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第一日目 4節 自力脱出(アイミネア)(3)

「そこを左に入って! いったん隠れましょ」

 ガートルードがそう言った。左に入ると、渡り廊下からは遠ざかってしまう。が、入り組んだ場所を逃げるほうが追っ手の目をくらませやすい。誰も異を唱えず、五人は左に曲がった。この辺りは廊下の両側に部屋があり、物置に使われている部屋を潜り抜けて別の道から渡り廊下を目指すことができる。五人は一番手前の扉から、物置の中に飛び込んだ。

 中はごみごみとしていた。長い間入った者もなかったのだろう、床の上やその辺の物の上に埃が厚く積もり、くしゃみを誘われそうになってアイミネアは鼻を押さえた。その間にもガートルードはミネルヴァにカーテンを渡し、持ってきたらしい紐と棒を使って扉に即席の鍵を作っている。

「さっきの策を使いましょ」

 ルーカがそう言って、カーテンを広げた。

「さっきの策?」

「アイナが出て行った後、相談してたの」

 アイミネアの問いに答えてくれたのはミネルヴァだった。彼女は手早くズボンを脱ぐと、シャティアーナのワンピースと取り替えた。それから、ガートルードから受け取ったカーテンをシャティアーナの頭からかぶせ、紐で、落ちないように固定した。媛の証である若草色の紋様が表から見えないように、器用な手つきで整えてやっている。ルーカも結い上げていた髪を解き、シャティアーナと同じように自分の体にカーテンを巻きつけた。

「おとり?」

「そうよ」

 ルーカは簡潔に応えた。紐で難儀しているようだったのでアイミネアは手を貸してやった。そうしているうちにも、扉の前にたどり着いたらしい兵士たちが、なにやら叫びながら扉を叩いているのが聞こえてくる。ずしんずしんと扉がたわみ、今取り付けたばかりの鍵がゆがんだ。

「シャティアーナと一番体型が似てるのはあたしだからね。髪型も解けば似てるし。あたしの方がちょっと大きいけど、遠目にはどちらかわからないでしょ」

 その言葉の通り、出来上がった二人を見てみると、顔を覗き込まない限りどちらがシャティアーナだか一目ではわからなかった。カーテンから突き出ている足も、ミネルヴァのズボンのおかげで隠れている。シャティアーナのワンピースは、ミネルヴァには少しぶかぶかだったが、彼女には若草色の紋様がついていないので、媛と間違われることはないだろう。

「二手に分かれるの。あたしがルーカと一緒に――」

 言いかけたミネルヴァを、アイミネアは制した。

「ダメよ、ミネルヴァは。あたしがルーカと一緒に行く」

「えっ?」

「鍵が持たないわ。逃げなきゃ!」

 ガートルードの叫びに、四人は慌てて動き出した。この部屋にはもうひとつ扉があるが、そちらにも先回りされていると考えたほうがいい。アイミネアは台の上に乗って、天井板をはずした。屋根の上に出ることは無理だろうが、兵士たちを迂回して進むのならば十分だ。

「ここから出られる。しばらくは、一緒に行きましょ」

 全員が屋根裏に出るまでの間にも、扉には攻撃が仕掛けられていた。ずしん、ずしんという音にせきたてられるようにして、五人はさらに埃くさい屋根裏に上がった。梁の上を進まないと、屋根板を踏み抜いてしまいそうになる。明かりもなく、得体の知れない生き物がひそんでいるような気がしてとても気味が悪かった――が、屋根板を元通りに戻すのとほとんど同時に、兵士たちが部屋になだれ込んできた物音を聞いて、五人は一様に安堵のため息をついた。


   *   *   *


 屋根裏は天井が低く、はいずるようにして進まなければならなかった。

 時折あいた隙間から、床下を覗くことができる。今五人は廊下の上にいるらしく、下では兵士たちが右往左往しているのが見えた。

「ここから二手に分かれましょう」

 埃に咳き込みそうになりながら、アイミネアは四人に囁いた。

「あたしとルーカは右に行く。シャティたちは左へ。屋根裏はそう長くは続かないけど、できるだけ渡り廊下に近い場所まで行って、そこで待ってて。あたしたちはあいつらの上を通り越して、できるだけ物音を立てて降りるから。あいつらがあたしたちを追って姿を消したら、降りて、渡り廊下を目指す。了解?」

「危険はあたしの役目なのに。どうしてアイナが?」

 ミネルヴァが心配そうに言った。そんな言い方をしたらルーカがまたへそを曲げるんじゃないかと思ったが、ルーカは何も言わなかった。彼女なりにこの役目は、納得して引き受けたものなのだろう。

「ミネルヴァ、戦闘隊から来てるのはあんただけでしょ。あんたは媛を守らなきゃ」

「でも――」

「ね、聞いて。ちょっと心配なんだ」

 アイミネアは言葉を選びながら、口を開いた。

「グスタフの――東軍の対応が気になってるの、さっきから。変だと思わなかった? どうしてあたしたち、あそこまで警戒されてたんだと思う?」

 先ほどから何度となく気にかかってきた違和感はそれだった。先ほど走っていて、追っ手が倍に膨れ上がったときに、そのことに思い至った。床下の穴から出られなかったのは、五人もの見張りが立っていたからだ。初めの戦いで、できるだけそちらに戦力を割きたい時に、五人もの――結果的には十人もの――見張りを割くというのは、媛隊の自力脱出を警戒していたということになる。同じ結論に至ったのだろう、シャティアーナが息を呑んだ。

「まるであたしたちが逃げるのを、見越していたみたい……」

 シャティアーナの言葉に、アイミネアは軽くうなずいて見せた。

「そう。おかしいよね」

「……そうよね。言われてみればすごく変だわ。あたしたちは逃げるつもりでいたから、気にしなかったけど。おかしいわ。どうして媛の自力脱出ということが、東軍にばれていたのかしら」

 それを指す答えは一つしかない。しかし今はそんなことを言っている場合ではない。アイミネアはもう一度うなずいて、話を先に進めた。

「ね、だから、もしかしたら、渡り廊下の向こうにも見張りがいるかもしれないでしょ。あたしは戦力にならないもん。ガートは別館から脱出するときに細工が必要になるかもしれないから、行かなきゃいけないし。ミネルヴァはシャティを守らなきゃ。ね?」

「いこ、アイナ」

 ルーカが簡潔に言って、梁の上を慎重に進み始めた。アイミネアは慌てて後を追った。そっと、そうっと、音を立てないように慎重に四肢を運ぶ。

「武運を、アイナ。ルーカも」

 ガートルードが囁いた。アイミネアは床から右手を離して、ひらひらと振って見せた。

 

 兵士たちの上を通り過ぎていくのは、とても精力を使うことだった。万一にも音を立てないよう、細心の注意を払わねばならない。そしてここから先はできるだけ兵士たちの目を惹きつけて、渡り廊下の方に行かないようにして逃げ回らなければならないのだ。多分ここで『戦死』するだろうな、とアイミネアは思った。兵士たちの中にも『目付』はいるだろう。いなければ、何とかごまかすこともできるのだけれど、などとけしからぬことを考えたりしてしまう。

 進むたびに埃が舞い上がり、咳き込みそうになる。

 そろそろ暑くなる刻限だ。屋根裏は屋根からの熱と、建物中の熱が集まるところだ。体中にべたべたと汗をかき、そこに埃やごみがへばりついて、気持ち悪かった。ルーカはあの厚いカーテンをかぶって、よく我慢していられるものだ……と思ったとき、ルーカが動きを止めた。天井板の隙間から下を覗き込んでいる。漏れる光の中、ルーカの頬を汗が伝っているのが見えた。ルーカも暑いんだ。なのに、珍しく文句も言わず我慢している。

「降りるところを目撃されたら、二人しかいないのがばれるよね」

 ルーカが囁き、アイミネアはうなずいた。せっかく同じ格好をしていても、囮とばれては意味がない。二人は下の廊下が折れ曲がっているところまで進むことにした。角のすぐそばで音を立てて降りれば、兵士たちはこちらを追ってくるだろう。

「アイナ。あたし、死にたくないよ」

 ルーカがまじめな口調で言った。ほとんど息の音だけで囁かれた言葉、これほどまでに緊張していなかったら、きっと聞き逃していただろう。アイミネアは何も言わず、先を行くルーカの後姿を見つめた。

「一日目のお昼に戦死だなんて、早すぎる。あたし、厭だからね。活躍も何もしないで死ぬのなんて絶対、厭。絶対死にたくない。だから、アイナも」

「うん」

 アイミネアはうなずいた。そうだね、ルーカ、と心の中で呟く。そうだね。あたしたち、まだ何もしていない。こんなところで死ぬわけにいかない。

 正直、ルーカと一緒に行くのは気が重かった。一緒にいるのがシャティアーナだったら、ミネルヴァだったら、ガートルードだったら、と思わずにはいられない。でも、動き出してしまったのだ。もう後戻りはできない。

「絶対生き残る。媛の自力脱出もすごいけど、この状態であたしたちが無事に戻ったら、それこそすごいと思わない?」

「……そうだね」

 アイミネアはにっこりした。目の前で、ルーカが、ベルトに挟んでいた棍棒を取り出して天井板に当てる。アイミネアも持ってきた棒を隣に当てた。タイミングを合わせて、棍棒と棒をそれぞれ振りかぶる。

「死なないって、約束しようね」

「……うん!」

 天井板が二枚、派手な音を立てて同時に外れた。廊下の向こう側にいた兵士たちがなにやら叫びながら駆け寄ってくる音を聞きながら、二人は同時に床に飛び降りた。

 屋根裏に比べれば、廊下はまるで天国のように心地よかった。

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