2. これが無知シチュってやつか
朝、目を覚ますとヒナが隣で寝息をたてている。
体を起こしずるずると重い体をふとんから引っこ抜く。ヒナが起きてないのを確認すると、最初に向かったのはパソコン。慣れた動きでマウスで操作する。ここまでの行動はルーチンワークとなっていた。いつもならこのまま動画をあさり始めるところだったけれど、検索エンジンに『育児放棄』『放置子』と入力して、ページとにらめっこ。それから、ため息。
「……どうすっかなぁ」
もちろん連絡するなら警察だというのはわかっていた。だけど、と不安になる。端から見れば男の部屋に女児をつれこんだ形だ。しかも、社会的信用度ゼロのニートだ。また、ため息がでてきた。
何をするわけでもなく画面を眺めていると、背後でヒナが起きる気配がした。
「お兄さん、おはよ~」
「ああ、うん、おはよ」
時計を見ると朝9時。小学校はもう始まっている時間だ。もしかしたら、担任教師が連絡をかけてくるかもしれない。
そうしたら事態が知れ渡るだろう。警察相手じゃなければ、保護していたといって色々うやむやにできるかもしれない。
「学校、遅刻しちゃったな」
「ううん、大丈夫だよ。わたしは学校行かなくてもいいの」
その口調はごまかしというわけではない。ヒナのような子が不登校になるとも思えない。だから、その理由を聞いた。
「パパがね、学校に行かなくてもいいって」
「は……? え、なんで?」
「ヒナみたいなバカは学校いっても意味がないんだって。ママも給食費とかいろいろお金かかるって文句いってた」
たどたどしく説明するヒナの話を聞いた。説得にきた担任教師を何度も追い返したらしい。そういえばスーツ姿の女性が何度か訪ねてきては隣の夫婦が大声で怒鳴っていた。
「学校いくとパパとママ、それに先生も困らせるの。だから、ヒナは学校に行っちゃだめなの」
「そう、なんだ」
なんて返事をすればいいかわからず出た答えがそれだけだった。
「あー、そうだ。朝ごはんにするか。腹へってるだろ」
朝飯は簡単というか簡素だ。ヒナは文句をいうこともなく、一枚のトーストを小鳥がついばむように丁寧にたべていた。
先に食べ終わったオレはなにをするでもなく、結局パソコンの前に座った。
自分とヒナの置かれた現状を再確認する。ヒナの両親はいねえ、警察に連絡はしたくねえ、頼りになりそうな人間もいねえ。まあだいぶ詰んでる。
ヒナを横目で見ながら悩んだ結果、生放送の画面を開いた。マイクをセットして放送を開始すると、来場者数のカウンターが増える。
動画投稿者として配信チャンネルも作っていた。もともと何かを目的としたものではなくただの雑談放送だった。適当にオレが話題をだすこともあれば、リスナーが話を聞いてくれとコメントをうってくることもある。「何でこんな時間に配信に来られるんだ?」と聞けばお互いにしょーもない罵り合いを始めるゴミためみたいな場所だった。
そうこうしているうちにゴミどもがやってきた。
あいさつをするやつもいればラジオのように無言で聞いているやつもいる。
「今日はおまえらに相談がある」
オレは無力な赤ん坊が母親に助けを求めるようにリスナーに呼びかけた。
『何だよ。早く就職しろニート』
『金なら貸さないからな』
ぜんぜん甘やかしてくれない。こいつらはオレのママ失格だ。
「幼女拾ったんだけど、どうしたらいいと思う?」
それまでほとんど反応がなかった画面に『通報』『妄想も大概にせーよ』『ロリコン』と大量のコメントが流れる。
「オレはロリコンじゃねーし。いやまじで、ほんとに困ってるんだよ。警察に知らせるのはナシの方向で頼む」
期待なんてしてなかったが予想通りまともな返事なんてない。だいたいはからかうコメントばかり。逆の立場だったらオレもそうする。それ以前に、オレ自身あんまり深刻にとらえていなかった。なんとかなるかぐらいにしか考えていない。
「ねえ、お兄さん、あっ……」
ヒナが話しかけてきたが途中で気づいてすまなそうにする。一旦マイクを切って、ヒナの方を向く。
「どうした?」
「ごめんなさい。おトイレの紙がなくって」
トイレットペーパーは高い棚に置いていた。取って渡すと、ごめんなさいと謝るのでいいからとなだめる。ヒナをトイレにいかせてからまたパソコンの前に戻ると画面がすごいことになっていた。
『おい、子供の声しなかったか?』
『オレも疲れてるみたいだ。女の子の声が聞こえてくる』
『しかもトイレだと……。マジで事案か?』
反応がおもしろくなり、戻ってきたヒナの手で招いてイスに座らせる。不思議そうにするヒナの前にマイクを差し出した。
「ヒナ、なんかしゃべってみて」
「えっと、うーん? こんにちは?」
もう一度ヒナの声が入るとさらにコメントが加速した。
『まさか本当にやったのか!』
悪乗りして「本物の小学生だよ。いま10歳」と答える。
『ま、どうせ親戚の子とかだろう。ところでオレのこともお兄ちゃんって呼んでくれ』
『おまえらキモすぎて草もはえない』
画面の前のヒナはびっくりした顔でこちらを見てくる。なあにこれ~と加速するコメント欄を指差して、何か自分がしでかしたのかと不安そうにしている。
「これは生放送っていって、たくさんのひととおしゃべりできる場所みたいなもんかな」
そういえば、ヒナは学校にも満足に行かせてもらえてなかった。
画面を指差しながら読み方を教えてやると、口に出しながら覚えていく。つっかえながら読み上げるたどたどしい口調にリスナーが沸きあがる。
『うひょー、たまんねえな。新鮮なロリっ子だぜ』
『これが無知シチュってやつか?』
人なれしていないヒナにとっては初めての経験だった。戸惑ってはいるが苦にしている様子はないし、オレは面白がって見ていた。
「ヒナ、おもしろかったか?」
「うんっ!」
放送が終わった後もヒナは落ち着かない様子でさっき覚えたばかりの言葉をくり返していた。