崩壊からの帰還 09 知られた秘密と辿り着いたホーム
「………」
その男は無言で、仰向けに寝そべっている三人を見下ろしていた。
最初に気がついたのはゼンだった。
水飲み場を照らす街灯の明かりが不意に遮られたことで重い瞼を持ち上げると、目の前に大きな男の顔があったのだからその衝撃はどれほどだったか。
全身をアドレナリンが叩き起こす。
早鐘を打つように心臓が全身に血液を送り出し、身体よ動けと筋肉を急かす。
しかし肝心の頭が、糖分の不足した脳が指令を出そうとしない。
とはいえ十秒ほど経った頃にはどうにか最初の指令が発された。
ただし、それまでの間ゼンの脳は時間の経過感覚を引き延ばす。
それは数分にも感じただろう。
最初の指令を受け取った喉は、裂けよとばかりに絶叫した。
その絶叫が同じく仰向けに倒れ込んでいた二人を叩き起こす。
しかし、二人も反応出来るまでにややしばらく時を要した。
それは、ユニバーサルデザインの水飲みをどうにか登ろうと悪戦苦闘していたロムの耳にも届いた。
水飲みを挟んで裏にいたことも影響していただろう。
しかし、それ以上にロムもこの冒険で疲労していたらしいことが、この事態に影響を与えたことは否めない。
(音もなく忍び寄ってきたのか?)
おそらくその通りだろう。
男はうごめく小さな人影に、こちらも緊張し警戒して静かに近寄ってきたのだ。
「ミクロンプレイヤーか?」
男はそう問いかけてきた。
すぐすぐどうこうするつもりはないようだ。
しかし、突然の事態に完全にパニックに陥っている三人は対処できる精神状態にはなかった。
意を決したロムが男の前に立つ。
「そうだ」
言って彼は改めて男を観察する。
年の頃は四十に近いだろうか?
身なりはそれなりだが若干臭う。
髪は整えられていないしぱっと見た感じ四、五日は風呂に入っていないだろう。
(ホームレス?)
ロムが男を観察しているのと同様、男も彼のことを値踏みしているようだ。
「なぜ外にいる」
当然の疑問だろう。
ミクロンダンジョンは、いやミクロンシステムを民生利用すること自体を政府が非合法としている。
それを判った上で遊ぶ冒険者がいることは世捨て人でなければ知らぬ者はいないはずだ。
禁止決議から二年と経っていないし、過去に何度も摘発事件としてニュースになっている。
ただでさえそんな危ない橋をわざわざダンジョンフィールド外で渡るなど、それこそ正気の沙汰じゃない。
「夕方、ビルに車が突っ込んだ事件があったのは知っているか?」
「ああ、野次馬しに行った。……はぁん、あそこでやっていたのか。そりゃ災難だな。で?」
「ホームに帰る途中なんだ」
「そこに帰りゃあ元に戻れるのか?」
ロムは男から視線をそらさず頷いた。
その頃には三人もなんとか起き上がり、ロムを中心に集まっている。
男はニヤリと右の口角だけを釣り上げると少し顔を近づけてきて、酒臭い交渉を持ちかけた。
日付が変わろうとしていた。
下町の迷宮亭のあるオモチャ屋の地下にはジリジリとした気分をタブレット端末の縁をトントンと忙しなく指先で叩くことで紛らわせている蒼龍騎と、まんじりともせずに繰り返し再生させているニュース映像を映し出すモニタを見つめる店長の姿があった。
重苦しい空気を破ったのは蒼龍騎のスマートフォンだった。
表示を確認すると、今や探すのも困難な公衆電話からの呼び出しである。
二人は顔を見合わせて互いに頷くと、スピーカーフォンのアイコンをタップする。
「蒼龍騎、オレだ」
縮小された人特有の甲高い声がスピーカーから流れてくる。
蒼龍騎は再び店長の顔を見る。
確かにSNSやゲームプレイ中はプレイヤーネームで呼び合うが、電話口で呼ばれたことはない。
彼は用心して言葉を選ぶ。
「ジュリーか?」
「ああ、今どこだ? あ・いや、家にいるのか?」
やはり何かあるのだろう。
慌てて言い直す辺り何かある。
「それはこっちのセリフだ」
「すまん。ちょっと頼まれてくれないか……」
それは彼がここ下町の迷宮亭に来てから六時間、事故からは八時間は経とうとしていた末の安否確認だった。
下町の迷宮亭に店長と蒼龍騎。
そして復元の終わったサスケにゼンとミクロンシステムから出て来たジュリーが揃う。
あとはロムが元に戻るのを待つだけとなった。
「お疲れ」
店長が声をかけ、ホットココアを差し出す。
「ありがとうございます」
それを受け取ったジュリーは疲れ切った表情で観客席に座り込む。
サスケもゼンもココアで人心地ついたのだろう。
蒼龍騎が買ってくれたコンビニ弁当を食べている。
「それにしたって公衆電話から電話がかかって来た時にはびっくりしたぜ」
「悪かったな。事故でプリペイド携帯無くしてたし、ここに直接連絡するわけにいかなくてな」
「構わないけどな」




