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少しも頭に入ってこない書類の内容と睨み合いながら、いつも通りクリストファーは机に向かっていた。
ノアもすぐそばの机でクリストファーへ回す書類の精査をしている。
そこへ黒い影が音もなく降りてきてクリストファーの目の前に跪いた。
「驚いた、影か。姿を見せるとは珍しいな」
「火急の用件にございますれば」
通常時の報告は姿を見せず耳打ちするのが影のやり方なので、わざわざこうして眼前に現れるとはよほどの事らしいと悟ったクリストファーは発言を促す。
「恐れながら申し上げます。マリー殿が姫の手の者に拉致されました。衛兵および侍女は縛り上げられ森の奥に隠されております」
あまりの内容にクリストファーのみならずノアも椅子を蹴って立ち上がる。
「なんだと?!ついに狂ったかあの姫は?」
「宰相は何をやっておるのだ!」
「宰相様の動きを知られたようです。先手を打たれました。
マリー殿はすでに怪我を負わされております。もはや一刻の猶予もない状態かと。どうされますか?」
ノアはクリストファーの顔を伺う。相手は腐っても隣国の王族だ。なんの策も無く乗り込むのは得策ではない。
「ノア、分かっている。準備は既に整った。今がその時なのだろう。影よ、お前は先に行ってマリーの安否を確かめろ」
それを聞くと影は一瞬にして姿を消した。
怒りに燃えた瞳をギラつかせたクリストファーは腰に剣を帯びる。
「行くぞノア。小国と見下げてきた彼奴らの、これ以上好きにはさせぬ」
「御意に、殿下」
クリストファーとノアは部屋のドアを蹴るようにして外へ飛び出した。護衛の者も心得たようにそのあとに従う。
男達は、風を切るように姫の住まう療養所へと駆けて行った。
***
ーーーー誰かの話し声が聞こえて、マリーの意識はゆっくりと浮上した。
「ですから、衛兵はいけません。あの女二人ならなんとでもなりますが、末端とはいえ国軍所属の兵士を殺すのはごまかしきれません」
「ーーそれをなんとかするのがお前達の仕事であろう?!ならば金を掴ませて黙らせれば良いではないか!」
「金で黙る様子ではありません。ですから計画が性急すぎるとーーー」
マリーは痛みに身じろぎした。どうやら後ろ手に縛られて床に転がされているようだ。頭がズキズキと痛んで目に涙が滲む。
意識がはっきりするにつれて、先程の剣呑な会話の内容が急速に理解でき、マリーは恐怖に震えた。
殺す?誰を?女二人というのはマリーとエマの事に違いない。マリーがまだ殺されてないという事は、まだ何か用があるのだろう。
だがエマは?エマは無事だろうか?離れるんじゃなかった、死ぬならエマとともに居たかったと後悔が胸を締め付ける。
「ーーマーサ様、女が気が付いたようです」
マーサと呼ばれた女がこちらを見る。この顔を知っている、とマリーは思った。姫の元へ赴いた時、侮蔑的な言葉を投げかけてきたあの侍女だ。燃えるような瞳でマリーを睨め付ける女を見て、何故これほどまでに憎まれているのか、不思議でならなかった。
やはり姫が殿下を愛するが故なのだろうか。わからない、やはり私は考えが足りなすぎる。ああ、エマならこの状況を『やっぱりね』とでも言うのだろうかとマリーはぼんやり考えた。
「女を姫の御前へ。汚いわね、泥だらけだわ」
先程の騎士に引き摺られるようにして部屋続き
のドアを通る。
そこは、着いてすぐに通されたあの姫の寝室だった。その時と変わることなく、あの儚げな姫は穏やかな顔でベッドに半身を起こしてこちらを見ている。
マリーは跪かされ、騎士は彼女の髪を掴み姫のほうへ顔を向かせる。
「姫様、このような薄汚い娘に御心を煩わされることはございません。取るに足らない、ただの娼婦ですわ」
媚びるような口調でマーサと呼ばれた侍女が姫に話しかける。
姫は、泥まみれのマリーを見て軽く微笑んだ。
が、マリーと目が合うととたんに怒りで目を釣り上げた。
ーーーマリーは、こめかみから血を流し左の頰は腫れ上がっている。地面に転がされたため身体中泥まみれだ。
だが、それでもなお、その深蒼の瞳で真っ直ぐに見返すマリーの顔は壮絶なまでに美しかった。
「…っその顔よ!その顔を見せないで!!わたくしが病に伏せっているというのに…その健やかさを見せつけて楽しいかしら?!」
「姫様、興奮なさるとお身体に障ります。ええ、ええ、全てはあんな娘を連れてきた宰相が悪いのです。
髪と目の色を同じにとは言いましたが、面差しまで姫に似た娘を連れてくるなんて!
お身体の悪い姫様に対し、よく似た健康そのものの娘を殿下の御前に出すなど姫様を愚弄しているとしか思えません!」
「…この娼婦のほうが良いなどと言われたらわたくしは死んでしまうわ…」
「ああ!姫様そのような事!このマーサがさせませんわ!」
マリーは二人のやりとりを呆然と見ていた。この二人は何を言っているのだろう?私の顔が姫に似ているから?私が健康だから?
エドが怪我させられたのも、そんな事が理由で?
「ーーー皆をどうするつもりですか!」
マリーは姫に呼びかける。すぐさまマーサがその頬を平手打ちする。
「下賎な娼婦の発言は許可してないわ」
床に顔を押し付けられる。だがマリーは口を閉じようとしない。
「そんな事で!皆を巻き込んで怪我をさせて!エマを!私を殺すのですか!」
「ーーー殺しはしないわ」
マーサが冷たい声音で答える。
「お前のその顔がある限り、姫様の御心は晴れないままだわ。
だけど、醜く潰れてしまえば姫様と似ても似つかなくなるからね、それならばと姫様がお慈悲をくださったのよ?
ーーーその顔を潰すだけでお許しくださるわ」
「マーサ、床が汚れるのはイヤだわ」
姫がいたずらっぽい顔をしながら不満述べた。
マリーは恐怖で喉が潰れて声がでない。
狂ってる。
狂ってるとしか言いようがない。
同じ言葉を話しているはずなのに、考えが全く理解できない恐怖にマリーは震えた。
マーサが暖炉へ赴き、火かき棒を握りしめる。
「血で汚れぬよう、ナイフはやめましょうね。火かき棒で顔を焼きましょう」
「マーサ、わたくしはその目が嫌なの」
「ええ、ええ。マーサは心得てございますよ。姫様の良きように」
本当にこの人達は私の顔を焼くつもりなんだ!体をよじるが、騎士の手が後ろからマリーの頭を掴んで持ち上げた。
マーサが火かき棒を燃える暖炉に突っ込み、念入りに熱する。やがて満足したかのように笑い、火かき棒を持ってこちらへ向かってくる。
赤々と熱せられた鉄のそれが、眼前に迫るのをマリーは食い入るように見ていた。




