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第一日目 5節 「小高い丘の攻防」(ギルファス)(3)

   *   *   *


「入っちゃダメよ! この中には東軍が待ち構えてる!」

 シャティアーナは身を乗り出して、今にも突入しようとしていた西軍部隊に呼びかけているようだった。二階にいた大勢の東軍兵士たちがわらわらと窓辺に集まり、

「いたぞ!」

「あんなところに――!」

「急げ! 捕まえろ!」

 などと叫びかわして走り回る音が聞こえる。

 シャティアーナは三階という高さから、窓辺にぶら下がるようにしている。後ろから彼女の肩を掴んでいるのは、ガートルードだろうか?

 ギルファスは一気に距離を詰め、シャティアーナの真下に飛び出した。向こうから、突入を諦めた西軍兵士たちがばらばらと走ってくる。その数、およそ二十人程度だろうか。把握している間にも、シャティアーナがこちらに気づいた。その目が、驚きに見開かれる。

「……ギルファス?」

 ギルファスは両手を広げて、叫んだ。

「シャティ! 飛び降りろ!」

「バカ言わないでよ!」

 応えたのはガートルードだ。ガートルードはシャティアーナの上から身を乗り出すようにして、叫んだ。

「骨折って死ねっていうの? それよりロープかして、ロープ!」

「ろ……ロープ?」

 ロープなんてあっただろうか。焦ると、すぐ横にいたヴェロニカが、背負っていた背嚢の中からロープを一巻き取りだした。ルーディが拾ってきた石に端を縛り付ける。ウィルフレッドがそれを受け取り、シャティアーナたちのいる窓に投げた。

 ロープの長さは少し、足りない。二階の窓辺までは何とか届くのだが、端まで降りてきても、飛び降りるには少々高い。

 しかしガートルードはためらわなかった。石をキャッチしてロープを全部手繰り寄せ、すぐさま窓の中に戻る。

 そこへ、一階の窓に、東軍の兵士たちが姿を見せた。近くにある三つの窓に殺到してくる。ギルファスは我に返って叫んだ。

「東軍だ! 窓から出すな!」

 即座に、辺りにいた西軍兵士が動いた。

 次々と棍棒を構え、二つの窓を抑える。ギルファスはシャティアーナから一番遠い、三つ目の窓に走っていった。『宴』に参加するものなら、銀狼に引き寄せられるのはわかりきっている。

 幸いにも窓はそれほど広くはない。後をついてきたルーディとラムズの三人で、出てこようとした東軍兵士を押しとどめる。

 早く媛隊が脱出しないと、向こうから回り込んでくるのはわかりきっている。突入部隊のうち五人ほどが、こちらに走ってきた。

 いまや西軍兵士たちは、媛隊のいる窓の下を取り囲むようにして、東軍の進撃を阻んでいた。

 こういうときに誰とでもピッタリと息が合うのは、毎年『宴』を開いているからだろうか。

「銀狼だ! 銀狼がいるぞ――!」

 目の前の兵士がそう叫び、ギルファスの棍棒に倒された。窓から出てこようとするのを阻むのはたやすいが、叫ぶのまではとめられない。だがおかげで少し、二階、三階に回ろうとする兵士の数を減らせただろうか。

 どうしても出られないと知った兵士たちが窓辺から退いて、少し余裕が出来、ギルファスはシャティアーナのいる窓を見上げた。

 ロープの、石を結わえられたほうの端が、窓から投げ下ろされていた。ロープに結わえられた石は、二階の窓の真ん中辺りでぶらぶらと揺れている。

「下で受け止めるしかないかな」

 ラムズが呟いたとき、大きな布を肩にかけたミネルヴァが姿を見せた。口には細い棒を咥えていて、ロープをするすると伝って降りてくる。ミネルヴァはなぜかシャティアーナのワンピースを着ていた。ロープを降りるには少々、差しさわりのある格好だ。

 目のやり場に困った下の人々に構わず、ミネルヴァはロープの端に手が届くところまで下りてくると、肩にかけた布を片手ではずした。それはどうやらカーテンらしい。素足の指でロープにつかまり、あろうことか両手を離してカーテンの端をロープに結びつける。ガートルードが石を結わえたほうをわざわざ垂らしたわけがこれで明らかになった。カーテンを結び付けるのは、石などの手がかりがないとなかなか難しい。

「猿か、あいつは……」

 ルーディが感嘆したように呟く間に、ミネルヴァは仕事を終えた。これでロープの長さは充分になった。

「すごいぞ、ミネルヴァ!」

 興奮したマディルスが向こうで歓声を上げている。そこへ、二階の窓辺にかけ戻ってきたらしい東軍兵士が姿を見せた。窓の外にぶら下がったままのミネルヴァを見て驚いたようだが、すぐに棍棒を構え――

「ミネルヴァ!」

 ギルファスは思わず叫んでいた。下にいて何もできないのがとてももどかしい。ミネルヴァは壁を蹴ってその攻撃を避け、口にくわえた棒を右手に持ち、反動を利用して、身軽に窓の中に飛び込んだ。中にいた兵士は一人だろうか、一人ならばミネルヴァのことだ、何とかするだろうが、もし大勢戻ってきたら――

 やきもきする間にもシャティアーナがロープをおり始めている。彼女の方はミネルヴァの服を着ていて、長い髪は動きやすいようにまとめられていた。ミネルヴァと変わらぬくらい鮮やかな動きでロープをおり、二階の窓辺で動きを止めた。

「シャティ! お前は降りろ!」

 ラムズが叫ぶ。シャティアーナはちらりと下を見た。

「『戦死』!」

 誰か、『目付』の声が聞こえる。

「すごいわ、ミネルヴァ!」

 シャティアーナは嬉しそうに叫び、そのまま降りてきた。すぐに、元気なミネルヴァも姿を見せる。

「ガート! 先に下りて!」

 叫んだミネルヴァの顔は紅潮していて、とても誇らしげだった。

 

 ずいぶん長い時間がたったようだが、実際には二、三分のことだった。シャティアーナ、ガートルード、ミネルヴァの順で地面に降り立った媛隊は、埃にまみれていたが、元気そうではあった。媛の交換が行われたのは今朝のことなのに、ずいぶん長い間会わなかったような気がする。

 しかし、アイミネアとルーカがいない。

「窓を閉めて!」

 ガートルードが走り寄ってきて、叫んだ。慌ててルーディとラムズが外開きだった窓を閉める。ガートルードは誰かから借りたらしいナイフをもっていて、窓の取っ手に短い棒を通し、ロープで結わえ付けた。それだけの仕事に数秒もかかっていない。ガートルードの手先は、いついかなるときでも鮮やかだ。

 見ると、他の窓も同じように閉じられている。これでしばらくの間は、東軍の追撃を阻めるはずだ。本当に少しの時間しか稼げないだろうが、今はその時間がとても重要だ。

「アイナとルーカは?」

 ガートルードに訊ねる。彼女はギルファスを見上げ、首を振った。

「今ここには来られない」

 ギルファスも一瞬、ガートルードを見返した。しかし、ぐだぐだと聞いている暇はない。ガートルードが「今は来られない」というのなら、そうなのだろうと思うしかない。

「よし、引くぞ!」

 ギルファスは叫んで、走り出した。一緒に陣に戻るべき、西軍の人々は、突入部隊も合わせると三十人近くはいる。これから木立の中を迂回して戻るにしても、東軍の本隊に遭遇したりさえしなければ、何とか切り抜けられるだろう。

 先ほどの、ゴードの声が気にかかっていた。銅鑼もあれっきり鳴らないし、戦闘の音は聞こえてはいたが、北側で待機していた西軍部隊が突入したにしては、音が小さすぎるような気もする。

「館の前に勢ぞろいしてた東軍部隊はね、半数がダミーだったの」

 走りながら、シャティアーナが言った。

「ダミー?」

「旗をたくさん立てて、うずくまった格好の藁人形をたくさん作って、それに青い服を着せていたの。主力をあそこに集めてあると思わせて、半数は館の中に潜ませておいて。正面には本物の兵士を集めておいたから、ゴードもぎりぎりまで気づかなかったんでしょうね」

「俺たち横から見たんだけど、わからなかったなあ」

 ウィルフレッドが感心したように呟く。シャティアーナはうなずいた。

「木立の中からじゃわかりにくいわよね。そこへ西軍の挟撃部隊が出てきたら、逆に挟み撃ちにする計画だったのよ」

 ギルファスは唸った。この計画を立てたのは、グスタフだったのだろうか。あそこでゴードが「出るな!」と叫んだのは、挟撃部隊に対してだったのだろうか。

 ゴードがぎりぎりで気づかなかったら、西軍の挟撃部隊はどうなっていたことだろう?

「何とか知らせようと思ったんだけど、西側にはどうしても回れなかった。東側からどうにか逃げられないかと思って、あそこにいたら、館に突入しようとしてたのが見えたから……」

「つい叫んじゃったってわけか」

 マディルスが後を引き取り、シャティアーナはうなずいた。

「館の中に入っちゃったら、あたしたちを助けてくれる部隊がいなくなっちゃうもんね」

 おどけた口調でガートルードが言う。

 それを聞くともなしに聞きながら、ギルファスは一人、ため息をついた。グスタフは、いつも一歩も二歩も先を歩んでいる。挟撃作戦を聞いたとき、これで西軍の勝ちは決まったと思ったものだ。両脇から挟撃されるのを利用して、それをさらに挟み撃ちにするなどと、ギルファスには逆立ちしたって考えつけそうもない。

 物思いにふけっているギルファスの脇に、いつの間にか、シャティアーナが寄ってきていた。

 そっと身を寄せられて、ギルファスの心臓が跳ね上がる。

「ギルファス……」

 シャティアーナの囁き声が、かすかに耳に届く。

「シャティ?」

「後で詳しく話すけど……スパイに気をつけて」

 ほとんど吐く息だけを利用して、シャティアーナはそう囁いた。


   *   *   *


 西軍の本拠地に戻ってきてから、シャティアーナの話を聞くまで、しばらくかかってしまった。

 二人きりになるや否や、シャティアーナはすぐさま口を開いた。一刻も早く知らせたくてたまらずにいたらしい。眉間に心配そうなしわが刻まれている。

「あのね……東軍に、あたしたちの自力脱出のことが漏れていたの」

 シャティアーナが初めに言ったのは、その言葉だった。

 初めにそれに気づいたのは、アイミネアだったらしい。

「自力脱出のことを知っているのは、西軍でも多くないでしょう。事前に知ってたのは、あの会議に出てた人たちだけだわ」

 彼女がとても心配そうな顔をしているので、ギルファスも胸を痛めた。

『宴』においてあらかじめ役割が決まっているのは、銀狼と媛だけではなかった。スパイは『目付』たちによって、籤引きが済み、大将や副将、各部隊の隊長、銀狼、媛といった役割が全て決した直後に、それ以外の者たちの中から、ランダムに選び出される。選ばれるのは二人。どうやって選んでいるのかはわからないが、どうやらそれも籤引きによって決められているらしい。

 スパイは裏側に、敵方の色の糸が縫いこんである鉢巻を持たされる。

 つまり、『戦死』させてみないと、スパイかどうかわからないということだ。

「あたしの思い違いだったら、そう言って? あの……わたしたちを迎えに来てくれることになってた人たちは、確か、今日になってからその役を知らされたんじゃなかったかしら」

「ああ……」

 ギルファスは重苦しい気分でうなずいた。そう。媛の自力脱出は、直前まで、西軍にも隠されていた。それは無論、スパイの存在を警戒したからだが――

「てことは……あのとき会議に出てた人間の中に、スパイがいるってことかな」

「……うん」

 あの時会議に出ていたのは、大将、副将、媛隊の五人、そして銀狼隊の五人。それから各隊の隊長、それだけだ。この中でスパイとして選ばれる可能性のあるのは。

「媛隊の四人か、銀狼隊の四人……」

「アイナは違うと思う」

 言下にシャティアーナが言い、こちらを見上げて、確信するようにうなずいて見せた。

「アイナは違う。そしてルーカも違うのでしょうね。囮になるって、言い出してくれたのはルーカだから」

 そのあたりのことは先ほど聞いている。ギルファスはうなずいて見せた。もしもルーカだったなら、こちらとしてはもうスパイの心配を――少なくとも一人は――しなくていいわけだから、安心なんだけどな、なんてことを思ってしまうが。口には出さなかった。

「銀狼隊の方は、わからないな……」

 疑いたくはないが、疑わなければならない。ギルファスは気が重かった。シャティアーナも同じ気持ちなのだろう、端正な顔立ちに沈鬱な影が差している。

「スパイが活動をはじめていいとされてるのは、今日からよね。日付が今日に変わってから。あちらに情報を流したのは、多分真夜中過ぎだったと思うんだけど……ギルファス、銀狼隊はみんな同じ小屋で寝てたんでしょ? 気づかなかった?」

 抜け出したのは、俺だな。

 ギルファスはため息をついた。

 抜け出した後に、誰かが同じように抜け出したにしても、ギルファスにはわからない。

「いや……気づかなかった。みんな、よく寝てるみたいだったし」

「そう。あたしの方も、ミネルヴァかガートルードが抜け出したかといわれたら、わからないな」

 二人は同時に、何度目かのため息をついた。

 今の時刻は既に夜。ギルファスはそろそろ、眠っておかなければならない時刻だった。夜襲に備えて、交代で見張りに立つのだが、銀狼隊の持ち時間は明け方からだった。途中で目を覚ましてまた眠るよりは、明け方から起きだして後は眠らずにいるほうが、体にとっては楽である。今日華々しい活躍を見せた、銀狼隊を気遣ってくれたものらしい。

「ギルファス、そろそろ眠らなきゃいけないわよね」

 シャティアーナはそう言って笑みを見せた。

「考えていても仕方ないわ。今日はゆっくり寝ておかなきゃ。明日も忙しいし」

「……そうだな」

 ギルファスは話の内容が何にせよ、シャティアーナと二人きりでいられるのは嬉しかった。しかし体は綿のように疲れきっているし、そろそろ寝る時間だと誰かが呼びに来るだろう。彼は名残惜しく思いながら、居心地のよいシャティアーナの隣から、しぶしぶ立ち上がった。

「シャティ。気をつけろよ?」

 最後に囁く。シャティアーナは一瞬だけ沈黙し、そして、花のような笑顔を見せた。

「うん。ギルファスも気をつけてね。……今日は、助けに来てくれて、本当にありがとう」

 立ち上がってもう一度微笑むと、シャティアーナはきびすを返して、陣の中の宿舎の方へ戻っていった。

 ――あの笑顔を見るためなら、俺は何でもするだろう。

 我ながら単純だと苦笑しながら、ギルファスはそんなことを思った。

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