘘つきでもない。商売人ってのはああいうもんだ。利益が一致してる間は信用できる」

 カイが伸びをした。

「さて、帰るか。ミラが煮魚作って待ってるだろ」

「……あ。もう食べちゃったかもしれないですよ」

「食い物で待ってくれるのがミラだ。信用しろ」


 宿に戻ると、ミラが部屋で煮魚を温め直してくれた。朝市で買った鯖を、醤と蒼酒と生姜しょうがで煮たものだ。甘辛い汁が身に染みていて、箸で崩すと白い身がほろりと割れた。

 ルークも解析ノートを閉じて食卓に加わった。

「ガゼルって男、何者だ」

 ルークが聞いた。

「遺物商。元金牌の冒険者で、今は遺物の売買をしてる人です」

「金牌か。それは相当だな」

「遺跡が全部繋がってるって、言ってました。二十年の経験で辿り着いた結論だって」

 ルークの箸が止まった。

「……俺も同じことを考えていた。遺跡の回路が外部に接続していることは確認した。その接続先が他の遺跡だとすれば——ネットワーク構造だ」

「ガゼルさんは、目で回路が見えるわけじゃないのに、同じ結論に辿り着いてたんです。二十年かけて」

「大した男だな」

 ルークが煮魚の汁を啜った。

 ミラが僕の顔を覗き込んだ。

「ユーリくん。今日、紋視どれくらい使った?」

「えっと……遺物を六つ鑑定したから、その分だけ」

「目は痛くない?」

「少しだけ。でも大丈夫」

「本当に?」

「本当に」

 ミラが僕の目を覗き込んだ。何秒か見て、小さくうなずいた。

「まあ、嘘は言ってなさそう。——でも今日はもう使わないでね」

「うん」


 窓を開けて、夜の海を見た。

 漁火がまだ沖に散らばっている。波の音が遠い。

 ガゼルの言葉が頭の中で繰り返していた。

 遺跡は全て繋がっている。偶然じゃない。誰かが意図して繋いだ。

 誰が。何のために。

 そして——その繋がりの中を、今もなお何かが流れている。

 球体の回路は、遺跡から離れても脈動していた。受信待機状態。何かを待っている。

 待っている相手は、どこにいるのだろう。

 僕にはまだ、その答えが見えなかった。

 でも、いつか見える日が来る。ガゼルはそう言った。

 目の奥が、かすかに疼いた。使いすぎの痛みとは違う、もっと深いところにある疼き。何かが、僕の目の中で育っている。そんな気がした。

 漁火が一つ、沖の闇に消えた。

 僕は窓を閉めて、眠りについた。


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