現実
「諸事情があってね? うん。まあ」
「まさか覗き見とかしてませんでしたよねぇ」
「うん、してないよ。してないしてない」
怪訝そうに、半眼で睨んでくるケイティと、悠華は視線が合わ無いようにしていた。
その顔には、薄っすらと汗が滲んでいる。
なぜ知ってるのだろう。
私は、あの場から走り去ろうとして振り向いた時に、屋上へと繋がる廊下の全容を見た筈なのだ。
いくら気が動転していたとはいえ、流石に人がいる事に気づかない筈は無い。
じゃあ何故?
屋上に既にいたとか?
其れもあり得ない。何故なら、悠華さんが学校に着くその前に、既に私は屋上へと来ていた筈だ。
実際、私は登校してくる悠華さんと相原君の姿を見ている。
とすると、覗き見という線は無いと言っても過言では無いだろう。
どうして?
わからない。
思案顔で俯いていたケイティが、その顔を上げた。
その顔の余りの淀みのなさに、悠華は不安を顕にする。
「ところでですけど」
「え!? 話変えるの?」
ケイティが話を変えようとした事が心底意外だったらしく、悠華は声を荒げて、突っ込みを入れた。
また、ケイティも悠華のその反応が予想外だったらしく、少し頭を傾かせる。
そう、彼女も思案の果てに、思考を放棄する事を選択したのだった。
似た者同士がくっつき合うとは、良く言ったものだ。
「駄目でしたか?」
「まあ、別に私は大歓迎だけど……」
「なら良いじゃ無いですか」
「いやいや、あの流れだと私に詰問するのが普通じゃない!?」
「普通じゃないです。なんでそんな面倒な事をしないといけないんですか。其れともあれですか、悠華さんって実はM体質なんですか?」
表情一つ乱す事なく、そう言うケイティに、悠華は絶句する。
「無反応って事は肯定で捉えて良いって事ですね。わかりました」
「いや、わからないで! 私Mっ気ないから!」
「で、本当のところは如何なんですか?」
「だからないって言ってるでしょ」
無駄に掘り下げようとするケイティを、悠華は一蹴する。
そして、きっぱりと口を一文字に結んでいる悠華を見て、明白にケイティは不満あり気な顔をした。
「しょうがないからそう言う事にしてあげます」
「何故に上から目線されたの?」
「で、さっき話そうとした事なんですけど」
「話を聞いて……」
一向に会話を成立させようとしないケイティに、悠華は切実に声を漏らした。
それを聞いたケイティは、ふふふ、と声に出して優しく微笑む。
「すいません、悠華さん可愛いからつい弄りたくなっちゃうんですよ」
「か、可愛いとかそ、そんな事……で、話ってなんなの?」
顔を赤く染めた悠華が、わかりやすく話を変えようとする。
「話ですか? ありましたっけ、そんな事」
「ケイティ?」
とぼけた顔ををするケイティに向かって、悠華が怒気の込もった声を出した。
「冗談ですから、怒らないでくださいよぉ。えーと、窓際の観衆たちの熱気が、すごくなってきてるんですが」
「確かにそうね」
「理由を知らないか聞こうと思ってたんです」
「それ、自分で見に行った方が手っ取り早くない? まあどうせ、スイッチ入った相原君と敦花はが戦闘(笑)でもしてるんでしょうけど」
「ああ、自分で見に行くって方法もあるんですね。今気づきました。」
「普通ならそれが最初に思いつくと思うんだけど……」
真面目な顔でそう言ったケイティに対し、悠華が呆れたように声を漏らした。
そして、それほど外での出来事に興味がないのだろうか、徐に窓の方を向く。
「しかし、最初に観客を見た時に悠華さんに気づかなかったんですかね。不思議です」
「それさ、暗に私の身長の低さをディスってるよね」
「まあそうだったり、そうじゃなかったりしますけど。ところで、気になってたんですけど戦闘(笑)って如何いう意味ですか?」
「見てみれば分かる、ほら」
などと会話をしている間に、二人は観衆へと着く。
そして、ケイティは人の隙間から校庭を覗いた。
「えーと、あの二人って演劇部所属だったりしましたか?」
「いや、相原君は卓球部で敦花はバトミントン部だった筈だけど」
「じゃあなんであの二人は戦闘ものの演劇を披露しているんですか?」
外で起きていた事に理解が追いつかず、ケイティはきょとんとする。
「彼等の中では真剣勝負なのよ。中学の頃は毎日のようにやってたわ」
「そうなんですか? 私の目からは演劇か何かをやってるようにしか見えないんですが」
「安心して、それが普通だから」
疑問を口にしたケイティに、悠華がけろりとした口調でそう答えた。
その時、ケイティは観衆の中からこんな会話を耳にした。
「うわ、スゲェとしか言えねえ」
「確かに今の相原の連撃は凄いな。これは新入生代表ちゃん負けたなー」
「いや、ワンチャン――」
「ねぇよ」
「なにげ炎ダメ入れられたのが痛いな」
「それな」
「でもそれだったら爆心地に居る相原の方がダメでかいんじゃね」
「そう言われればそうかも」
「いや、あれ見てみろ!」
「どしたん? うわっまじかよ……」
「何があったし」
「相原無傷」
「はっ? 化け物かよ」
「これは基地外」
そこまで聞いたところで、ケイティは気落ちしたようにうずくまる。
「……」
「ケイティ? どうしたの?」
うずくまっているケイティを心配して、悠華はその顔を覗き込む。
そこには少し涙を浮かべている、ケイティの顔があった。
「やっぱり見えてないのって私だけなんですね……」
「えっ? そんなことはないと思うけど」
「じゃあ悠華さんはどうなんですか? 見えるんですか、見えないんですか?」
「見えるか見えないかで言ったら見えるの方だけど……」
「ほら、やっぱり見えてないのって私だけじゃないですか」
悠華の気遣いが裏目に出て、ケイティは一層意気消沈してしまう。
そんなケイティを尻目に見て、悠華は扉へと歩き始めた。
「見えないんだったらさ」
「え?」
「見えるように努力すればいいんじゃない?」
良いことを言ったつもりなのであろう、悠華はしたり顔をしてそう言う。
そしてケイティに温かい笑顔を投げかけ、教室を出て行った。
その笑顔につられてか、ケイティは自然と顔をほころばせる。
(そうだよね。前向きに考えないとね)
悠華の言ったことは実際に、ケイティにとっては意味のある言葉であったようだ。
ケイティは立ち上がって、観衆に混ざる。
そして彼女は、声高らかにこう言った。
「相原君! 頑張って下さい!」