ピアス
車の座席の足元に、小さな何かが、落ちていたのを見つけたの。
……これは。
ピアスの、キャッチ。
……ああ、これは、私にピアスをあけなさいという、神の啓示に違いないわ。
早速、ピアスの穴を開けたの、私。
左耳に光るのは、赤い石のピアス。
とっても似合うよって、褒めてもらったわ?
ちょっと痛かったけど、ピアスの穴、開けて良かったわ?
……ピアスでオシャレを楽しむようになって、少し、経ったわ?
私、うっかりものだから、いつも、いつも、ピアスのキャッチを、落としてしまうのよね。
もう、いくつ落としたのかわからないくらい。
助手席に敷いてある、くまちゃんのクッションの下なんか、すごいの。
量販店で買った、安いピアスだからかな?
キャッチがすぐに落ちちゃうみたいでね?
ピアス本体も、よく落っことすようになっちゃったのよね。
もうね、車の中が、ピアスだらけ。
足元、座席、トレイの中、ドアポケットの中に、ヘッドレストカバーの中、トランクの中、車検証の中。
どこを見ても、いつ見ても、私のピアスが溢れているのよね。
……私のうっかりは、相当だったみたい。
大切な、大切な、赤いピアスを、落としてしまったの。
肌身離さず、ずっとつけていた、真っ赤なピアス。
どこを探しても、見つからないの。
誰かが、持って行ってしまったのかもしれないわ。
……だって、あんなに素敵な、赤い石の付いたピアス。
……私の大切な、大切な、ピアス。
……私の思いが、願いが、祈りが詰まった、ピアス。
誰かが、持って行ってしまう可能性が、高いと思うのよね。
だって、私はいくつもいくつもピアスを落としたけれど、全て誰かが持って行ってしまっていたから。
量販店のピアスなんて安くてダサいのに、欲しがる人がいるんだなって、呆れていたんだけども。
よっぽど、ピアスがほしくて仕方がないのね。
残念だけど、諦めるしかないわね。
……でもね。
わたし、自分の大切なものを、うばわれるのって、許せないの。
赤いピアスは、本当に大切な、もの、だから。
ピアスの穴をあけた日に誓ったのよね、私。
この痛みは、耳に穴をあける痛み。
この痛みは、ピアスをあけなければいけなくなった、私の心の痛み。
ピアスをつけるたびに、この痛みを思い出せ。
ピアスをつけるたびに、この痛みをもたらされた悲しみを思い出せ。
ピアスをつけるたびに、この痛みを受け止めなければならなかった憎しみを思い出せ。
……毎日の日課がこなせなくなってしまったじゃない?
私の大切なものをうばった罪は、重いわよ?
なにも知らないで、奪っていった、誰かに、教えてあげなきゃね。
あのピアスは、生きているのよってね。
私の血を吸い、魂を喰らい。
私の恨みを染み込ませ、私の呪いをその身に宿し。
……私が毎日与えていた糧を、得られなくなってしまったら。
飢えたピアスは、何を思うのかしらね?
飢えたピアスは、何を欲するのかしらね?
飢えたピアスは、何を奪うのかしらね?
飢えたピアスを捨ててしまったら、どうなってしまうのかしらね?
飢えたピアスの怒りは、相当だと思うのよ?
……私はもう、ピアスに糧を、与えることはできないもの。
もう、どうにもならないと、思うわ?
私の大切なものを奪った罪は、重いのよ?
軽いキモチで大切なものを奪った誰かに、償えるかしらね?
罪は償えるものだと信じる、おめでたい誰かに、未来はあるのかしらね?
ピアスはやっぱり、見つからないわ?
今ごろ、思う存分、血をすすっているころかもね?
今ごろ、思う存分、命を食らっているかもね?
ピアスは満足したかしら?
ピアスは満足できたのかしら?
ピアスは満足できるまで貪りつくしたのかしら?
私の大切にしていたピアスが、満足できたと、信じているわ?
私、もう、ピアスをするのはやめようかなって思っているのよ?
私、ピアスの穴がふさがってもいいかなって思っているのよ?
だって、もう、痛みを思い出す必要がなくなってしまったもの。
だって、もう、いなくなってしまった誰かのことを思い出す必要がなくなってしまったもの。
だって、もう、願いたいことなんて、何一つなくなってしまったもの。
ピアスの穴がふさがる頃には、願いたい何かが生まれていたら良いな。
ピアスの穴がふさがる頃には、穴を開けたいと願ったことを忘れていたいな。
私、いつものように、助手席に座ったわ?
どこにも、キャッチは落ちていないわ?
どこにも、ピアスは落ちていないわ?
どこにも、匂わせの欠片は見つからないわ?
どこにも、大切な人を奪おうとする誰かの欠片は見つからないわ?
どこにも、奪われてしまった大切な人はいないわ?
ここには、私を愛してくれる、私の愛する人しかいないもの。
私、ずいぶん悲しかったけど、今はずいぶん幸せよ?
私、ずいぶん憎んだけど、今はずいぶん幸せよ?
私、ずいぶん呪ったけど、今はずいぶん幸せよ?
私、もっともっと、幸せになりたいな。
……そう、思った、私の目に、映ったのは。
助手席の足元にある、小さな、指輪?
ああ、今度の人は、ずいぶん小さな人なのかしら?
……懲りないなあ。
……もう、手放してしまおうかな。
次は、真摯な態度を見せてくれる人が、良いな。
私はにっこり笑って、車を降り。
……二度と、乗る事は、ないと、自分に、誓った。