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四の①


     四


 今日の客は、随分と陰気である。開口一番、「死にたい」と先生に訴えた。しかし、これは妙な宣言である。死にたいなら、死ねば万事済む話である。それなのに、死なずにわざわざ先生の所へ来て、宣言をするのである。先生は、当然、自殺を阻む何か弊害があるのだと察し、尋ねる。

「死ねない理由があるの?」と言う先生の質問は、客にはどうも一足飛びで要領を得なかった。

 暫く黙っているから、先生も堪えかねて、もう少し易しい問いをかけてやる。

「どうしてここへ来たの?」

「どうしてって……あなた、まるで私に死んでほしいみたいだ」

「別に僕はあなたがどうなろうと知ったこっちゃ無い。ただ、君は死にたいと言うのに、未だ死んでないから、死ねない理由があるのだと至極簡単な見当をつけたまでだ」

「死ねない理由……」

 客はようやく理解し、打ちのめされる。とうとう意地になって、死んでやると言う気持ちが強くなる。

「死ねないんじゃない、様子を見ている」

「ふむ、様子」

「俺に存在意義があるのか、あるなら死ななくても良い、いや、むしろ死ぬと損失なわけだから……」

「ああ!」と先生は癇癪を起こす。

「僕は勘定が大嫌いなんだ! 損だ得だ、利益だ不利益だ、こまごまねちねちと考えていて、楽しいか?」

「楽しいかと言われると、」

「不愉快だ! 最近の客は、本当に」

「どうやらあなたは俺より狂っているらしい」

「狂っている? 僕は狂ってなんかない。そのうち僕の助手である青年がやってくると思うが、その子に聞いてみると良い。僕は断じて狂ってなどいないと証言してくれるはずだ」

「ふうん」

 客はニヤニヤ不気味に笑っている。

「第一、損得云々にうるさい輩の方がよっぽど狂っている。奴らは、良くそんな一事に熱中して、精神を疲労させるが、たまげたものだ。それこそ気狂いになっておかしくない」

「でも、先生、先生も相談の見返りに『寄付』とやらを集めるじゃないか」

「寄付は、私への愛だ。相談を受けてやるのも私より君への愛だ。有り難く思って受け取ると良い」

 客は面食らう。愛の告白をされた気になって、まごつく。あんまり動揺したものだから、振り出しに戻る。

「とにかく、俺は死にたいんだよ」

「死ぬ前に、僕との話を冥土の土産にってところか。まあ、向こうの奴らにはつまらない話ですが、と切り出して語ることだな」

 客は、自分が死ぬ前提で話を進められるところに違和感を覚えている。しかしこれはやはり、客の妙な点である。

 客はようやく先生が只者ではないことに気付き、恐れ入った。とてもまともでは相手にできないと言う、畏怖の念を生じた。先生は、何もかも自然で語っている。それが、人と話す時の礼儀だと心得ている。人と接触する時、自分と言う人間を存分に発揮する事を心がけている。

 客にはとにかく、この先生の態度が不気味に思われる。泰然として、鷹揚な調子で、何だか俗世を超越している。決して人の世を離れたわけではないが、彼の輪郭には彼の世の形がすっかり浮かび上がっている。対面する時、その纏った世が、触手を伸ばすように客へと侵入し、凝り固まった膿をほじくり出して溶かしていく、触手はそれですっかり客を模様替えして、先生の不敵な笑みに魅入られる。

 客は、自分がどうして死にたいのだか、忘れてしまった。その事に安堵し、また落胆し、それでいて悶絶し、一瞬後には飄々とする。結局、死なずに済んで良かったな、と言う甘ったるい思考にとりつかれるようになる。そもそも、自分が死ななきゃならん理由など無いじゃないか、何故自ら死ななければいけなかったのか、まるで見当がつかなくなった。

 確かに、自分はこの世にあって意義の無い存在か知らん。が、それならば死あるのみと言う論法がちっとも吞み込めなくなる。無論、可能な限り有意義な人間にはなろうと思う。

「先生、俺は変わりたい」

「変わりたい? そりゃ簡単なことだ」

 先生の返答はまた素っ気ない。客は度肝を抜かれ、高揚する。

「一年待てば良い。別に待っている間は、何もしなくたって良いし、何か忙しくしていたって構わない。一年経つと細胞が総取っ替えされて、人は全く新しい個体となるのだ。だから、一年前の君と現在の君とは、同じ記憶を有する全く別の人間と言うわけだ。よって、一年後の君も——」

「へええ」とばかり、受け答えておく。

「人は考えてばかりいると、無意義にならざるを得ない。だって、君が、僕が、ここに存在している意味とは何だ? 意味なんてあるものか。人間社会を維持する為? 種を存続させる為? 人が絶滅しようと、地球が破滅しようと、宇宙そのものが消滅しようと、僕らが死んだ後には関係の無いことだ。じゃあ、何の為に生きる……と言う具合にね。ほら、意味なんて無い。意味なんて無いが、要は考え込むより他に、我々にはできることがありそうじゃないか。——活動すると良い」

「活動……」

「うむ。活発にな。ほら、彼のように。彼は何の意味も無く、ただ私の元を訪れるのだ。これが活動だ」

 山本くんが爽やかな顔を覗かせる。血色良好で、客に比べると、大分鮮やかに見える。客は、羨ましそうに山本くんを見つめた。

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