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第一日目 3節 銀狼隊の面々(ギルファス)(2)

   *   *   *


 軍隊が動き出した。

 先日、作戦はしっかり立ててあったので、皆自分の動きをわきまえており、混乱は一切起こらなかった。それはもし上から見ることができたなら、まるで草色の画布の上に描かれた整然とした美しい模様が、動き回っているように見えただろう。

 ギルファスの率いる銀狼隊は、軍の先頭にいた。彼らに課せられた任務は陽動である。一番目立つところで、敵の目をひきつけるのが役目だ。彼の体中に描かれた若草色の紋様は、浅黒く日焼けした肌と相まって、白い上着によく映えた。彼は体中に描かれた紋様以外は、他のものと同じような格好をしていた。この日のために作った真新しい真っ白な上着に、動きやすく丈夫な長ズボンだけという簡素な格好。大将のように純白のマントをつけているわけではなかったが、その模様のおかげで一目で銀狼と知れる。そして毎年の経験から言えば、銀狼のその紋様は、不思議に敵の目に入りやすい。媛を救出するために、野原の周りをぐるりと囲む廃墟や森の中をひそかに進んでいく隊から敵の目をそらすには、銀狼が陽動の役目を果たすのが一番効果的なのだった。

 自分で媛を助けにいけないのは少し不満だったが、ギルファスとて自分の役割はわきまえている。軍の先頭で自分が大暴れすればするほど、救出隊が無事に敵の本拠地までたどり着く可能性が高くなる。思う存分暴れられるという期待に、体中が沸き立つようだった。

 あの小高い丘は、両軍のちょうど中間ほどの場所にある。両軍が同じ速度で進めば、自然、その丘を登りきった辺りで敵と激突することになる。攻略のポイントは、単純に二つしかない。丘の上から敵を追い払うのがまず一点、そして丘の下から敵を排除するのが二点目。どちらが欠けても、完全に丘を攻略したことにはならない。

 ギルファスの正面に見えている丘が次第に近づいてくる。自然、早足は駆け足になった。丘を上り詰めた辺りで息切れしては話にならないし、ひとりだけで上っても意味がないので、それはどちらかと言えば緩やかな走りだった――しかし丘の向こうから東軍のあげる大声と、地面を踏みしだく足音が高まってくるにつれ、そして自分のすぐ後ろにいる銀狼隊をはじめとする西軍の一人一人が、押さえ切れない興奮の叫びを上げ始めるにつれ、どうにも我慢できなくなった。急になった斜面を全力で駆け上がっていく。自分の鼓動で、興奮の度合いを確かめる。興奮は頂点に達していたが、息切れはそれほどひどくない。このまま行こう、とギルファスは思った。頂上が見る見る近づいてくる。西軍の迂回部隊が丘の両脇を走り抜けていくのが目の隅に映る。飛び跳ねる視界が急に開けたとき、ギルファスは自分が一番に、頂上にたどり着いたことに気づいた。

 丘の上には、少しだけだが、平らな部分が広がっている。あちら側の斜面に東軍の足音が響いていたが、まだ頭は見えていない。彼は勢いを止めないままその平らな部分を突っ切った。すぐ後ろを仲間が走ってくるのが音でわかる。

 平らな部分はすぐに途切れた。彼が再び下降に向かう斜面の上に立ったとき、東軍の先鋒はすぐそこまで迫っていた――が、ギルファスの方が早かった。もう少しで上までたどり着くところだった東軍の兵士たち――見知った顔ばかりだ――がびっくりした顔でこちらを見上げている。そちらに意気揚々とニヤリとして見せてから、やわらかい草を踏みしめ、左手に握っていた棍棒を掴んで高々とさし上げて、ギルファスは叫んだ。

「西軍銀狼ギルファス、一番乗り!」

 わあッ――と西軍が歓声を上げる。東軍の兵士たちは銀狼がこんなところに現れたことで、非常に驚いたようである。今まで駆け上がってきたせっかくの勢いを、頂上の手前でとめてしまっている。あとはこいつらをここから蹴落とすだけだと気づいたギルファスは、それが本当に易しいことなのに気づいた。

 右脇にルーディが、左脇にマディルスが立って、こちらに視線を注いでいるのが感じられる。ギルファスはルーディにちらりと視線をやってから、上げていた右腕を振り下ろす。振り下ろしざま、自分でも気づかぬうちに、もう一度叫んでいた。

「命の要らない奴だけ、俺たちの前に残れ!」

「おお――!」

 周りの西軍全員が雄たけびを上げて、少し下にいる東軍に襲い掛かっていく。出鼻をくじかれた形の敵は、あっという間に総崩れとなった。丘の上だけを見れば、一方的な展開だった。東軍は初め、踏みとどまろうというそぶりを見せたものが数人はいたのだが、ほかならぬ銀狼隊の活躍によってその勇敢な数名が『切り殺され』てからは、すぐに戦意を喪失して、文字通り斜面を転がり落ちるようにして退却していく。今年の『宴』で初めての戦闘は、西軍の圧倒的な勝利に終わった。

 

「なんで銀狼がこんな前線にいるんだよ……」

 ギルファスのすぐそばで、ぶつぶつとつぶやいたものがいる。ギルファスよりひとつか二つ年上の、先ほど何とか踏みとどまろうとして切り殺された一人だ。彼は『討死』と目付に叫ばれてしまい、初日の、しかも午前中から『死者』となってしまったことをひどく残念がっているようだった。その気持ちはよくわかる――が、同情している場合ではない。丘の上から敵を一掃したものの、丘の下にはまだたくさんの東軍がいるのだ。

「うるさいな。死人は黙って死んでてよ」

 マディルスが生意気な口調で言った。彼は今せっせと地面に棍棒をつきたて、旗を突き刺すための準備をしているところだった。西軍の旗の中でも、とりわけ大きな一本が、程なくそこに突き立てられた。これを敵に奪われるまでは、ここは西軍の陣地になったのだ。

「銀狼ってのはさ、もうちょっと堂々と、後から出てくるもんじゃないのかよ」

 死者は不平を辞めない。周りにいる数名の死者もそうだそうだと口々に言った。死者は額につけていた青い鉢巻をはずし、代わりに黒い鉢巻を額に巻いている。青い鉢巻は戦利品として西軍のものになる。旗を立て終わったマディルスは、地面に放り出されていた数本の青い鉢巻を拾い集めながら、死者たちをにらんだ。

「うるさいなってば。今年の西軍銀狼隊は、今までとは一味違うんだよ」

 しかし死者たちは、マディルスのにらみにも一向に気にする様子がない。むしろ話しかけられるのが嬉しくてたまらないという風に、口々に言い募る。

「軽々しく動いて銀狼が死んだら、東軍の勝利が決まるんだぜ?」

「それだけ死なないって自信があるのか、ギルファス?」

「あーあ惜しかったな、今ので銀狼を倒せてたら、すごい手柄だったのに」

「だよなあ、そしたら銀狼がこんなところに出てくる愚かさってやつを思い知らせてやれたのになあ」

「うるさいってばもう!」

 マディルスが憤然と足を踏み鳴らすのを、苦笑して止めたのはウィルフレッドだった。

「マディ相手にすんなよ。死者の声なんだから、聞こえないふりしてればいいだろ」

「そうだそうだ。俺たちはもうこうやってぶつくさ言うしかやることがないんだからな」

「あーあ今年の『宴』も、後は寝るだけで終わりかあ」

「おお、せっかく死者になったんだから、呪いをかけてやるってのはどうだ?」

「いいなあそれ、やろうやろう。西軍銀狼に災いあれ~とか」

「お前は行く先々で食料に困ることになるだろう……」

「お前は行く先々で裏切りにあうことになるだろう……」

「死者の恨みを思い知れ~」

 口々に勝手なことを言っている。ギルファスは苦笑して、ルーディの方へ歩いていった。彼は丘の下で繰り広げられている熾烈な戦いにじっと目を注いでいる。

「どっちがいいかな」

 脇に立って問うと、ルーディはすぐに合点して応えた。

「南側だろうな。こっちの方が光がさしてて目立つだろう。それに北に比べると劣勢だ」

「よし」

 ギルファスは即座にうなずいた。自分の目から見ても、南側に介入するほうがよいように思える。西側、北側の大半、そして南側の半分ほどは既に西軍のものになっており、東軍は半ば逃げ腰になっていた。『討死!』と叫ぶ目付の声も、もっぱら東軍側に向けられている。それでもまだ総崩れにまで至っていないのは、東軍西守備隊の隊長が、上手く統制を取っているからのようだった。高いところから見るとそれがよくわかる。

「西守備隊の隊長はゴールディか……厄介だな」

 いつの間にそばに来ていたのか、ラムズがそういった。彼も同じ人物に目を留めていたようだ。ゴールディは丘の下、やや南よりの方向にいて、矢継ぎ早に兵士たちを鼓舞している。次第に彼を守る東軍の層が薄くなっていくにもかかわらず、果敢に踏みとどまっているため、前線に程近い場所に移動してしまっている。

「いけそうだな」

 ギルファスのつぶやきに、ラムズがこちらを見た。

「いけそう? お前……まさか」

「媛を救出するまでは、俺は目立たなきゃいけないんだ」

「って、お前! ゴールディを討ち取るつもりなのか?」

 後ろからウィルフレッドが肩を掴んだ。ギルファスは振り返って、わざと、眉を上げて見せた。

「そんなに驚くことか? やる価値はあると思うけど」

「そうだよ、昔語りで銀狼がやったみたいにさ!」

 すぐに賛同の声を上げたのは、言うまでもなくマディルスである。彼は今にも走り出しそうに、眼下のゴールディの方に足踏みをして見せた。

「行こうよ、面白そうだ。成功したらすごい手柄だぜ!」

「面白そう? 遊びじゃないんだぞ!」

 ウィルフレッドが苛立った声を上げる。マディルスが不満そうに、わかってるよぉ、と口を尖らせる。

「わかってるよ。でもゴールディを倒さなきゃ、東軍が盛り返すかもしれないし――」

「追撃の機を逃すな、というのは戦術の基本だ」

 意外にも、ルーディがマディルスに賛同する意見を出した。

「ここで言い争っていても仕方がない。こうしてるうちに機を逸するかもしれないし、それにどちらにせよ上から攻撃はするんだろう。そのついでにゴールディを狙ったって悪いことはないと思う。危なくなったら下がればいいし」

「倒さなくてもいいんだ」

 ギルファスは声を低めて言った。『死者』たちが耳をそばだてているのに気づいたからだ。彼らにはもはや何をする権利もないとわかっていたが、やっぱり落ち着かない。

「倒さなくてもいい――ああ、そうか」

 ラムズがにっこりした。ギルファスもそちらにうなずいてみせる。わかっていないらしいマディルスが不平を述べる前に、ギルファスは言葉を継いだ。

「とにかく東軍を混乱させなきゃいけない。それもあっちの、本陣にいる奴らの目を、こっちにひきつけなきゃ媛が危険だ」

「特に副将の目をね」

 ギルファスが言わなかったことを、ルーディが付け足した。

「グスタフの――目をねぇ」

 マディルスが意味ありげに言った。マディルスが、グスタフに対しそれほどいい感情を持っていないのは知っている。さらに言葉を続けようとしたマディルスを、ギルファスは手を振って、黙らせた。

「グスタフの悪口は聞きたくない。それより、俺は決めたけど。どうする?」

 その言葉に、即座にルーディがうなずく。ラムズも笑って、賛同の意を示した。マディルスはもとより賛成の意を示している。ウィルフレッドはまだ少し不安そうだったが、少しのためらいの後、うなずいた。

「今年はお前が銀狼だからな。俺は俺の仕事をするだけだ」

 ギルファスはうなずいた。『俺の仕事』というのが何なのかはっきりとはわからなかったが、今はそれを問いただしている暇はない。ゴールディは今や、丘のすぐ下まで来ていた――絶好のチャンスといえる。

 東軍の混乱を招くため。そして何よりグスタフの目をこちらにひきつけるために、ギルファスは棍棒を掲げ、大声で、叫んだ。

「目指すは敵将ゴールディの首! 警告! 西軍銀狼隊、宣戦――!」

 

 結果生じた混乱は、予想以上のものだった。

 東軍は、まさか銀狼が再び危ない橋を渡るとは、想像もしていなかったようである。三十代の半ばというベテランのゴールディも、一瞬動きを止めてしまったほどだった。その間に五人の銀狼隊はひとつの塊になって、東軍の只中に突っ込んでいく。

 ギルファスは、自分がどんなに危ないことをしているのか、よくわかっているつもりだった。この場でゴールディを討ち取ることによって生じるメリットよりも、銀狼が討ち取られてしまうデメリットの方がはるかに大きい。しかし、やらなければならない。グスタフの目をひきつけておくには、これくらいの危ない橋を渡らないといけない。ギルファスの中で、グスタフは、それほどに強大な存在なのだった。

「正気か――!?」

 ゴールディが叫ぶ。もちろん正気だ、と心の中でだけ返事をして、斜面を駆け下りてきた勢いそのままに、ギルファスは棍棒を振り下ろした。

 がつん、と強い手ごたえが棍棒に響く。

 むろん、ゴールディが自分の棍棒で受け止めた手ごたえだ。今の一撃くらいはじいてくれることはわかりきっている。

 ベテランのゴールディだからこそ、全力でぶつかることができるのだ。相手が自分より弱いとわかっている場合、相手に大怪我を負わせない配慮は不可欠である。この『宴』はあくまで擬似戦争であり、本当の戦ではないのだから。しかしゴールディのように、戦いになれた相手なら、思う存分暴れることができる。次の一撃を繰り出しながら、ギルファスは結構冷静に、そんなことを考えていた。周りには一切注意を払っていない――銀狼隊の面々が、ギルファスの周囲を守ってくれている。一番小柄なマディルスも、戦いにおいては信頼できる味方だった。

 二合、三合と打ち合わせるうちに、ゴールディも体勢を立て直したようだ。こちらの棍棒に伝わる衝撃が、一合ごとに強く、力強さを取り戻して行く。しかし周囲で、今まで攻めあぐねていた西軍が勢いを取り戻したのが感じられた。目付の声が一段と高くなり、次々と『戦死』を宣言していく。頭の片隅で聞いていただけだが、そこで呼ばれる名前がほとんど東軍のものであることがわかった。東軍は今や総崩れとなっていた。ゴールディの顔が悔しげにゆがむ。

「くそっ――引け! 退却だ!」

 将の許可を得て、それを待ち構えていたかのように、東軍は退却を始めた。銅鑼がせわしないリズムで打ち鳴らされる。皆、一日目に戦死するのは極力避けたい。その心理は東軍の逃げ足に拍車をかけた。これが三日目だったら、崩すのにしばらくかかったかもしれないな、とギルファスは思う。

 と。

 死角からすさまじい勢いで繰り出された一撃を、反射的に身をひねってよけた。右のわき腹のすぐそばを、棍棒が薙いで行く。一瞬体勢を崩した。その隙に逃げられるかと思ったのだが、ゴールディは逃げなかった。彼のそばに踏みとどまった何名かが『戦死』し、今やゴールディはただ一人で西軍の中に立っていた。その目は興奮をたたえて、ぎらぎらと光っている。

 飛び退って間合いを取ったギルファスは、息を整えながら尋ねた。

「逃げないのか?」

「逃げない。東軍のゴールディはここで『戦死』する。西軍銀狼を道連れにできるなら、誰もがうらやむ華々しい戦死ってやつだ!」

 言って、ゴールディは右手で握った棍棒を、目の前で斜めに掲げた。一騎打ちの誘いである。今や二人は西軍兵士たちに周りをぐるりと取り囲まれて、にらみ合っていた。ウィルフレッドがすぐ脇で、言う。

「誘いに乗るなよ。お前は銀狼の役目を十分に果たしたんだ」

「そうだよ。戦わなくたってゴールディは戦死か捕虜だ。負けたら元も子もないぜ」

 口を出したのはマディルスだろうか。ゴールディは姿勢を崩さぬまま、笑みを漏らした。お前がどうするのか、俺は良く知っているぞ――と語りかけてくる、微笑み。

「銀狼が、一騎打ちを挑まれて、逃げるわけには行かないよな?」

 体格の差は歴然としている。ゴールディは見事に鍛えられた、成熟した体つきをしていたが、ギルファスはまだ成長の途中で背も伸びきっていないし、横幅も十分でない。棍棒による戦い方も、ゴールディの方がよく知っている。しかし――ギルファスは唇を舐めた――しかし、そう、逃げるわけには行かないじゃないか?

 ギルファスは右手に持った棍棒を目の前で、ゴールディの棍棒と対角になるように、構えた。

 周囲を取り巻く西軍がどよめきをあげる。

 ゴールディの晴れ晴れとした笑みが脳裏に焼きつく。

 グスタフは副将になった。そしてシャティアーナは媛の自力脱出という、前代未聞の難事業を成し遂げようとしている。それならば。一騎打ちでゴールディを倒すくらいのことは、やってみせなきゃならないじゃないか?

「それでこそ銀狼だ。――骨は拾ってやる!」

「それはこっちの台詞だ!」

 二人の構えた棍棒が、高らかな音とともに打ち合わされた。

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