忘れたりしないよ、と握り締めた記憶
「……何、それ」
突然ボクの作業場に押し掛けてきた幼馴染みのMIOちゃんは、嫌に可愛らしいピンクの袋を持っていた。
渡してある合鍵で、扉が開かれる音がして、玄関の方を覗き込みMIOちゃんと目が合ったので、一言。
ボクの問い掛けに対して、靴も脱がずに立ち止まるMIOちゃんは、うーん、と言いにくそうに眉を八の字にして笑った。
何だ、一体。
***
可愛らしい袋からゴロゴロと出て来たのは、これまた可愛らしい色とりどりなアロマキャンドル。
ザッと数えても十数個ある。
「可愛いね」
「可愛いんだけどね」
ボクの言葉に同意しつつも、言いにくそうに眉間にシワを寄せるMIOちゃん。
まぁ、何となくだけれど察してはいる。
こんなにあってどうするんだ、っていう話だろう。
はぁ、と短い溜息を吐き出すMIOちゃんは、何だか疲れきっている。
きっと見ていたら欲しくなったんだろうな。
ボクも本屋さんに行くとよくあることで、今そんなに買う?ってくらい衝動買いするので、その気持ちはよく分かる。
「作ちゃん、少し貰ってくれない?」
数十個あるアロマキャンドルの中から、海をイメージしているらしいそれを手に取り、ほー、と眺めていたボクに掛けられた言葉。
貰うのはいいけど、使い道ないんだよね、ボク。
ぱちぱち、と瞬きをしていると、ボクの言いたいことを読み取ったらしいMIOちゃんが、マッチかライターないのかと聞いてくる。
マッチとか使ったことないし、火を使うことがないからライターも……。
「あ。ジッポーならあるよ」
「え?」
ゴトンッ、と音を立ててアロマキャンドルをテーブルの上に置く。
お気に入りの一人掛けソファーから立ち上がるボクを、三人掛けのソファーに座ったままのMIOちゃんが、目で追いかけてくる。
どこに置いたかな、確か部屋に、とやたらぼんやりとした頼りない記憶を遡り、自室に戻る。
自室と言っても、作業場の本格スペースというだけであって、それ以上も以下もない。
普段はちゃんと家族の待つお家で過ごしているし。
作業スペースである机の隅っこに置いてある、使いもしない煙草の灰皿の中には、自分で作ったドッグタグや指輪や、未開封の消しゴムやらが入っている。
その中に埋まるようにして、鈴蘭の彫られた鈍い銀色のジッポー。
「あったよー、ジッポー」
灰皿の中からジッポーだけを取り出し、MIOちゃんの待つリビングの方へと戻る。
ボクの右手に収まるそれを見て、怪訝そうに首を傾けていくMIOちゃん。
どうしたの、という問い掛けに、何でジッポー、と返ってきた。
「え、駄目?ジッポー」
「駄目じゃなくて……使わないよね?」
「使わないねぇ」
軽く笑いながらソファーに沈むボク。
適当なアロマキャンドルを引っ掴んで、ジッポーの蓋を親指で開ける。
カキンッ、という音が響くこの瞬間が好き。
意味もなく開けたり閉めてりしていた時期があったなぁ、と思うと少し懐かしい。
マッチは擦ったことないし、ライターも使ったことないし、チャッカマンもない。
ジッポーだけはある。
つまり、ジッポーだけは使えるのだ。
「何で、作ちゃんの作業場には、作ちゃんが使わないようなものがあるの?」
ジッポーを使って、アロマキャンドルに火を付けるのを見ていたMIOちゃんが、不思議そうに聞いてくる。
ボクが使わないものって言われても、ぶっちゃけてしまうと、幼馴染みである君達が置いていっているものもあるのだが。
例えば、ほとんど使わない食器が揃い始めているのは、ここで篭る期間が長い時に、文ちゃんがご飯を作るためだったり。
勿論食器以外にも、調理器具が揃っている。
マグカップやガラスのコップに至っては、ボクを含む幼馴染み全員の色違いが並んでいるのだが。
「君の置いていったバランスボールもあるよ」
ジッポーの蓋を閉めて、アロマキャンドルをテーブルの上に置きながら告げれば、あー、なんて言いながら目を逸らすMIOちゃん。
こらこら、目を逸らさない。
他にも色々置いてあって、今言った通りMIOちゃんの置いていったバランスボールもあれば、オミくんの読んでいた英字新聞もあるし、文ちゃんのDVDとかも置いてある。
皆、人の作業場で好き勝手してるなぁ、とはつくづく思うが、特に気にもしていない。
「これ、甘いね」
すん、と鼻を動かして言えば、MIOちゃんは逸らしていた目をボクに向けて、同じように鼻を動かした。
確かに、だよね、なんて短い会話をして、ソファーに身を沈めるボク。
くどくない、ほんの少し香ってくる優しくて甘い匂いに、少し眠くなる。
バニラっぽいような匂いがリビングに広がっていて、MIOちゃんもリラックスしたように、ソファーに身を沈めていく。
アロマキャンドルってもっとくどいかと思ってた、ボクの独り言に、くすくす笑う。
「それさ、元彼のとか?」
「あれー?ボクにそんなのいたことあったっけ?」
元彼以前に彼氏がいましたか、このボクに。
ソファーの上で身を捩りながら、MIOちゃんの方をじっとりと見れば、思い切りを逸らされる。
幼馴染みの中でも恋愛経験豊富、というか、彼氏がいたとか好きな人がとか、そういう話題を持っているのはMIOちゃんだからな。
文ちゃんもモテるけど、全部断っていて、そりゃあもう、清々しいくらいの振りっぷりだった。
一応真摯にお相手してるから、きっと恋愛感情の理解はあるのだろう。
好きな相手がいるかいないかは別として。
オミくんに至っては良く分からない。
誰かに好意を向けられないように、告白まで及ばないように、相手を丁寧にゆっくりと遠ざける。
目に見えないバリアを出しているのだ。
だからたまに、女の子じゃ駄目なのかなぁ、とか少し偏ったことを考えてしまう。
「なかったけど……。そういう話もしたことないなぁって思って」
あーねぇ、適当に頷くボクを白い目で見つめるMIOちゃんは、長い髪の毛を掻き上げた。
ボクとは違う柔らかそうな癖のない髪が、昔から羨ましかったなぁ。
手を伸ばしても触れられる距離じゃないので、手を伸ばすこともせずに掻き上げられる髪を見つめる。
恋愛感情はほぼ皆無と言っていいくらいで、そういう恋の炎的なものは、清水で浄化され浄化され消えた。
何で、とかそういうのはなくて、ただ成長過程と共にそれが上手く扱えなくなって、置き去りにされただけなのだが。
「これは、プレゼントしたやつだけど、気に入り過ぎて自分用にも買っちゃっただけだよ」
右手の中に収まるジッポー。
中身のオイルがなくなったら、新しく入れればいいだけなので、何度でも使える。
煙草なんて吸ってないし、未成年だし、これからも吸わないだろうけど。
「……誰に?」
「誰でしょうねぇ」
ケタケタと笑えば、空気が思い切り入って来て、ちょっと甘過ぎな感じがする。
殺風景なこの部屋にこの匂いは、甘過ぎじゃなくて似合わないかもな。
作業場で使うのは、本気で癒しが欲しい時がいい気がする。
肺いっぱいのバニラの香り。
他のやつは何の匂いだろうなぁ。
ソファーに沈めた体を起こして、他のアロマキャンドルに付いてるラベルを眺めた。
「……鈴蘭とか珍しいね」
「よく見てんねぇ」
探るような声に言葉を聞いて、つい笑い声混じりに返答してしまう。
アロマキャンドルをおすそ分けしに来たはずなのに、ボクの男の影探しになってる。
目を細めているMIOちゃんに笑いかけながら、握ったままのジッポーを見せた。
普通なら無地か、何かゴツめの龍とか蛇とか掘られていそうだけれど、繊細な鈴蘭。
このデザインに一目惚れしたのだ。
「似合うんだよ。あの人」
アロマキャンドルとジッポーを持って、そう告げれば、MIOちゃんは、あの人って、としつこいくらいの疑問符を飛ばした。
あの人、と思い出すのは太陽色に輝く、目が痛くなるような髪色。
チビちゃん、あの人がボクを呼ぶ。
青空に白煙が溶けて、あの人の手の中には、ボクの持っているのと同じジッポー。
アロマキャンドルの匂いにも負けない、甘ったるいような記憶が蘇って、ボクは一人で笑った。