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蒼の樹海の魔素使い——魔法が使えない少年は、世界の秘密を視ていた  作者: 蒼月よる


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第14話 向かう先

第十四話 向かう先


 灰枝に戻ったのは、夜遅くだった。

 ミラがギルドの前で待っていた。

「二人とも! 無事だったの? カイさん、腕——!」

「かすり傷だ」

「かすり傷じゃないでしょ! 火傷じゃない! 座って、今すぐ診るから」

 ミラが鞄から軟膏の小瓶を取り出して、カイの左腕に塗り始めた。それから、手のひらから淡い緑の光を出して、傷口にかざす。治癒魔法。粒が患部に集まって、火傷の赤みが少しずつ引いていく。

「……ありがとう」

「お礼は後。経緯を聞かせて」

 ギルドの中に入って、奥の個室を借りた。ナタリアが蒼酒と水を持ってきてくれた。

 僕とカイで、起きたことを話した。聖騎士との追撃。棘冠蜥蜴との三つ巴。一時的な共闘。そして、セラスが退いたこと。

「退いた……? 聖騎士が?」

 ミラが首を傾げた。

「変ね。聖騎士って、任務を途中で投げ出す人たちじゃないはずだよ。師匠が言ってた。聖騎士は一度目をつけたら絶対に離さないって」

「あの人は——苦しんでた」

 僕が言った。

「任務でやってるけど、本当はやりたくないんだと思う。無表情に見えるけど、声が震えてた」

「お前は人がいいなあ」

 カイが蒼酒を飲みながら言った。

「苦しんでようがなんだろうが、次は本気で来るぞ。『次に会うときは連れ帰る』って言ってたんだ。ここにいたら——」

「灰枝を出よう」

 僕が言った。

「元々、ずっとここにいるつもりはなかったでしょ。——デルガに行こう。カイさんの故郷の」

 カイが蒼酒の杯を置いた。

「……デルガか」

「反宗教国家の領域だよね。聖騎士は簡単に入ってこれない」

「まあな。国境を越えれば、神聖国家の管轄外だ。ギルドの身分証があれば越境できる。——ただ、反宗教国家は反宗教国家で面倒がある。あっちは遺跡の研究を国ぐるみでやってる。お前の目の話が知れたら、軍が食いついてくるぞ」

「ガゼルさんも同じことを言ってたね」

「どこに行っても狙われる、ってことだ。——だが、デルガなら俺の地元だ。街のことは知ってる。逃げ場も隠れ場もある。灰枝にいるよりはマシだ」

「私も行くよ」

 ミラがきっぱりと言った。

「元々しばらく一緒にって話だったでしょ。行き先が変わっただけ。それに——」

「それに?」

「私、一人で灰枝に残るの嫌だもん。蜥蜴に追われたのがトラウマなの」

 ミラが冗談めかして笑った。でも、目は笑っていなかった。本気で来てくれるのだ。


 翌朝。

 まだ空が白み始めたばかりの時間に、ギルドに向かった。

 ナタリアが早出してくれていた。

「昇格試験、受けますか?」

「え?」

「ユーリくん。あなたの依頼実績、見直しました。根蛇討伐五回、蒼苔採取三回、装甲猪追跡補助二回、偵察一回。それに——昨日の戦闘で、棘冠蜥蜴の上位種を撃退。危険度Bの魔獣との交戦経験は、銅牌の実績としては異例です」

「撃退っていうか……偶然遭遇しただけで——」

「棘を二本持ち帰ってますよね。回収済みの素材が証拠です。——正直に言うと、灰枝のギルドとしても、あなたのような索敵能力者のランクを低いままにしておくのは適切ではないと判断しています」

 ナタリアが書類を出した。

「昇格推薦書です。銅牌8から鉄牌7への昇格。私が推薦人になります。——カイさんも、銀牌5への推薦を出しますね」

「え、俺も?」

「カイさんは棘冠蜥蜴と聖騎士の両方を相手にしたでしょう。しかも負傷しながら。鉄牌のままにしておく理由がありません」

 カイが照れくさそうに頭を掻いた。

 鉄牌。銅の金属板が、鉄色の金属板に変わる。「7」の数字が刻まれた、新しい冒険者証。

 手に取ると、銅牌より重かった。重みが——責任の重さに思えた。

「鉄牌になると、樹海の中層への探索が正式に許可されます。パーティでの遠征依頼も受けられるようになります。それから——越境の際の通行証としても機能します」

「越境……」

「デルガに行かれるんでしょう? 事情は聞いています。——気をつけてください」

 ナタリアが小さく微笑んだ。


 その後、装備の調達に回った。

 出発前の最後の買い物だ。

 革工房のダンの店で、ミラ用の軽鎧を購入した。苔皮の胴着で、薬草鞄を背負ったまま動けるように肩口が広めに作られている。銀貨一枚。

「嬢ちゃんは薬師か。なら背中の革を薄めにしておいた。鞄の重みが分散するようにな」

「わあ、ありがとうございます。すごく動きやすい」

 鍛冶師のルカにも寄った。カイの剣を研ぎ直してもらう。

「こないだ研いだばっかりだろう。何をしたんだ、この刃こぼれは」

「いろいろあった」

「いろいろ、ねえ」

 ルカが剣を受け取って、研ぎ石に当てた。しゃりしゃりという音が工房に響く。

「お前さんたち、遠くに行くんだろう。気をつけな。いい客を失うのは惜しいからね」

「また来るよ」

「そうかい。——そうだ、これを持っていきな」

 ルカが棚から小さな革袋を取り出した。中に、携帯用の研ぎ石が入っていた。

「旅先では鍛冶が見つからないこともある。自分で研げるようにしておけ」

「いくらですか」

「いらないよ。餞別だ」

 ルカが笑った。


 最後に、食堂に寄った。

 出発前の、最後の一食。

 装甲猪のステーキと、きのこの煮込みと、蒼苔スープ。ミラが厨房に頼み込んで、スープに香草を入れてもらった。

 三人でテーブルを囲んだ。

「デルガまでは北西に六日くらいだな。途中に宿場が二つある。野営は四日分だ」

「食料は?」

「干し肉と蒼苔の携行食を買ってある。あと、ミラが薬草を多めに持ってるから、途中で採取もできる」

「樹海の外を通るなら、魔獣の心配は少ないよね。——でも念のため、解毒薬と止血薬は補充しておいたから」

 ミラが鞄を軽く叩いた。革鞄の中には、小瓶がびっしり並んでいる。薬師の道具箱だ。

 ステーキにかぶりついた。

 美味しい。灰枝に来て初めて食べたときと同じ——いや、あのときより、もっと美味しく感じた。この味を知っている、という安心感がある。

「灰枝、いい町だったな」

 カイが煮込みを口に運びながら言った。

「食堂の飯もまあまあだったし、ギルドの連中も悪くなかった。ナタリアちゃんは可愛かったし」

「そこ関係なくない?」

「大事だろ」

 ミラが蒼苔スープを飲みながら笑った。

「デルガってどんなところ?」

「海がある。港があって、船が来る。魚が獲れる。——魚を食ったことあるか?」

「ないよ」

「俺もない」

 カイが目を丸くした。

「お前ら、魚を知らないのか」

「辺境と灰枝じゃ魚は手に入らないでしょ」

「……デルガに着いたら真っ先に魚を食わせてやるよ。刺身ってのがあってな。生の魚を切って、そのまま食うんだ」

「生で? 大丈夫なの?」

「大丈夫だ。新鮮なやつはそのほうが美味い。——まあ、着いてからのお楽しみだ」

 カイが蒼酒を飲み干した。


 食事を終えて、食堂を出た。

 灰枝の通りに、朝の光が差し始めていた。石畳の上を、商人が荷車を押して歩いている。工房から鍛冶の音が聞こえる。いつもの朝だ。

 背嚢を背負い直した。荷物は軽い。干し肉と蒼苔と薬草と替えの服と、携帯用の魔石コンロ。それから、遺跡で見つけた文字の板と、棘冠蜥蜴の棘二本。ルカにもらった研ぎ石。

「準備はいいか」

 カイが振り返った。

「うん」

「私も」

 三人で、灰枝の北の門を出た。

 門といっても、通りの突き当たりに木の柵があるだけの簡素なものだ。その向こうに、北西に延びる街道がある。

 振り返った。

 灰色の屋根と壁。装甲片の建物が丘の斜面に重なり合っている。ギルドの看板が朝日を反射して光っていた。

 いい町だった。初めての町。初めての食堂。初めてのパンの味。

 ——また来よう。

「行くぞ」

 カイが歩き始めた。

 ミラがその横に並ぶ。僕も追いついた。

「ねえ、デルガまでの道中で薬草採れるかな。街道沿いにも生えてるって聞いたことあるんだけど」

「あったら教えるよ。流視で探す」

「やった。ユーリくんの目って本当に便利だね」

「便利なだけだよ。戦えないし」

「戦えなくていいの。目があるでしょ。私も戦えないし」

「俺が戦うから問題ない」

 カイが前を向いたまま言った。

「お前らは目と薬だ。俺は剣だ。三人でちょうどいい」

 街道は北西に伸びている。左手に樹海の蒼い森が続き、右手に丘陵地帯が広がっている。空は高くて、雲が白い。

 歩きながら、僕は南東の方角に流視を向けた。

 セラスの光は——見えなかった。灰枝の近くにはいない。去ったのか、それとも距離が遠すぎて見えないだけか。

 でも、あの人はまた来る。

 「次に会うときは連れ帰る」と言っていた。あの声は、本気だった。

 そして——あの人の魔法のきれいさを、僕は忘れられなかった。

 遺跡の回路と同じ構造。魔石の内部と同じ法則。セラスの魔法と同じ美しさ。

 この世界は、同じものでできている。

 その答えが何なのか——デルガに行けば、もう少し分かるかもしれない。

「カイさん。デルガに遺跡はあるの?」

「あるぞ。街の地下に、小さいのがいくつか。それに——港の沖合の島にもあるって噂だ。まだ誰も調べてない」

「行ってみたいな」

「行くさ。俺たちは冒険者だからな」

 カイが笑った。

 道は続いている。蒼い森と白い空の間を、北西へ。デルガへ。海のある街へ。知らない食べ物と、知らない遺跡と、知らない真実の待つ場所へ。

 三人の足音が、街道に小さく響いていた。


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