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【小説】『新世界』~覗け、狂気を~

 三回目

<著者>

 著者は歴史とフィクションを織り交ぜるのが上手い柳広司さん。ミステリーと歴史ものが多い。『ジョーカーゲーム』シリーズや夏目漱石や坊ちゃんを探偵にしたシリーズが有名どころ。同じ著者で戦争を題材にした作品としては本格推理物である『トーキョープリズン』がオススメ。


<ストーリー>

 1945年の夏、日本に<ピカ>と言う爆弾が落とされた。時を同じく、<ピカ>を生み出した町ロスアラモスでは研究者たちによる先勝パーティで狂気的な賑わいを見せていた。そんな中で殺人事件が起きる。よそ者であるラビは、閉鎖されたロスアラモスで犯人を探るが……


<面白かったところ・お勧めしたいところ>

 何と言っても残酷極まりない解剖描写と黙示録描写です。解剖描写は直接的な描写がないのに非常にグロテスク&狂気的で、描写も実験的で面白い。原爆投下の地獄を描いた黙示録描写は圧倒的な迫力。眼の前に迫る地獄描写にはただ舌を巻くばかりです。最終章は最高にぶっ飛んでます。しかもこれがノンフィクション(最終章の黙示録描写)と言うことが最高に恐ろしい。正直、この二つだけ見ても非常に面白いし、衝撃を受けると思います。主人公や登場上人物の苦悩もそれらに匹敵するほど壮絶で素晴らしいと思いました。


 最終章の黙示録描写が来るまでは私は「この小説は日本小説でよくある、緻密で面白いけれど……いい意味でぶっ壊れてない小説なんだな」と思っていました。

 少し話は変わってしまうけれど日本の小説って少しこのパターンが多い気がするんですよ。いい意味でぶっこわれてない。ぶち抜けてない。

 『感染広告』『エクサバイト』『ジェノサイド』『メタルギアソリッドPW』『テロリストのパラソル』とかしてエンターテイメントとしては面白くて、緻密な物語はすごい良くできているとは思うのだけれど、なんかこう……ぶっ飛んでない類の小説だと。あとがき(文庫版)も本編と並ぶくらい面白いので、是非手に取ってみるのをオススメします。


<惜しい点>

 歴史描写も非常に読みやすい代わりに登場人物が多いことや化学描写が全く何を言っているのか分からない(分からなくとも物語上は大丈夫です)こと、それにやはり一人の人間の「語り」が長すぎることが惜しい。あんなに人は多く話さねぇよ、みたいなシーンが多い。それらの点を除けば、非常に読みやすい本です。


<ネタバレ含む考察的な>

 今回は著者の推測も含まれているので悪しからず。まずこの作品では「狂気」が描かれているわけですが、何が狂気かは最後まで説明されないわけです。しかし、作中で狂気とは言われてはいない物の、ナチスドイツの起こしたユダヤ人大量虐殺を起こした主犯たちの「私たちは誰かに言われてやったから、自分の意思ではない」と言う責任逃れには登場人物による批判がなされています。


 片目の少女=マイケル・ワッツであり、ロバートの視点。それが奪い去られると言うことなんじゃないか、と私は思いました。狂っているかどうかはまた別の問題だと、この小説の中では位置づけられていると思います。苦悩を語るロバートはそれこそ狂気に満ちていたわけだし。ここからは結構推測が続きます。


 実はこの『新世界』は希望をほんのりとにおわせているのではないだろうか、と。ロバートは結局は反戦小説を書いた。そして、それはこの作品に出てくる瞳(見る)と言う描写の多さに繋がってくる。ロスアラモスでの盗撮、ジーンの瞳、少女の瞳、被爆者の瞳……そして、ロバートの真っ青な瞳。そして、ロバートを見つめるイザラビの瞳。小説を書くという行為は一つの視点(瞳)を持つこと。そして、何よりもイザラビの視点を採用した所はロバートが(忠実はどうか不明ですが)全体主義とは別の視点を手に入れたことを示唆している。

 この小説では何度も全体主義的な思想への批判が述べられます。アウシュビッツの殺人者たちを初めとする「役割」への過剰適正。そして、その延長上にある「私は仕事だから、ユダヤ人を殺しただけだ」と言うような責任転換。『新世界』ラストでは皆が全体主義的思想にハマってしまうという泥沼なのですが、ロバートはそこから脱したのでは、と私は考えています。


『メディアは存在しない』と言う本で全体主義的な役割への過剰適正から主体を守るのは観察者としての視点らしいのですが、それからするとイザラビ(よそ者)である彼の視点を採用し小説を書くこと自体が全体主義的な役割への過剰適正から脱したと考えて良いでしょう。片目の少女が自分ロバートを表していると言うのは全体主義から外れた個人的視点を持つ、と言う事を示唆しているのではと私は思いました。


 実は『新世界』では誰が正しいかどうかは最後まで分からないのです。しかし、客観性を持ち、全体主義から抜け出すことがロバートにはできた。その視点が狂気に染まっているかどうかは不明ですが『新世界』は客観的視点を持つことの重要性を説いているのではないでしょうか。

 ラストでは死神になってしまったロバートですが、冒頭ではロバートも死神の格好ロールプレイをしている人間なのだ、と言うことが分かります。そして、表紙(文庫版)の死神は片目……


 読んで頂き、ありがとうございます。

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