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バイオダンジョン 06 閉ざされた迷宮

 石畳の階段を降りるとセオリー通りの最初の小部屋(セーフティールーム)があった。

 床も壁も石積みの何もない部屋は、ファンタジー系映画そのもので石の扉がダンジョンを閉ざしている。


「石の扉?」


 マッピングの準備を待つ間、ロムは扉を観察していた。


「開くのかコレ」


「実寸なら四人で開けるのは難しいでしょうね。でも、今の我々は十分の一ですから」


「その理屈がオレにはよく判んねぇんだけど、小さくなるとどうして開けられるようになるんだ?」


「よくアリは自分の数十倍の重さを持ち上げられるなどといいますよね?」


 ゼンはジュリーが頷いたのを確認してから自らのウンチクを語り出した。

 アリが仮に十倍のサイズに大きくなった場合、体長は単純に十倍になるわけだが体積は三乗されるので体重は千倍になる。

 一方で身体強度は骨格と筋肉の断面積に比例する。

 面積は二乗されることになっているので断面積は百倍にしかならない。

 アリは大きくなったからといって、本来のサイズで発揮しているような体重の何十倍もの重さのものを持ち上げられるわけではないのだ。

 逆に人間が縮小された場合。

 仮に半分になったとしよう。

 身長はそのまま二分の一だが、断面積・体積はそれぞれ四分の一・八分の一になる。

 つまりこの時点で体重に対して原寸の時より二倍の力を発揮できるようになるというわけだ。


「我々は十分の一になっているのですから、体積は千分の一ですが断面積は百分の一です。人は自分の体重くらいは持ち上げられると言われてますから、百グラムに満たない我々でも四人いれば単純に三キロくらいは動かせるということです。どうです? 納得していただけましたか?」


「ああ、なんとなくな」


 ジュリーはまだいまいち理解出来ていない表情で曖昧に相槌を打つとロムを見る。

 ロムの方はようやく合点がいったように首を回すとゼンに言った。


「なるほどね、攻撃力と防御力に関しての疑問は解消されたよ」


「まだ疑問があるのですか?」


「ああ、気のせいなのか実際違うのか感覚的なものだからなんとも言えないんだけど……ダンジョンアタック中は感覚が鋭くなってるようでよく見えるし、体の反応も早い気がするんだ」


 そう言いながら、彼は持っている棍を頭上で振り回してみせる。

 ゼンは「それは」と口元に笑みを浮かべてこう答えた。


「それは気のせいではなく事実です。神経伝達物質の移動速度は物理法則を超えられませんが、移動距離は十分の一ですからね。感覚的にも実寸比的にも我々は超人的な運動能力を発揮できるのです。アニメや特撮のヒーローのように簡単にはやられない頑健な体と驚異の攻撃力を十分に引き出せる運動神経も秘めているというわけですよ」


「それでこう……ミクロン世界では体が軽いというか、なんとなくフワフワした感覚に陥るのか」


 こちらの説明に関してはジュリーも理解出来たようだ。

 実寸ならおそらく一時間もしないうちに力尽きてしまうのではないかと思われる重装甲の金属鎧を着込み、半日近くダンジョン内を歩き回って戦闘を繰り返すダンジョンアタックを、決して恵まれた体格とは言えないジュリーが行えることを実感しているからこその納得なのだろう。


「準備ができたでござる」






 四人が石の扉を押し開きダンジョンの奥へと足を踏み入れた頃、一人の男が『嘆きの酒場亭』に来た。

 制服であるクラシックなドイツの民族衣装(ディアンドル)を着た豊満な若い女性は入り口から男が一人入って来たことに対し、反射的に「ようこそ帰らずの地下迷宮へ」と言いかけた。


「ああ、店長」


「やぁ、元気にやってるかい?」


 年の頃三十半ばだろうか?

 雪灰色の細身のスーツを着た百八十センチ近い男だった。

 店長と呼ばれたその男は目尻にシワを作った笑顔を向けてくる。


「今日はもう上がっていいよ」


「え? いいんですか?」


「ああ、交代の時間にはまだ少し早いけど、構わないよ」


「今日はご予約のお客様が一組、今アタック中ですけど……」


「だからだよ」


 店長は、今ダンジョンアタックをしている冒険者がいるのでもう受付で待っている必要がない、というのだ。

 確かにこのゲーム、一度始めると大体は夜になるまで戻ってこない。

 店員は実寸のここと十分の一サイズの『嘆きの酒場亭』とに一人ずつ、短い拘束時間に時給換算で相場の二倍近くという破格の報酬ながら、ほとんどの時間をたった一人で特にすることもなく過ごすという実はなかなか辛い仕事である。

 店長の提案はそういう意味で願ったり叶ったりなのだが、どうにも腑に落ちない。


「たまにはいいさ。ここの仕事がはたから見るよりずっと過酷なのは僕が身に沁みて判っているからね。そのぶん給料から引いたりしないから心配しないで」


「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて」


 彼女はそういうとカウンターの裏にあるボタンを押した。

 ボタン側にあるスピーカーからもう一つの『嘆きの酒場亭』店員の声が聞こえてくる。

 事情を説明すると、彼女の方は純粋に喜んですぐに戻ってくると返事があった。

 二人が制服を着替え、挨拶をしてエレベーターに消えて行くのを見送った店長は、それまで貼り付けていた朗らかな笑顔をやめ、くらい笑顔で呟いた。


「さて、彼らはどちらの結末か……」


 四人が開いた石の扉は自然に閉まり、後戻りができなくなった。


 扉は構造上こちら側に引いて開ける扉だというのにこちら側には取っ手などなく、そもそも四人がかりで押し開いてきた重い石の扉である。


「マジか」


 ジュリーは背中に冷たい汗を感じブルリと身震いをする。


「RPGの演出的にはよくあることですが、ミクロンダンジョンでやられると結構精神的にきますね」


「リタイヤもできないってことか?」


「いや、いくらなんでも流石にそんなことは……」


 というゼンの言葉には力がない。

 何せここは「そのダンジョンに挑むと戻ってこない」などと噂されている『帰らずの地下迷宮』だ。

 そもそもにおいてここは「クリアできるダンジョン」なのか?

 そんな疑問さえ浮かんでくる。


「引き返せなくなったのは事実だし、変えようもないんだから先に進むしかないでしょ」


 ロムがいう。


「そうだな、ここで頭抱えてたって事態は変わらない。状況は想定外だが、オレたちの冒険に危険があることははなっから覚悟していたことだ。行こう」


 ジュリーのいつも以上に熱血漢然とした芝居ががった発言は冒険者に改めて決意を促し、四人は力強くこの不気味なダンジョンを歩き出した。

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