日常の終わりと夢の代償
学校。それは、私にとって“何も起こらない”場所だった。
ほんの数週間前までは──。
ほんの数週間前までは、私は学校に行ってちょっとしたバイトに行く。
帰ってお兄ちゃんがいないときは一人寂しくご飯を食べる。
寝る前に掲示板をチェックして、ベッドの中でケモメンに萌える。
ライブがある日は、楽しみで前の日はなかなか眠れず、当日は寝坊して遅刻しそうになる。
そんな、ただのファンだった。
本当に一般的なアイドル好きなただの高校生。
それがお兄ちゃんの一件があってから、マネージャーになった。
ケモメンのメンバーと普通に話すこともできた。
盛良くんの家にまであがりこみ、裸体さえ拝むことができたのだ。
なんていうか、それはもう夢の中のような出来事に思える。
普通の高校生がアイドルのマネージャーだなんて、まったく現実味がない。
夢だったほうがよかったのかもしれない……なんて、勝手に思ってしまうくらいには、私は混乱していた。
結成当時からずっと好きだったケモメンが解散になるきっかけを作ってしまった。
そんな罪を背負いながら生きるのは、正直つらい。
「はあ……」
昼休み。
私は咥えていた箸を置き、ほとんど手つかずのお弁当箱を閉じる。
まったく食欲がわかない。
女子にとっては嬉しいことなのかもしれないが、そんな嬉しさよりも腹の奥に溜まっている罪悪感のほうがつらいのだ。
「葵、最近どうしたの? ダイエットでもしてるの?」
「えー、必要ないじゃん。てか、逆に痩せすぎ」
「まあ、ちょっと色々あってさ」
私を心配してくれている方が美希で、冷やかしているのが沙也加だ。
「圭吾くんと望亜くんが熱愛してたのが発覚したとか?」
「いやいやいや。そういう腐女子が湧くようなことはそうそうないから」
美希の口ぶりはいつも冷静だけど、腐女子の妄想だけはフルスロットルだ。
沙也加の方はややぽっちゃり型のいわゆるギャルって感じだ。
髪も軽い赤が入った感じで染めてるし、バリバリ化粧もしている。
スカートも短めにして、胸元もかなりボタンを開けている。
最近は急に肌寒くなりつつあるのに、頑張ってるなぁって思う。
いつも、なんでモテないんだろうと悩んでいるようだ。
この2人の中に、アイドルオタクの私が入っている。
他から見たら、なんとも異色な3人組だろう。
「もしかして、圭吾くんと望亜くんが熱愛してたのが発覚したとか?」
「いやいやいや。そういう腐女子が湧くようなことはそうそうないから」
「そうだよ、美希! 大体、イケメン同士がくっ付くなんてそんな勿体ないこと、私が許さないから!」
「いや、沙也加が決めることじゃないから」
「けど、あれでしょ? リアルに盛良くんが恋人いたって話で、落ち込んでるんでしょ?」
「え?」
「沙也加、葵の推しは圭吾くんだから」
「あ、そっか」
美希も沙也加も私に毒されてか、すっかりケモメンに詳しくなってしまった。
まあ、あんだけ話題にしてれば、そうなるか。
私も美希の影響で腐女子業界に少し詳しくなっちゃってるし。
ただ、それよりも気になる発言があったけど。
「沙也加、どういうこと? 盛良くんに恋人って」
「あれ? ご存じない? SNSで若干、話題だよ。一緒に女の子と歩いてたって」
「残念。女の子なんだ」
「美希は腐女子世界から戻ってこい。……で、話は戻るけど家にまで行ってるとかなんとか」
「そ、それ、わたっ!」
「へ?」
「わ……わ~はぁ~」
「なんじゃそりゃ?」
危ない危ない。
当然だけど、私がマネージャーをしていることは2人には秘密にしてある。
というより、信じてもらえないだろうな。
「でも、それマネージャーなんじゃない? 確か、新人のマネージャーが付いたって話だったよね?」
「そうそう。そうだよ、それそれ!」
美希の話に乗っかる私。
っていうか、美希ってそこまでケモメンの情報通になっていたとは。
恐るべし。
「いや、違う違う。ほら、これだよ。全然、顔違うじゃん」
「……え?」
沙也加がスマホでSNSの画面を見せてくれた。
サングラスをかけた盛良くんと女の人が並んで歩いている写真だ。
確かに私じゃない。
盛良くんは楽しそうに笑っている。
なんていうか、私に見せるような揶揄うような笑顔じゃない。
……幸せそうな、そんな笑顔だ。
隣の女性は地味っていうよりは、清楚って感じの印象を受ける。
髪は肩までで綺麗に切りそろえられていて、体つきは華奢っていうところだろうか。
化粧気もなく、自然な感じの美人さん。
優しそうな笑顔だけど、どこか儚そうな感じだ。
誰だろう?
投稿されたSNSの日付は今日の11時。
ほんの1時間くらい前だ。
掲示板にも書かれていなかったから、本当にリアルタイムで撮られたものだろうか?
ヤバい。
それでなくても、スキャンダルは致命傷になりかねないのに、ここにあのネガティブな記事が出たら、もう終わりだ。
既に知ってる可能性が高いけど、麗香さんに相談しなくっちゃ。
「ごめん! 美希、沙也加! 私、体調悪いから早退する!」
机を叩いて勢いよく立ち上がる。
すぐに弁当をカバンに詰めてから、そのカバンを持って教室のドアに向ってダッシュ。
「凄い元気だな」
そんな沙也加の台詞は無視することにした。
校門から出て、小走りをしながらスマホを取り出して麗香さんに電話を掛ける。
すると、すぐに麗香さんが電話に出てくれた。
「あ、もしもし、麗香さんですか?」
「赤井ちゃん、私も今、電話しようと思ってたところなのよ。今から事務所に来れるかしら?」
「はい、今、向かってます。あれですよね? SNSの盛良くんのことですよね?」
「……何の話?」
「え? 違うんですか?」
「出たのよ、ついに。あのインタビュー記事が」
「……っ!」
その言葉を聞いて、一気に息が詰まる。
思わず立ち止まってしまった。
「それで、その……反応は……どう……ですか?」
「……最悪ね。とにかく、すぐにきてちょうだい」
電話が切れて、ツーツーツーという音が頭に響く。
一瞬にして頭の中が真っ白になった。
その後、なんとか事務所に辿り着くことができたが、その間の移動しているときの記憶はほとんどなかった。