第二話 正しい家電の使い方
翌朝。
蝉が鳴き、朝日がレースカーテンを通して部屋に差し込む中、俺はソファの上でぐったりと目を覚ました。
画面の一部が割れてしまったスマートフォンに目をやる。時刻は午前10時半。
「……いっ、つつつ……」
身体のあちこちから悲鳴が聞こえる。
原因は明白、昨夜ぐちゃぐちゃになった部屋をやっとの事で片付け終えた後、召喚した悪魔にベッドを譲り、慣れないソファで眠った結果だ。
――そうだ。俺は悪魔を召喚した。
信じられない話だけれど、それは起こった。
俺は奇跡的に悪魔召喚を成功させたのだ。
目の前に現れたのは、透き通るパステルブルーの髪と山羊のような黄金の瞳を持った、綺麗な夢魔の少女。そんなフィクションから飛び出してきたかのような存在が、今この部屋にいる。
――はずなのだが、その少女が眠っているはずのベッドにはぐちゃぐちゃなままの毛布があるだけだった。
――ガゴンッ!ドガッ!
……なんだろう、洗面台の方から大きな音が聞こえてくる。
俺はバキバキの体に鞭を打って、異音がする洗面台へと向かう。
そこには、大きな音を立てながら揺れているドラム式洗濯機と、その前に屈んで中を覗き込んでいるリリィさんの姿があった。
「あら、おはよ」
「おはよう……あの、何をしてんの?」
俺は洗面所に響いている打撃音の元凶であろう悪魔に尋ねた。
「何って、洗ってんのよ。この白いハコってそのための道具でしょ?」
「まず何を入れたんだ?すっごい響いてるけど」
「ん、靴下と靴」
「……靴ゥ!?」
俺は悲鳴を上げている洗濯機を停止させ、ふたを開け放った。
――本当に、入ってた。しかも結構の高さがあるヒールサンダル。キラキラなラメ付き。
「メァ、何すんのよぉ」
慌ててヒールサンダルを救出した俺に、悪魔は不満げな眼差しを向ける。
「せっかく綺麗にしてたのに……」
「いや!これじゃキミの靴がダメになっちゃうだろ!?」
「だって、汚れついてたから……ついでにあそこの黒いハコ、電子レンジだっけ?あれで乾かせば早いかな〜って」
「電化製品に戦争でも仕掛けるつもり……?」
せっかく揃えた家電を、危うく壊滅させられるところだった。これは早いとこ家電の常識的な使い方を教える必要があるな……じゃなきゃ俺の部屋が壊れたモノであふれる未来が視える。
「使い方は俺が教えるから、それまでは絶対に触るなよ?絶対に」
「ンメェ……分かったわよ」
リリィさんはバツが悪そうにしゅん……とうなだれた。
「はぁ……不便ね、魔術が使えればこんな面倒なことしなくて済むのに」
「えっ?」
今、魔術って言ったか?
まあそうか、悪魔って魔術とかいかにも使いこなしてそうだもんな。
「凄いな!どんな魔術が使えるんだ?今は使えないのか?」
「やけに食いつくわね……誰かさんがしょーっぼい供物で召喚しちゃったせいで、魔術の行使は慎重に行わないとすぐに魔力が尽きちゃうの。残念でした〜」
「ゔっ、……その件は本当に申し訳ないと思ってる」
くっそ〜〜!本当に悪魔が呼べるって分かってたら貯金全部使ってでもガチもんのヤツ揃えたのに!
「……ううん、別にいいわよ。大した術が使えるわけでもないし、見ててもきっとつまんないわ」
リリィさんは洗濯機から自分のニーソックスを取り出しながら、自信なさげに言う。
「そうか?俺は興味あるからどんな魔術でも見てみたいし、使えるって時点で十分凄いと思うけどな。俺は使えないし」
「メァ、何言ってんのよ。アンタは悪魔召喚を成功させて、あたしを呼んだじゃない」
「あー……それは偶然というか奇跡で……俺の実力じゃないよ」
「そうかしら…………でもまぁ、ありがと」
「ちょ、待って。靴忘れてるって」
リリィさんは踵を返して、スタスタとリビングに戻っていった。
「はぁ、勝手だな……」
俺もヒールサンダルを持って後に続いた。
上機嫌に跳ねる尻尾を、眺めながら。
✴︎ ✴︎ ✴︎
リリィさんがやらかしたヒールサンダル洗濯事件から数時間後。
作り置きしていたカレーで昼を済ませた後、リリィさんと部屋にある家電の使い方をレクチャーしていた。
「洗濯機には基本靴は入れない。洗うならせめて手洗いな」
「メァーい」
俺も特別電化製品の扱いが得意というわけではないが、常識的な使い方を教える事はできる。
リリィさんは俺が渡したメモ帳とペンを使って、教えた事を真面目に書き留めていた。書かれているのは魔界の文字なのだろうか、俺には読めなかった。
「ちゃんと書いてる、偉いな」
「ンメェ〜……面倒くさいけど、早く人間界での生活に慣れなきゃだし……この、冷蔵庫ってやつには何入れていいの?」
「腐りやすい生ものとか冷凍食品とか……食べ物と飲み物だな。あと冷やしたいものとかも」
「へぇー!じゃあ服とか入れとけば着るときひんやりして気持ち良さそうじゃない?ひんやり〜っ」
「ダメでーす」
「ちぇーっ」
俺の説明にいちいち反応したり興味を示すリリィさんは、まるで異世界から来た子供のようだった。まぁ実際そのようなものだけど。
おかげで俺も楽しくなってきたし、リリィさんの可愛さというか純粋さに心が癒される感覚さえ覚え始めた。本当に悪魔なのだろうか?天使では?
「じゃあさじゃあさ〜」
リリィさんはピッと箱状の電化製品を尻尾の先で差す。
「この電子レンジは何者なのよ?なんで靴入れて乾かしちゃダメなわけ?」
「食べ物をチンしてあっためるやつだから。靴とか食べ物以外のもの入れるのは基本的にダメなんだよ」
「ふぅん……チン、ってなによ?」
「あぁ、それは……ここにダイヤルがあるだろ?この丸いやつ」
「うん」
「これをこうして……」
チンッ!
「こうじゃ」
「メァ~!ホントに『チン』って鳴ったー!やらせてやらせて!」
リリィさんは尻尾をぶんぶん振り、目を輝かせながら電子レンジのダイヤルに手を伸ばした。
チンッ!チンッ!
「わは~~……!」
チンッ!チンッ!チンッ!チンッ!
「チンチン楽しいわね!」
「うーんアウト」
なぜか電子レンジの『チン』をいたく気に入ってくれたみたいで、しばらくダイヤルから手を離さなかった。
光ったり鳴ったりするおもちゃとか好きそうだな〜とぼんやりと眺めながら思う。
「人間の道具っておもしろ!」
「そりゃ良かった。壊すなよ」
その後も部屋にある電化製品やら道具の使い方を教えつつ、リリィさんの反応を楽しんだ。
✴︎ ✴︎ ✴︎
その日の夕方。
俺は駅近くのショッピングモールへ買い物に出かけようとしていた。
さっき家電のレクチャーをしていた時、冷蔵庫の中身が水とかぴかぴになった白菜しかなかったからだ。それにリリィさんの日用品も揃えなきゃいけないし、ちょうどいい機会だろう。
彼女はというと、俺が実家から持ち込んできた家庭用ゲーム機を遊び倒していた。
「メァ……後ろから来る赤い甲羅、うっざいんだけど……!」
今は某レースゲームに夢中のようだ。
俺は玄関前でスニーカーに履き替えながら呼びかける。
「リリィさーん、俺買い物に行ってくるから留守番頼んでもいいかー?」
……シン、と部屋が静まり返った。
――直後、大きな足音を響かせながらリリィさんが玄関まですっ飛んできた。
「あたしを置いて行くつもり!?ついていくわ!」
まぁこうなるだろうとはなんとなく予想していた。
「おおう……まぁついてくるのは構わないんだけどさ」
しかし問題があるのだ。
俺はリリィさんを爪先から頭のてっぺんまで眺めた。
「……目立つ、ね」
「メェ?」
そう、この夢魔のビジュアルである。
肌の露出面積が多いのもあるが、それよりも。
「その……羽とか尻尾って隠せたりできないのか?」
明らかに人間からは生えてこないであろう夢魔の羽や尻尾が目立ちすぎる。
「メァ……あたしの羽はちっちゃいからたためば服の中にしまえるけど、尻尾はきびしーかも」
「そっか、うーん……服の方もどうにか……そうだ」
――数分後。
俺はクローゼットを開けて、夏物の服を物色していた。
「えっと……これなら女の子が着ても変じゃないよな……したら羽と尻尾、あーツノとかも……」
「ちょっとー、どうしたのよ?さっきからブツブツ……はやくいこーよー」
リリィさんが腕を組みながら不機嫌そうにボヤく。
「待って、今のままじゃマズいから。キミの”いろいろ”を隠すための服を探してんの」
「ふーん、つまりあたしのチャームポイントを他の人間に見せるのが嫌なんだ?」
悪魔はくすりと笑い、わざと小さな羽をパタパタとはためかせた。
「独占欲ってヤツ〜?あは、カワイイところあるじゃん」
「なんでそうなる?……はぁ、本物の悪魔がいるってバレたら大変なことなるだろ」
「バレたらどうなるのよ?」
「きっと政府の極秘施設に捕らえられて、研究材料として中身ほじくり出されるぜ」
「…………………………ぴぇ」
さっきまではためいてた羽が、乾いたスポンジのように萎縮してしまった。ちょっと怖がらせすぎたか。
「だからこうやって悪魔だってバレないようにすんの。……よし、これで行こう」
俺は買ったばかりの黒い半袖のパーカーとハーフパンツを取り出した。
「パーカーのフードでツノと耳、リリィさんにはオーバーサイズだろうから羽も違和感なくカバーできるはず」
「こ、こここれ着れば……つ、捕まらない?」
「ああ、多分な。とりあえず着てみてほしい」
「ンメェ……」
リリィさんは俺から服を受け取るや否や、その場で脱ぎ始めた。
(うぁ、ここで!?まずい……見える!)
俺は蹴られた石っころのような速さで反対の壁に向いた。後ろからは「パサッ」と衣類が床に落ちる音が聞こえる。
「き、着替え終わったら教えてくれ」
「なんでそっち向くのよ?見てれば分かるじゃない」
「いや、女の子が着替えてるとこ見るのはダメだろ、フツー……」
「ふぅーん」
部屋に響く衣擦れの音がいやに耳に残る。
パーカーを羽織る音、ハーフパンツを履く気配、「んしょっ」という小さな掛け声――どれもが、なんだかくすぐったいほどに女の子が“そこにいる”ことを感じさせた。
こんなことで一々ドギマギしている自分が情けなくなる。
やがて、「じゃーん♪」という声とともにリリィさんが俺の目の前に身を乗り出してきた。そこには――
「どう?似合うかしら」
黒パーカーのフードを目深に被って赤縁のメガネをかけた、カジュアルな姿のリリィさんがいた。
照れているのか、ほんのり頬を染めているのが妙にかわいい。
「メァ……ちょっと地味?」
「いや、いい。すごく似合ってる」
「そ、そんなに?」
「ああ」
オーバーサイズでぶかぶかなのだが、それが良いのだ。
リリィさんの人間離れした白い肌のコントラストと相まって、しばらく目を釘付けにされてしまっていた。
くーっそかーわいー。
「ち、直球じゃない……照れちゃうわ、メへ」
「サイコーだよ」
「へ、へへ、メへへへ」
照れ隠しなのだろうか、俺の背中を尻尾の先でぺっしぺっしと叩き始めた。
「いた、ちょ、痛いって」
「へへへぇ〜〜〜へ、浮かれて何も考えられないわ〜〜♡もっと褒めて♡褒めて♡」
「いってぇ!どんどん強くなってる……!」
「もっと〜もっと〜♡」
頬に手を当てながら強烈な猛攻を畳み掛けるリリィさんに、俺の声は届いていない。
ビュンビュンと照れ隠しアタックは速度を増してゆく。いやマジに痛え、ムチだこれ。風を切る音まで聞こえてきた。
「リリィさんっ!待って!落ち着い……て!」
凄い速度でしなる尻尾を、タイミングを見計らって掴み取った。
「ひゃう!?」
「はぁ、はぁ……やっと止まった」
リリィさんは我に返ったのか、フードで顔を隠してそっぽを向いてしまった。
「はしゃぎすぎたわ……ご、ごめんなさい」
「ふぅ……まぁ大丈夫だよ。てか尻尾って結構柔らかいんだな」
俺は好奇心の赴くままに、掴んだリリィさんの尻尾の感触を確かめていた。
小さく脈打っており、ほのかに暖かく、むにむにとした感触が癖になる。例えるなら硬めのグミのような感触……といえば伝わるだろうか。
「ん?なんか硬くなってきたな」
「ユ、ユウマ……あっ……それ以上、さわられたらぁ、んぅ……」
ふと横を見ると、床にペタンと座り込んだリリィさんが赤ら顔で息を荒くしている。
「尻尾、その……びんかん、だからぁ……んあっ♡」
――瞬間。リリィさんの身体が、びくんと、跳ねた。
「うぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
俺はすぐに尻尾から手を離し、全力で土下座をした。
「ごめん!デリケートな部分だとは知らずに……!」
「……えぇ?な、なんでアンタが謝るのよ……?」
「俺は……なんてことを……」
もしかして夢魔にとって尻尾ってすごく大事な……アレなころだったのか!?だとしたら俺はリリィさんにとんでもないコトをしてしまった……!
「……へへ、もぉ〜〜別に怒ってないから♡顔上げなさいって!」
「でも……」
「は・や・く!行くんでしょ、買い物に〜!」
俺はくすくすと笑うリリィさんに腕を引っ張られながら、なんとか立ち上がった。
「ほーら、行〜〜く〜〜わ〜〜よっ」
「わ、分かったって、そんな引っ張らなくても……」
なんやかんやありつつも、無事にリリィさんの変装を終えた俺達はショッピングモールへと向かった。
尻尾の件については「気になるならまた触らせてもいいわよ♡」と満更でもなさそうだった。