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1. ヒナ。十歳。

 となりの部屋が騒々しい。しょせんは安アパート。壁なんて意味がないぐらいにはっきりと声が聞こえる。若い男と女の声がお互いに相手が悪いと罵り合っている。

 

 オレの職業は動画投稿者。最終学歴は中卒。高校は途中でリタイアした。引きこもっていたら、手切れ金を渡されて家を追い出された。頼る友人がいるわけもなく不動産屋にむかったら、紹介されたのがこのアパートだった。保証人不要、敷金礼金なし。その理由を深く考えることもなく入居して、今に至る。かといって引越しする金も当てもない。

 

「……うるせえな」

 

 玄関を開いてアパートの共用廊下にでると、外にまで声が響いている。そろそろ近所から通報があってもおかしくない。最初にそれをするべきなのは隣室の人間であるオレなのだろう。だけど、この騒音の一番の被害者はオレじゃない。

 玄関を開けると、共用廊下を見渡す。おきっぱなしにされたガラクタは全部隣の部屋のものだ。他にも住人がいることなんて意識にないのだろう。

 ガラクタを避けながらサンダルばきの足で進んでいくと、廊下の隅に小学校低学年ぐらいの女の子が膝を抱えて座っていた。

 

「またやってるみたいだな」

 

 こちらを見るとぱっと顔を明るくさせる。

 手招きすると女の子はすぐに立ち上がる。彼女はなんのためらいもなくオレの部屋に入ってきた。

 一人暮らしの部屋に小さい女の子がいる違和感にはいまだに慣れない。この子はオレの子供でもなければ、親戚でもない。ただの近所の子供だった。

 

 きっかけはなんてことはない。動画の撮影中や、生放送中にも隣の声に何度も邪魔されてきた。言い争いの声に耐え切れなくなり怒鳴り込もうとしたときだった。

 共用廊下にちょこんとすわる少女と目が合った。隣室からは時折子供の声が聞こえていることは知っていた。

 

『えっと、そこの部屋の子かな?』

 

 申し訳なさそうにうなずく女の子にさっきまでの怒りもしぼんでいく。

 サイズのあってないTシャツやのびっぱなしの髪。同年代に比べても細くて背も低い。この子が置かれている状況をなんとなく察する。同じうるささに迷惑するもの同士でなんとなく共感を持った。

 

『なんか、大変そうだな』

 

『……うん』

 

 女の子は困った顔のままあいまいな笑みを浮かべる。会話が途切れる。小さい子の相手は苦手だ。気まずさを誤魔化すために話しかけただけでこれ以上話すことなんてない。だけど、なんとなく気にかかってしまう。

 

『えっと、うちくる? その部屋よりはましだと思うけど』

 

 冗談のつもりだった。もしかしたら不審者扱いされるかもなんて思ったけれど、女の子はするりと野良猫のように部屋に入ってきた。

 名前と歳を聞くと『ヒナ。十歳』という短い返事。

 

 それから、騒音が始まるのをきっかけにこっそりと家に招き入れるという関係がつづいていた。

 

 部屋にいる間、基本的にじっとしていてあまりしゃべることはなかった。それでも声をかけると、こちらのいうことをちゃんと聞く素直な子だった。

 コンビニで買ってきたお菓子をあげただけで、目をキラキラさせていた。

 

 こんな素直な子がどうしてオレなんかといるのかと今にしても不思議でならない。

 

 オレにとって他人とは邪魔な存在で、誰かと過ごす時間よりもネットの世界に没頭する時間の大切だと思っている。

 ただのきまぐれとおせっかい。ヒナの喜ぶ顔を見て自己満足するという軽い気持ちだった。

 

 ドンドンドン!!

 

 その日の騒音はいつもと違うものだった。複数の足音が階段を上ってきたと思ったら、乱暴にドアを叩く音が響いた。

 

「居留守つかってんじゃねえぞ! ナメやがって、いるのわかってんだぞ!」

 

「すんません、ほんとにすんません。来週まで待ってください」

 

「寝言ぬかしてんじゃねえぞ! もうおせえんだよ!!」

 

 威嚇する声と悲鳴の後に暴力的な音が続いた。

 

「ねえ、パパとママ、どうしたの?」

 

 すぐにも隣の部屋に向かおうとするヒナを引きとめる。

 

「今行っちゃだめだ」

 

「でも……」

 

 騒がしい音は部屋を連れ出されて廊下を移動していく。息を殺し、カーテンのすき間から外をのぞく。二人の男女がワゴン車に押し込められていた。

 

「おい、コイツラにガキがいたよな。金になる。サツが来る前にさっさと捕まえろ」

 

 薄く開けた窓から男達の会話が聞こえてくる。隣の部屋から複数の足音と乱暴に何かを探す音がした。舌打ちと共にやつらは撤収し、後には静けさだけが残された。

 

「パパとママ、どこにいっちゃったの?」

 

 不安そうにこちらを見上げるヒナに本当のことなんて話せなかった。

 

「……えっと、パパとママは遠くにお出かけするだってさ。ヒナがいい子にして待ってれば帰ってくるよ」

 

 その場合わせの言い訳だった。子供だからってこんなので納得するわけがないと思った。

 

「そっか~、じゃあヒナはお留守番だね」

 

 理由や行き先もきかずにヒナはあっさりとうなずいた。

 

 それからどうするかなんて何も考えていなかった。

 お風呂にいれると温かいねと喜んだ。

 ごはんを用意すればおいしいねと喜んだ。

 寝床を用意すればお布団ふかふだだねと喜んだ。

 

 ヒナは素直でいい子だった。両親がいなくなったってのに。

 

 世の中にはひどい事件がたくさんある。知っているのはニュースにのったものだけで、知られていないものが大部分なのだろう。そういう事件のひとつが、現実に目の前にあるんだなぁってどこか他人事のように思った。

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