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第二日目 1節「食料調達」(アイミネア)(2)

 ティトルスの言葉は不明瞭だった。見つけた食べ物を早速ほおばっているらしい。

「エルリカのことだから、大丈夫だろう」

 普段と変わらないグスタフの声が聞こえてきて、二人はほっと、押し殺したため息をついた。隙間が開いたことにはどうやら気づかれなかったようだ。二人は音を立てぬよう細心の注意を払いながら、そっと台の上に腰を下ろした。アイミネアはカーテンをひざに抱え、ルーカは手放していなかったバスケットを同じように抱え、隙間をはさんで壁に寄りかかる。こうすると、向こうから姿を見られることなく、あちら側の声がよく聞こえる。

「エルリカか……」

 ティトルスが呟き、しばらく、食べる音だけが響いた。ねちゃねちゃと音がしているのは、どうやら残り物のスープか何かで、練り粉を練っているらしい。

「……よく食うな。そりゃそうか、食べる暇なんてなかったもんなあ」

 ふたたび、ティトルスの声。グスタフは黙々と食べているらしい。副将にもなると、戦闘が終わった後も、食べる暇もないほど忙しいのだろうか。

「今日すごかったな、お前。味方が敗走してきてるのに、地図作成隊総出であんな場所に土の塊なんていくつも作らされるから、いったいこれはなんだろうって思ってたけど」

「……藁人形が足りなかったんだ」

 ようやく、グスタフの声が聞こえてきた。まだ忙しく口を動かしているらしく、その言葉はいつものグスタフの言葉よりだいぶもぐもぐしていた。アイミネアはひざに抱えたカーテンに顔を押し付けた。どうすれば、この心臓はおとなしく落ち着いていてくれるのだろう。

「藁人形ねえ……」

 そしてまた、会話が途切れた。今日一日ずっと逃げ回っていたアイミネアには、二人が何の話をしているのかはよくわからなかった。そのとき、窓の開くかすかな音がした。ティトルスがホッとしたような声を上げる。

「遅かったな、エルリカ」

「ごめんなさい」

 二人の耳に、軽やかな少女の声が聞こえてきた。

 

 エルリカは、アイミネアより三つ年上の、伝令隊の少女である。

 アイミネアのまぶたの裏に、栗色の髪をきっちり二つに分けてお下げにした、綺麗なエルリカの姿が浮かんできた。いつでも冷静で、それでいて細やかな心配りを忘れないエルリカは、アイミネアにとってどうしても敵わないと思わせられる先輩だった。彼女と一緒に戦うのはとても心強く、楽しい。エルリカもアイミネアを可愛がってくれている。しかし、エルリカと一緒にいると、アイミネアはいつも諦めに似た気持ちを抱く。あたしはどうやってもこの人には敵わないだろう、と。そう思うのは不快ではなかった。ただどことなく、重苦しい気持ちになるだけだ。

「戻ってくるのに手間取っちゃった。……あれ、ガスタールは?」

 エルリカはそう言いつつ、軽やかに窓を乗り越えて、部屋の中に入ってきたらしい。そういう音がする。窓が閉められ、ティトルスが彼女の質問に答えた。

「ガスタールは用事が出来て来られない。で、俺が代理で来たんだ」

「大方グーレンの愚痴でも聞いてやってるんでしょ」

 エルリカは涼やかな声で言った。くす、と笑う声もする。

「グーレンたら『宴』が始まっても愚痴ばっかりだもの。グスタフ、どうして俺の隊に来なかったんだーって」

「今日負けずに済んだのは、グスタフの策のおかげなんだから……もう諦めればいいのにな、グーレンも」

「本当、今日のはすごかったわよね。ゴードが気づかなきゃ、逆転大勝利だったのに」

「でも、媛が逃げた」

 言ったのはグスタフだった。アイミネアとルーカは思わず目を見合わせた。それでは、シャティアーナは逃げおおせたのだ! 二人が囮になった苦労は、これで報われたことになる。出来るなら、その場で手を打ち合わせて踊りだしたいほどだった。

「あれは仕方ないよ」

 エルリカが即座に言う。ティトルスもそうそう、と言った。

「まさかあの部屋から出られるとは思わなかったしなあ」

「どうやって逃げ出したのか、ディアスも知らないって言ってたわ。気がついたら、廊下にアイナが出てきたんだって。隣の部屋から」

 急に名を呼ばれて、アイミネアは身をすくませた。盗み聞きをしている立場で、自分のことについて話されるのを聞くのはとても落ち着かなかった。もしここで、悪口なんていわれたらどうしよう?

「アイナが、あの隙間から出たってこと……なんだろうなあ」

 ティトルスが言った。信じられない、という口調。やせっぽちで悪かったわね。アイミネアは心の中で毒づいた。面と向かって言われていない分だけ、心に言葉が突き刺さるような気がする。ティトルスに悪気はないのだろう。それはわかっているのだが。

「ギルファスが……シャティを助けに来たって、本当か?」

 グスタフが話題を変え、アイミネアはほっと息をついた。グスタフにまでやせっぽちだの薄っぺらだのと言われたら、もう立ち直れない。

「そうらしい。俺もその場にいたわけじゃないけどさ。すげぇな、ギルファスもさ……ゴールディと一騎打ちをして、勝ったって言うじゃないか」

 ティトルスの声は今度は感嘆そのもので、アイミネアは思わずひざに抱えたカーテンを握り締めてしまった。ギルファスが! ゴールディと一騎打ちをして勝った上、この館の近くにまで、シャティアーナを迎えに来ただなんて。それでは、銀狼としての役割を充分すぎるほどに果たしていることになる。一日目からこんな活躍をした銀狼なんて、長い『宴』の歴史でも、そう多くはないだろう。アイミネアは幼馴染が誇らしかった。そして、自分もがんばろうと思う感情が、強い力となって沸き起こってきた。そう、あたしもがんばろう。なんとしても、スパイが誰かを探り当てて、知らせてやらなくっちゃ!

「……負けてられないな」

 ぽつりと呟かれた言葉に、アイミネアは思わずぎくりとした。内心の呟きが漏れてしまったのかと思ったのだ。しかしそれは、グスタフの口から出た言葉だということにすぐに気づいた……グスタフは、もしかしたら、笑みを浮かべているのかもしれない、と彼女は思った。顔を見ておらず、声だけを聞いているからか、普段よりももっと、グスタフの感情がわかるような気がする。

 グスタフは、とても、嬉しそうだった。

「……そうそう、そのギルファスのことなんだけど」

 エルリカが改まった口調で言った。台の上に身を乗り出したらしく、木がきしむ音もする。何だろう。アイミネアは隙間の方に耳を寄せた。隙間から漏れる明かりで、すぐそばにあるルーカの顔がくっきりと浮かび上がって見えた。ルーカも、とても、真剣な顔をしている。

「左腕に打撲があるって。折れてるかもしれないって……」

 エルリカは、もしかしたら、そこでスパイの名を言おうとしたのかもしれない。

 しかし、アイミネアはそれを聞き取ることが出来なかった。ごとん、という大きな音でそれがさえぎられてしまったからだ。はっとして身を起こすと、ルーカが驚愕に目を見開いて、硬直していた。ルーカは窓をさえぎる板のところに頭を押し付けていた。ギルファスが怪我をしたと聞いて、驚いたのだろうか。ルーカの頭が、必要以上に板を強く押してしまったのだ。板は幸い外れはしなかったようだが、そのとき立てた音は、ひどく大きく響いた。

「誰だ!」

 ティトルスの叫び。その場でじっとしていれば、あるいは気のせいで片付けられたかもしれない。しかし慌ててルーカが立ち上がったために、二人の乗っていた台ががたんと大きな音を立ててしまった。向こうの部屋で、三人がいっせいに立ち上がった音がした。アイミネアも立ち上がった。こうなったら、逃げるしかない。

 ――でも、どうやって?

「隣か!?」

「貯蔵庫だわ!」

「俺は扉から行く。二人は窓から――」

 ばたばたばた、と走る音。誰かが椅子を引っ掛けたらしく、がたんと大きな音がした。アイミネアは台から下り、すばやくあたりを見回した。逃げなければならない。でも、どこから……

「ごめん、アイナ」

 ルーカが囁き、アイミネアの肩に手をかけた。ぐいっと力を込められ、非力なアイミネアは思わず台の横、大籠の隙間に座り込んでしまう。どうしたのかと声をかける間もなくルーカは先ほど台の上から取り除けた中籠を取り上げ、バスケットをアイミネアの上に放ると、カーテンとバスケットごと、すっぽりとアイミネアの上からかぶせた。

 すぐに視界がさえぎられる。

「る……」

「つかまらないで」

 最後に、ルーカのささやきが聞こえた。それは、懇願ではなかった。命令だった。ルーカがそこから離れた瞬間、戸口から、足音が響いてきた。

 急いではいるが、慌ててはいない。身長にしては大きな足の奏でる、規則正しい、音。

 ――グスタフだ。

 アイミネアは籠の中で、身を縮めた。


*   *   *


 籠の中は、狭く、暗く、窮屈だった。

 籠はずいぶん長いこと、収穫した香草を入れる用に使われていたものらしい。鼻につんとくる香りが残っていて、アイミネアをすっぽりと包んでいた。嫌なにおいではなかったが、残り香は存外強くて、くしゃみが出そうなのには辟易した。こんなところでくしゃみなどしたら、ルーカの苦心が水の泡だ。

「――誰だ?」

 戸口で、グスタフの声がした。同時に窓から回ったティトルスとエルリカが、貯蔵庫の窓辺にたどり着いたらしい。籠の隙間に目を押し当てていたアイミネアには、月光の降り注ぐ床しか見えない。そもそも窓板がなくなっていた窓の形に浮き出て見える床を、影が、二人の形にさえぎったのが見えた。

「る……ルーカ!?」

 ティトルスの驚いた声が聞こえる。ルーカの姿は見えなかった。部屋の向こう側、アイミネアのいる籠から離れた場所に立っているのだろう。隠れる時間はなかったはずだ。今、ルーカはどういう表情を浮かべているのだろう。アイミネアは飛び出したくなる衝動をかろうじてこらえた。銀狼の最期を見届けたエストールの気持ちが、今なら少しわかる気がする。

「一人……?」

 つぶやいたのは、エルリカだろう。重い音がして、ティトルスが窓を乗り越え、そのそばに積み重ねられていた大籠を飛び越して床に着地したのがわかった。

「エルリカ、『目付』を呼んで来い」

 ティトルスが命じ、エルリカが返事をしたのが聞こえる。

 彼は今、アイミネアのいる籠のすぐ前に、立ちふさがっていた。

「ルーカ。逃げたんじゃなかったのか」

 低い声。グスタフの声は結構近くで聞こえた。貯蔵庫の真ん中には台が立ち並び、その上には食材のたっぷり入った籠などがたくさん並べられているから、ルーカのいる場所から、外へ出られる通路は二つしかない。窓に通じる通路にはティトルスが立ちふさがっている。グスタフはもうひとつのほうから、ルーカの方へ歩いていったのだろう。足音が止まり、アイミネアはなんとかグスタフの姿を見られないかと、籠の中で目を凝らした。

――と。

 しゅっと音がして、右手の奥のほうで、ほのかな明かりが灯った。

 明りはゆらゆらと揺らめき、今にも消えそうなほどに小さかったが、すぐにその揺らめきは安定して、大きくなった。

 燭台に火が移されたのだろう、とその揺らめきを見ながらアイミネアは想像した。グスタフが右手に棍棒を構えて、左手に燭台を掲げている姿までくっきりと思い浮かべることができる。彼の掲げた明りは、ルーカの姿を闇の中から浮かび上がらせたのだろうか……

「一人か」

 と、グスタフが言った。

「一人よ」

 ルーカの答え。彼女の声は落ち着いていた。アイミネアは、籠の中で、自分を落ち着かせるために、息を殺してそっと吐いた。もう体の隅々まで、香草のにおいで満たされたような気がする。この籠の中に入ってから、既に一週間もたったような気分だった。外に出たら、きっと、体中から香草の匂いがすることだろう。

「警告。ひとつ、お前の身は既にわれらが手の中にある」

 グスタフの声が闇に響く。

 ティトルスが、流れるような自然な口調で、あとに続いた。

「警告。ふたつ、われらが意に添わぬ動きをとらぬこと」

「警告――」

 三つ目は、入り口の方から響いてきた。重々しい男の声。

「みっつ。いかなる策を講じようとも、われらから逃げることはかなわぬと心得よ」

「ガスタール!」

 ティトルスの声。アイミネアの目の前で、ティトルスのひょろりとした体がそちらを向いたようだ。グスタフの掲げた明りは揺らがなかった。彼は微動だにしなかったに違いない。

「『目付』と大将をお連れしました、――副将」

 エルリカの涼やかな声が、部屋の中に響いた。

 

 ガスタールはこつこつと足音を響かせて、こちらへやってきた。彼も燭台を掲げているらしい。明りが増やされ、籠の向こう側は、すぐに月光に負けぬほど明るくなった。香草の刺激臭に痛む目を見開いて、アイミネアは籠の向こうを凝視していた。今ではティトルスの後姿も、その脇にやってきたガスタールの巨大な体のはおったマントも見ることができた。ルーカの体はその二人に隠されて、少しも見ることができない。

「ようやくグーレンを寝かしつけたから、お前を探してたんだ、グスタフ」

 重々しいが明るい声で、ガスタールが言った。

「遅くなったが、一番いいところには間に合ったみたいだな。しかし媛隊がまだこの館の中に残っていたとはね。全員逃げたと思っていた。会えて嬉しいよ、ルーカ」

「わたしは嬉しくありません、東軍大将ガスタール」

 ルーカの声は震えてはいない。四人もの、名の知られた敵にばかり囲まれているというのに、気後れすらしていない。ルーカはきっと、胸を張って立っているのだろう。銀狼が最期まで、雄雄しくあったように、グスタフの視線にさらされても、毅然と立っているのだろう。

 こんなときだというのに、ルーカがうらやましかった。

 堂々とグスタフと立ち向かえる立場にいる、ルーカが。

 籠の中で惨めにも震えている自分とは、大違いだ。

「どうしてここにいたんだ?」

「食べ物を探すために。一日何も食べていなかったから」

「……」

 ガスタールは低い含み笑いをもらした。

「俺が聞いているのはそういうことじゃないんだが。ふむ、まあ、君は食糧補給隊の優秀な隊員だからね。この時間、一番美味しい食べ物がどこにあるのか、よくわかっているんだろうな」

「ええ、美味しくいただきました。あなた方の朝ごはんをね。明日のメニューを教えて差し上げましょうか?」

「なんて奴だ」

 ティトルスの抑えたつぶやきが聞こえた。そのつぶやきの内容とは裏腹に、彼はどうやら感心しきっているようだった。状況さえ許せば、口笛だって吹いたかもしれない。

 アイミネアも、同感だった。

 あのガスタールを前にして、しかもこの状況で、声も震えず、気後れもせずにいられるなんて。ルーカの度胸は尋常ではない。……単に、開き直っただけかもしれないけれど。

「それで、どうして媛隊と一緒に逃げなかったんだ?」

 ガスタールの言葉に、ルーカは沈黙した。

「あの逃げっぷりは大したものだった。どうやって逃げ出したのか、よければ教えてもらえないか?」

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