【小説】 「思い出のマーニー」~大人になる物語として~
「思い出のマーニー」 読後感想・ネタバレあり……でもネタバレされてからも観る&読む価値のある一作。「大人」になる物語として。テーマ重視の原作と構成のうまい映画版の比べっことちょい考察。映画だけ観れば良いや、本だけ見れば良いや、なあなたも是非注目。
大人ってなんなのでしょう……ゲーム「メタルギアソリッド」で主人公スネークは「大人と言うのは自分の行動に責任を持てる奴だ」と言っていましたが、自分の行動に責任を持つ、と言うことは自分の行動=自分の意思=自分自身の価値を認め、それに伴う十字架を背負う覚悟を持つ、と言うことだと私は思うのです。じゃあ、スネーク流の大人にはどうやればなるのだろう、その答えが映画版、原作両方の「思い出のマーニー」にあります。それを語りたいと思います。しかし、そんな話をする前に思い出のマーニーがぴんと来なかった人もいると思います。そこらへんは自分の理解を深めるためにも考察等交えながら書いていきたいと思います。
2014年にジブリで映画化されたファンタジーの原作。アンナの成長を美しい情景と共に綴ると言う作品。でもファンタジーと言うよりヒューマンドラマと言った方がいいかも。
【自分の価値と他者への興味】
主人公のアンナはある出来事から自分自身を義親が愛してくれていないと思うようになります。それは自分に価値がない、と考えることと同じです。自分に価値がないと思っているキャラクターと言えば「新世紀エヴァンゲリオン」のアスカが思い浮かびます。アスカが母親からの愛を受けずに育ち、全てを自分で背負いこんでしまうようになったのはアンナととても近いです。
エヴァのアスカの自信は、アスカ自身ではなく「アスカがこなすことの出来る様々な能力をこなせる人間は他者から愛情を向けるだからアスカも愛される」と言うことからの自信です。それはアスカの自信というのか、と言われれば違います。そんな理論のせいでアスカは自分を愛せなくなります。それは○○が出来る自分を相手に好きだといってもらっているだけで、○○が出来ない自分は愛されない、と言う愛の袋小路でもあります。
話は脱線してしまいましたが、アンナはどうでしょう。アンナは幼い頃に両親と祖母を亡くし、二人を憎んでいます。それは自分を棄てたからと思っているからです。それは他者を認められないからでもあります。それと同じ理由で義母も認めることが出来ません。その結果、周囲への興味を失い、映画版ではクラスメイトからは「静かと言うか……」と言われてしまいます。これは多分「静かと言うか、暗い陰キャラ」というような言葉だと私は思います。そして、原作ではアンナは成績表に「やろうともしない」と書かれてしまうのです。
やろうともしない状態をアンナの内面から見れば周囲(他者)に何かを期待できず頼れない状態です。自分を皆が愛してくれている、と思う人間は自分から働きかけることが出来ます。それは自分に価値がある、自分に時間を割くことに価値があるかないか、と言う判断に迷うことがないからです。しかし、アンナは違います。自分は愛されていない、と思っていますから、やろうともできないのです。やろうともしないわけではありません。その結果、誰にも話しかけられず、暗い人間だと思うのです。そして、他者への興味を失い、他者も自分も認められなくなります。アンナ自身はそれを「世界には目には見えない魔法があって、自分は<外側>に居て、みんなは<内側>に居る」と思っているのです。その結果、自分を殺し、心を病んでしまいます。このままではアンナは大人にはなれません。自分に価値はないと考えているのと同時に周囲への働きかけがないからです。
アンナを救えるのは何でしょうか。それは無償の愛でした。それもわかりやすい。それを療養地で出会ったマーニーから受けるのです。
【秘密の関係】
マーニーは、意識的か無意識的かは不明ですが「無償でわかりやすい愛」をアンナに差し出します。それは秘密の関係と弱さの交換、そして直接的な言葉です。マーニーとの秘密の関係はアンナにとって初めての自分に価値を持ってもらえる経験だったでしょう。正直、秘密の関係と言う言葉をマーニーやアンナが発するのがぴんと来なかった人がいるのかもしれません。実は私はそうでした。何で、秘密の関係なの? と。秘密とは究極的に言えば「自分だけの物にしておきたい物」です。そんな関係だとマーニーに言われ、アンナは心底喜びます。「自分だけの物にしておきたい物」にするだけの価値をマーニーから認めてもらったからです。
【弱さの交換】
秘密の関係になったアンナは自分の弱さ(欠点)をマーニーに吐露します。マーニー自身もそれを吐露するのです。その自分の弱さの交換とそれの認め合いは非常に重要になっていきます。互いの姿(欠点も含めた)を愛しあう事、それによりアンナは愛され、愛すことが出来るようになります。アスカのように○○が出来ない自分(本当の姿)を認めてもらうからです。
【言葉。無償の愛】
そして、言葉です。マーニーは自分の生い立ちを語って泣くアンナに「かわいそうなアンナ、愛しているわ」とさらりと言ってのけます。そんな言葉は普通に聴くとぎょっとしてしまいますが、アンナのような少女の心を甦らせるためには必要なのでしょう。それこそ、誰から見てもわかる無償の愛の証でもあります。それにマーニーは何度もアンナを愛している、と言います。それはアファメーションでもあるような気がします。マーニー……策士だな。
人は様々な理由から、無償の愛を見失ってしまいます。互いにある一定の利益のある関係であれば、誰でもそんな事を思う可能性は十分にあります。マーニーはそれをいとも簡単に明け渡します。それは現代人が出来ない事でもあるでしょう。利益を生む関係、になってしまっている以上、避けられないのです。アンナの達観はある意味で現代人の心の奥底にある心情を体現しているとも言えます。「実は○○目的なのでしょう……?」そんな呟きのように。それこそ、アスカも背負う愛の問題でした。相手を疑うということは自分も疑うことです。マーニーと言う疑いのない存在にかかわることでアンナは自分の価値を再確認します。そして、他者と関われるようになります。それはある意味多くの人が意識せずに通り過ぎてしまった道でもあります。もしくは意識していても無償の愛を感じられなかったのかもしれません。だからこそ、この作品は読み継がれるのでしょう。人生の補完として。この作品は児童文学でありながら、大人の読物でもあります。そして、「あなた」の物語でもある。
【妄想】
これは大きなネタバレですが、実はマーニーは実在しません。マーニーはアンナの心の声です。それが意味するのは「自分を信じること」でしょう(と言う事を他の人のレビュー読んで気が付いたのは秘密)。それはマーニーとの絡みもあり、自分の価値を知る経験になるのです。これは個人的な感想ですが、マーニーが100%アンナの妄想っていう考えは違うと思うのですよ。やはり、自分を信じるためには他者の介在が必要ですし。妄想+幽霊と言うのが私個人のマーニーの正体の感想。
アンナはマーニーから無償でわかりやすい愛を受け取り、大人になります。そして、それが妄想(に近い物)だと知り、さらに自分を信じられるようになるのです。そして、アンナをさらに成長させる要素は自分を棄てたと思っていた両親と祖母にも物語があったという事を知り、二人(他者)を受け入れることです。そして、義母も受け入れる。映画ではそこらへんがわかりやすいです。
【大人】
しかし、映画版と原作では大人になったという方向が少し違うのです。映画版だとアンナは自分への愛を感じ、自分の価値を知って終わります。しかし、原作ではさらに大人になります。アンナは映画の終わりに人と関われているからと言って<内側>に居るとは限らないと言い切るのです。それは映画版では何で出てきたの、この人……と言うキャラによってもたらされます。それが素晴らしいのですが……その考えは諦めにも近い悟りです。しかし、それは無償の愛を受け、「内側」に本当には居ることが出来たからこそ「外側」を知れた、と言っても過言ではありません。映画版のように光だけを知るではなく、光のせいで出来た闇にも目を向ける、そんな終わり方なのです。正直、映画版の終わりは少しだけ……少しだけ心配なのです。アンナはこの先、辛いことに耐えるだけの力があるのか、と。しかし、原作ではそんな苦い部分も耐えることの出来る少女としての旅立ちで終わっています。アンナは悲しい存在でしょうか、私はそうは思わないのです。無償の愛の存在を確かに感じ取り、新たな世界に向かう彼女の姿は力強い。
ここまで書いては来ましたが、お話の構造としては映画版の方が絶対に完成度は高い。原作はカタルシスのある部分がバラバラに配置されている感じ。そのせいか、どこで盛り上がればよいか、少し戸惑います。映画版はそこらへんが上手いです。どこで盛り上がって、どこで終わるか、それがはっきりしているので乗りやすい。それに原作はマーニーの不思議ちゃん度が高すぎる感じがするのです。しかし……家族の温かさ、内側の温かさが強調されているのは確実に原作。原作には映画では登場しない人物が多く登場します。彼らの温かさが知りたい人は図書館へGO!
美しい脚本と美しい映像と美しい声、音を楽しみたい人向けの映画。テーマや深い洞察に富んだ原作とでも言いましょうか、どちらも読みやすい&見やすいのでオススメです。実は映画版は二重窓=マーニーの正体とか、空の色=アンナの心情らしいから是非チェック!
読んで頂きありがとうございます。