第四話 冒険者
「うぅ……なんだかヒドい気分だ……」
旅の男は意識を取り戻した。
目の前には、ぼんやりと大きな木戸が見える。
男は、ぼやけた視界で周囲を確認した。
顔のすぐ真横に、湿った藁が敷いてあるのが分かる。
これはまた随分とケモノ臭い藁だ。
「ん……足が縛られてる?」
男は次に、自分の足に違和感がある事に気づいた。
動かそうと思っても自由が効かない様子だ。
そして、両手も背中側で縛られていて自由に動かせないようだ。
「ううぅ……。俺は何をしていたんだっけ……」
男は記憶を辿った。
「確か、街で荷物を受け取って…………それから……それから……。そうだ! 荷物!」
男は大切なことに気づき、咄嗟に立ちあがろうとする。
しかし……。
手足が縛られているため動けない。
そこで、一度冷静になる。
男は静かに仰向けになり、腹筋に力を込めて上体をヌッと起こした。
なんとか上半身を起こすことに成功。
すると、その瞬間。
男の隣で謎の鳴き声が響いた。
「ヌウウウウウウウッ」
男は驚いて鳴き声の方にスッと顔を向ける。
すると、そこには茶色い大きな生き物がいた。
「土野牛!」
男は言いながら下半身に力を込めて勢いよく立ち上がる。
そして、ピョンピョンと跳ねながら土野牛に近寄った。
「おぉ~。図鑑でしか見たことがなかった生き物を、この目で見られるなんて! 感激だ!」
「……」
彼は自分の置かれた状況も忘れて土野牛の観察を始める。
「この剛毛は、土属性の魔法で硬化しているのだろうか? いや~触ってみたいな~」
「……」
男は、自分を縛りつけている縄を解こうとする。
しかし、ずいぶん固く縛られているようで、縄はびくともしない。
彼はもどかしくなって、一瞬何かを考えた。
そして……。
「どれ、すまないが頬で失礼するぞ!」
男は突然、土野牛の体に、頬を擦り付けるという奇行に走った。
「スリスリ。あ~硬い! 表面はザラザラする! まるで、ヤスリみたいだ!」
「……」
男は子供のようにはしゃぎながら夢中になっていた。
やがて、その行動はエスカレートしていく。
「この黒くて太い角も、またかっこいいなぁ……」
「……」
土野牛の角は少しだけ高い位置にあった。
どうやら頬では届きそうにない。
そこで、男は考えた。
「どれ、ちょっと噛んでみるか……」
男がつま先立ちになり、おもむろに口を開けた瞬間。
「……おい!」
「ハイ!」
突然、何者かに声をかけられた。
男は驚いて直立する。
彼は、恐る恐る声の方向を振り返った。
すると……。
なんと、そこには一人の赤髪の少女が立っていた。
ロゼッタだ。
男は驚いて周囲をキョロキョロと見回す。
「あれ? 君、さっきからいたのか?」
「いいや、今来たところだ」
ロゼッタは呆れた表情で男を見つめた。
そして突然、腰の剣帯から小さなナイフを取り出し男に見せる。
男は一瞬、ドキリとした。
しかし、すぐに状況を察する。
ロゼッタは告げる。
「さあ、後ろを向け。縄を切ってやる」
「良いのか?」
「ああ、早くしろ。見張りが巡回に来るぞ」
「そうか、ありがたい」
男は微笑んだ。
そして言われた通り少女に背中を見せる。
が、すぐにまた向き直った。
「いや、やっぱりダメだ」
「は? お前、気が動転しているのか?」
「いいや。もし仮に俺を逃したと知れたら君はどうなるんだ?」
「それはお前の心配することではあるまい。変な奴だな……」
「そんな事はない。俺は自分のせいで誰かが不幸になるのが嫌なんだ」
「……お前、バカなのか? 今の状況がわかっていないのか?」
ロゼッタは肩をすくめて呆れた。
「折角、助けに来てやったと言うのに。こんな馬鹿者だったとは。危険を犯して損をした」
「そうか、すまないな……」
「良いのだな? もう逃げるチャンスはないぞ」
「ああ、あとは自分でなんとかするさ」
「はぁ……呆れた。こんな本物の馬鹿には初めてお目に掛かったぞ」
ロゼッタが白けた目で男を見ていると、男の方から彼女に歩み寄った。
そして突然、自己紹介をする。
「俺はクリフ。遠く南の国から旅をしてきたんだ。よろしくな」
「よろしくだと? 今から命を失うかもしれん奴に、よろしくも何もあるものか!」
「ハハッ。俺も大概だが、君もだいぶ変わってるな」
「なっ!」
ロゼッタは大きく口を開けて、二、三歩退いた。
命が危ないことを強調したつもりが、コイツ何にも聞いていない。
そう思いながら彼女は、周囲をキョロキョロと見回した。
一体何だこの状況は?
明日、生贄にされそうな男と、それを救いにきた少女の緊張感あふれる場面のはずだ。
なぜこんなに和気藹々としているのだ?
おかしいだろう!
ロゼッタは眉をひそめる。
彼女は、何やら苦しそうに考え事をしていた。
が、突然。
普段の調子に戻った。
どうやら吹っ切れた様子だ。
「私の名前はロゼッタ。村一番の狩人だ。……ああ、その、何だ……よろしくな!」
「ああ、よろしく。ロゼッタ」
「……」
「?」
「なあ……お前、南の国から来たと言ったな……。お前はもしかして冒険者なのか?」
「ん? そうだが」
クリフは、ロゼッタの質問にキョトンとした表情をする。
すると、ロゼッタは目を輝かせて更に質問を続けた。
「お前はもしかして、魔王を倒しに行くのか?」
「ああ、そうだが?」
「おお!」
ロゼッタは両拳を握りしめ、興奮気味にクリフに近づいた。
そして言った。
「よかったらで良い、私も連れて行け!」
「えぇ……」
「それなら、お前を逃しても何の問題もなかろう。何せこの村を出ていくんだからな」
「おいおい、唐突だな……」
クリフが困惑していると、ロゼッタは顔を少し俯けた。
急に彼女の顔に影がさす。
クリフは心配して優しく声をかけた。
「大丈夫か?」
「私はこの村が嫌いだ」
「え?」
「お前のような善良な奴を生贄に差し出そうとするなんて……私はこの村が大嫌いだ!」
「……」
「そして、もしお前や村長が居なかったなら、その時は……」
ロゼッタは言いかけて両拳をギュッと強く握りしめ、腰元に据えた。
彼女は震えながら、クリフに背を向ける。
そして小声で呟いた。
「アイツら、他人の価値を勝手に決めつけおって……」
ロゼッタの頬に一筋の涙が伝う。
クリフは何と声をかけて良いかが分からず、あたふたとしていた。
その時。
大きな木戸の向こう側から、二人の男の声が聞こえてくる。
「おい。さっきから納屋の中で声が聞こえるぞ」
「あぁ? 一応、確認するか……」
ロゼッタは、その声を聞くや否や袖で涙を拭い、クリフに背を向けたまま語りかけた。
「しまった……。クリフ、必ず助けてやるからな!」
「え……おい……」
クリフが声をかけようとした途端。
ロゼッタは建物の後方へと駆け出した。
そして、天井に向けて手を伸ばす。
すると次の瞬間。
クリフは目を丸くして口をぽかんと開けた。
ロゼッタが突然、信じられない高さを跳躍したのだ。
彼女は長梯子でも届かないような高さにある窓枠に着地。
そのまま外へと出ていってしまった。
クリフは呆気に取られる。
すると、背後の大きな木戸が開いた。
そして、杖を構えた村の男二人が中へと入ってきた。
「よお、お目覚めのようだな!」
「お前、今誰かと話していただろ!」
「……え……いいや」
「嘘つけ! 女か誰かがここにいただろ!」
「……あぁ……それは……俺の独り言だ!」
「は? 苦しい言い訳だな」
訝しがる村人二人。
それに対してクリフは、苦し紛れに裏声を作って演技をした。
「タ、大変ダワ! ワタシタチ一体ドウナッテシマウノカシラ!」
「だ、大丈夫さハニー! きっと何とかなるよ! 俺を信じて!」
「ワタシ怖イワ!」
「……」
村人達は突然茶番を見せつけられて動揺する。
驚きのあまり、二人は互いに目を見合わせた。
そんな二人に対して、クリフはニコリと引きつった笑みを見せて乗り切ろうとする。
すると、一人の男が言った。
「わりぃ。俺たちの勘違いだったわ」
言いながら、村人達は建物の外へと出ていった。
彼らは、暗い屋外に進みながら小声で呟き合う。
「アイツまじで独りで喋ってたのかよ……」
「気持ちの悪りぃ奴だな……」