開放
相原は背後から何者かに抱きつかれた事により、強制的にその思考を現実へと引き戻された。
「何奴!?」
「あうち!」
反射的に上体を後ろへと捻った相原の頭部が、抱きついてきた何者かに衝突した。
瞬間、ごつ、と鈍い音がなり、その何者かが痛苦の声を上げる。
そして、双方が暫く頭を抑えて蹲る事となった。
「全く、結構痛かったよ? 振り向く時はちゃんと周りぐらい注意してよね!」
「いきなり抱きついてきたのが悪いだろ……というか、その声はまさかいっ――」
相原はその者の名を発そうとしたが、言い終わるその前に口を手で塞がれた事により、言う事は叶わなかった。
そして、彼女を見た相原は、やっぱりな、と明瞭に仏頂面を浮かべた。
「石川、じゃなくて敦花、って呼んでよね。中学の頃は敦花って呼んでくれてたじゃん」
「俺も若干大人になったんだよ」
そう、その彼女は、さっきまで回想していた本人、新入生代表こと石川敦花だったのだ。
半眼で不貞腐れたように言う敦花に、相原がしたり顔でそう答えた。
「で、なんで俺がここにいるってことがわかったんだよ」
「私と相原君との運命の赤い糸を手繰り寄せてきたのよ」
「真面目に答えろ」
にやついた顔をして答えた敦花に、相原は眉を顰めさせ、威圧気味にそう問い詰める。
その余りの気迫に、敦花は一瞬たじろいだ。
「いやー相原君背が高いから目立つしー。後、言い辛いんだけど……」
「躊躇する必要はない。言え」
「もう周りに人ほとんどいないから」
敦花の言っていたことが理解できず、相原は一瞬啞然とする。
そして周りを一周、見渡した。
「って、周りに誰1人いねぇじゃねぇか!」
「だからそう言ったじゃん。この学校の人ってみんな同性愛者なの?」
何の脈絡もないように思える質問に、相原は困惑した。
どういう意味なのかを頭を全力で稼働させて考えたが、相原の知識網に引っかかるものは何一つ無いのだった。
「すまん、意味分からん」
「えっ? ほら、ホモはせっかちって言うじゃん」
「言わねえよ!」
敦花の突拍子も無い返答に、相原は思わず声を荒げる。
敦花と相原では、少しばかり住んでいる世界に差異があるのだった。
「このネタが分からないようでは困りますよ?相原君」
「わかった方が困るだろ常識的に考えて」
「そこはjkって言うべきじゃ無い?」
「何故に女子高生?」
本気で分からないようで、相原は顔を顰めた。
その様子を見て、敦花は半ば呆れたように溜息をついた。
「jkって言うのは常識的に考えての略。そのまま言ったら長ったらしいでしょ?」
「ああ、そう言う意味なのか」
「相原君って意外にネットスラング知らないのね。それは意外だったなー」
「俺のお前の中でのイメージってどうなってるんだ……」
「一言で言うと、廃人」
少し気落ちした風に言う相原に対し、敦花は真顔でそう言い放った。
「中学の頃全然そう言う感じじゃなかったよな! 俺」
「一年あったら人は変われると私は信じてる」
「何で悪い方に変わる必要があるんだよ」
空を見上げてそう爽やかな顔で言った敦花の頭を、相原は手の平を立てて軽く叩いた。
しかしながら、敦花の言っていることが間違えていないことは、相原自身が立証しているのだった。
「そう言えば、何で比良藍屋高校なんかに来たんだ?別に家が近いわけでも無かったよな」
「確かに家は近くは無いよ」
「だったら何故? お前の学力ならもっと上目指すべきだったと思うんだが」
「えっ? 相原君の居ない高校なんかに行く意味無いじゃない?」
「ん? それって要するに、俺がここに来たからお前がここを選んだのか!?」
不思議そうに首を傾げながら言う敦花の言葉に、相原は驚愕する。
それと同時に、敦花の自分への執着心を甘く見ていた受験時代の自分を悔いた。
「そう言うことになるね」
「まじか……ほんとごめん」
「何で相原君が謝るの?」
「いや、俺の所為でお前って言う一人の逸材を潰すことになるかもしれないと思うと罪悪感で……」
相原は心底申し訳なく思っているようで、地面に自分の額を擦り付け始める。
思わぬ反応に困惑した敦花は、暫し考えた後、故意に声質を低くし、こう言い始めた。
「漆黒に眠れし第三世界よ……」
瞬間、無風だった筈の校庭に風が巻き起こる。
「我が声に耳を傾けるが良い……」
「おい、やめろよ? 絶対やめろよ?」
相原は咄嗟に顔を上げる。
その顔には、明らかに焦りの色が浮かんでいた。
「今、その目を覚ます刻が来た!」
尚続ける敦花に対し、相原は悲痛の叫びをあげる。
「やめてくれぇぇぇ!」
「さあ、その姿を解き放て!」
瞬間。
相原の心の奥底で、何かがかちりと音を立てた。