19
熱い鉄に頰を焼かれるかと思ったその時ーーー。
火かき棒を持ったマーサが後ろに弾け飛んだ。
同時にマリーを押さえていた騎士の手にナイフが突き刺さり、その手を緩めたところで何者かに頭を蹴り飛ばされた。
騎士の手が離れ、前のめりに倒れそうになるマリーの身体を大きな手が抱きとめる。
そのまま抱え上げられ、ようやくマリーは自分を救ってくれたであろう人物の顔を見た。
「だ…れ…?」
マリーを助けた人物は見知らぬ黒髪の男だった。黒い服をまとい、口元を布で覆っている。見覚えの無い男の登場にマリーは味方かどうかの判別がつかず戸惑った。
すると男がおもむろに口を開いた。
「驚かせてすまない。殿下に、影たる俺は手出しするなと言われていたのだが…女の顔が焼かれるのは見ていられなかった」
隠密か、とマリーは理解した。殿下の手の者ならばマリーを助けに来てくれたという事だろう。味方の登場に安堵し、極度の緊張から解放されたマリーは半ば気を失うように男にもたれかかった。
縋るようにその胸に頬を当て、目を瞑るマリーを見て男は『うん、役得』と呟いたが彼女の耳に届くことはなかった。
蹴りとばされた騎士が正気に戻り、大勢を立て直そうとした瞬間、姫の寝室のドアが蹴り壊され、クリストファーを先頭に男達が雪崩れ込んできた。
マリーを抱く影の姿を見て目を見開いたが、歩み寄ろうとしたところをマーサの声で遮られる。
「…クリストファー殿下?!姫様の寝所になんという事を!お見舞いでいらしたら事前に申し出ていただかないと!」
マーサは床に倒れた状態のまま、踏み込んできた殿下にがなりたてる。
「まだそのような世迷言を申すか。
此度の件、国としてもう見過ごす事は出来ぬ。そこの侍女と騎士どもは直ちに捕縛する!いけ!」
後ろに控えていた王太子の騎士達があっという間に姫の侍女と騎士を縛り上げる。
『なっ?!』と戸惑う騎士と『無礼な!』と暴れる姫の侍女に容赦無く縄を打った。
拘束されたマーサは、口角泡を飛ばしながら狂ったように叫ぶ。
「姫の臣下である我らにこのような仕打ち!許されると思うな!この事が祖国に知れれば即刻開戦ぞ!こんな小国すり潰してくれるわ!
我らの姫様に牙を剥いたこと、その身をもって償うがいい!」
クリストファーは半眼でその女を見下ろしながら、フッと笑みを漏らした。
「ここは貴様らの祖国ではないぞ?国軍兵士に怪我を負わせ、我が国の貴族の娘に危害を加えた罪、我が国の法に則り厳重に処罰する」
「そのような事できると思うてか!」
その時、扉から新たな人物が入って来た。
クリストファーの護衛に支えられて現れたのは、エドとサムの衛兵二人。そしてマリーの侍女エマだった。
「ここに証人も居る。我らを謀り、名を騙り、正当な理由無く兵士に怪我を負わせたのだ。貴様らを拘束するのに充分な内容だ。
我が国で謀略を巡らしこのような事態を引き起こした事ーーーその身を持って償ってもらおうか!」
たとえ隣国の人間であろうと、この国に居る以上、この国の法に従う他ない。所詮一介の従者でしかない侍女と騎士には逃れる術はない。
もはや断罪は免れぬと悟った騎士が、姫に呼びかける。
「ひ…姫様ぁ!我ら姫様のために死んで参ります!どうか…どうか最後にお言葉を!!」
それを受けた姫は、ちらりとクリストファーへ目線をくれたあと、悲しげな顔をして騎士へ言葉を放つ。
「お前がそのような罪を犯していたなんて…許される事ではないわ。死をもって償いなさい」
姫の言葉に衝撃を受けた騎士は、半狂乱で叫ぶ。
「我ら!姫の為と思えばこそ!いつものようにお言葉をいただければ喜んで死ねますのに!」
頭を振り乱して叫ぶ騎士に王太子側の人間も呆然とそれを見ていた。ただ一人冷静だったクリストファーが『連れて行け』と退出を促した。
この光景を見ていた侍女のマーサが、怯えたような瞳で姫を見ていた。
「姫様…?わたくしは…違いますわよね?あのような捨て駒ではありませんわよね?」
マーサは膝立ちで姫の元へにじり寄る。拘束している騎士もその異様な雰囲気にのまれ彼女を止められずにいた。
先ほど散々暴れた彼女の姿は、髪を振り乱し口の端にはよだれが垂れていて、さながら狂人のようだった。
その顔を見た姫は嫌そうに眉をひそめ辛辣な言葉を投げかける。
「マーサ、わたくしの信頼を裏切ってそのような事をしていたの?ひどいわ、この国で益々わたくしの肩身が狭くなってしまうじゃないの」
マーサは姫の言葉を聞くと口をガクンと開けて小刻みに震えていた。
「姫さまああ!わたくしは姫様の為なら死も厭わないと…!ですが裏切り者としてあなた様に謗られてしまっては、何の為に今まであなたに尽くして来たのか…!
お言葉をいただけるだけで、それだけでいいですのに!!!」
もう話す事はないとばかりに手を払う仕草をする姫に、クリストファーは怒りの目を向けた。マーサを連れて行くよう指示すると、姫のほうへ向き合った。
「あなたとて、もうそのように知らぬ存ぜぬでは通用しません。いい加減おのれの罪を認めるべきだ」
そう語りかけるクリストファーに、姫はあどけない様子でニッコリと微笑みかけた。
「なんの話です?マーサ達がどのような罪を犯したかわかりませんが…わたくしは何一つ指示していません。
わたくしの為に、などと申しておりましたが、病床のわたくしが知る由もありませんもの。
ーーー全ては彼女らが『勝手に』やったことですわ」
そう言うと姫はもう一度クリストファーに微笑んでみせた。
一番おいしいところを影さんに持っていかれた王子を誰か慰めてください。
おかしいなどうしてこうなった。




