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崩壊からの帰還 07 寂しい女が子猫を拾う話

 その女性はほろ酔い気分で帰り路についていた。

 二十代半ば。

 仕事にもようやく慣れ、独り暮らしのリズムも掴めて生活費も計算できるようになった。

 最近では金銭的な余裕も増え、飲みに出歩くことも多くなった。

 今日は週末を利用して上京してきた友達に呼ばれて、大学時代の友人達との久し振りの女子会だった。

 彼女の帰りの電車に合わせてお開きとなったので心持ち飲み足りない感じもなくはなかったが、残ったメンバーから二次会の話も出なかったので家に帰ることにしたのだ。

 もっとも明日は出勤日、深酒するわけにもいかないのだから仕方がない。

 幹線道路沿いを心持ちゆっくり歩いていると、何かがアゴの辺りに当たったような気がした。

 そこを指で触ってみたが、当たり前のように何もない。

 すると今度は襟足の辺りに何かが当たった感触がする。

 流石に立ち止まって辺りを見回すと、そこには一匹の三毛猫がいて、彼女の視線に気づいたのかこちらを振り向いた。

 子猫だろうか?

 実家で猫を飼っていた経験から五ヶ月くらいかと検討をつけると、彼女はその猫に近づき声をかける。


「そこに何があるの?」


 仔猫は生垣の中を覗いていた。

 好奇心旺盛な仔猫は物珍しいものを見つけると興味を惹かれて追いかけることがある。

 きっとこの仔猫もそんな何かを見つけたのだろう。

 声をかけられた仔猫は「ナァ」と甘い声で鳴くと、彼女に近づいてきた。

 人見知りしない猫だ。

 幼いこともあるのだろうが野良だとすれば随分人()れしている。


「お母さんはどうしたの? 兄弟は?」


 五ヶ月といえば独り立ちする頃だ。

 きっとこの仔猫も母猫の元を離れて一人で生きて行くことになったのだろう。

 そんなことを考えると人知れず目頭が熱くなる。

 独り暮らしには慣れたつもりだった。

 就職して東京に出てきた当初は寂しくてよく泣いていたが、今はそんなこともない。

 つもりだった。

 それがどうしたことか、今この仔猫を撫でていると無性に泣きたくなったのだ。

 飲み会で話したそれぞれの卒業後の苦労話で郷愁を誘われたのか、それともこの夏の終わりに別れた恋人を思い出して人肌恋しくなったか?


「うちに来る?」


 彼女は、涙声で差し出した手の匂いを嗅いでいる猫に声をかける。

 言葉が判ったのか、仔猫はその手にすり寄り甘えてきた。

 それを見て思わず抱き上げ頬ずりをすると、


「お酒くさい? ごめんね。アラ? 君、男の子なんだね。よろしくね」


 などと言いながら仔猫を連れて足早に去って行った。

 女性が仔猫を抱えて去って行くのを見届けた四人の小さな冒険者は生垣から出てくる。


「ようやくだな」


 綿を入れたモコモコのトレーナーを着たやせ気味の男が芝居掛かった感じでつぶやく。

 猫を追い払うために通行人に小石を投げつけるという作戦は、幾度かの失敗を経て最大級の成果をあげた。

 当初の予定では人が近づいてくることで猫が逃げるのを期待したものである。

 生垣の中を覗かれてその人に気づかれてしまうリスクはあった。

 それでも他に彼らに強い興味を惹かれて動こうとしない猫を追い払う方法が思いつかなかったのだ。

 第一投は人に当たりこそしたが腰の辺りと低すぎて気づかれなかった。

 そこで顔に当てることにしたのだが、これが思いの外難しかった。

 猫に襲われないように生垣の茂みの中から投げるという行為がそもそもにおいて難しく、

 最初のうちは枝葉に邪魔されて歩道に投げることにも失敗した。

 高さも難易度を上げる要因だった。

 生垣は通行人の鳩尾みぞおちほどしかなく、投げ上げる角度と対象への距離が中々掴めなかったのだ。

 そして、当たってもこちらに注意を向けてくれる人がいない。

 当たったところを気にする人はいてもつぶてが飛んで来た方に目を向ける人がいなかったのだ。

 そこで、礫を複数回当てる作戦に戦略を変更してようやく彼女が猫に気づいてくれた。

 だけでなくこの冒険旅最大の脅威を連れ去ってくれたというわけだ。


「時間がかかりましたが、おかげで私の体力が大分回復しました。サァ、先を急ぎましょう」


 黒いローブを着た小太りの男が、鼻にかかった妙に節のついた話し方で言う。


「夜も更けて冷えてきたでござる」


 黒い忍者姿の男が覆面でくぐもった低い声でボソリと言う。

 綿入りトレーナーやふくらはぎの下まであるローブと比べ、彼が最も薄着と言えるだろう。もう時期冬になる東京の夜はさすがに上着なしで出歩く時期ではない。

 そんな彼の姿を(夜に黒の忍者衣装は思ったより目立つなぁ)などとぼんやり思っていた中国拳法着の少年は、トレーナーの男に促されて後を追う。

 交差点に出た冒険者たちは呆然と立ち尽くす。

 もちろん、人目を避けた物陰である。

 主要幹線道路は夜更けた事もあって歩行者こそまばらだが、車の流れが途切れない。

 これでは人知れず横断歩道を渡るなんてとてもじゃないが不可能だ。


「お手上げだ。どうすんだ? ゼン」


「……参りましたね」


 ゼンと呼ばれたローブの男もそう絞り出すのがやっとだった。


「参ってたって先に進めないぜ。なんとかしないと…」


「そう言われても……サスケにはいい案、ありませんか?」


「この状況のどこに活路が見出せるというのでござるか?」


「……ですよね……」


 ゼンもそれきり言葉が出ない。

 この主要幹線道路さえ越えられれば、目指す目的地までは純然たる住宅街だ。

 個人商店はあっても夜も遅い。

 オフィスや歓楽街のあったこれまでの道程よりずっと安全に移動できるはずだった。

 しかし、この幹線道路が超えられない。


「どうすりゃいいんだ……」


「ジュリー……」


 震えて膝をついたジュリーの背中にゼンはそっと手をおいて、彼の震えが絶望からだけのものではないと知る。

 綿入りのトレーナーは彼の汗だろうか冷たく湿っている。

 この状況は危険だ。

 このままでは体温がどんどん奪われていくだろう。


(なんとかならないのだろうか?)


 いちの望みにすがるようにゼンが拳法着の少年に視線を送る。

 彼は盛んに何かを確認しようとしているようだった。

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