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救出

「きみはどうしてこんな所にいるの?」

 懐かしい声が、そう問いかける。

 まきなおねえちゃんだ。

「わかんないんだ」

 僕ではない誰か。子供の声が答えた。

だれだ。

だれが、ぼくの蒔苗おねえちゃんと話をしている。

あれはぼくの蒔苗おねえちゃんだ。ぼくをいつも守ってくれる、ぼくだけのヒーローだ。

「でも、きみは子供よね? 子供がこんな所に閉じ込められているなんて異常だよ」

 こんな所? どこなんだ、ここ? 天国?

「おじちゃんがね──」

 語尾を濁す、子供の声。

「うん──」

 続きを急かす事をしない、優しい言葉。

そうだった。蒔苗おねえちゃんはいっつもこうだった。僕が親と喧嘩して、蒔苗おねえちゃんの家に駆け込むと、必ずあの声で、優しく話を聞いてくれた。

 あれをやられると、心がほぐされて、何でも話せる気になってくるんだった。

「おじちゃんが、僕がすぐに逃げ出す悪い子だって言うんだ」

「うん──」

「だからね──この地下に閉じ込めておくんだって」

「うん」

 言葉に怒りがこもるのがわかる。

言っておくが、僕だからわかるんだぞ。あの子供には絶対にわかっていない。

「だから、仕方ないんだ。ここにいれば、何でもあるし、おじちゃんの言う事を聞いておけば、何もサレないですむし。もう棄てられないし、もう流される事はないんだ。安心なんだよ」

 一拍。二拍。三拍。言葉なく、態度なく、静かに蒔苗お姉ちゃんは怒っていた。

その拍数は、心臓の鼓動のように鳴り響いていた。

脳でなく、心臓ハートで怒っている。怒りの鼓動ビート心臓ハートから湧き上がる。心臓ハート鼓動ビートして、血液ブラッド爆発シャウトする。蒔苗お姉ちゃんの四肢を、脳を、怒りの血液が駆け巡る。

叫ぶ愛情ラブ

「そんなッ──そんな事はないのッ!」

 迸る激情オーバーラブ

「きみッ! あたしのうちにおいでッ」

 待ってくれ。僕の蒔苗お姉ちゃん。それはさすがに無理じゃないか? 現実を考えろ。

「ほんとに? 迷惑じゃない?」

 子供よ。期待している所悪いが、あれは僕の、僕だけの蒔苗お姉ちゃんだ。気持ち悪い事だがな。ん? 気持ち悪い?

「ほんとよッ! あたしんちは空手道場やってるのよ。だから、門下生とかも住み込んだりしてるの。だから、君みたいに小さい子の一人や二人、ドンッと来いよ」

 おまえも無責任に請け負うなよと。実際問題それをやったら誘拐だぞ。蒔苗お姉ちゃん。

蒔苗お姉ちゃん?

「でも、ぼく、おじちゃんの許しがないと、この学校から出られない──」

 見ろ。子供の方がよっぽど現実的じゃないか。蒔苗よ。蒔苗?

「そのおじちゃんの所に案内しなさいッ! あたしがぶちのめしてあげるッ」

 相変わらずだ。直情的で、激情的で、そんなんだから、容易に敵に捕まってしまうんだ。

蒔苗よ。蒔苗? そうだッ! 僕はここに蒔苗を救いに来たんだッ!

敵の罠にかかって、穴に落ちて、助かって──そこから? 確かに僕は助かった。でもその先から記憶がない。助かったと認識した瞬間に眼前が真っ黒になった。気を失ったのか?

ッて事は、これは夢?

四肢を動かす。動く。目をゆっくりと開く。ぼんやりと灰色の景色が映った。体を起こし、目をこする。ぼんやりとしていた視界が、少しクリアになる。鉄格子が見えた。牢屋の中か?

目の前にも別の牢が見える。そこにも人が入っているように見えた。僕はゴシゴシと目をこすり、目を細めて凝らした。徐々に視力が回復し、ぼんやりとした人影がゆっくりと像を結ぶ。

女性の。よく知った女性の影だった。

蒔苗だ。夢じゃない。

「蒔苗ッ!」

 僕は叫んだ。

「雑賀ッ?」

 前置きもなしに名前を叫んだ僕が言うのもアレだけれど、一瞬で僕の声を理解するとは、流石に幼馴染。気持ち悪い。

「雑賀どこなの? どこにいるの?」

 どこって、目の前の……ッてまさか見えてないのか?

確認するように、ジッと手のひらを見た。そこに手は見えない。

大黒マハ・カーラー発動中だった。それは見えるわけがない。気絶したから解除されたモノだと思っていたが、どうやらこの能力は完全マニュアルタイプらしい。気をつけないと。

この状態で死んだら、一生死体すら見つけてもらえず、放置三昧だ。

 僕は心の中で大黒に呼びかけた。無言で大黒が現れた。

「頼む」

 小さな声。僕と大黒にだけ伝わる声。無言で頷く大黒。

大黒マハ・カーラー陽身あれ

 一瞬で闇が僕の体からひいた。

「ふぅ──」

 一息。

「ここだ──ここッ!」

 僕は蒔苗に呼びかけた。

「ああっ──」

 安心の言葉。それは声にはなっていなかったけど。はっきりとわかった。蒔苗は僕の姿を見て、安心していた。と同時に僕も安心していた。気持ち悪い。

僕は蒔苗をみつめて、自信を持って言った。

「お前を、助けにきたぞ」

 蒔苗も僕をまっすぐにみつめて言った。

「檻の中に?」

 僕は自信を持って答える。

「ああ、そうさッ!」

「ッ! 馬ッ鹿じゃないの?」

 怒鳴られた。

「おいッ。あんまり大きな声だすなよ。人が来るぞ!」

「フンッ! 人なんて来ないわよ。あたしがここに閉じ込められて以来、人なんて来た事ないわ。それよりもッ! コレって助けに来たって言わなくない? 捕まりにきたんでしょ?」

 さらっと恐ろしい事を言ったな。人が来なかっただと? 捕まえるだけ捕まえて完全放置だと? 積極的ではないまでも、消極的には殺す気じゃないか。数日間で餓死するぞ。危なかった。助けにきて良かった。蒔苗は自分が命の危機にあった事は気付いていないだろうけど。

「僕がわざわざ檻に入りに来るほど、愚かなワケがないだろう」

「あんたはいつだって馬鹿よ。昔ッからワケのわかんない事ばっかり言ってたじゃない」

 ぐぅ──昔の話はやめてくれ。このまま行くと、黒歴史が開帳されかねない。確かに中二の頃は完ッ全に病気だったと思う。でも、あの時は多感な時期に大黒が現れて、色々と悩んでいたんだ。仕方がないだろう。

「こ、今回は大丈夫だ。なぜなら、ここの鍵は開いているからだ」

 僕は格子扉を開け、外に出てみせた。

「はい?」

 僕は薄暗闇の中を悠々と歩いて、蒔苗の囚われている牢の前に近づいた。蒔苗は呆気にとられ、鉄格子にしがみつき、ツンと伸びた鼻を突き出している。僕はソレをつまんでやった。

脂っぽい。それを服の裾でぬぐってから、僕は両手を広げ、大仰な態度で自慢げに言った。

「大丈夫だろ?」

「なんで?」

 鼻をつままれた事を怒る事もなく、ただ一言しか発せられない程に、蒔苗は混乱しているようだった。それはそうだろう。牢は閉じ込めておくモノという常識が崩れたのだから。

蒔苗は鉄格子を揺すって、無言で説明を求めている。

猿人めッ。仕方ない説明してやろう。

「だって、元々この牢には人が入っている予定じゃなかったんだから、鍵をかけていないのは当然の話じゃないか」

まあ理由としては色々あるが、一番正しいのはコレだろうな。

「そう──なの?」

「そう、だよ。案外、僕のだけじゃなくて、おまえの鍵も開いてたりしてな」

 僕はそう言いながら、鉄格子の扉に手をかけた。

 カチャリ。

「開いちゃッた」

「開いちゃッた?」

 幼馴染の異口同音。語尾は微妙に異音になっていたが。

「なにそれ? 今までのあたしはなんだったの? いっくらやっても開かなかったわよ」

「開け方にコツがあったんだよ」

「そうなの? まっ、でも!」

「良かった!」

 異口同音でそう言って、僕と蒔苗は鉄格子越しに向かい合い、笑いあった。そうしてしばらく笑った後に、蒔苗は牢の外に出て、辺りをきょろきょろと見回し始めた。

「なにしてるんだ?」

「んー? ちょっと、人を探しているのよ」

「こんな牢屋の中に、僕ら以外にも捕まっている人間がいるのか?」

「捕まっているのには違いないんだけど──」

「違いないんだけど?」

「牢屋の外だったり、中だったり、色んな場所にいるから、牢屋の中に閉じ込められているってワケじゃないみたいなんだけどね。どうも閉じ込められてるみたいなのよね。でも入学して以来、校舎の中で見た事はない子だったから、この地下に閉じ込められているっぽいのよ」

 子供。僕が気絶していた最中に、蒔苗と話していた子供か? てっきり僕の夢の中の話だと思ってたけど。さっきの話は夢じゃなかったのか。

「それって、僕がおまえに話しかける前に、話していた相手か?」

「あッ、そうそう! その子よ。雑賀、聞いてたの?」

「半分、気を失ってたから、今の今まで夢だと思ってたけどな」

「盗み聞きとか、本ッ当にヘンタイね」

「待て待て! 聞きたくて聞いたワケじゃないぞ」

「フフッ──わかってるわよ。今回はあんたに助けられたから、そんなにいじめない」

 いじめない。じゃなくて素直に感謝しろよ。ったく。

「おまえ、その子を家に連れて行くって言ってたよな?」

「うん、そうだけど?」

 しれっと答える。わかってないな、こいつ。

「なあ、現実的に考えろよ。そりゃあ誘拐だぞ」

「大丈夫よ。そのおじちゃんってのにちゃんと了解はとるから」

 右の拳と左の拳を打ちつけ合いながら言う、その了解とは、はたして言語的にとりかわされる双方納得した社会的な了解なのだろうか。

否であろう。止めなくては。

「だが、だな。そもそも、そのおじちゃんってのがどこの誰だかわかってないだろう。素直に警察に通報した方がよくないか?」

 現実的な手順を踏んだ方が、その子供、蒔苗、双方に良い結果をもたらすだろう。というよりもむしろ、面倒くさい手順を提示する事によって、諦めてくれはしまいか?

「そんなのわかってるから言ってるんじゃない。それに今のこの状況で警察がなんの役にたつって言うの? 相手は完全な犯罪者よ。そしてあたしは正義なの。義を見てせざるは勇なきなり。これが、うちの家訓よ。力あるものは義のためにそれを奮うのよ」

 微笑んだ。残念だ。この悪魔の笑みは暴走の証だ。僕には止められない。さっき夢うつつで聞いていた怒りの言葉でわかっていたが、完ッ全に暴走状態に入っている。警察はおまえの言う完全な犯罪者を相手にする組織だからそれに任せろ。と告げた所で、意味がないだろう。

もう僕に出来る事は、暴走の軌道を犯罪にならない程度に微調整する事だけだ。

「で? その相手とは誰なんだ?」

「聞きたい?」

 したり顔がむかつく。

僕はあえてリアクションはとらず無言で頷いて、肯定の意志を示した。

「それがね、ここの校長らしいのよ。校長が子供を監禁してるなんて許せなくない?」

 ──校長。

今回の事件の第一容疑者。というか、拉致監禁をしている時点で完全に真っ黒じゃないか。

「そうか、それは許せないな」

「でしょ? 助けないと。でもあの子。ひろしくんって言うんだけど。すっごい人見知りなのよね。さっきも雑賀の声がしたと思ったら、逃げてッちゃった」

「牢の出入りは自由なのか?」

「うん。なんか、あの子専用の通路があるらしいの。お姉ちゃんは通れないのって謝られた」

「そうか」

「それはそうと──雑賀」

「なんだ?」

「あんたはどうやってここまで来たの?」

「どうやって──って?」

「うん、どうやって来たの?」

「んッと。普通に忍び込んで、抜け道見つけて、そこに山音さんが──」

「山音? 山音も来てるの?」

「うん? 山音さんも──来てる」

「どこにいるの? あたしも山音に逢いたい。約束してたのよ、また逢おうねって」

 どこに? どこにだって? どこだ? ここにはいない。どこまでいた? どこからいない? 校庭。いた。校舎。いた。校長室。いた。牢屋。いない。

ここからいない。そうだ。僕は山音さんを追っていたんだ。愕然とした。

「は……ぐれた」

 一閃。言葉と同時に頬への衝撃。

「なにやってんの? ほんッとに! 何があっても弱いものは守りなさいって、昔から言ってあったでしょ? ましてやこんな所で! 何やってんの!」

 耳に返す言葉も、頬に返す刀もない。

「すまん」

「で、どこではぐれたの?」

 僕は無言で、人差し指を上に向けた。

「うえ?」

「ああ、三階ではぐれた?」

「じゃあ、はやく三階に助けに行かなくっちゃ! きっと一人で心細くて泣いてるわよ。あんなに可愛い山音を一人にしておけない」

 普段ならば、それは確かに僕も同じ意見ではある。しかしだ。今のこの状況は普通ではない。

「いや、待て」

「は? なんなの? 助けにいかないとでも言うの?」

「三階に山音さんはいない」

「じゃあ、どこよ!」

「僕が落ちてきた所にはいなかったから、きっと別のルートを通ってきていると思う」

 僕の落ちたような穴に落ちていなければ、だが。もし落ちていたとしたら──。

考えたくはない。

「山音を先に行かせたのッ?」

「空腹の山音さんが、勝手に、な」

「……」

「……」

 お互いで無言だった。それはもう。言葉にならない。僕らは山音さんと知り合って短い。ここ数日の付き合いだ。だがそれでも、彼女がお腹をすかせていたというだけで、暴走をしている事が暗黙で了解できる。僕たちはこの事実に驚いていた。

「うん。──そうね。この地下フロアを探しましょうか」

 僕は静かに頷いてから、これからの目的をまとめた。

「目的は二つ。一つは、山音さんを発見してつれて帰る事。もう一つは校長を見つけて、法に則って、話し合いのもとで、ひろしくんとやらを解放するように交渉する事」

「そうね──話し合い、でね」

 その実に暴力的な笑みはやめろ。不吉な予感しかしない。僕は暴力ではなく、あくまで話し合いでの解決を狙っているんだ。……とは言っても、実際問題として、相手が相手であり、話し合いが通じるとも思えない面も多々あるので、逆にその暴力が頼もしくもあるのは、決して否定は出来ない。蒔苗もそれをわかっているのであろう。誰あろう、誘拐された張本人だ。その恐怖も相当なモノであっただろう。とにかく、今は無事であった事を喜び、前に進む時だ。

 僕と蒔苗は、そんな色々を含みつつ、お互いで決意を固めあうように無言で頷きあった。

そして二人で牢と牢の間の廊下を歩き始める。

しかし、すぐに蒔苗は歩を止めた。

「どうかしたのか?」

 僕も一緒に止まって、蒔苗の顔を見た。

「ちょっと、一声だけかけてくから待って」

「一声?」

 蒔苗は頷くと、大きく息を吸った。

「ひろしくーんッ! 今からちょっとひろしくんがあたしの家に住めるように、あなたのおじちゃんにお願いしに行ってくるわね。聞こえてたら、ついてきてもいいし、ここで待っててくれてもいいわ。隣にいるこいつも怖くないから、気が向いたら姿を見せてあげてねッ!」

 大声だった。どこぞにいるかわからないひろしくんにも届いただろう。その代償に隣にいた僕の鼓膜は大きく振るえ、キンとした金属音が耳の奥で鳴り響いている。

「よしッ!」

 そう言って、両の拳を胸の前で打ち合わせてから、再び廊下を歩き始めた。

よしッ! じゃないよ。耳が痛い。声がでかい。脳みそがからっぽだから、頭蓋の中を音が反響して、無駄に声がでかいんだよッ!

数歩前を行く、頼もしい背中を小走りで追いかけながら、僕は心の中で悪態をついた。


 ★★★★★


 廊下はゆるいカーブを描いて、ずっと先まで続いていた。その左右には鉄格子が並んでいて、鉄の薄気味悪い鈍色と、その奥の得体の知れない闇色の、不気味な縞々模様が、延々とどこまでも続いていた。そこには山音さんの影も形もない。出口の影も形もない。

結局、何も見つからないまま、この監獄を一周して、元いた場所に戻ってきていた。

出口のない道。まるで天狗にでも化かされているようだった。

無言の二人。とりあえず、僕は腰をおろし、蒔苗もそれにつられて腰をおろした。不安だった。そんな不安をかき消すように、僕は蒔苗に話しかけた。

「ところで、おまえ──」

「なによ……」

 蒔苗も不安なのだろう。僕の言葉に対して、喰い気味で応える。

「どうやって捕まったんだ」

 僕の言葉に、蒔苗はいきなりその場で飛び跳ねた。

ソレはどうやら怒りの動作らしく。僕の問いに、言葉を発する事なく、態度だけで怒っているようだった。本人的には態度だけで怒るつもりはないらしく、しきりに口はパクパクと動いているだが、怒りのあまりに声が出ていない。

本当に動物的だ。

「まあ、落ち着けよ」

 そう言って、僕は蒔苗の肩に手を置いた。その途端にバックナックル気味に、僕の手を振り払おうとしてくる。気味って言うか、完ッ全にバックナックルだったけど。

「ッ落ちッついてるッわよッ!」

 落ち着いてない。

「そうか、じゃあ、捕まった時の事を詳しく教えてくれ」

「そうね、そうね。必要よね。ムカついてムカついて、途中であんたの事を二、三発殴ると思うけど、許してよね。二、三発ですまなくても許してよね」

 空手小町としては力で負けた事が、相当に悔しかったらしく、荒れ放題に荒れている。仕方ない。まあ、僕は殴られるのも蹴られるのもなれている。

「問題ないから、教えてくれ。おまえほど強い人間が、やすやすと捕まえられるなんて、一体どんな事をされたんだ?」

「やすやッすッじゃないッ!」

 正拳突き。軽いスウェーでかわす。

「そうだな、おまえは強い。それで、どうした?」

「……相手が卑怯だったのよ」

 この一言で、なるほど、搦手からめてで来る相手だったのかとわかる。

それは確かに相手が悪い。蒔苗は直情的だ。勿論、空手の中での駆け引きなんかは、当然巧みであろう。しかし、それは空手の中だけだ。ルールの中での駆け引きだ。その埒外に出た場合には、ただの力押しのみの人間になってしまう。

「おまえ、須藤さんを追ってたんだよな?」

「そうよ」

「じゃあ須藤さんがお前を誘拐したのか?」

「うん? 違うよ」

「は? 須藤さんを追っててさらわれたんだろ?」

「そうだけど。でもあたしをさらったのは……知らないおっさんだった。須藤を追っかけてたら、いきなり目の前にそのおっさんが現れたの」

「全く知らない人だったのか?」

「うん、全く」

 深く頷いた。

「一体、どんな奴だったんだ?」

 僕の問いに、ふん? と蒔苗が首を傾げた。

大変申し訳ないが、首を傾げないで頂きたい。それは山音さんの専売特許だ。おまえがやっても、正直可愛くない。まあ、実際にはそんな事、口が裂けても言えないし、言ったら言ったで、口が裂けるどころではすまないのだけれど。

「変な……奴だった」

「変?」

「うん。なんていうの? 昔のあんたがそのまま大人になったっていうの?」

 昔の? それは変な人というよりも、痛い人だ。自分で言うのもなんだが。

「それは──中二的って事か?」

「そうねえ、中二なのかな? とりあえず──自分の事を、ハードボイルドだって言ってた。それに、変な帽子もかぶってた。服装はわりとフツーだったんだけどね」

 いたたたたた。

「そうか、それは変な人だな。でも僕はそこまで変じゃなかった」

「そう? 大差なかったわよ」

 わかってない。わかってないぞ、蒔苗。

「違うぞ! 何より、時代が違う。僕は中世で、そいつは現代だ。そこは相容れないんだ。言うなれば、僕は剣、そいつは銃だ。な、大違いだろ?」

「ふん? そうね。違うかもね」

 流された感はあるが、納得はさせたとして、よしとしよう。設定の差は大きな違いだ。

「それで、他にはそいつの特徴はないのか? 名前は──名のるワケないよな」

 中世の騎士じゃないんだ。自ら名のりを上げるハードボイルドなんて聞いた事がない。

「名前ッ!」

「どうしたッ! まさか名のったのか?」

「うんッ! なんか、毘沙門天とか言ってた、自分の事」

 毘沙門天。

 ……これは痛がって良い所か? うん。普通だったらギャグだ。笑うところだ。自分の事を毘沙門天と名のるなんて、上杉家にも鼻で笑われるレベルだ。しかしだ。もし実際に毘沙門天だったとしたら? 普通ならありえない。でも僕はありえない話ではない事を知っている。何故なら僕には大黒天が憑いている。だから、名のろうと思えば、大黒天も名のれる。まあ名のらないけど。僕のスタイルは中世だし。

まさか、相手も神憑きって事か?

それだったら、蒔苗が負けた事も納得がいく。普通の人間が神憑きに勝てるわけがない。

「蒔苗。おまえ──そいつにどう、負けた?」

「うん──」

 一瞬、言葉に詰まる。そしてぽつりと言った。

「よく、わかんなかった」

「珍しいな」

 と言うのも、こう言ってはアレだが、蒔苗は空手の天才だ。その上に英才教育を施されている。さらに空手に関しては実に努力家だ。

勿論、今まで負ける事もあった。今だって負ける事もある。だけど、こいつは決してそれだけには終わらない。試合の中で、自分が相手に劣っている所、優れている所を正確に把握している。それで劣勢であれば、劣っている部分を成長させながら闘い、その試合中に届かなければ負けるし、試合中に相手を上回れば勝利する。そんな化物じみた事をする。

だから、蒔苗がワケもわからず負けると言うのは、今まで聞いた事がない。

「どんな状況だった?」

「んー。隙だらけなんだけど、攻撃が一切当たらないんだよね。あんなに隙だらけなの、当たらないなんておかしい! だってマイケルジャクソンみたいな感じで帽子に手を掛けて闘うんだよ。頭おかしくない?」

 それがただの中二病ならば、頭がおかしい人って事で済む。だが、神憑きとなると話が変わってくる。それが何らかの条件のようなモノな可能性だってある。

「攻撃がまったく当たらなかったんだよな?」

「うん。そこがおかしいのよね。一回ね、完全に入るタイミングがあったのよ──」

「ふん」

 僕は鼻を鳴らして続きをうながす。

「相手の完全な死角から、至近距離で後頭部に、掌底を打ち込んだんだけどね」

「ああ──」

 なんて危ない事しやがる。ヘタしたら死ぬぞ。

「そしたらいきなり横から吹っ飛ばされたのよ」

 何を言っているのかわからないと思うが、俺も何を言われているのかわからない。

「言ってる意味が、イマイチわからないんだが。おまえは何に吹っ飛ばされたんだ?」

「それがわからないから、よくわかんなかったって言ってんじゃないのよ。バカサイカ」

「む、確かにそれはそうだったな」

「で、結局そのワケのわかんない攻撃で気を失っちゃって、気付いたらココってワケ」

「そうか──状況はわかった」

 そのおかしな状況と、神の名前を名のっている段階で、確実ではないけれど、多分、相手は神憑きだったんだろうな。というか、坂嵜家うち以外にも神憑きっていたんだな。てっきりうちだけだと思ってた。安心したというか、不安になってきたというか。

「そう──」

 話が終わった。ぺちゃくちゃと喋っていてもアレだ。僕らは出口を見つけなければならない。

「さて、どうしたモノか」

 選択肢は三つ。今わかっている出口からでる努力をする事。正規の出口を探し出す事。天狗様のご機嫌がなおるまで大人しく牢屋の中で過ごす事。

「よしッ!」

 僕は目を閉じて、地面に寝転んだ。ひんやりとした床が、僕の体温を奪っていくのを感じる。

選んだ選択肢は三番目。天狗様のご機嫌がなおるまでの間大人しくしている。

対応としては下の下だが、今はこれ以上体力を消耗するワケにはいかない。見た目以上に蒔苗も消耗している。

「な! いきなり、なんなの!」

「僕はちょっと目を閉じて休むよ。これ以上、今動いても仕方ない。蒔苗も休んどけよ」

「え? ええ?」

蒔苗が戸惑いながらも反抗してこない。これは僕が思った以上に蒔苗の消耗が激しいという事だ。まずいな。僕は目を閉じたまま話しかける。

「蒔苗、食べ物持ってないか?」

「ん? お菓子なら持ってるわよ。山音用に。なに? お腹すいたの? 食べる?」

「いや、僕はいいよ。蒔苗が全部食べてくれ」

「でも、これからどれ位ここに閉じ込められるかわかんないし、あたしだけ食べるのは──」

 強い語気で、蒔苗の言葉をうち消す。

「大丈夫だから、お前が全部食べるんだ」

「わかった」

 蒔苗の気勢は息を潜め、たった一言、答えただけにとどまった。そのまま僕も蒔苗も無言になり、ただ蒔苗が、菓子を噛み、飲み込む音だけが監獄に響いた。

それもしばらくすると聞こえなくなり、カチャンと蒔苗が鉄格子に身を預けた音がしたきり、静かになった。息の音、心臓の音まで聞こえてきそうだ。

そのまましばらくして、僕は薄目をあけた。全体が薄暗い。なんの気配も感じない。

うーん。まだ──かな。

 僕は待っていた。そう、待っていた。何の考えもなしにここに腰を据えたワケではない。

蒔苗をあのまま、歩かせて、一緒に出口を探していたら、あっという間に蒔苗の体力は尽き果てて、ぶっ倒れ、気を失って、困った事になっていただろう。

だから、ここに腰を据えて助けを待つという、下の下の方策をとったワケだ。だが、助けなんて来る訳がない。ここに僕と蒔苗がいる事を知っている人間は存在しないのだから。

 それでも待つ、という策をとったのには理由がある。

ひろしくんだ。

 この牢屋を自由自在に出入りできるひろしくん。囚われのひろしくん。可哀相なひろしくん。そんなひろしくんしか出入りできない出入り口。──そんなモノあるワケがない。出入りできないのではなく、出入りを許されていない。それが正解だろう。

 話を聞く限り、ひろしくんは蒔苗になついている。さらに蒔苗は真剣にひろしくんを救いたいと願っている。彼はその言葉を聞いた。その希望を聞いた。

あの希望の言葉は、閉じ込められている人間が聞けば、さぞや甘い言葉だろう。そして情のある人間であれば、そんな言葉をかけてきた人間の危機を見過ごせないだろう。

助けたいと思うだろう。助けようと思うだろう。しかし、すぐには出てこないのもわかっている。普通は迷う。しかも邪魔者の僕もいる。僕を救う義理は、ひろしくんにはない。

ひろしくんはずっと僕らを見ていた。歩いている、見つかるはずのない出口を求めて歩いている僕らを見ていた。そして、疲れ果てて留まっている僕らを見ている。

正確には──僕を見ているのだろう。

ずっと視線を感じていた。蒔苗と話している間も、歩いている間も。

──今も。

だから僕は目を閉じて、寝転んでいる。何もしない。僕はここにいない。

そんなアピールをしている。

「ん?」

蒔苗の一声とともに衣擦れの音がした。蒔苗は後ろを振り返った。

 来たか? 僕は一瞬、身を固くした。しかしすぐに、静かに細く呼吸して、身体をときほぐす。まだここじゃない。動く時ではない。

蒔苗が元の姿勢に戻って、僕の事を確認している。僕はひたすら狸寝入り。

「でも……」

 大方向こうの要求は一人で来いというモノだろう。そして蒔苗は僕を置いていけないと思っている。いいからさっさと行け。

「ほんとに?」

 間。

「わかった……」

 どうやら話がまとまったらしい。良かった。蒔苗は静かに僕から離れていった。

音の動いていった方向から考えて、進んだ方向は蒔苗が捕らえられていた牢屋の中だろう。

なんとまあ──灯台下暗し。はじめに居た場所に出入り口があったのか。それならば、自由自在にひろしくんが蒔苗の牢屋の中に出入りが出来た理由に合点がいく。

しかし。牢獄の中に出入り口を作るとは。キラリとしたセンスが怪しく光るな。

「うん──うん──」

 蒔苗の返事だけが、静かな牢獄に響く。

「やっぱり、雑賀も……」

 僕の身を心配してくれるのはありがたい。ありがたいが、さっさとおまえだけ助かってくれ。そしてその上で助けを呼んで、僕を助けてくれ。

それにひろしくんだって、今は危ない橋を渡っている。囚われの身でこんな事をすれば、いま自分が出入りできる範囲をしぼられてしまう可能性だってある。そんな中、蒔苗だけでも救おうと考えてくれている。そんな彼を困らせるような事はしてくれるな。

「うん──わかった。絶対よ!」

 交渉成立。そもそも蒔苗は交渉できるような立場じゃないんだけどな。

「ありが*×、※+@&%」

 蒔苗の謝礼の言葉は、地の底を掻き毟しって、引き剥がすような音で、かき消された。

おいおい! こんな馬鹿でかい音をたてて、ひろしくんは毎回出入りしてたってのか? こんな音をたてられたら、出入りに気づかないか? 蒔苗よ。

それにしても凄い音だ。この音で目を覚まさないワケにはいかない。さすがに不自然すぎる。

僕は目を開けて、起き上がった。そして轟音のする方向。蒔苗の移動した方向。つまりは牢獄の中に視線を移した。

音が止まった。

牢の壁に、視線が打ち付けられた。

黒い。

灰色の牢獄の中に。

真っ黒くて、四角い口が開いていた。

その口の中に、蒔苗が身体半分、何かに手を引かれているかのように、呑みこまれていた。闇の中に呑まれていた。どう見ても物理的な出入り口ではない。どろりとした水のような闇だ。

「蒔苗ッ!」

 僕は幼馴染の名を呼んだ。

「雑賀ッ!」

 幼馴染もまた、僕の名を呼び返した。そして、闇の中に消えていった。

失敗したッ! ひろしくんも普通の子供ではなかった。こんな事ができる人間が普通の人間なワケがない。普通の子供がこんな牢屋に拉致監禁されているワケがない。

僕は跳ね上がって、牢屋の中に身を躍らせた。その時にはすでに蒔苗の身体は完全に四角い口の中に呑みこまれて、腕しか見えていなかった。

僕は必死でその腕に手を伸ばした。身体が引き千切れようといい。この手が伸びる事だけを願って、祈って、手を伸ばした。

伸ばした。

 願いは通じなかった。

その手は何も掴めなかった。

 蒔苗は闇の中に消えていた。

バランスをくずした僕は、そのまま床に両手をついて、倒れこんだ。

 倒れこんでる場合じゃないッ! まただッ! また僕の油断だ。僕の失敗だ。僕は失敗ばかりだ。余裕綽々で、寝たふりを決めこんでいたからだ。

倒れた身体を、四肢を奮い立たせ、獅子のように咆哮する。

「があああああああッ!」

 顔を上げると、蒔苗を飲み込んだ闇が小さくなっていっているのが見えた。迷っている時間はない。僕は考えて失敗を重ねた。だったら考えるな。

救いたいという気持ちで動け! 身体を躍動させて飛び込め。迷うな。

「間に合えええええええええッ!」

 咆哮。僕は四つん這いの状態から、転がり込むようにして、無理矢理、閉じかけている闇の中に身体をねじ込んだ。


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