恋をやり直すのに、1日3分では足りません。【なろう版】
その日もリオはいつもの電車にゆっくりと乗りこみ、開かない方のドアの前に立って一息ついた。
──今日もみんな元気そう。
リオは1ヶ月ほど前に偶然この電車に乗ってから毎朝同じ場所に乗っている。リオが乗る駅は始発駅だ。同じように決まった場所に乗る人は何人かいて、リオは勝手な連帯感を感じていた。もちろん話したことはない。
──青いネクタイのおじさん。受験生の女子。真珠のピアスのおばさま。シンくんも今日は余裕だね。皆さんおはよう。
唯一話したことがある男がリオの向かいの端に立つ。彼はリオが事務員として勤める音楽系専門学校の生徒で、話したことがあると言っても事務的なやり取りを数回しただけに過ぎない。
──きっと私のことは認識してない。今日も安定の自分の世界だね。
シンは大きなヘッドホンをしてスマホの画面に没頭している。毎朝お馴染みの光景だ。
電車はいつもの面々を乗せて動き出した。
ぼんやりと窓の外を見ていたリオの気持ちが少しずつソワソワし始める。
──今日も居るかな。うん、きっと居る。
電車は数駅目の駅で停まり、アナウンスが流れる。
『特急列車通過待ちのため、3分少々停車いたします』
リオのドキドキが頂点に達する頃、隣の線路に反対側から電車が滑り込んで来た。
ゆっくりと停まった電車はやはり通過待ちのために停車する。
──居た。
隣の電車内の同じ場所に今日も彼は立っていた。
──ふふ。今日も安定の格好良さだ。
リオはニヤつきそうになるのを我慢しながら横目で彼を窺う。じろじろ見るにはあまりに距離が近い。間に窓を挟んでいるとはいえ、リオと彼の間の距離はきっと1.5mくらいだ。
──やっぱりトウヤかなあ……
毎朝すれ違う彼のことがこんなに気になるのは決して好みの男性だからという理由だけではない。彼は中学時代の同級生にそっくりなのだが、本当に目の前の男が10年会っていないトウヤなのか、リオは自信を持てずにいる。
しかし毎朝すれ違うたびに、リオはトウヤとの甘酸っぱい記憶を思い出してはキュンとするのである。
◇◇◇
リオが通っていた中学は毎年クラス替えがあった。2年が終わる春休み、最後の思い出にとクラスの大半が集まって遊びに出かけた。ボーリングやカラオケなどを夕方まで楽しんだ後、方向が一緒のリオとトウヤは他の子も含めてなんとなく一緒に帰り最終的になんとなく2人きりになった。
──なんてラッキーなの。
リオの心はふわふわと浮き立った。特別親しいわけではないが、リオはトウヤのことをずっと好ましく思っていたのだ。
きっかけは2年になってすぐのクラス親睦のドッジボールのとき。しれっとした顔で豪速球をリオの仲間に当てまくっていたトウヤがリオに狙いを定め腕を振りかぶった瞬間、その勢いに怯んだリオとトウヤの目が合った。
本気の怯えが見えたのか、トウヤは大丈夫、というようにフッと笑うと瞬時に狙いを替えてリオの隣の男子にボールをぶつけた。
やさしー、とリオがぽわんとしていると、当てられた男子に詰られて無邪気な顔でトウヤが笑った。そして一瞬その笑顔をリオに向けたのだ。
──あれはずるい。あんな顔されたら誰だって惚れてまう!
すっかり射抜かれたリオは、それ以来トウヤが笑うたびにきゅんきゅんしていた。
──最後に好きな男子と2人きりになれるなんて。日頃の行いが良いんだな、私。
しかしリオはまだリアルな恋というものをよく分かっていなかった。積極的に何か行動する気はなく、その日も当たり障りのない話をポツポツとして幸せ気分でいっぱいになっただけで満足した。
2人はすぐにリオの住むマンションの前に着く。
「トウヤの家はこの先?」
「うん。すぐ近く」
「そっか。じゃ、また新学期にね……っと」
「どしたの?」
オートロックの扉の前でカバンをゴソゴソと探るリオをトウヤが覗き込む。
「やば。鍵忘れた」
「親いないの?」
「夜まで帰らないんだ。まあいっか、ダイちゃんちでゲームしよ」
「え、ダイスケんち?」
トウヤが驚いたように聞いてくる。
「あ、うん。隣だからしょっちゅう行き来してるんだ」
「付き合ってるの?」
悪ガキのダイスケとのんびりしたリオは何故か幼い頃から仲が良い。ダイスケは別のクラスのため今日は一緒ではなかった。
「付き合ってなんかないよ。ただの幼馴染」
「そっか」
「じゃあね」
あっさりダイスケの家の番号を押そうとしたリオの手をトウヤが掴む。
「待った。どうせゲームするならオレんちでしない?」
──トウヤの家?
その言葉と力強い手の感触にリオの心臓が跳ね上がる。
「いいの?」
「うん。なんか遊び足りなくて」
「あは、解散早かったよね。えーと、じゃ、お邪魔しよっかな」
「ほんと?」
嬉しそうに笑うトウヤにリオの心臓は更にうるさくなった。
──う、この笑顔ほんとに好きだ、私。
「こっちだよ」
リオはトウヤに手を引かれて歩き出す。
繋いだ手をじっと見ているとトウヤはハッと気付いて手を離した。
「あ、ごめん」
「ううん」
「ええっと、その、リオはいつもどんなゲームしてんの?」
「あ、うん、あのね」
ふわふわした空気で話しながら歩いているとすぐに綺麗な戸建の家の前でトウヤが立ち止まった。
「ここ」
「へえ、本当に近いんだ」
「そうなんだよ。なのに近所で会ったことなかったな。入って」
トウヤは鍵を開けてリオを招き入れる。
「お邪魔しまーす。お家の人は?」
「うちも夜まで帰んない」
「そっか」
──ダイちゃん以外の男子の家なんて、初めてだ。
玄関には幼い子用のオモチャや靴などが整然と置いてある。
──妹さんがいるのかな。
リオは靴を揃えるとドキドキしながらトウヤに続いて階段を上がる。
トウヤの部屋はベッドと勉強机とテレビなどが置いてあるシンプルな部屋だった。
トウヤはベッドの上からクッションを取りリオに渡す。
「適当に座って。何か飲むもん持ってくるよ」
「ありがとう」
──うう、緊張する。じっくり話したことも無いのに急に部屋に2人きりとか!
あまりの緊張にトウヤの誘いにあっさり乗ったことを少し後悔したが、それよりもトウヤと2人きりでいられる嬉しさが勝った。
ぎこちない空気のまま2人はゲームを始めた。緊張感でいっぱいなのはお互いにわかっていつつ、はしゃぐことで誤魔化す。少しの身動きも気になってリオは自然に過ごす事が出来ない。
「あはは! トウヤ、そこは避けないと!」
「いやちょっと指が! 指がっ」
「指のせいにしなーい」
ひとしきり遊んで少し空気がほぐれたが、妙な高揚感は相変わらず残っている。
「面白いんだね、これ。ダイちゃんちに別のシリーズはあったけどこっちのがやりやすい」
「だろ。またいつでも来れば」
「いいの?」
「いいよ」
──また笑うし!
笑顔のトウヤからリオは視線を外してそわそわと脚の位置を変える。
「……っ」
トウヤが息を呑む気配がしてリオはトウヤの顔を見る。
「ご、ごめ、その、クッション」
「え? あ、これ?」
「くれ」
リオがお尻の下に敷いていたクッションを渡そうとすると受け取ろうとしたトウヤの動きが固まる。
「? どうしたの……」
「あ、いや」
「あ」
──こ、これって!
リオは思わずマジマジとトウヤのズボンの前を凝視する。そこは大きく膨らんでいた。
「クッション、くれ!」
「あ、はい、ごめん」
リオが渡すとトウヤは奪うようにして前を隠す。
2人の間に沈黙が流れた。
「……あ、あの、こないだ保健体育で習ったよ。生理現象、だよね?」
「そ、そう。その……」
再び沈黙が流れる。
「……ごめん! マジで!」
「あ、ううん、いいよ、別に」
「くそ、なんでこんな……」
泣きそうな顔で真っ赤になるトウヤが可哀想になってリオは思わずフォローに回る。
「普通のことだもん。大丈夫大丈夫」
「……普通、だけど。もしかしてダイスケの見たことある?」
「無いよ! 初めて見た。男子の身体って、不思議だね」
「だ、だよな。じゃあもっと観察する? なんつって」
「あ、うん、じゃあ」
「え?」
「え」
2人の視線が交錯し、トウヤがごくりと唾を飲み込んだ。
その瞬間。
「お兄ちゃん、ただいまー!」
「ただいまー! トウヤ、お友達来てるの?」
2人はパッと身体を離す。
「あ、うちも親が帰ってくる時間! 帰るねっ」
「あ、うん、送る」
「近いから大丈夫」
リオは慌ててカバンを掴みトウヤの部屋を飛び出す。
「あらっ、女の子!」
階段の下でトウヤの母が嬉しそうな顔でリオを見ていた。
──わあ、トウヤと似てる。留守中に上がり込むとか、めちゃ印象悪いよ、私!
「こんばんは、勝手にお邪魔してすみません! 家の鍵を忘れてトウヤくんが待たせてくれたんです」
「あらそうなの! もう大丈夫なの?」
「はい、もう親が帰ってると思うので。お邪魔しました!」
「おねえちゃん、ばいばーい」
「……ばいばい」
5歳くらいの女の子の後ろからトウヤが少し照れた顔で一緒に手を振る。
リオは慌ててスニーカーに足を突っ込むとぺこりとお辞儀をしてトウヤの家を飛び出した。
◇◇◇
──いやあ、青かった。甘酸っぱかった! 好きな子と密室でエッチな雰囲気になるなんて、今だったら確実になだれ込んじゃうだろうなあ。惜しかった……なんてねっ。
あれからトウヤとはクラスが離れ、更にリオの家が少し離れた場所に戸建てを購入し引っ越したために何の接点も無くなってしまった。
校内ですれ違うたびにリオはトウヤを意識したが、大体どちらも誰かと一緒で話しかけることもできないまま受験期に突入し、卒業を迎えた。
──卒業式の日、やっぱりお互い友達と一緒の時にすれ違って。思い切り視線が合った気がしたんだよね。そう、こんなふうに……
チラリと窓の向こうを見たリオと男の視線が一瞬交わる。
──見てた!?
思わずすぐに視線を逸らす。
──いや、たまたまこっち見てただけかもしれない。もしトウヤじゃないのにじろじろ見てたら私ただの変な人だよ。いいんだ、もし本当にトウヤだったとしても今さら何をどうするわけじゃないもん。こっそり見られなくなる方が残念。毎朝ちょっとキュンとさせてもらうくらい、別に構わないよね。
心の中で言い訳をしている間に電車が発車する。3分間の潤いタイムはいつものようにあっさり終わってしまった。
そしてそんな毎日が続いたある日。
いつものように横目でチラチラ見ていると車内に視線を向けていた彼の表情が突然緩み、満面の笑みに変わった。
──わ、やっぱりトウヤだ! 絶対そう!
10年経ってもあの頃キュンキュンしまくった笑顔は変わっていなかった。リオが嬉しくなって思わず笑いかけようとした瞬間、トウヤは少し屈んだ。
──あ、れ?
身体を起こしたトウヤは3歳くらいの女児を抱いていた。女児はべったりとトウヤに抱きつき、トウヤは母親らしき可愛らしい女性に笑顔を向けて話している。
──子供? トウヤの? 結婚してるんだ……
茫然とするリオを乗せて電車は走り出した。
◇◇◇
「あの。進路希望票、昨日忘れたらこっちに出せって言われたんすけど」
「あっ、ハイ!」
リオはハッとして顔を上げる。
受付にシンが来て無造作に紙を差し出していた。
「はい、こちらで大丈夫ですよ。作曲科の田辺深くんですね」
「……っす」
──っす? そうです? お願いします、かな?
リオが笑いかけるとシンは視線を外してすぐにその場を離れた。
進路希望票には大きく"未定"と書かれている。
──まあハッキリ決まってる子の方が少ないけどね。
リオはパソコンに向かい、生徒たちの情報を入力したフォルダからシンのページを開く。
──あれ? 住所が……
入力されていたシンの住所はこの学校から徒歩で行ける場所である。
──なんで毎朝あの電車に乗ってるんだろ。引っ越したのかな? 毎日彼女の家に泊まってるとか? 引っ越したんなら届け出て貰わないといけないけど、こっちから言うのも変だよねえ。ま、電車の中でしれっと声かけてみよっかな。
「リオちゃーん、通学証明書ちょうだい」
「俺のもー」
「あ、ハイ。待ってね。学生証見せてくれる?」
「ほい。ねえリオちゃん、彼氏いるの?」
「黙秘します」
「いないんだ」
「ノーコメント」
「じゃあ今度遊びに行こうよ」
「職員と学生が個人的に会うことは禁止されてるの。ごめんね、仕事失っちゃうから」
「ちぇっ」
学生たちをいつものようにかわしながらリオはこっそり溜息をつく。
──ああ、彼氏、そろそろ作ろうかなあ。推しが結婚してることも判明したもんね。いつまでもあんな思い出に浸ってるのは不健康だよ。うん、決めた。彼氏作ろ!
目の前でふざける学生たちを見ながら、この子達は無いけど、とリオは失礼なことを考えていた。
◇◇◇
翌朝もリオはなんとなく習慣で同じ電車に乗っていた。
通過待ちの駅でいつものようにトウヤが乗った電車がやってくる。トウヤが乗っていることを確認すると切なさが込み上げてきてリオは下を向いた。
──もうこの電車に拘る必要も無いか。明日からは1本早くしよう。
この電車は就業時間ギリギリに着く。それでもトウヤに会いたくてリオはわざわざこの電車に乗っていた。
今日で最後だ、とリオが再びトウヤの方をちらりと見ると、そこには誰も居ない。
──あ、あれっ!? どこ行ったの!?
隣の車内に視線を走らせているとガシッと肩を掴まれた。
「おい、撮られてるぞ。知り合いか!?」
「えっ!?」
そこにいたのは息を切らしたトウヤだった。
驚くリオの目の前で青い顔をしているシンを睨みつけている。周りの乗客たちがリオたちに注目していた。
「えっ、あの、撮られてるって」
「こいつ。スマホ見せろ」
「えっ、ちょっと、待ってトウヤ! 大丈夫、大丈夫だから。ね、シンくん」
慌ててトウヤとシンの間に入るとシンは泣きそうな顔になり、トウヤは目を見開いた。
「あ、ごめん、知り合いか。なんだ、オレ、てっきり」
「あ、ううん、あのね」
説明しようとすると発車の音楽が鳴る。
「ほんとごめん、騒がせた。遅刻するから、またな、リオ」
「トウヤ」
トウヤは走って電車を飛び降りた。
──トウヤ、私のことわかってたんだ。しかもわざわざ隣のホームから助けに来てくれた……!
リオはトウヤの後ろ姿を見送ってからシンに対峙する。周りの乗客たちはことの成り行きをさりげなく気にしているようだ。
──注目浴びてる。大事にしちゃいけない。
「シンくん、おはよ。ね、駅から学校まで一緒に行こうか」
「……ハイ」
そしてリオはポツポツと話すシンから、リオのことが好きで毎朝同じ電車に乗っていたことを聞かされた。
「えっ、じゃあわざわざ毎日私の最寄り駅まで来てたの?」
「ハイ。ゆっくりリオちゃん眺めたかったから。でもあの、ストーカーとかじゃないです。家までは行ってません。あの電車だけ、なんです……」
──すごい情熱的だあ。
外界のことなど何も興味が無いようなイメージだったのでリオは驚く。長い前髪で隠れた顔は赤くなっているようだった。
「あの、俺と付き合って貰えませんか」
「ごめんなさい、好きな人がいるの」
リオは反射的に答える。
「さっきの人ですよね」
「あ、うん……」
──ただ好きなだけだけど。
「なんか2人とも毎朝ちらちらお互い見てるから。知り合いなんだろうなって思ってました」
──え、そうなの!?
リオの心拍数が少し上がる。
「すいませんでした。もう付き纏いません。その、騒がないでくれて、ありがとうございました」
学校に着いたところでシンは頭を下げると中に入って行った。
「ごめん、シンくん。ありがとうね!」
リオは一息ついて、改めて先ほど会ったトウヤに想いを巡らせる。
──やっぱりトウヤだった。しかもずっと私のこと気付いてたんだ。でも。
リオは幸せそうな家族の光景を思い出す。
──懐かしくて見てただけだろうな。うん、そりゃそうだ。私だって思い出に浸って潤ってただけだもん。今のトウヤのこと何も知らないし、別に本気で好きってわけじゃ、ない……
◇◇◇
翌朝、リオは1本早い電車に乗って通過待ちの駅で下車し、トウヤが乗ってくる電車を待った。手には小さな紙袋に入った菓子を持っている。
──お礼言わなきゃ。トウヤの勘違いじゃなかったって説明したい。
リオの目の前に電車が滑り込んで来る。うるさい心臓をなんとか落ち着かせながら、リオはいつもトウヤが乗っている場所を覗き込んだ。
──いない……
そこには別の人が立っていて、リオはがっかりして踵を返し急ぎ足で自分の乗る電車へと向かった。
──まあ、寝坊したとかね、あるよね。うん。
「リオ!」
連絡通路を歩いていると向かいから歩いてきたトウヤが驚いた顔でリオを見ている。
「え、あれっ、なんでここに!?」
「リオこそ」
「あの、お礼言いたくて。トウヤの電車、待ってたんだけど」
「なに!? オレも謝ろうと思ってリオの電車待ってたんだ。あぶねー、すれ違うとこだった!」
トウヤは嬉しそうに笑う。
──だから、笑わないでってば!
「あの、昨日はありがとう。本当に助かったの」
「そうなのか? なら良かったけど。無駄に彼に恥かかせちゃったかと思った」
「ううん、大丈夫。あのね……」
「ごめん、オレ時間ギリギリなんだ。リオもまだ電車間に合うよな。また明日!」
トウヤは手を振ってあっさり走って行く。リオも慌てて走って扉が閉まる直前の電車に飛び乗った。
自分の動悸が走ったせいなのかトウヤに会ったせいなのかわからぬまま胸に手を当てる。
──あ、お菓子渡し忘れた。でも、また明日、って言ってた。
次の約束はしていないが、きっと会えるだろうとリオは確信していた。
◇◇◇
トウヤは扉が閉まる直前に電車に飛び込むと一息ついた。
──危ねっ。昨日遅刻したのに今日も遅れるわけにはいかん。
就業時間ギリギリなのにわざわざこの電車に乗っているのはトウヤも同じだった。
──今日も話せた。相変わらず可愛かった。
心の中でにんまりする。
トウヤがリオを好きになったのは中2になったばかりの親睦レクリエーションのときだった。
ドッジボールでリオを狙った瞬間、リオは大きく目を見開いてトウヤを見つめた。
──か、かわっ!! 当てられん!
トウヤは一瞬で狙いを変えた。リオはほっとしたようにトウヤに笑いかけた。
──なんだこの子。めっちゃ可愛いな!
しかし最後の1人になったリオはトウヤのチームメイト達に狙い撃ちされてあっという間に当てられてしまった。
──逆に怖い思いさせちゃったかな。
少し申し訳なく思いつつ用具を片付けていると、リオがさりげなく近付いてきた。
「トウヤくん、ありがとう」
小声で話しかけられてトウヤは驚いた。話すのは初めてだった。
「えっ、いや、フェイントかけただけだから!」
──本当は可愛くて当てられなかったんだけど。
「ふふ。そっか」
「でも最後残って逆に怖かっただろ。ごめん」
その言葉にリオは一瞬驚いた顔をする。
「大丈夫。嬉しかったよ。ありがとね」
リオはにこっと笑って去って行った。
──大人しそうに見えるのに、ちゃんとそういうの言える子なんだ。
そこから気になってトウヤはリオを注視するようになった。
リオはトウヤだけでなく誰にでも丁寧に接していた。隣のクラスの悪ガキと付き合っているという噂もあったが、見ている限りただの友達で甘い雰囲気は無い。しかしダイスケと"ただの友達"でいる女子はそれだけで一目置かれた。
──ダイスケにも普通の態度だ。あいつが悪くなりきれないのはリオがいるからじゃないのかな。
リオに声を掛けたい男はトウヤの他にも何人かいたようだったが、どうにもダイスケの存在がストッパーとなっていて皆クラスメイト以上に仲良くなることはできなかった。
トウヤはリオと時折目が合うたびに思い切り笑いかけてみた。するといつも恥ずかしそうに微笑み返され、すぐに視線を逸らされた。
──オレがずっと見てるってわかってるのかなあ。わかってて欲しいなあ。なんか目が合う回数、多い気がするんだけど。まさかリオもオレを……いや、まさかなっ!
そして何も出来ぬまま中2が終わろうとしていた。トウヤはクラス替えの前になんとかしてリオとの距離を縮めたかった。
そして。
──黒歴史だ……。
トウヤは今でも穴を掘って埋まりたくなる。
──あれからリオに悪すぎて話しかけることも出来なかった。なんとかして謝って今度こそリセットするんだ。今のリオをもっと知りたい。
昨日すぐにシンを庇ったリオを思い出す。10年経っても変わっていないリオの本質にトウヤは温かいきもちになった。
◇◇◇
翌朝、リオは色々と考えを巡らせた結果、素直にいつもの電車のいつもの場所に立った。
──これで良い気がする。アイコンタクトするくらいの距離感で。手話……は通じないか。ってか私もわからん。
これを機に勉強しよう、などと斜め上のことを考えていると隣に滑り込んできた電車にはトウヤが乗っていて、リオを見てすぐに笑顔になった。
そしてスマホを窓にベタっとくっつけ、にこにこと指差している。
──QRコード?
リオはハッと気づいてメッセージアプリを開く。友達追加の画面をトウヤに向けてQRコードを読み込むとすぐにトウヤが追加された。
──すごい、この距離でも読めた!
興奮して指でOKサインを作るとトウヤは小さくガッツポーズする。発車の音楽が鳴り始め、リオは笑ってトウヤに手を振った。
──なんて送ろう。
リオはウキウキしながらトーク画面を開いた。
◇◇◇
「おつかれ! ごめん、待った?」
週末、仕事帰りにリオは通過待ち駅の改札にいた。満面の笑みのトウヤがリオに向かって歩いてくる。
「大丈夫、時間ぴったりだよ」
改めてお礼がしたい、とリオが送るとトウヤは一言、"メシ!"と返してきた。
「あの、でも、本当にいいの? ご家族とか」
「いやオレ大人だし! メシくらい好きなとこで食えるよ」
「あ、そうだね」
小さい子もいて大変だろうに、優しい奥さんなんだなあ、とリオはぼんやり考える。高揚する気持ちはトウヤの家族のことを思うとすぐに落ち込んだが、それでも直接話せることが嬉しかった。
2人ともお酒が好きだとわかり、目に付いたカフェバーに入ると半個室のような席に通された。ふかふかのソファに身体が沈み込む。テーブルの上はキャンドルの炎が揺れていた。
「おおっ、雰囲気あるぅ」
「ご飯も美味しそうだよ。好きなもの頼んでね」
「大したことしてないのに悪いな」
「大したことだよ」
──10年前はあんなにぎこちなかったのに、今は自然に喋れる。お互い大人になったんだ。
「こうやって直に会えて話せて良かった。ずっとすれ違うだけかと思ってたからさ」
「QRコードは思いつかなかったよー。手話習おうかと思ってたもん」
「ははっ! どんだけすれ違い続けるつもりだったの」
再会を祝って乾杯してからリオはシンのことを説明した。
「それで赦したの?」
「え、うん。だって別に何もされてないもん」
「甘いなー! 本当に電車だけってことは無いと思うぞ!」
「そう、かもしれないけど」
リオはちょっと考える。
「未来ある若者だし。信じるよ」
「リオらしいな」
トウヤは笑う。
「中学のときもリオは皆に優しかったもんな。変わってないなあ」
「ええ、そう?」
「そうだよ。めちゃめちゃモテてただろ」
「それはトウヤでしょお! 私、誰にも告白なんてされなかったし」
クラスが離れてから廊下ですれ違うトウヤの周りには大体いつも女子がいた。目が合ったと感じることは何度もあったが、声をかける勇気はリオには無かった。
「ダイスケがいたからだろ。あいつと付き合ってるとみんな思ってたんだよ」
「なんてこった」
確かに高校でダイスケと離れてからはリオはちょいちょい男子に告白された。
ちなみにダイスケは早々にデキ婚している。
「オレにだってすげえ優しくて……」
言いかけてトウヤは頭を勢い良く下げる。
「ええと、今更だけど、あの時は本当にごめん!」
リオは慌てた。
「そっ、その話、するぅ!?」
「避けて通れません」
「そうだけど。覚えてたんだね」
「忘れられるわけないだろ! オレは思い出すたびに穴掘って埋まりたくなってたんだよ!」
「あらら。そんなにかあ」
照れたようにトウヤはグイッとビールを飲み干す。
「あれから全然話せなかったから。オレ、確実にリオに嫌われたと思ってた」
「ええっ、そんなことないよ!」
「だってキモかっただろ」
「そんなことないって。健康な証じゃん」
「健康……」
トウヤは吹き出す。
「やっぱり優しい」
「普通だって。でもどうしてあの時、その、急に」
「スカートの中、見えたんだよ」
「へっ!?」
「お前、短いスカート履いてたのに無防備すぎ。誘われてるのかと思った」
「ち、違う違う! そんなことしてない!」
「だよなー。でも、そうだったら良いなって思ってたんだ。好きだったから」
「え?」
トウヤは肘をついてじっとリオを見つめる。
「今も誘ってくれたら良いなって、思ってるけど」
「…………もう酔ってる?」
「……うん」
トウヤはリオが座るソファに移動すると視線を合わせたまま顔を近付ける。リオが嫌がらないのを確認すると目を閉じて甘く口付けた。
──わ……!
「…………ん、トウヤ、だめ……」
「だめ?」
「ダメだよぉ、だって、ん…………」
リオの形ばかりの抵抗はトウヤにすぐ抑えつけられた。
後頭部を掴みトウヤが再び熱く口付ける。
──だめ、だけど……
抱き合いしばらく吸い合った後に熱い息を吐きながらトウヤが囁いた。
「リオ、好き、ずっと好きだった」
「ほんと?」
「うん。あの日も、1日中リオと2人きりになりたくて、ずっと狙ってて」
「そうなの?」
「そうだよ」
「言ってよ……」
「言うつもりだったんだ。それなのにオレの馬鹿息子のせいで……!」
「ふふっ!」
──今日はあの日のやり直し。私たちは、10年前の恋をやり直すんだ。今日だけ。今日だけだよ。明日のことは、知らない……
「言って欲しかった。私も、好きだったの……」
「ま、マジ!?」
「マジだよ。同じクラスになってから、ずっと」
「オレは青春を無駄にした!」
「アハハ! ほんとだね。やり直そ……」
──ああ、好きじゃないなんて、嘘ばっかり。本当はずっとこうしたかった。ずっと繋がりたかった!
そして2人は夢中で互いを求め合った。
◇◇◇
──ああ、やってしまった。
リオがホテルで目覚めるとトウヤはまだ隣でぐっすりと寝ていた。
──思いっきり不倫だ。なんて言い訳しても、しちゃったものはどうにもならない。
手を伸ばしてスマホを掴むとリオはメッセージアプリを開く。
──夢だったと思うしかない。奥さんごめんなさい。どんなに好きでも、もうこれっきり。会うのも、これが最後。
「待て。なんでブロックしようとしてる!?」
いつの間にか目覚めていたらしいトウヤが後ろからリオのスマホを覗き込んでいる。
リオはトウヤに背中を向けたまま落ち着いて言う。
「もう会わないから」
「なんで!? ごめん、オレ、しつこすぎた!? つい夢中で……!」
必死で訴えるトウヤをリオは見ることが出来ない。
「それは私も同じだけど」
「じゃあなんで!」
「そんなの、当たり前じゃない!」
リオの目から涙が溢れる。
「奥さんも子供もいるくせにまだ会うなんて、酷すぎるでしょ! バカ!」
「え、は? え!? 待って待って、どこにいるの、それ」
「どこにって、貴方の家にいるんでしょ」
「いない、いない! オレの家にいるのは相変わらず父ちゃんと母ちゃんと妹だけだ!」
「嘘お……」
トウヤはリオの身体をぐるんと自分に向ける。
「リオ? なんでオレが結婚してると思った?」
リオはずずっと鼻をすする。
「電車の中で……抱っこしてたじゃん、子供」
「え、ええっと……? あ、あれか! あれ、会社の人の子供!」
「嘘。あれは親子の距離感だった」
「いやいやいや! オレ総務なんだけど、よく社内保育園に手伝いに行ってて! ただの仲良しだよ!」
トウヤは枕元のティッシュを数枚掴むとリオの顔を拭く。
「んうっ」
嗚咽を抑えられぬままリオはトウヤの顔を見る。トウヤは安心させるように笑った。
「あのね、オレは独り者で、3分だけでもリオを見たいがために就業時間ギリギリの電車に毎朝乗って、10年越しにようやく好きって言えたんだ」
「……ほんとに?」
リオの目から流れる涙にトウヤは口付ける。
「ほんと。不倫だと思ってたのに一緒に寝てくれたんだ? そんでこんなに泣いて」
「だ、だって」
リオは目を伏せる。
「私、不倫なんて絶対許せないって思ってたのに、簡単に流された。本当にダメだ」
「許せないのに寝ちゃったくらいオレを好きだってことで合ってる?」
満面の笑みでおでこをくっつけられてリオは赤くなる。
「……合ってる」
「オレと付き合って、リオ」
「ほんとに?」
「本気」
「嘘みたい……!」
「嘘じゃない」
トウヤは再びリオに口付ける。リオがトウヤの首に抱きつくとトウヤは全身を擦り付けて抱き締め返す。
「な、付き合お」
「……ん」
「なんでそんなテンション低いの」
「だって、夢みたいで」
リオはまだ涙目で茫然としている。
「そうかそうか。夢じゃないってわからせて欲しいんだな」
「…………っあ!」
そうして翌日には2人はすっかり甘々の恋人同士になっていた。
◇◇◇
ベッドの中でゴロゴロしながら2人は10年のブランクを埋めて行く。
「ずっと好きだったって、10年ずっと好きだったわけじゃないでしょ」
「え、まあ、そりゃ、もう会えないと思ってたし」
「ほら。調子いいことばっかり言っちゃダメだよ。彼女だっていたでしょ」
「そうだけど! すれ違った瞬間に一気に蘇ったんだ。ずっとずっとオレの中にリオは存在してたんだよ。朝に姿を見るだけで1日元気に働けた」
「あははっ! それは私も、同じだあ」
「まさかリオもオレに会いたくてあそこに乗ってたとはな。気付いてないと思ってたからすげえ見ちゃった」
「私、本当にトウヤか自信無かったから。違う人なのにジロジロ見たらヤバい人だなと思って、こっそり見るだけで満足してた」
「オレはリオだってすぐわかった」
「ごめんー。だってトウヤいつもすました顔してたから。笑ってくれたらすぐわかったのに」
「意識しすぎてどんな顔してたらいいのかわかんなかった」
「ふふっ。でも、トウヤがこんなカッコよくなってたら嬉しいなって思ってたんだ」
「マジか。良かった! な、これからは過去じゃなくて今のリオを好きになるから、もっと教えて」
「うん。トウヤもね」
そして2人はしばらく覚えたての手話で毎朝の3分間を愉しんだ。しかしあっという間に満足できなくなり、トウヤは1人暮らしのリオの家に棲みつき始めた。
すれ違い生活はあっさり終わったが、手話は2人で勉強中である。




