第三章:里帰りは夕暮れまで
≪第三章≫
それからは毎日が訓練漬けだった。朝は鶏の鳴き声とともに起床。広い王城外壁の外周周りのランニングから始まり、日が暮れるまで剣を振るった。指導役はもちろんフレッドだが、同じメニューをこなしていても全く息が乱れない。
くたくたになって宿舎に帰ると、部屋には食事が置いてある。本来なら食堂で食べるべきところなのだろうが、いつも同室のロランが用意してくれていた。
ちなみに、寝泊まりしているのは王城付兵士の宿舎だ。本来ならお家柄の高い人しか入れない王城兵士宿舎だが、なぜか庶民のレンも使わせてもらっている。同室のロランに聞いても笑顔ではぐらかされるし、下手に詮索して金貨100枚の権利が失われるのは癪なので、深くは追及しない。
あれだけ重たく感じていた金属製の剣が、木刀を振り回していたころよりも軽く振るえるようになった頃、フレッドは試合をしようと言い出した。
「相手はロランだ。あいつああ見えて強いからな。」
書類に埋もれていたロランの姿を思い出す。
「あいつ、剣持てるのか?」
真顔で返したレンに、フレッドはにやりと笑った。
「なめてるとつぶされるぞ。」
ロランの武装は、細い刀身が特徴のレイピアだった。
試合の範囲は半径10mの円の中。かなり広く感じる。
中央で刃を合わせ、静かにロランを見据えた。
「フレッドの訓練は厳しいでしょう。どれだけ上達したのか、ぜひ見せてくださいね。」
余裕そうに微笑むロランをにらみつけ、口元を引き結んで応えた。
フレッドが開始の合図を叫ぶ。「はじめッ」
瞬間、ロランの鋭い突きがレンの喉元を襲う。レンは左に避け、踏み込んだ足元がめがけて剣を薙いだ…が、読まれている。軽く受け流されて拮抗状態になった。
「へぇ…やっぱり血は争えませんね。」
つぶやきながらロランは踏み込んでくる。
「なんだよ血って!!」
激しい連続突きを何とか弾き、胴体を狙ってこちらも突き返すが鮮やかに避けられてしまう。もう一度横なぎを…と隙を狙うが、ロランは全く隙を見せない。
この人…うまいわ。
何度も剣を合わせたが、最後はレンが剣を弾き飛ばされて負けた。
ロランは涼しい顔をしながらも、「いやあ正直なめてましたよ。基礎訓練1か月でここまでとは思わなかった。いい買い物しましたね、フレッド。」などとのたまっているが、レンのほうは完全に息が上がってしまい、終わった後は草むらに大の字になっていた。
「ええええめっちゃ疲れた…」
「レンは集中力抜群なんだけど持久力がないね。武芸大会は連戦する場合もあるから、きちんと持久力も持ったほうがいい。どっちかっていうと集中力をうまく分散して使うって感じかな?」
剣の指導までしてくれるとか完全に余裕じゃねぇか…。
「ロラン、あんな事務屋みたいな仕事ばっかりしてるのになんでこんな強いんだ…?」
「事務屋って…失礼だなぁ…」
ロランはがっくりと肩を落とした。
「事務仕事だけじゃなくて毎日訓練もしてるよ。君より練習量は少ないかもしれないけど、こう見えて、5歳の時から剣を握っているからねぇ。」
どうやら騎士の家柄らしい。
「武芸大会に出てくる人たちも幼いころから剣をたしなんできた…っていう人が多いから、負けないように訓練しないとね。」
ロランはにっこりと笑った。
「おーい、いつまで寝てるんだー。」
ほれ、水だ。と言いながらフレッドがコップを手渡してくれる。
「それ飲んだら出かけるぞ。今日の訓練はこれで終わり!ロラン、ありがとな。」
「いえいえ~。また呼んでね。久しぶりに試合すると楽しいからさ。」
それじゃ、また夜にねー!と元気に手を振って、ロランは去っていった。
「おい、フレッド。今日はどこ行くんだ?」
「内緒。」
「はぁ?」
「とりあえず汗流してから私服に着替えてこい。」
「はーい。」
フレッドの勿体ぶりようが気になったがどうせ行けばわかる。
久しぶりに訓練から解放される予感がして、レンはワクワクしながら支度を始めたのであった。
服は王城に来る前に着ていたものにした。
城門前で待ち合わせとのことだったので、宿舎から出ていそいそと城門を目指す。
城門につくとフレッドはすでに到着していて、何やら城門守備兵と親し気に話していた。
初めて出会った時と同じく目深に帽子をかぶっている。
「フレッド―?」
レンが声をかけるとフレッドはレンのほうを振り向きながら、守備兵に「じゃあ、よろしく頼むわ。」と片手をあげ、こちらのほうに歩いてきた。
「何話してたんだ?」
フレッドは首をすくめながら「さぼりを見逃してくれよーってお願い。」と答える。
そういえばフレッドは一体何の職に就いているんだろう。
王城の中にずっといるし、四六時中俺の稽古つけてるけど大丈夫なんだろうか。
「さ、今日は城下町に行くぞ。昼飯はアランの巣でいいか?」
「おお!久しぶりだ。いや待て、俺、お金ないぞ。」
出てくるときにお金はおいてきた。もともとマルケスにもらっていたお小遣いのようなものだ。マルケスに返さねばと思っていた。
「いいよ、今日は俺が出してやる。」
フレッドはにっと笑った。
城下町につくと、そこは一か月前と何も変わらず、相変わらずがやがやとしていた。
アランの巣の前に来ると香ばしい、いい香りが漂ってくる。
いつも宿舎で食べているご飯もおいしいけれど、やっぱり慣れ親しんだ味が一番だ。
「ここの飯はうまいよなぁ。ほっとした気分になる。」
フレッドもここのご飯が気に入っているようだった。
お互い夢中になって食事をした後、フレッドがおもむろに金貨を2枚、テーブルに置いた。
「ほれ、今月の給金。」
ああ、そういえばそういう契約だった。三月後…いやもう二月後か、にもらう100枚のことで頭がいっぱいだったので、すっかり忘れていた。
「あ、ありがとう…」
金貨なんて初めて見る。太陽の光にあてるときらきらしてきれいだ。
「おいおい、あんまり見せびらかすなよ。物盗りに狙われるぞ。」
フレッドが慌ててレンの腕をつかみ下げさせた。
「金貨なんかさ、生まれてこの方見たことなくて。」
存在は知っていたけど。孤児院ではせいぜい銀貨止まりだった。
「俺、特にお金になるようなことしてないけど、お金もらっていいの?」
思い返せば訓練漬けの一か月。フレッドがつきっきりで指導してくれている。
フレッドはバツの悪そうな顔をしながら、「いいんだ。もらっておいてくれ。」と頭をかいた。
「さて、食い終わったろ。ここからは自由行動だ。3時の鐘が鳴るころ、この店の前で集合だ。しっかり時間守れよ。」
フレッドは二人分の代金を払い、外へ出ていった。
俺もいかなきゃな。―孤児院に。
市場に出るとお店を切り盛りするおかみさんや店主さんから口々に声をかけられた。
「レンじゃないか!久しぶりだねぇ…!どこ行ってたんだい?」
「もう帰ってくるのかい?」
「てっきり人さらいにあったのかと思ってたよ。」
「そうそう、あの帽子の怪しい男ね。」
「というか今何してるんだい?」
「待て待て待て、一度にいわれちゃあ答えられないよ。勘弁してくれよォ。」
レンが困った顔をすると市場の人達は「そりゃそうだわな…」と落ち着きを取り戻した。
威勢のいい果物屋のおかみさんが口を開く。
「マルケスさんには会いに行ったのかい?」
「まだ行っていないんだ。今日はどこにいるかな?」
「ああ、おそらく商工会議所のほうにいるだろう。行ってみるといいよ。」
「ありがとう!みんな頑張ってくれよな!」
「「「おうさー!」」」
市場のみんなに別れを告げ、商工会議所へ向かう。
それにしてもみんなフレッドのこと怪しい男だと思っているんだな。
いわれてみれば1か月毎日一緒にいるが、その素性は全くつかめない。
とりあえず王城に住んでいるイケメンということだけが判明している。
―あいつ、何者なんだろう…
悪い奴ではないな、と感じている。一か月も一緒にいればわかる。
―それに…わざわざ城下町まで連れてきてくれたしな。
孤児院にお金を入れることがわかっていたからだろう。律儀な奴だ。
そうこうしている間に商工会議所についた。
子どもの時分はよく遊び場にして、マルケスに怒られたっけ。
なんだか懐かしい気持ちで建物に入ると、近くの会議室からマルケスの威勢のいい声が聞こえてきた。誰かと話しているようだ。盗み聞きをするつもりはないが、思わず壁際に身を寄せる。部屋の中の会話がかろうじて聞こえてきた。
「あいつは、元気にやってるんですか?」
「ああ…フレイさんの血筋かな、やっぱり筋がいい。でもそれ以上に、マルケスさんの教えがよかったんでしょう。型はほとんど教えなくて済んでますよ。基礎体力がちょっと心もとないですが。」
「そうか…フレイは昔から剣がうまかったからなぁ。フレイは元気でやっているのか。」
「ええ、変わらず。部下からは鬼団長として恐れられていますが…。」
「ふふ、あいつらしい…。」
「さて、私はこれでお暇しますよ。また一月後、来ますね。」
「ああ、くれぐれもあいつを頼みます。」
「承知しました。」
中で人が出てくる気配がする。別段悪いことはしていないつもりだが、居心地が悪くなったので、商工会議所を出て裏手に回った。
フレイ…フレッドと出会ったときに聞かれた名だ。
マルケスはアリアだけでなく、フレイのことも知っていたのいうのだろうか。
あの口ぶりだとずいぶんと仲が良かったように聞こえるが…。
それにあの会話の相手。あれは…。
建物の裏手で悶々としていると、「あーーっ!レンお兄ちゃんだぁ!!」という声とともに、近くの草むらから子どもたちが顔を出した。
「おにいちゃんいきてたぁーーー!!」
「いっしょにあそぼうー!!」
「おうちまでかけっこだぁー!!」
久しぶりに会えたと思ったら袖を引っ張られ、突然かけっこが始まる…子どもたちの元気っぷりに安堵しながら、立ち上がった。
難しいことを考えるのはやめよう。この子たちの笑顔を守るため、俺は頑張らなくちゃな。
「よぉーし!お兄ちゃんが一番とるぞー!!」
レンは腕まくりをしながら、子どもたちの背中を追って走り出した。
孤児院につくと、そこは一か月前と全く変わっていなかった。
たった一か月離れていただけなのに、少し懐かしく感じる。
変わったといえば自分だろうか。商工会議所からここまでそれなりの距離があるが、子どもたちと走っても全然息が切れなかった。
毎日倍以上の距離を走ってるもんな…。
庭に出て子どもたちとだるまさんが転んだをして遊んでいると、レンが帰ってきたことを聞きつけたのか、マルケスが帰ってきた。
「おーい!レーン!!久しぶりだなぁ。なんだかかっこよくなってないか?」
元気にしてたか?とマルケス。その顔は先ほどの会話など微塵も感じさせない、いつも通りのマルケスのものだった。
「マルケス!久しぶりだね。そう、渡したいものがあったんだ。少し話せるかな?」
「おうさ、俺の部屋に行こう。」
「みんなはここで遊んでてね。お兄ちゃんはお父さんと秘密のお話があるんだ。」
子どもたちは“秘密のお話”を聞きたがったが、何とか振り切って、マルケスの部屋へ入った。
早速金貨2枚を渡す。
「これを…孤児院の経営に役立ててほしくて…。」
マルケスは少し驚いた表情をした後、神妙な顔つきになった。
「いいんだ。これはお前が自分で稼いだ初めてのお金だろう。自分のことに使ってくれ。孤児院は大丈夫。町の治安も回復してきて、お金も回り始めている。町を歩いていて、物盗りに遭わなかったろう?最近はお国もこの城下町に目を配ってくれるようになったんだ。だから、心配しなくていい。」
そういわれてみれば、だいぶ隙だらけな状態で歩いていたのに、金貨は盗られなかった。それに、明らかに様子のおかしい子どもなども見かけなくなっている。
「国が窃盗団を捕まえてくれたんだ。第一王子のフレデリック様が窃盗団を取り締まるように働きかけてくれたんだそうで…。ありがたいことだ。」
「へぇ…変わった王子様もいるもんだね。王族ってのは民のことなんて気にかけていないのかと思っていたよ。」
「そんなことないぞ、フレデリック様はいつだって私たちを見てくださっている。」
フレデリック様、ねぇ…あったこともないけれど、きっと素敵な人なんだろうな、と思った。自分も王城にいるわけだし、もしかしたらそのうち会えるかもしれない。
この国の王族はプラチナブロンドと碧眼という容姿だ。きっときれいな人なんだろう。
とはいえ、これから子どもたちが大きくなれば、育てるのだってよりお金がかかるのだ。
「マルケス、これはマルケスに持っていてほしいんだ。マルケスと、町の人たちに恩返しがしたいんだよ。頼むから、もらってほしい。俺のために。」
そういって、レンはマルケスの手のひらに金貨を乗せ、ぎゅっと握らせた。
マルケスは複雑そうな顔をしていたが、「お前も、大人になったなぁ…。」とつぶやき、うな
ずいた。「ありがとう、子どもたちに新しい本を買ってやらないとな。」
やがて、王城から時を告げる鐘が3回打ち鳴らされた。
名残惜しいが、ここでお別れだ。
子どもたちにまた会おうと告げて、アレスの巣へ向かう。
マルケスは元気でやれよとレンの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
アレスの巣につくと、フレッドが退屈そうに煙草をふかしていた。
「遅いぞレン。待ちくたびれた。」
怜悧な美貌に子どものようなむすくれた表情を乗せているフレッドに、意外な人間味を感じることができて、レンはくすりと笑った。
「何笑ってんだよ。もう行くぞ。」
照れるように帽子を深くかぶり直す姿にまた笑いそうになるのをこらえながら、フレッドと一緒に王城への帰路を歩むのであった。