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第二日目 4節「一騎打ち」(ギルファス)(2)


 

 森を走る内、他にも西軍の兵士たちが、ゴルゴンらを包囲するべく走っていくのが見え、ギルファスはつられるように足を速めた。包囲が完成する前にゴルゴンに逃げられてしまっては元も子もないし、いつまでもシャティアーナを危険にさらしたままでいたくなかった。ギルファスたちも、包囲網の一端を担うようにと指示されていた。それも、包囲網の完成する直前に配置につくようにと。タイミングが大事だとカーラに言われた。ギルファスたちが到着するタイミングがまずければ、ゴルゴンを逃がしてしまう恐れがあると。

 包囲網の完成する直前に。

 ぽっかりと空いている、包囲網の穴をふさぐように。

 それはとりもなおさず、ゴルゴンの行く手に立ちふさがるということであり、……東軍に背中を向けてゴルゴンに対峙するということであった。

 ――信頼、なんだろうか。

 棍棒を握る右手に力をこめて、ギルファスは少しずつ見えてきた西軍兵士たちの背を右手にしつつ、包囲網の穴を目指して走る。

 ――ゴルゴンを前に、そしてグスタフを背にして、俺が怖気づくとは思わないんだろうか。

 西軍銀狼隊はゴルゴンたちの行く手を阻み、包囲網が完全に彼らを取り込むまで、そこに立ちふさがっていなければならない。包囲網が完成する前に、グスタフたちがゴルゴンを救出するために駆けつけてきたら、ギルファスたちは背中に東軍の攻撃を受けることになるのだ。そも、こんな少ない人数で、ゴルゴンの逃走を阻むことなどできるだろうか――

 こんな少ない人数で、こんな広い場所に包囲網を展開するなんて、滅茶苦茶としか思えなかった。

 そしてその滅茶苦茶な計画の、要とも言える場所に、ギルファスは今向かおうとしている。

 ――逃げ出さずにいられるだろうか。

 それが、何よりも不安だった。

 もちろん、逃げ出すつもりなど微塵もない。でも……足が震えるかもしれない、動けなくなるかもしれない、ゴルゴンとグスタフにはさまれて、何もできずに『戦死』するかもしれない。

 銀狼として無様な姿をさらしてしまうかもしれないのに。

 高いところに立って、足が震えるやつがいる。

 どんなになだめすかしても、暗闇の中に出て行けない子供がいる。

 それは本人にはどうしようもない、意志の力などでは抑えられない、その心の根幹に根ざす衝動的なものだそうで。

 ――ゴルゴンとグスタフにはさまれたときに、俺が立ちすくまずにいられる保証がどこにある?

「早すぎる」

 木々の間を抜けながら、後ろでラムズが言った。

「まだ袋に入ってない。もう少し待ったほうがいい」

 ギルファスは少し足を緩め、後ろを振り返った。森の中で、前を見なくても走れるのはギルファスの得意技だった。

 ラムズは右手の、包囲網の中心あたりを見据えている。

「そのタイミングって、どうやって計るのかな」

 訊ねるとラムズはこちらを見た。目が悪戯っぽく光っている。

「早すぎるよりは、遅いほうがいいだろうな」

「なんで? 遅かったら逃げられるじゃないか」

「遅すぎたらな。だいたい逃げられるのは当たり前だと思わないか? あんな人数で、こんな広い場所を包囲してるんだぜ。穴だらけじゃないか。ゴルゴンが包囲に気づいて、逃げようとしたらまず間違いなく抜けられるだろうな」

 やっぱり。

 ギルファスはラムズの批評に、内心でうなずいた。こんな人数で包囲など出来るはずがない、と誰でも思うだろう。しかしわからないのは、ゴードともあろう者がこの計画を指示していて……そしてギルファス以外の誰一人として、反対意見を唱えなかったことだ。

 ラムズもだ。とギルファスは、隣を進むラムズをまじまじと見つめた。こんな計画は無理だと言いながら、それでも自信たっぷりに、計画を支えるために動こうとしている。と、ラムズがニヤリとした。

「大丈夫だよ。お前が行けば、ゴルゴンは絶対逃げ出さない」

「……え?」

「シャティはゴルゴンをあそこにおびき出すための囮で、お前はゴルゴンを、あそこにつなぎとめておくための囮なんだ。たとえ包囲網からゴルゴンが逃げ出しても、お前が奴の前に姿を現せば、駆け戻ってくるね。賭けてもいい」

 そう踏んだからこそ、ゴードはシャティにあんな役をさせたんだよ。

 ラムズがそう言ったとき、右手に、ゴルゴンの姿が見えた。


  *   *   *


 ゴルゴンは東軍銀狼隊と一緒に、西に向かって前進しているところだった。そして彼らの向こうにはシャティアーナら媛隊がいるのだろう。包囲網はまだ動き始めていない。シャティアーナたちの姿は見えないが、危険な状態にあることは、間違いなかった。

 ギルファスは足を速めた。ラムズの静止の声は、今度は放たれなかった。

 見る見るうちに、視界が開けてくる。

 ゴルゴンたちは、周りを木立に囲まれた、林の中の広場のような場所へ、自然に誘い込まれている。

 ギルファスは視線をずらして、東軍の方を見た。小高い丘のある平野のほうの小競り合いはまだ続いていて、少なくとも東軍本隊が、こちらの動きに気づいた様子はない。

 たどり着かねばならない持ち場までは、あと百数メートルというところだろうか。ゴルゴンらが、西軍媛隊の巧みな誘導によって、包囲網の中へ――

 全員が息を潜めて見守る中で、東軍銀狼隊のうちの誰かが、顔をあげた。ひょろりとした体型のその男は、包囲網にはまり込む直前で立ち止まった。頭をもたげ、周囲を見回し、先へ進もうとしていたゴルゴンを引き止める。

 東軍銀狼隊に生じた混乱は、一瞬だった。

 一番がっしりした体格の少年――ゴルゴンだ――が、まだ追いたそうな身振りをしたが、周りがそれを許さなかった。ゴルゴンはみんなにせき立てられて、しぶしぶきびすを返し始める。ギルファスはゴルゴンに同情した。同じ銀狼だから、ゴルゴンの気持ちはよく分かる。東軍の銀狼が目覚しい動きをしたという情報は、まだ入ってきていない。それは当然のことだ、なぜなら東軍の媛はまだ西軍に囚われているのだから。ゴルゴンは手柄を立てたくて、うずうずしているに違いない。西軍媛を『戦死』させる絶好のチャンスを、単に自分が銀狼だというだけで、諦めなければならないのは辛いことだろう。

 それでも、ゴルゴンが追っていたのはシャティアーナだ。

 ……だから。

 ギルファスは残りの百メートルあまりのルートを少し変えて、ゴルゴンの進行方向にぶつかるように調節した。もともと包囲網をかなり大回りする形で進んでいたから、それは難しいことではなかった。ゴルゴンたちがまっすぐ東軍に戻るよりも、小高い丘の周辺で戦う本隊の方へ合流するつもりらしいのも好都合だった。

 包囲網がその姿を隠すのをやめて、いっせいにゴルゴンを追い始める。慌てふためいた東軍銀狼隊たちが、本隊に合流しようと一散に走り出す。その目前に、西軍銀狼隊は一塊になって飛び出した。


 ゴルゴンの前に出てしまうと、もう気後れなど感じている暇はなかった。いきなり木立から飛び出したのに驚いて、ゴルゴンたちが棒立ちになる。その一瞬の空隙を縫うように、ギルファスは宣言した。

「警告――」

 西軍銀狼隊の三人が、順手に持っていた棍棒を、空中でくるりと回転させて、逆手に持ち替えた。そのまま自分の足元に突き立てるような動きをする。もしこれが本物の戦争だったなら、持っている武器が棍棒じゃなくて本物の剣だったなら、彼らの動きによって、鞘と剣が小気味良い音を立てただろう。

「ここから先へは進めない。別の道から逃げるがいい」

「ギルファス!」

 ゴルゴンが鋭く叫んだ。彼はギルファスよりもかなり背が高く、横幅もがっしりしている。自分よりも高い位置から鋭く睨み下ろされながら、ギルファスは静かに、ゴルゴンの目を見返した。

 ゴルゴンが内心の激情を押し隠すように、低く抑えた声で、言葉を続ける。

「そこをどけ。東軍の本隊がこちらの騒ぎに気づいたぞ。すぐこっちに駆けつけてくる。そうしたら挟み撃ちだ」

「それはそちらも同じことだと思うけど」

 答えた声は、自分でも驚くほどに落ち着いていた。ゴルゴンが、棍棒を構える。

「どけよ。邪魔だ」

 凄みのある声だった。こういうときのゴルゴンの声は、遠雷の音に似ている。嵐の来る前、空がどす黒く曇った頃に、雲の向こうから響いてくるような……そんな声だ。

 ギルファスは自分もどうにか、そんな凄みのある声を出したいものだと思いながら、答えた。

「どかない。邪魔なら迂回して通ればいいと言ったはずだ」

 出てきたのは普段と変わらない平静な声だった。ちょっと悔しかったが、言い直すのも変なのでそのままにしておく。ゴルゴンの厳つい顔がしかめられた。ギルファスは、ようやく、先ほどラムズが言った言葉の意味に思い至った。

『お前はゴルゴンを、あそこにつなぎとめておくための囮なんだ。たとえ包囲網からゴルゴンが逃げ出しても、お前が奴の前に姿を現せば、駆け戻ってくる』

 駆け戻ってまで来るかどうかは分からないが、今この状態で、ゴルゴンがギルファスを無視できるとは思えなかった。ただでさえつりあがった眉がさらに鋭角になり、薄い唇が引き上げられる。笑みの形に。

「それなら……力ずくで通らせてもらう!」

 おお!

 四人の東軍銀狼隊が、声を合わせて叫ぶ。

 そうして、東軍と西軍の銀狼隊同士という、異例の戦いが始まった。

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