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第三日目 5節「決着」(ギルファス)(5)

  *   *   *


 さあっ――と、風が吹いた。

 ラムズの頭上を月光がかすめて、また雲の中に消えていく。

 ギルファスたちと別れて走り出して少し。ラムズは一人で走っていた。暗闇の中を走るのは得手ではなかった――まあ幼い頃のアイミネアほど苦手ではないが、ギルファスほどに得意というわけでもない。今彼は小高い丘の南側を走っていた。この辺りは障害物が何もないから、夜目の利かない自分でも、難なく走ることができる。

 ルーディはどこまで行っただろう、とラムズは思った。

 二人の任務はできるだけ速やかに、西軍に情報を伝えることだ。ルーディはラムズよりも足が速いから、もうそろそろ初めの駐屯部隊に出会った頃だろうか。

 鏑矢を撃てないのがまどろっこしい。

 東軍が焦って攻撃を開始する恐れさえなければ、頭上に向けて鏑矢を放つだけで、すぐにでもギルファスを助けに戻れるのに。あの小柄な少女のことだって、助け出すことができるかもしれないのに。

 再び、風が吹いた。

 再び、月が雲から姿を見せる。

 そしてラムズは、その月の光に照らされて、自分の目の前に人影が飛び出してきたのに驚いた。

 ――な……!?

 月光に照らされたその人物の顔を見て、ラムズはたたらを踏んだ。

 今まで走っていた勢いを急に殺したために、足の下で草がちぎれる音が聞こえる。

 襲い掛からずに済んだのは、丁度良いタイミングで姿を見せた月のおかげだった。

 なぜこいつがここにいるのだ、とラムズはまじまじとその人物を見つめた。彼は棍棒を抜いていた。ラムズは自然に、彼もラムズを敵だと勘違いしたのだろうと思った。良く考えれば、あちらに向かっていたはずの少年が、なぜこんなところにいるのかと、いぶかしがらなければならなかったのに。

「ああ……吃驚した。どうしたんだよ」

 ラムズは呟き……呟きながら、次第に不安になる。

 彼は、何も言わなかった。ただ黙っていた。棍棒を収めもしない。

 月が、また、雲に隠れる。

 辺りに、闇が落ちてくる。

 その隙を突くようにして、彼が、走り出した。

 こちらへ向けて。

 ――!?

 闇の中で一際濃いその姿がぶれて見え、ラムズはとっさに棍棒を跳ね上げていた。がしん、と、自分の棍棒に彼の振り下ろした棍棒がはじかれた。その鈍い感触が手に伝わって、ラムズはようやく仰天した。

 ――攻撃を……何で、俺に?

「ルーディ!」

 自分でも意識しない間に、彼の名を呼んでいたらしい。

 もう一撃、今度は下からすくい上げるように放たれたルーディの攻撃を、大きく下がって受け流す。何か言ってくれ、とラムズは思った。お前か――お前が、スパイ、だったのか?

 ……ルーディ、が?

 何故。何故だ。疑問符が、ぐるぐると頭の中で空回りした。いや、『何故だ』と思うのは、もしかしたら自分の甘えかもしれない、スパイとは裏切るために敵陣に潜入しているものなのだから。むしろスパイとしての仕事を全うしないことが、『裏切り』と見なされる立場なのだから。でも――何故だ、と問わずにはいられない。今年の西軍銀狼隊の中にもしもスパイがいたとしても、そのスパイはギルファスを裏切らないだろうと。漠然と、そんな期待を抱いていた。スパイとしての仕事を放棄してでも、一緒に戦ってくれるものだと。

「ごめんな、……ラムズ」

 ルーディのかすれた声が、ようやく耳に届く。

 それよりもはるかに大きな音を立てて、ルーディの棍棒が襲い掛かってくる。

「――ゴードに、知らせるわけにはいかないんだ」

 さあっ――と、風が吹いて。

 再び、月が二人を照らす。

 月の光に照らされたルーディの顔は、泣き出しそうにゆがんでいた。


  *   *   *


 絶え間なく続く乾いた音は、棍棒の音だ。

 リズミカルな音の勢いは、衰えることもなく響き渡る。

 風がカーラのマントを揺らし、髪を結い上げているためむき出しになった首元を涼やかになでていく。その風が時折東の空の雲を散らし、そこから、ほとんど膨らんだ白い月が姿を見せる。月が気まぐれに照らす二人の男は、しかし自分たちの上に月の光が降り注いでいることになど、気づきもしないようだった。

 ガスタールも。ゴードも。心底楽しそうに、戦いを続けている。

 あの二人のこんな様子を見るのは、一体何年ぶりだろうか。

 ――ずいぶん長いこと、こうして皆で、一緒に。『宴』に参加してきたけれど。

 カーラは、二人の戦いぶりを見ながら、目を細める。

 ――もうすぐ、それも終わりだ。

 ふと気がつくと、もう、『宴』に生者として参加できる日々は、本当に残り少ない。

 こうして『宴』に、皆で。敵になったり、味方になったりしながらも。自分の実力を確かめて、自分の無力を思い知らされて、思うように行かない『宴』の帰趨に涙したりも、して。

 でも。三日目になると、いつも思う。

 ああ、今年も楽しかった、と。

 皆と一緒に戦えて、本当に楽しかった、と。

 

 ふと。

 さあっ――と、風が吹いた。その風に乗って何か、違和感を誘う音が聞こえたような気がして、カーラは一騎打ちから目を外した。

 ――何かしら?

 虚空に目を凝らして、耳を澄ます。それは甲高い少女の声に聞こえた。少女、それも数人が、何か切羽詰ったように言葉を交わしているような。

 でも風が途絶えるとともにその声も聞こえなくなって、周囲に再び、ゴードとガスタールの立てる棍棒の音が満ちた。空耳……だったの、だろうか。カーラは辺りを見回した。自分の他に、あの声に気づいたものはいないだろうか。

 カーラの周りの兵士たちは、皆魅入られたように一騎打ちに見入っている。

 誰もあの音に気づかなかったのだろうか――

 それとも、空耳だったのだろうか。

 アイミネアが傍にいないのが悔やまれた。あの子の地獄耳なら、あの物音が本当に起こっていたなら、絶対に聞き逃さなかったに違いないのに。

 ――媛が……

 再び風が吹いて。その風が音を運んできて、カーラは今度こそ、顔を上げた。

 ――ライラが、どこにも……

「カーラ!」

 マントを引かれて、カーラは振り返った。後ろに立っていた兵士が館の方に目を向けながら、カーラのマントを引っ張ったのだ。カーラは自分よりも背の高いその兵士を見上げた。

「聞こえた?」

「館の方から。媛が、いなくなった、とか」

「ライラが!」

 周囲を固めている兵士たちにも聞こえていたのだろう。彼らが浮き足立つのを、しかしカーラは手を振って制した。

「二人の邪魔はしたくない。三人、一緒に来い。様子だけ先に」

「はい!」

 いつもカーラの傍につき従っていた兵士が三人、はじかれたように返事をする。カーラはゴードとガスタールの邪魔にならないよう、少し離れたところを館に向かって走り出しながら、背筋が粟立つような感触を覚えていた。

 ――媛が、いなくなった?

 問題は、しかしそこではなかった。

 ――媛がいなくなったというのに、……この館の静まり具合は、何だ?

 まるで……もぬけの殻、のような。

 程なく、館の中に走りこむ。先ほどまで――ここで、ゴードとガスタールの一騎打ちを見守っていた少女たちの存在に、カーラはだいぶ前から気づいていた。しかし今は、崩れたホールの中には誰もいない。けれど、

「どこに行っちゃったの……!?」

 頭上から声が聞こえてきて、カーラはホールの中を仰ぎ見た。廊下には松明が掲げられていて、そこに佇む少女たちの影を落としていた。少女たちは四人、いた。四人の少女たちは二階の廊下の真ん中で慌てたように言葉を交わしていた。先ほど外に漏れ聞こえてきた声は彼女たちの立てた声だったのだろう。しかし彼女たちは、カーラが駆け込んできたのに気づくと、悲鳴のような声を上げて一番手近な部屋の中に駆け込んでいく。

 けれど、それだけの騒ぎが起こったというのに、他の部屋から兵士たちが駆け出してくる気配はない。

「カーラ――」

「扉を」

 慌てたような兵士の声にそう答え、カーラは棍棒で正面の扉を指した。アイミネアの言によれば、あの正面の扉こそ、会議の行われていた大広間の入り口に違いない。三人が足音も高く扉に駆け寄っていく。カーラはホールの真ん中で、耳を澄ませた。彼らの立てる物音に、東軍兵士たちがほんのわずかにでも反応を示さないかと、期待して。

 大きな音を立てて、扉が開かれる。

「誰も――いません!」

「隣も」

「明かりはついているのに」

 三人が大きな声で言いながら、次々と扉を暴いていく。

 しかし、それだけの騒ぎを起こしても――やはり、誰も、出てこない。

 カーラの頭の中で、何かがカチカチと音を立てて組みあがっていく。

 いつ抜け出したのかとか、どうやって抜け出したのかとか。そのようなことはどうでも良かった。

「戻るぞ」

 再び顔を見せた兵士たちにそう鋭い声をかけ、カーラはきびすを返してホールを駆け抜ける。暗い館から出ると、外には月光が溢れていた。その中で、ガスタールが一瞬だけこちらを振り向き、ニヤリ、と笑みを見せる。

 ――全くもう、一筋縄でいかないのは昔からだわ!

 内心で毒づきながら、カーラは叫んだ。

「ゴード! 媛が危険だ!」


  *   *   *


 あれは、一日目のことだった。

 ゴルゴンは、ギルファスの襟元を掴んで締め上げながらも、沸き立つような頭のどこかで考えていた。

 あの時、まだライラが捕まったままだったから、ゴルゴンは当然のことながら後方にいた。そう、それは当然のことだった。誰もゴルゴンに前線に出ることを望まなかったし、ゴルゴン自身も、考えもしていなかった。媛がまだ捕まっているうちから、前に出て無茶をする銀狼がどこにいると言うのだ?

 けれど……その『誰も考えもしなかったこと』を平然としてのけたギルファスが、東軍の驚愕を蹴散らすようにして、小高い丘を取ったのだ。

 小高い丘は西軍に取られた。一日目の、そしてそれに続く『宴』の形勢が決まったのはあの瞬間だった。いや、決めたのだ。ギルファスが。こいつが。目の前にいる、この男が。

 思えばあのときから、ゴルゴンはギルファスに負け続けていたのだ。

 そして、ギルファスの勢いはそれだけでは止まらなかった。

 ゴルゴンは館のすぐそばで、その一部始終を見ていた。全てが呆れるほどに良く見えた。小高い丘の上で、棍棒を掲げたギルファスの姿。ためらいもなく、再び、乱戦の最中へ、ゴールディの目の前へ、駆け下りていったこいつの姿。

 どうして、一瞬もためらわないのだろう。

 ゴールディとの一騎打ちは、それでも簡単には決まらなかった。当たり前だ。ゴールディのような男に、体格でも、腕でも、経験でも負けていることなんてわかりきっているだろうに。ギルファスは誰もが尻込みするようなその一騎打ちを受けてのけ、そして――ゴールディは、引いたのだ。

 ゴールディが!

 あのゴールディが、決着をつける前に引いたと聞いたときには、息が止まるかと思った。それが指す事実なんてわかりきっている。『宴』は本当の戦闘ではない。故に、相手を殺してしまうわけには行かない。だからこそゴールディは引いたのである。あのまま戦い続けていたら、本当の底力を出して本気で立ち向かわねばならないと、それでは『宴』の一線を越えてしまうかもしれないと、ゴールディが認めたということなのに。

 ギルファスはその事実に、ゴールディの危惧に、気づきすらしなかった。

 それこそが、こいつが憎い理由なのだと思う。

 二日目にギルファスと、一騎打ちをしたときにもそうだった。あの時、俺はどんな表情をしていただろうか。我を忘れてシャティアーナを追いかけ、その鉢巻を手中にする前に、周りのやつらに引き戻された。もう少しで目的にたどり着く直前でそれを諦め、銀狼なのだから仕方ないと自分を何とか納得させ――そのときに目の前に立ちふさがったのは、こいつだった。

 同じ銀狼なのに。

 そしてルーディが、言っていた。

「だってうちの銀狼、言っても聞かねえんだもん」

 あのときルーディは、笑っていなかったか。ラムズも。そしてあのマディルスでさえも。ギルファスのためにならその危険を意にも介さず、ギルファスの周囲を固めていた。自然だった。ギルファスにとっても、そして周りの奴らにとっても、あそこに踏みとどまることは、ごく自然なことだったのだ。

 そしてこいつは、その意味に気づきすらもせずに、いつかシャティアーナを手に入れる。

 好きでもない癖に。

 許婚だと言うだけで。

 それが許せない。

 

 ギルファスの首を締め上げていたのは、それでも一瞬のことだったのだろうと思う。

 左手に鋭い痛みが走った。ギルファスがこちらの手首に爪を立てたのだ。一瞬ひるんだ隙に、鋭い蹴りが飛んできた。鳩尾に入りそうだったその蹴りを何とか避けた瞬間に、腕が、緩んだ。

 ふ、と両腕から重みが消える。ギルファスは地面に投げ出されたが、咳き込みながらも飛び退った。ゴルゴンは素直に感心した。相変わらず身の軽い奴だ。

 でも、逃がすものか。

 自分が何を望んでいるのか、ゴルゴンにはもはやよくわからなかった。でも、このままにしてはおけなかった。昨日の昼間に、ギルファスと対峙したときに。いや、ギルファスが自分の前に立ちふさがったときにだ。屈辱を隠そうと激情を取り繕って恫喝した自分の声に、ギルファスの返した言葉は平然としたものだった。まるでゴルゴンの存在など気にも留めていないというように。

 弱い犬ほどよく吠える、と言ったのは誰だったか。

 思い出すだけで、はらわたが煮えそうになる。

 ゴルゴンの前に立ちふさがって、後ろから東軍に攻められても。挟み撃ちにされて、今にも『戦死』するかもしれなかったのに。動揺も見せないこいつが憎い。

 ぎり、と奥歯をかみ締めた瞬間に、ギルファスの声が割り込んだ。

「何で……お前が俺を、そんなに憎むのか、わからないけど」

 まだ咳き込んでいるために、声はかすれている。でも、と、ギルファスは続けた。

「でも、ここを通すわけにはいかないんだ」

 ――え?

 ゴルゴンは、一瞬、ぽかんとした。

 激情のために紅い幕がかかっているように見えていた視界が、その一瞬の空隙によってさっと開けた。荒い息を吐くギルファスの、苦しそうな顔がよく見える。月だ、とゴルゴンは場違いなことを考えた。

 月が、出ている。

 その白い光に照らされて、ギルファスはこちらを睨みつけていた。

 こいつは何を言ってるんだろう、とゴルゴンは思った。今の立場から言えば、ギルファスはあの小屋を目指していたはずで――シャティアーナが出てきたのを見ただろうから、なおのこと、あちらに向かいたいはずなのだ。普通に考えれば、ギルファスの言葉を言うべきなのは俺の方ではないのか?

 ギルファスの眼光に射抜かれたように、ゴルゴンはまじまじとギルファスを見つめた。

 こいつのこんな顔を見たのは初めてかもしれない、と思った。

 こいつにしては珍しく息が上がっている。そのせいだろうか。

 こんなに必死に見えるのは。

「シャティの邪魔はさせない」

 棍棒を構えて、ゆっくりと、宣言する。

 声音はあまりにも、鋭い。ギルファスの宣言の鋭さは、その苛烈さとは裏腹に、ゴルゴンの張り詰めていた四肢から力を抜いた。

 ――なあんだ……馬鹿馬鹿しい。

 あまりにもいきなり気が抜けて、何だか笑い出しそうになった。

 ゴルゴンが力を抜いたのを見て、ギルファスが怪訝そうな顔をする。何だよ、とでも言おうとしたのだろうか、ギルファスの口が開きかけ。

 そして、その横顔を、オレンジ色の光が照らした。

「ギルファス……」

 グスタフの、普段と変わらぬ平静な声がする。

 二人の銀狼の立てる騒ぎに気がついたのだろう。いつの間にか、東軍の兵士たちが周囲を取り囲んでいたのだった。

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