八の①
八
「先生は心理テストとかやらないんですか」
山本くんが尋ねる。
「研究の為にとか……ほら、一番大事なのは、相談者のことをよく知ることだったりするでしょう?」
「馬鹿なことを言うな」と先生は一蹴する。
「人間ってのはな、ある意味では簡単に理解できるが、ある意味では全く理解できないものなんだ」
山本くんは要領を得ず「ええと」と呟く。
「つまりだ。誰しも悲しんだり、慈しんだり、喜ばしい気持ちは共通だが、結局他人は他人なのだ。心理テスト? まやかしだ。あれは自己満足だろう。一目で人格を了解した気になれる、万能装置やら法則やらを求めたいだけなのだ。要は頭を使わず、楽をしようと言う道具なのだよ」
山本くんも、すぐさまうんとは首肯できぬ。ただ、じっと考えてみる。実際その方面に通じているわけではないが、先生が自信満々に言い張るので、何だかそんな気がしてくる。
「人って難しいですね」
「何、そんなこともない。そんなこともないが、確かに難しい。例えば僕は人間だが、時々自分でも自分のことが分からなくなる。そう思うと、難しいのだろう。けれども、所詮は人間なのだ。僕だって君だって、人間なのだ。そうなると、割と簡単だ」
今日の先生は、やけに饒舌であるから、山本くんも続けざま聞いてみる。
「感情って、一体何でしょう」
「何でしょうって……そんなものは自分で考えるんだ」
先生はここに来て逃れる。山本くんはおさまらない。
「他人の感情って、分かりにくくないですか」
「分かりにくい。でも、当たり前だ。人間が同じでも経験が違えば全く別の感情をおこすだろう。だから、感情なんてのは人の過ごした時間を全部背負ってるわけだから——理解しようとするのは時にちょっと無謀なのだ。君におかしく見えても、彼には常識で、彼にとって奇妙でも君に通常で、僕に愉快でも彼女に不愉快で——こんなことは往々にしてある」
山本くんはうむと頷いた。調子に乗って、まだ聞く。
「先生は、どうしてこんな森の中に、相談所を開いているんですか」
「だからそれは……」
「退屈だからってのは分かってます。でも、そうじゃなくて、もっと別の理由ですよ」
「別の、なんてのはありはしない」
「そうですね。でも、ここに来るのは、どこか傷ついた人じゃないですか。そう言う、特殊な人を相手にしているからには……」
「うむ。彼らが特殊かどうかはさておいてね。前にも言ったかも知れんが、彼らは街にいる人間よりはずっと面白いのだ。——うん、君の言いたいことは分かるよ。彼らも普段は街に住んでいるわけだから、街の人間だろう。でもね、やはり彼らはどこか人間らしくて良いのだ。山本くん、君は彼らを『どこか傷ついた』と表現したね。間違いないだろう、彼らは傷を負っている。でね、その傷は、間違いなく人がつけたものなのだ。彼らはね、人に傷害されているんだよ。でもね、まともな人間が人間を痛ぶるかね。彼らを傷つけたのはね、人の上に怪奇な面を被っていると思うんだ。面を被った者は、裸の人間を好んで虐めるのだ。——人間そのものはね、悪くないんだよ。ただ、人間を治すのも人間でなくちゃいけない。僕が彼らを一度見下せば——治してやろうなどと考えれば、それはもう人間同士ではないのだ。だから、僕は彼らを治そうと思わんのだ」
山本くんは段々不思議になった。何故先生は今日、こんなに自分に色々語ってくれるのだろう。——そう考えた途端、目が覚めた。何だ、夢だ。冷静に考えれば、先生が立派に自身の思想を説いて聞かせることなど、あり得ないのだ。むしろ、そんな先生は山本くんの好みではない。