第一章:旅立ちは昼に
≪第一章≫
シュルツ王国城下町市場は昼時とあってにぎわっている。
その中でも一段と人が集まっているのは、いかにも食欲をそそる匂いをあたりに振りまく飲食店。町の台所ともあだ名されている食事処、「アランの巣」だ。
ちょうどお昼時、がやがやとにぎわう店の表通りに面したテラス席の一角で、目深に帽子をかぶった怪しげな風貌の男と、商人風の男が話し込んでいる。
「ですからね、今この王国にはまともな王位継承者がいません。民はそのことを憂いている。怖いんですよ。王がいなくなった後、だれがこの国を治めるのか。王子は3人いるが、第一王子は王妃の連れ子、第二王子は病弱で外も出歩けない、第三王子は頭が悪い…。そもそも第二王子と第三王子はまだ8つと5つだ。とても王位など継承できません。第一王子はまぁありきたりな人と聞いてますが、いかんせん髪の色・目の色があれではね…。
そこで、自衛の手段としての武器がね、街中では売れ始めているんですわ。あたしの資金力だけではたくさんの武器を用意することは難しいが…旦那のお力をお借りできれば、不安を癒し、自衛の手段としても使うことのできる武器を民に与えることができるんですよ。ただの商売じゃない、慈善の意味合いもあるんだ。いかがです?旦那。乗りませんか?」
旦那と呼ばれた怪しげな男は少し思案している。「して一体どんな武器を、どれだけ仕入れるんだ。でいくらで売るつもりか。行商として国全体に売りに行くのか、城下町だけで売るのか。そもそも、本当に武器の需要が増えているのか?国を守る兵士だってかなりの数いるだろう?わざわざ身銭を切ってまで高価な武器を買うかね?」
畳みかけられた商人は、うっ…と言葉を詰まらせながら、「で、ですからね…」と説得の口を開いたとき、「盗人だー!捕まえろォ!!」という罵声が通りに響き渡った。
商人と男が通りに目を遣ると、二つの影が猛然と近づいてくる。一人は薄汚い身なりをした少年、一人は白っぽい長髪を後ろに束ねた青年。どうやら青年が先ほどの罵声の持ち主のようで、必死の形相で少年の背を追っている。
「ね、城下町もこれだけ物騒なんですよ旦那。」
商人は助かったとばかりに男を振り返ったが、男はもう、そこにはおらず、食事の代金だけが置いてあった。
同時刻。レンはいつも通り、木刀片手に市場を巡回していた。昔は市場のあたりも安定していたというが、世情が不安定になってからは盗みや暴力沙汰などが頻発し、治安が悪くなっている。特に昼時で混雑するこの時間は危ない。王国衛兵は下々の者の暮らしなど見て見ぬふり。自衛するしか手段がないのだ。
この町のはずれにある孤児院で育ち、18になったレンだが、市場の顔役兼孤児院の院長であるのマルケスから剣の腕を見込まれて自警団めいた事をしている。小さい時分から世話になっているマルケスからこの件を頼まれたときは、父親代わりのマルケスに一人前と認められたような気がして、面はゆい気持ちになったものだ。
「レン!今日も巡回ご苦労さん!これでも飲んでけー!」
「ついでにこっちのホットドックも食べって!今日もよろしくね!」
市場の人たちもみなよくしてくれる。巡回を始めるようになって、少しでも騒動が減ったのなら、いいのだけど…。
そんなことを考えながら歩いていると、腰のあたりに少年がぶつかってきた。どうやらかなりぼーっと歩いてしまっていたらしい。
「ごめんな、大丈夫か?」
ひっくり返った少年に手を差し伸べながらしゃがみ込むと、少年は慌てた様子で後じさり、そのまま走っていく。汚い身なりに見合わない、金貨や銀貨、宝石などをこぼしながら。
はっとして自分のポケットをまさぐってみると、2枚入っているはずの銀貨がなくなっていた。盗まれた―レンはそう知覚するより先に少年の小さな背を追って走り出していた。
「盗人だー!捕まえろォ!!」
人でごった返す表通りを、泳ぐようにしてかき分け、全力疾走する。子どもは背が低いのですぐに見落としてしまうから、急がなくては。盗みをするのもよくないが、身寄りのない子どもに盗みをさせるというあくどいことをしている奴らもいると聞く。孤児院に来れば、守ってやれるのだ。絶対に捕まえて、まずは話を聞かなくては…。
ちょこまかと身軽に逃げていく少年の背を追うには、自分の体は大きすぎる。だんだんと遠ざかっていく背中を目で追いかけながら、焦りを覚えていたレンは、食事処アレスの巣が見えてきたあたりで、突然少年が宙に浮かんだのを目撃した。
「えっ!?」
少年も驚いた表情をしている。よく見たら帽子を目深にかぶった男が、少年の首根っこをつかみ、高々と掲げていた。
「離せ!離せよオォ!!」
じたばたともがく少年をものともせず、男は追いついたレンに向って、「盗人ってこのおチビちゃんのことか?」と涼し気に聞いた。
「お、おう…そうだけどよ…。」
なんだこいつ、見た目も怪しいが、軽薄なようでいて圧倒される雰囲気がある。よく考えてみたら、8つの暴れている子どもを片手でつかみ上げているなんて、なんつー怪力なんだ…?レンの脳裏に異質な存在への恐怖がもたげ始めるが、今は少年から話を聞かなければならない。
「そいつ…おろしてやってくれ。話があるんだ。」
レンの言葉を聞いているのかいないのか、男は少年の顔を自分のほうへ向けた。
「おチビちゃん、盗みはいけないよ。自力で稼げるようになんな。今日はお兄さんがお小遣い遣るから、盗んだものはここへ全部おいていくんだ。」
優し気な言葉とは裏腹に、相手を服従させる凄みがある口調に気圧された少年は、地面に下ろされた後、金品を投げ出して逃げるように走り去っていった。
「あーあ、小遣いもらわずに行っちまったなぁ。」と走り去っていく少年の背中を見つめた怪しげな男は、レンに振り返って口元を緩めた。
「お兄ちゃんも変わった人だね。盗人に対して話とは。ああいう手合いは子どもであっても容赦しないほうがいい。子どもだと思うと、かえって痛い目を見る。」
「あんたも知っているだろ?近頃じゃ子どもをつかった窃盗団がいるんだ。やばい輩にやとわれている子たちを放ってはおけないだろ。」
「ふうん。立派な正義感だな。でも話をしてどうするんだ?お前が育てられるわけでもなし。」
「う、うちの孤児院に連れていく。マルケスさんに面倒見てもらえないか頼んでみる。」
「孤児院、ねえ…。」
男はふと思案気な顔になったかと思うと、レンの顎をつかみ、そっと持ち上げた。お互いの額がくっつくほど近くに寄せられる。口調からは荒っぽさを感じていたレンだが、まるで女性に対して口づけをするかのような優しい仕草にレンは違和感を覚えた。
「おい、何すんだよ。」
目深にかぶった帽子の下の顔が見える。帽子のせいで暗いが、整った顔立ちだということははっきりとわかった。あれ?この顔、どこかで見たような…。
「お前も、孤児院の出か?」
「そ、そうだが…?」
吸い込まれそうな深紅の双眸がレンをじっと見つめている。
「そうか…フレイ、もしくはアリア、という名前に覚えはあるか?」
フレイ…?アリア…?記憶を巡らせる。
アリア…
どこかで見た覚えがあるような…
考えたが出てこない。もやもやする。でも全く知らない名前じゃない。
そんなレンの様子を見て、どこか納得した様子の男は、レンの顎を離した。
「俺の名前はフレッド。お前は?」
「…レンだ。」
「そうか。レン、お前、俺に雇われる気はないか?」
「はぁ?」
予想外の言葉が出てきた。こんな怪しげな風貌の男についていったら何の仕事をさせるかわかったもんじゃない。レンから拒絶の意思を感じたのか、男はすかさず言葉を紡ぐ。
「金払いは悪くない。そうだな、ひと月で金貨2枚ってところか。ただ、今住んでいる場所を離れてもらう。それからそうだな…多少の危険は伴う。」
「危険って…。」
「何、死ぬほどのことではないさ。ただ、そうだな。剣は使う。」
きな臭くなってきたがひと月で金貨2枚は破格だ。そんな給金をもらえるのは王族に仕える兵士くらいなもんだろう。
「どうだ?お前の住んでいる孤児院の経営を支えるにも、金が必要なると思うが…。」
―孤児院。
確かに今の孤児院はお金がない。市場の顔役であるマルケスさんが貧しい子供たちを救うべく始めた孤児院だったが、最近は経営が厳しく、新しく子どもを受け入れることをやめていた。確かに、さっきみたいな少年だって本当は孤児院に入って保護されてしかるべきなのに、貧しい子供は増える一方で今の孤児院の収容力じゃ足りないのが現実だった。
「おい、なぜ孤児院の経営を知っている。というかなぜ俺が孤児院に住んでいると?もう18だぞ。」
「独り立ちしてるんだったら町の用心棒だけじゃ食っていけないと思うがね。」
「ぐっ…。」
ぐうの音も出ない。
「まあいいさ。猶予を2日やろう。2日後の正午、アレスの巣でまっている。」
そういって怪しげな男―フレッドは去っていった。
その日の夜。
孤児院に帰ったレンはフレッドに言われた言葉を思い返していた。
『フレイ、もしくはアリア、という名前に覚えはあるか?』
フレイに関してはさっぱりだったが、アリアという名前はどこかで見たことがある。
孤児院で子どもたちと食卓を囲みながら、アリアという名前について記憶をさらっていると、つんつん、と袖口を引っ張られた。最年少のマリーだ。
「レン、たべてるあいだはしゅうちゅうしなきゃだめなんだよ!マルケスに怒られるよ!」
「はは、ごめんよ。ちゃんと食べなきゃな。マリーもニンジン残しちゃだめだぞ。」
ええー、とむすくれているマリーの頭をポンポンと撫で、レンは黙然とスープをすすった。子どもたちのうち、比較的年長のユミィが作ったスープは今日も温かくて優しい味がする。
そうだ、この子たちを守らなければ。マルケスさんに守ってもらって、市場の人たちに育んでもらった恩を返さなきゃ。そんな思いを固めていると、孤児院のドアが音を立てて開いた。
「ただいまーー。はぁーくたびれた。」
院長マルケスの帰還である。子どもたちは大はしゃぎだ。
「ぱぱーおかえりなさい!」
「マルケスだー!おんぶして―」
「わたし、かたぐるまがいい―!!」
ごはんそっちのけでまとわりつく子どもたちに顔をほころばせながら食卓に着くマルケスだったが、レンの顔を見て心配げな表情をした。
「どうしたんだレン。浮かない顔をして。」
レンは今日あったことを思い返す。子どもの盗み、謎の男、怪しい仕事…。
いえるのは子どもの盗みくらいなものだ。
「いや…今日も子どもの盗みがあってね。この子たちより少し大きいくらいの子だったよ。」
「そうか…。うちで預かってあげたいんだがな…。」
マルケスの浮かない顔に厳しい懐事情を察したレンは、話題を変えるべく、努めて明るい口調を作った。
「なあ、アリアって名前の奴知ってるか?俺に関係している奴らしいんだけど、思い当たらなくてさ。」
とたん、マルケスの顔が厳しくなり、すぐに寂しげな顔に変わった。
一瞬の気まずい間の後、マルケスも努めて明るい口調で言った。
「今日は久しぶりに晩酌でもしよう。子どもたちが寝た後、わしの部屋に来てくれ。」
「わかった。つまみでも作っていくよ。」
子どもたちもただならぬ雰囲気を感じたのか、マルケスとレンの顔を互い違いに見つめている。
「すまんな、楽しい話をしよう。お父さんは今日こんな仕事をしてきてなぁ…」
マルケスと子どもたちが楽し気に話をしている中、レンは黙々とスープを口に運んだ。温かくて優しい味は、もう感じられなくなっていた。
子どもたちも寝静まった晩、簡単なつまみを用意してマルケスの部屋へ行くと、いつになく真剣な顔をした彼が、机に向かい、何かを読んでいた。ろうそくの明かりに照らされた簡素な部屋の中には本棚とベッド、それから今マルケスが座っている机しかない。
「ああ、レン。来たのか。」
マルケスは、用意していたワインボトルを開け、2つ用意されたマグカップに注ぎ、ベッドに腰かけたレンへ渡した。
「なぁ、マルケス、アリアってのは一体…。」
前のめりになったレンを制し、マルケスはマグカップを掲げる。
レンもそれに倣ってマグカップを掲げた。
「「乾杯。」」
ワインに口をつけてから、気まずい沈黙が簡素な部屋に落ちる。
永遠とも思える時間が過ぎた後、マルケスが重い口を開いた。
「アリアっていうのは、お前の母親の名前だ。お前が孤児院に来た夜、入っていた籐籠の中に手紙が入っていてな、その手紙の差出人がアリアという人だった。俺はその姿を見ていない。ただ手紙には、最愛の人との間の子だが自分にはどうしても育てられない。レンが強く正しく、健やかに生きられるようにどうか手助けをしてやってくれ。という内容が書いてあっただけだ。アリアという女性はその後一度もこの孤児院には来ておらん。ずぅっと昔にお前にも手紙を見せたことがあるだろう。ほら、これだ。」
渡された手紙には流麗な筆跡でアリアと書かれていた。
「きれいな字だな。」
「そうだろ。庶民の字じゃあないよな。…で、お前はどこでそんな話を聞きつけたんだ?」
レンは答えに窮してしまう。あの怪しげな男の話をして、マルケスを心配させるんじゃないか。ああでも、もしあの男についていくことになったら、街の用心棒はできなくなってしまうのか…―思考が入り乱れ、言葉が出てこない。
「レンももう、18だ。秘密の1つや2つあるよな。大人になったよなぁ…あんな小さかったのに。」
「マルケス…」
マルケスは寂しげな笑みを浮かべながら「本当に早いもんだ。」とつぶやき、意を決したようにレンに向き直った。
「レン、お前はもう独り立ちの時だ。この孤児院に縛られる必要なんてない。もう一人でも、強く正しく健やかに生きることができる。そうだろ?」
「おい、マルケス?」
「お母さんのこと、探しに行くんだろう?わざわざ名前のこと聞いてきたくらいだ。何か思い当たる節でもあるんだろう。行ってくるといい。」
マルケスは寂しそうに、しかし毅然とレンを見つめている。
母…のことは確かに気にならなくもない。でも自分にとって大切なのはマルケスや子どもたちのいるこの孤児院だ。
―孤児院を守りたい。マルケスや子どもたちが健やかに暮らせるよう。守られるのではなく、守ってやりたい。
やはり、金を稼ごう。こんなに優しい父と無邪気な子どもたちに苦労させるわけにはいかない。でも、金を稼ぐために行くとは言わない。きっとマルケスは止めるから。
レンもまた、決意を込めた目でマルケスを見つめ返した。
「ありがとう。行ってくるね。」
レンが部屋を出ていったあと、マルケスはもう机の引き出しからもう一通の手紙を取り出し、つぶやいた。「フレイ…アリア…、レンのことを頼むぞ…。」
2日後の昼。アレスの巣自慢のテラス席の一角で、帽子を目深にかぶったフレッドは煙草をふかしていた。
―レンは来るかな。いや、きっと来るな。あいつは孤児院を大切に思っているようだから。帽子の下の涼やかな相貌に微笑を湛えながらフレッドはレンを待つ。
やがて。
「おい、仕事とやらを紹介しろ。」
2日ぶりの声に心の中で快哉を上げながら、フレッドは顔を上げた。
「まずはそこに座って。さあ、商談を始めよう。」