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七の①


     七


 山本くんの思った通り、少年はまた来た。ほれ、来てやったぞと言わんばかりのふてぶてしい態度で来た。先生は、ちっとも彼を歓迎しない。すると、少年は機嫌を損ね、小屋の壁を蹴飛ばす。

「こら!」

 先生が叱りつけると、もう一度つま先を食らわせた。たまらず抑えにかかる先生は、若く盛んな少年のエネルギーに敵わず、簡単に振り払われる。先生は、少年の敵となる。少しも穏便に済ませようと言う気を起こさず、少年をとかく追っぱらおうとする。

「早よ、出てけ」と少年の胸を押す。

「ああん?」

「出てけ」

「何じゃ、こら」

 剣呑な少年の背後で、小鳥が呑気に鳴く。そよ風が過ぎる。小鳥や風が安穏でも、二人はちっとも気楽でない。小鳥を聞く余裕のある者は、ちょっと毒気を抜かれる。小鳥がうるさい者は、ますます血が逆流する。風の流れになびく者は、事はもっと容易に片付くのでは無いかと思案する。弱風にさえ楯突く者は——殺気を覗かせる。

 少年が懐から抜いたのはナイフである。間違いない。先生は何度も瞬きして、それを確認した。少年は忍び足で緑の草を踏みしめる。先生は固まっている。

「次、俺に指図したら殺すぞ」

 少年は、取り敢えず先生を支配したと思う。そうすると、何をするべきかと考えて、思う存分小屋の壁を蹴り始めた。蹴りながら、段々狂った。——初めは些細なことである。ちょっと気に入らなかったから、物に当たった。その『物』が小屋の壁であった必然性は無い。それで、もっと不愉快になったから、先生を跪かせたくなった。通常の人間はここらで衝動を引きあげるものである。が、少年はなまじ、身を引く事を恥だと捉えるような気質の持ち主であったから、突き通して、自らの攻撃性を示す為に持ち歩く武器を、思い通りにならない相手に向かって見せつけた。これで、全く望みが叶ったわけだが、どうにも一度出した刃は引っ込めにくい。何故なら、彼の刃は彼ではなくて、その携えたナイフに過ぎないのである。先生は少年が怖いのでなく、ナイフが怖いのだ。だから、少年は後自分を恐ろしく見せなければならないと思い、狂い出す。——こうして些細な不愉快が、とうとう狂人を生じるに至った。異常とはこの事であり、また、少年自身はいたって通常の人間である。少年を現在、異常たらしめているのは、とある正義である。実行されなければならぬと思われる、正義である。正義が、人を異常に変貌させるのだ。

 正義とはこの場合、少年にとって、彼がその横暴な人格を押し通し、先生を従えると言うこの一点に尽きる。この正義が少年にもたらす利益は……分からない。正義は、損得勘定を凌駕する。少年が自身の行動の益か損か、判断できたのは、ナイフを抜く以前までである。少年はナイフを抜いた途端、ナイフに全部乗っ取られたのである。

 が、まだ少年にも意識は残っている。彼は一線に足の先がかかって、まだギリギリのところで堪えている。だが、これもほとんど無意識の話である。

 幸か不幸か、先生は生憎、ナイフで支配されるような玉ではなかった。自分の住処が無意味に損害被ると見るや否や、また「こら!」と怒鳴った。この一喝に、狂いかけた少年の意識が引き止められる。

「何じゃ」

「蹴るな!」

「お前、調子に乗ってるとなあ、」

 少年はナイフを構える。

「ナイフを捨てろ」

「うるさい」

「君の行動を思い返してみるが良い。君はうちに来るなり突然他人の家の壁を蹴って、挙句ナイフで脅迫する。傍若無人じゃないか」

 少年は言葉にできぬ憤りをわかせる。反論の余地は無い。けれども、これを認めれば、自分は恥をかく。恥をかいて正義を蔑ろにされるのだけは、避けなくてはならない。正義は絶対であり、何事にも優越する。少年はかくして、異常行動に走る。

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