僕はアース、マーズのきみとデートする
織姫と彦星が羨ましい――。
心底そう思う。
僕たちが会えるのは2年と2ヶ月に一回なのだから。
仕事の帰り、ふと空を見上げると、冬の澄み切った夜空に星々が満ちていた。
牡牛座に燦然と輝くアルデバラン、きらきらと瞬くプレアデス星団。
その左下に目をやると、オリオン座の星々がきらめいている。
今夜はベテルギウス星雲もはっきりと見える。
さらのその左には、冬の大円弧。
一等星オブ一等星シリウスから始まって、小犬座のプロキオン、双子座のポルックスとカストル。
そしてもう一つ、深紅に輝く星がすぐそばに寄り添い、双子座が今だけ三つ子座になっている。
火星だ。
そのひときわ明るい輝きは、地球との距離が近くなっている証し。
「ランデブーウィーク」が近づいているということだ。
もうすぐ彼女に会える。
火星への植民が開始されたのは、今から300年ほど前のこと。
テラフォーミングが進められてはいるが、今なお人類の棲息圏はドーム内に留まっている。
そして、現代の科学技術をもってしても、地球~火星間の接触は、二つの惑星が接近するごくわずかな期間に限られる。
火星の公転周期は687日で、地球のそれの二倍近くある。そして、地球は約780日ごとに火星に追いつき追い越していく。
この時の両星の距離は、火星の公転軌道が楕円形なこともあって、その時々により異なるのだが、おおよそ6千万km弱から1億km強。
両星間の航路が開かれるのは距離が最も近づくまでの数日間に限られ、通信ですら、両星の距離が2億kmを切っている間だけだ。
今回の通信解禁日はいよいよ明日。
僕は胸の高鳴りを抑えるのに苦労した。
僕、貝原稲穂がアセイラムと出会ったのは、10年と10ヶ月前のランデブーウィークのことだ。
当時中等学校二年生だった僕は、火星のエリトリア中等学校とのオンライン交流で研究発表をし合った。
エリトリア中を代表して発表したのがアセイラムで、研究自体も彼女が中心になって行ったと聞いている。
火星のテラフォーミングに用いられる苔についての研究発表はとても興味深い――と思っていたのは僕だけだったみたいだが――内容で、彼女の明朗でわかりやすい説明は深く印象に残った。
研究発表後の交流会で、僕も苔が好きだと伝えると、彼女はとても嬉しそうに微笑んでくれた。
僕が初等学校の時に家族旅行で「鎌倉杉」と呼ばれている樹齢2千年超えの巨樹を見に行き、一面苔に覆われた神秘的な光景に心打たれた話をした時の、アセイラムの瞳の輝きに勝る星のきらめきを、僕はいまだに見たことがない。
それ以来、僕たちは2年2ヶ月ごとにデートしてきた。
もちろんヴァーチャルでだ。
実際に会おうと思ったら、旅費が10万クレジットを超える。
大学院卒の僕の初任給が3千クレジットだと言えば、そのハードルの高さが理解してもらえることだろう。
おまけに、期間中に往復することもほぼ不可能。地球に帰って来ることができるのは次回のランデブーウィークということになってしまう。
超高出力レーザー通信を用いた星間ネットワーク上に設けられたヴァーチャル空間での、ささやかな逢瀬。
リアクションが返ってくるまで、時には20分以上のタイムラグが生じるやり取りであっても、アセイラムと過ごす時間はとても楽しい。
彼女もそう思っていてくれたら嬉しいのだけれど。
「浮かれてんねえ」
韻が半眼で僕を見ていた。
彼女とは家が近所で、初等学校以来の付き合いだ。
「アセイラムさんだって、恋人いるんじゃないの?」
そりゃあ仕方のないことだ。何億kmも離れていて、メッセージのやり取りすらままならない間柄では、お付き合いなんて出来るわけがない。
実際、前々回のデートの時には、彼氏がいるようなことをほのめかしていた。
一方僕だって、韻と友人以上の関係だった時期もある。
けれど、やっぱり僕はどうしようもなくアセイラムのことが好きなのだ。
韻には申し訳なく思っているけれど……。結局彼女は僕を見限って他の男と付き合い始め、現在同棲中だ。
なのに、事あるごとに僕にちょっかいをかけてくる。
「それはわかっているけどさ。前回約束してるから」
2年と2ヶ月後にまた会いましょう。
彼女はそう言ってくれた。
その時の気持ちが今も続いているかどうかはわからないけれど。
「ま、いいけどね。でも、火星行きの資金を貯めるってのはさすがにやりすぎじゃない?」
学生の頃からアルバイトで稼いでひたすら貯金し、現在8万クレジットほど貯まっている。
「別に、彼女に会いに行くわけじゃないよ。火星で働こうと思ってるだけで」
半分嘘だけれど、半分は本当だ。
火星では食糧増産がつねに最優先課題。僕が農学部の大学院で学んだ知識もきっと役に立つだろう。
「向こうに行って帰って来ないつもり?」
「そうなるだろうね」
僕がそう言うと、韻は寂しそうな表情を浮かべた。
おいおい。ラブラブな彼氏がいるんじゃないのかよ。
「あんたに未練はないけどさ。その間抜けな顔が見れなくなるのはちょっと寂しいなって思っただけよ」
そういうことにしておこう。
日付は変わって、通信解禁日初日。
僕は森の中のログハウス――もちろんヴァーチャルだ――で彼女を待っている。
火星では見ることができない、彼女のお気に入りの空間。
テーブルの上には、円筒形のビスキュイ枠の中にムースを詰め、フルーツを盛り合わせたシャルロットケーキ。
これは前回彼女に教えられたものだ。
火星でも各種フルーツの生産は軌道に乗ったそうで、このようなものも食べることができるようになったのだとか。
恥ずかしながら、僕はそれまで「シャルロット」というケーキを知らなかったのだけれど、調べてみたら近所のケーキ屋さんでも取り扱っていて、その後何度か買って食べている。
独り占めしたくなるくらいの美味しさだ。
「遅いな、アセイラム……」
これまでは必ず解禁日初日に姿を見せたのに。
一体どうしたんだろう。
結局、その日アセイラムは来なかった。
そして、その翌日も、さらに翌日も。
アセイラムは現れない。
携帯端末にメッセージを送ってもみたけれど、その返事も返って来ない。
僕のことを嫌いになってしまったんだろうか?
いや、それならばまだいい。
病気だったり事故だったり、何か彼女の身に起きているんじゃなかろうな。
心配でいても立ってもいられないけれど、僕にできることは何もない。彼女以外に火星人の知り合いもいないしな。
アセイラムと会えないまま、無情に日は過ぎて行き、火星との最接近日を過ぎて、今回のランデブーウィークも残すところあと3日。
会社からの帰り道、大円弧からはかなり外れてしまった赤い星を見上げる。
「イナホ!」
本当に、彼女の身に何かあったんじゃないだろうか。
「イナホ!」
こんなことなら、彼女以外の連絡先も把握しておけばよかった。
「イーナーホッ!!」
へっ!?
背後から何度も呼びかけられていたことに、ようやく気が付いた。
振り返ってみると、そこに立っていたのは、つややかな金色の髪の美人。
いやいやいや。こんなところにいるわけがないだろう。
これは幻覚か?
「イナホ! やっと会えた!」
そう叫んで、金髪の美女はキャリーバッグを放り出し、僕に抱きついてきた。
「えっ? アセイラム? 本当に?」
「うん。会いたかったよ、イナホ」
混乱する頭を落ち着かせ、彼女から話を聞く。
「あたしが就職した会社、テラフォーミングを手掛けてるんだけど、今回その技術を地球の環境再生に応用する事業を立ち上げたの。で、あたしも地球支社への赴任に手を挙げたってわけ。両親を説得するのには骨が折れたけどね」
本当はもっと早く地球に到着するはずが、手続きに手間取って、今回の最終便でようやく来ることができたのだそうだ。
マジか。じゃあ、これからは地球で一緒にいられるってこと?
「そうだよ。イナホには色々話したいことが山ほどあるんだから」
僕だってそうだよ。
とりあえず、明日は休みだから、地球の美味しいケーキ屋さんを紹介してあげよう。
僕の言葉に、彼女は満面の笑みを返してくれた。
――Fin.
地球と火星ということで、登場人物の名前は某量産機が最強なロボットアニメから拝借しました。
ヒロインに至ってはまんまだし。
各方面にごめんなさいm(_ _)m
ちなみに、アセイラムは2年2ヶ月前の時点ですでに彼氏とは別れています。