エドさんかっこいい
まさか断られるという選択肢があると思っていなかった貴族の男は、一瞬呆けたような顔をしたが、みるみる怒りで顔を赤くした。
「き、貴様!断るだと?!私を誰だと思っているんだ!平民が貴族にそんな生意気な口をきいて・・無礼打ちされてもおかしくないんだぞ!
お前のような女にはまず躾が必要だな!コール!この女を連れていけ!」
「ちょっと・・!離してください!・・痛いっ・・」
執事が無言でマリーの腕をつかんでねじ上げた。そのまま店をでて馬車に押し込むつもりらしい。
慌てたエマが『お待ちください!』と執事の男にしがみつく。
「マリーを放して!いくら貴族様だってこんなこと許せません!」
「しつこい女だな!私につかみかかるなど失礼極まりない!離せ!」
「エマに乱暴しないで!このタヌキ!!」
「たっ・・タヌキだあ?!この女ぁ!!」
貴族の男が激昂して持っていたステッキをマリーに向かって振り上げた。
殴られる!とマリーが目をぎゅっとつぶったが、それが振り下ろされることはなかった。
『?』と思い目を開けると、配達に行っていたエドが貴族の男の腕をつかんで立っていた。
「エドさん!」
エドはステッキを捻って取り上げ、すばやくマリーを自分の後ろに庇った。
「お貴族様よう、ウチの娘に何してくれているんですか?こりゃかどわかしですかい?いくらお貴族様でも誘拐なんて重罪はお目こぼしされないでしょうなあ。自警団に訴えますぜ。娘はこの店の店主なんですから、連れて行かれちゃあ困るんです」
「な、何をする!かどわかしなどではない!私がこの女を囲ってやろうと言っているのだ!平民の女からすれば喜ばしいことだろうが!
娘を寄こせ・・!なにが店主だ、こんな店すぐにでも潰せるんだぞ・・」
それを聞いたマリーは青くなった。もしこの貴族の男が本気で店を潰すつもりならば平民である自分に抗うすべはない。
せっかくエマと二人で作り上げてきた大切な店なのに、こんな訳の分からないことでダメになってしまうのか。くやしくて、泣きたくないのに涙が滲んでくる。
店だけはなんとか守らなくてはとマリーは決意し、自分をかばってくれているエドの前に出ようとした。が、エドはそんなマリーを優しくそっと押し返す。
そしてニヤリ、と不敵に笑った。
「お貴族様・・・そこの額縁が目に入らないんですかい?」
エドは不敵に笑いながら、店内に飾ってある額縁を指し示す。
「額縁・・それがなんだ・・・証書?・・あ、あれは王家の紋章?・・『王室御用達』・・だと?」
貴族の男の顔色が一気に悪くなる。それを見てエドは勝ち誇ったように胸を張り、得意げな顔で言う。
「その通り!この店は王家から直々に認定書を賜った『王室御用達』のパン屋なんですぜ!
ウチはなあ、国軍宿舎の食堂に毎日パンを卸しているんだ。そのパンをなんと王太子様がお気に召してくださって、これからも美味しいパンを作り続けて納めるようにと『王室御用達』の証書を贈ってくださったんだよ!
アンタさんがどれだけエライお貴族様か存じ上げませんがねえ、ウチのパンがアンタさんのせいで王宮に届けられなくなったらきっと王太子様が黙っていませんぜ!
この証書にはそれだけの意味があるんでさあ!」
『王室御用達』の称号は、王家の人間がきまぐれに贈ることもある。
伝統的に王家に商品を納めている店だけでなく、王妃や王が市井のもので気に入った物があった場合、褒美として店に称号を贈ることも少なくない。
その称号を得た店は王家の後ろ盾を得たと言っても過言ではないので、たとえ貴族だとしてもその店に干渉することは不可能だ。もし何か商売の邪魔をして、王家に商品が届かないなどという事態を引き起こせば、場合によっては王家から罰せられることも有りうるのだ。
「さっきこの店を潰すとか聞こえましたがねえ?この証書を贈ってくださった王太子様に許可を得てからやってもらえますかねえ?ねえ?お貴族様よう」
ニヤニヤと笑いながらエドが言うと貴族の男は悔しそうに唇を噛みしめ睨み返してきたが、明らかに分が悪いと悟ったようで、何も言わず乱暴に扉を開けて店を出て行った。
カランカラン・・と扉のベルが、静まり返る店内に響く。
マリーとエマはゆっくりと顔を見合わせ、ドヤ顔をしているエドと目が合うとこらえきれず噴き出した。
「もうエドさん最高!かっこいい!」
「ほんと、どこのヒーローかと思ったわ!」
「イヤイヤイヤ、ワシはエマちゃんが言っていたことを出来るだけ偉そうに言ってみただけだぞ。王室御用達の称号があればマリーちゃんにちょっかいかけてくる金持ち共をけん制出来るってエマちゃんのアイデアじゃあないか。エマちゃんがあのタヌキ親父に言ってやりゃあ良かったんだよ」
「ええ・・そうなんだけどね、言う暇もなく連れて行かれそうだったから、エドさんが来てくれて助かったわ。やっぱり女の力じゃ敵わないわね・・」
いつも強気なエマもさすがに怖かったらしく青い顔をしている。
自分で言うように、もともとこの『王室御用達』の称号を得ようと言いだしたのはエマだった。
この店を開くにあたりオープン前に二人がしたことは、パンを毎日仕入れてくれる店を探し契約することだった。
店の場所が王都から離れた辺鄙な場所にあるため、店頭での販売のみではやっていけないと判断した二人は、食堂や宿で仕入れてもらえないかと検討していた。
そこでエマがふと『王宮にある兵士の方が住む宿舎があるよね?そこの厨房で仕入れてもらえないかしら?』と言いだした。
エドとサムは元国軍兵士だし信頼があるので口利きをしてもらい、食堂の責任者と話をする機会を作ってもらえた。
そこで色々な種類の試作品を食べてもらい無事契約にこぎつけることが出来た。
エドとサムがいるからこそ王宮の出入りを許されるわけで、ズルをしたような気がするとマリーは後ろめたく感じたが、エマはこれには理由があるのだと言った。
「安定した収入になる卸先が欲しいっていうのもあるけど、本当は王宮とのつながりが欲しいのよ。アンタがパン屋のおかみにしては目立つ容姿をしているから、そのうち変な人に目を付けられる事があるはず。
ただの破落戸だったらエドさん達に追っ払ってもらえるけれど、もし貴族や豪商の人が身分を笠に着て無理を通そうとしてきたら、力ずくでは追い払えない。
その時のために王宮に納品実績を作って、ゆくゆくは『王室御用達』の称号を賜りたいのよね。そうすればいくら貴族であってもおいそれと手出しが出来なくなるわ」
エマが計画をエドとサムに話すと、二人は不思議そうにこう言った。
「そんな称号が欲しいなら今すぐ殿下か政務官殿にお願いすればいいじゃあないか。マリーちゃんとエマちゃんの頼みならすぐ作ってくださるだろうよ」
「それはダメ。なんの実績もないのにいきなり称号だけを頂いたら、ウチのパン屋が何か殿下と個人的につながりがあるんじゃないかって勘繰られて逆に面倒を引き寄せそうだもの。
殿下とのつながりでなく、宿舎の食堂でウチのパンを認めてもらえたらいずれお願いしようかと思っているの」
「す、すごい・・さすがエマね・・!天才だわ・・!」
「マリーもこれからはもうちょっと自覚を持って行動してね。もう平民なんだから・・」
こう言った経緯を経てマリーのパン屋は『王室御用達』の称号を得るに至ったのだ。
普段は『王家にも認められた美味しいパン屋』の意味しか持たないこの証書が、今回エマの予想した通りの効果を発揮して、マリーは改めてエマの凄さに感心したのだった。
「でもあんな強引に有無を言わさず連れて行こうとする輩が来るとは思わなかったわ。あの貴族、マーガレット様を知っているみたいね。亡くなられて随分経つのに・・」
「それよりもどこで私の事が知れたのか不思議だわ。こんな市井の小さなパン屋に母を知る人が出入りするとも思えないのだけど・・」
あの貴族の男は『マーガレットに似た女がいる』と分かってわざわざこの店に来たようだった。ならばその情報がどこかで出回っていると考えるべきだろう。
とっくに切れた縁だと思っていたアディントンの名が、未だにマリーに絡みつくのかと思うと、苦い気持ちでいっぱいになった。
「しばらくはワシかサムがパン屋に泊まろうか?マリーちゃんとエマちゃんだけじゃ何かあった時心配だからなあ・・やっぱり男手がないと・・なあ、本当にちゃんと結婚についてかんがえてみちゃあどうだい?」
そう言われてマリーとエマは苦笑いして黙ってしまった。
本来、こういう市井の店は夫婦や家族で営むのが普通だ。
マリーとエマもこの二年の間に、色々な人から結婚しろ結婚しろと言われ続けてきた。
今のところ元兵士のエドとサムが来てくれているから、おかしな客は先ほどのように追っ払ってもらえるが、二人ももう老人に近い年齢なのでいつまでも来てもらえるわけではない。
女二人だけになってしまう前に、二人とも夫を持てとここ最近耳にタコができるくらい忠告されている。
マリーは自分の生まれの複雑さから、結婚は無理だと諦めている。
でもエマはどうなのだろう?とふとマリーは思いエマの顔を見るが、考え込むような顔でやっぱり無言のままだった。
なんかエドさん岡っ引きみたいになってきた。




