閉幕
事件は無事に解決した。校長は逮捕され、犯罪組織の人間も逮捕され、美術品は押収され、オークションの客も参考人として身柄を拘束され、勧善懲悪の結果となった。
今はその事件から数日たち、捜査協力などが一段落つき、全てが終わった状況だ。
そして、今日は、ぽかんと時間があいた日曜日。それを見透かしたかのように、僕は須藤さんに呼び出されて、『宝船』のカウンターに座っている。
僕らの学校の無期停学は取り消された。空手部の活動停止も取り消された。全て無実だったとされ、内申書などにも一切影響がない事が確約された。
僕と蒔苗以外もみんな無事だった。
真田という男は、いつの間にか消えていた。警察に捕まったという話は聞かないから、多分逃げのびたのだろう。彼に関しては、もう十分に罰を受けただろうと思うから、このまま捕まらないでもらえたらと思う。
そして何と言っても、面白いのが山音さんだ。
美食を求めて旅立った山音さんは、その匂いを追い、あの複雑なスライダールートの全てに正解し、オークション会場に到達していた。そして後はひたすら食べ続けていたようだ。ここまでは後に山音さんから聞いた話だ。
僕らがあの事件の後に見た山音さんは、口の周りを料理のソースで汚し、ちらりとお腹を出して、オークション会場で大の字になって寝ていた。その満足そうな寝顔をみて、僕と蒔苗は何も言えなくなってしまった。何度か起してみたが、起きる事はなく、結局、そのまま須藤さんがおぶって連れ帰った。
そんな具合に、事件に関わった人間はみな無事だった。
あれだけの大規模な事件で、一人も死人を出さないなんて奇跡的だ。
よかった。
……。
僕は今。一人の死人も出さずにと言った。
が。
アレを死人と言わないのなら。
そうなのだろう。
でも。僕の感覚では死んだ人間がいる。
それは。
児玉龍治校長。
あの男は、あの時、自らのこめかみを確かに打ち抜いた。
普通は死ぬ。
だけど
──死ななかった。
いや、一度は死んでいたかも知れない。
でも全てはすぐになかった事になった。
水蛭子。
水蛭子の力だった。
校長の事が大好きなひろしくんは、校長の死を許さなかった。
銃声が響いた瞬間に、それをなかった事にした。
自分が死んだと思った校長は、しばらくは固く目を閉じたまま動かなかった。
そしてゆっくりと確認するように目を開いた校長は、こめかみを打ちぬく前と変わらない状況に、さらに一段と目を見開いた。
そこから一瞬で現状を理解した。
ひろしくんを睨む。
ひろしくんはニコニコと微笑んでいた。
校長は再び銃口をこめかみにあて、引き金をひいた。
渇いた銃声が響く。死の潤いを希う《こいねが》ようだった。
しかし、校長に潤いが訪れる事はない。
ひろしくんが微笑んでいる限り。
校長は、そこから何度も、己のこめかみを打ち抜いた。
リボルバーから銃弾がなくなり、ポケットに入れてあった予備の銃弾を、ぽろぽろと床にこぼしながら装填し、何度も、何度も何度も、引き金をひきしぼった。
繰り返し死の痛みを受け、繰り返し死の覚悟を固めた。
それでも死ぬ事は許されない。
皮肉にも、真田に放った言葉が、己に返ってきていた。
『命までは奪わん。水蛭子で傷をなかった事にした後に、また傷を負わせて、それもなかった事にして、延々繰り返し、私が飽きたら、存在を消してあげよう』
この言葉が。悪意でもなく、罰でもない。全くの善意、全くの好意から生まれ出ずる。
その惨劇。
銃弾も尽き果てた後、校長の目からは涙が溢れていた。小さな声で、「死にたい死にたい」とずっと呟いていた。銃弾の装填されていない銃の撃鉄を起し、引き金を引き続けていた。
カチリカチリと。
部屋の中には、嗚咽と、渇いた音が、鳴っていた。
最終的に校長は、虚ろな目で涙を流しながら、死にたいと呟くだけになってしまった。
心が死んでいた。
動かなくなった校長を見て、ひろしくんは満足そうに微笑んでいた。
神を軽んじた末路。神を利用した罰。そう言ってしまえば簡単だが。そんな事で閉じてしまってよかったのだろうか。あの姿は、僕らにも他人事じゃない。
アレを思い出すと、僕はよかったよかったと純粋に喜ぶ事は出来なかった。
ちらりと須藤さんを見る。カウンターの向こう側で、煙管をくゆらせている、須藤公望は答えない。吐き出す紫煙で、店内が全体的にうすぼんやりとしている。
そのせいか、この状況全てが夢のようだった。
もちろん。夢といっても、幸せな夢ではない。幼い頃に見た悪夢の類だ。
カウンターの向こうは彼岸で、こちら側が此岸で。つまり向こう岸にいるのは死人で──。もしかしたらこちらが彼岸かも。
身震いが起る。
自分の考えに寒気がする。大丈夫。ここは現実だ。僕は須藤さんに呼ばれてここにいる。
そう言えば、須藤さんはなんのために僕を呼んだのだろう。
「今日は──どうして僕を?」
そう言った僕の声は少し震えていた。
「ふむ」
答えたのか、鼻を鳴らしたのか、判断がつかない返事の後。須藤さんは咥えていた煙管を口からはずし、とっくに灰に変わった火種を、ぽとりと煙草盆に落とした。
「今日、君を呼んだのは──」
「はい」
「今回の事と、今後の事を話しておきたいと思ってね」
「今回と──」
今後の事? 意味がわからない。
須藤さんは無言で頷いた。
「うむ。まずは今回の事だが──」
須藤さんの瞳が、まっすぐに僕を捉える。
「君は、思い出したかね?」
単刀直入な言葉。斬りつけるような、刺し貫くような、難しい問いだ。
「何を──ですかね?」
一旦、シラをきって、考える時間を確保する。
「思い出しているみたいだね」
「何の話ですかね? 話が抽象的すぎてわからないですね」
「ほう──まだ、シラをきるのかい? まあいい。じゃあ、ここは質問を変えよう」
一拍。
「君は、どんな失敗をして記憶を消された?」
ああ、ばれている。僕が今回の事件で成功した事も、失敗した事も。この目は全てを知っている目だ。ここでシラをきりつづける意味はない。僕はあっさりと肯定する意志をかためた。
「ばれていましたか──」
「当然だよ」
「いやあ、このままいけるかと思っていたんですけど」
「それは私を過小評価しすぎだと思うがね。それで?」
「それで? とは?」
「君がした失敗の詳細を聞いているんだよ」
「ああ──それですか。言わなければダメですか?」
「勿論だ。君がどんな仕事で、どんな失敗をして、依頼人に記憶を消される羽目になったのかを教えてくれたまえ」
「仕方ないですね。須藤さんがご存知の通り。僕は泥棒です。ナチュラルボーンの泥棒です。なにせ裏家業の家に生まれ、泥棒の英才教育を施され、日常的に盗みに接しているような人間ですから」
「君の家はこの業界では有名だよ。通称、六部。依頼をすれば全てが叶うという福の神も真っ青な家だ。まあ──名前の通り、必ず幸せになるとも限らない所は、貧乏神も真っ青な家でもあるがね。君はその家の一員だ。そうだね?」
「ええ、そうです。そこまでご存知なら話が早いです。僕の失敗はこうです。あれはゴールデンウィークの最終日でした。美術品の窃盗依頼をこなした後の受け渡しの日でした。いや、びっくりしましたよ。受け渡しの指定場所が自分の学校で、しかも受取人が校長なんですから。相手もびっくりだし、僕もびっくりで。絶対何かやられるだろうと身構えていたんですけど、受け渡しは何事もなく終わり、帰ろうと部屋を出た所で、見事にやられましたよ。記憶を流されました。異常に気付いて、なんとかその場からは逃げ出しましたけど、残った記憶は事件を目撃したから、警察に通報しなければならないという焦燥感だけ。それで自分の事件を通報するなんて間抜けを打ったワケです」
「それは下手を打ったね。それが事件の発端だったワケだ。それにしても君は家業が嫌いだと言っていたのに、なぜ依頼をこなしたんだい? 嫌だったら、受けなければいいじゃないか? 坂嵜家はそういうシステムだと聞いているが?」
「それはそうですけど。でも高校生からは、小遣いが出来高制になるんですよ。つまり働かなければ、小遣いはナシです。そうすると、毎年の蒔苗への誕生日プレゼントが買えなくて……それで仕方がなく。今回、仕事をこなせば、数年分位のプレゼント代にはなるから、仕方がないと思って、やった結果がこれです」
須藤さんは僕の言葉に下を向いた。必死で笑いをこらえている。ムカつく。
「そりゃ、他人から聞いたら笑い事かもしれませんけどね、蒔苗の満足するプレゼントってのも中々難しいんですよ。必ずしもお金がかかるわけじゃないんですが、突拍子もなく言い出すもんですから、常に一定以上の金額は貯金しておかないといけないんです。そのくせ、僕へのお返しはいっつもチマチマしたモノだし」
須藤さんは僕の言葉に、切れ切れとした笑いを漏らした。僕はそれを睨みつける。
「いや、すまないね。その歳で夫婦の悲哀を語られるとは……うらやましい限りだ」
「皮肉はやめてください」
「皮肉じゃあないんだがね。だが、無駄話もアレだ。話を続けてくれるかい」
須藤さんは、真剣なのか、ふざけているのか、哀しんでいるのか、よくわからない、なんとも形容し難い表情で、そう言った。
しかし、続けるも何も。
「さっきのでおしまいですよ。そこからは本当に記憶を消されているから、真剣に何で退学になったかわからないし。全くの無手でこのカウンターに突っ伏していたんですよ」
「そうして私に、『すくわれた』と?」
須藤さんの言い方に含みがある。恩でも着せる気か?
感謝はしているが、着る恩は持ち合わせていない。
「ええ。それに関しては、物凄く感謝しています。あそこで須藤さんが来てくれなかったら、完全に僕も蒔苗も存在を消されてましたからね」
「いやいや。感謝には及ばないよ」
さっきの言葉の含みと似たニュアンスの言い回し。ここはけん制しておこう。
「でもですね。どうせ助けてくれるなら、はじめから助けてくれればよかったじゃないですか。そうすれば、蒔苗も僕も死ぬ思いをしなくて済んだし、山音さんを危険な目に合わせる事もなかった。そこに関しては須藤さんの失敗じゃないですかね?」
失敗を根拠に成功の減額を計ろう。
「失敗ではないよ」
断言。だが根拠がない。
「でも! 依頼主を危険に晒すなんて、それは探偵として失敗ですよ」
「依頼主? それは違うな。言っただろう。君は私の『意図』に従って動いてもらうと」
……確かに、そんな事を言われた。気がする。僕が事件を依頼した時か。何だか、凄く昔の事を言われている気がする。『意図』に従って動く。
「意図、ですか?」
「そう。意図だ。指示じゃあない。だから私は全ての考えを言葉にしているワケではないし。君は全てを把握していたワケではない。君は私の舞台の観客ではなく、私のコマなのだから」
「コマ──」
「そうだ。言い方は悪いがね。良い言い方をすれば、私の手足だ。手足は頭脳の意図を全て理解しているワケではないが、頭脳の意図通りに動くモノだ」
「じゃあ、僕らの命が危険に晒された事にも意味があると?」
「当然だ。私が事件の鍵の話をした後に、狸穴に煙を燻すと言ったのを覚えているかい?」
狸穴? 煙? アッ! 思い出した。今と同じ顔で、ニヤリとワラったあの笑顔まで。今はっきりと思い出した。そうか! その煙が! 須藤さんの言った煙が──。
「僕らだったんですか!」
「そうさ」
なんの衒いも、悪びれもなく、さらりと肯定した。
「でも! 僕らでなくても良かったじゃないですか! 誰でもあの学校に侵入すれば、校長はソレを排除しようと現れたでしょう?」
なにも──蒔苗や、山音さんまで巻き込む必要はなかった。
「ふむ、どうも──君は自分の事がわかっていないね」
どういう意味だ?
「自分の事?」
僕の思案顔に、須藤さんが言葉をかぶせる。
「あの場の『物』の鍵を開ける事が出来る人間が君以外にいると思っているのかい?」
『物』の鍵? 学校の構造の謎を解くって事だったよな? それが僕以外に出来ない?
「それは、須藤さんでも出来るんじゃ?」
「あの学校はね。君が思っている以上にセキュリティが厳しいんだ。ことごとく扉には最新鋭の鍵でロックされている。君も知っている通り、闇オークションが開催されていたんだから、それも当然なんだがね。そんな所にまともに忍び込めるのは、君くらいなんだよ。私でもあそこに忍び込むのは無理だね。だから、撒き散らす煙は君でなければならなかった」
「つまり、あの時に、蒔苗を救わないと言って、僕を激昂させたのも、単独で僕を乗り込ませるためで、全ては須藤さんの意図の上だったと?」
一拍。
「肯定も否定もしないでおくよ」
肯定も否定もしない。
「つまりは、肯定と言う事ですね?」
「それを言うのは野暮だよ」
真田みたいな事を言うな。
つまりは、全部がこのヒトの意図の上だったって事だ。僕や蒔苗がアタフタと動いていたのも、僕や蒔苗が心を痛めていたのも、僕や蒔苗が体を痛めていたのも。全部全部、全部。
全ッ部! 須藤さんの意図の上だったと。
「わかりました」
「わかってくれて嬉しいよ」
今回、僕らは無駄に慌て、慄き、傷ついていたんだ。徒労と言う言葉が僕の脳裏に浮かぶ。
しかしその反面、この人の意図を盲目的に信用して動いていたと仮定した時に、その徒労の一切は消え、抜群の安定感が心に飛来する事も否めない。
僕がずっと感じていた、理由のわからない信頼感も、きっとこれなのだろう。気持ち悪い。僕はブンブンと頭を振った。
「で、ここからが本題なんだが」
「僕を警察に引き渡すんですよね。この商売を始めて以来、その覚悟は出来ています」
そのために呼んだのだろう。今後の話とはそれだろう。
「いやいや、君は何を言っているんだい? 私がそんな事をする訳がないじゃないか」
「え?」
「依頼もないのに、君を警察に売ってどうするんだい? 私に何か良い事が?」
良い事が──と言われると。
「ないと思いますけど……」
「だろう? だから今からする本題は別の話なのさ」
「じゃあ、その別の話ってなんなんですか?」
「これさ」
カウンターの上に、一枚の紙切れが置かれた。
「これ、なんですか?」
僕はソレを手にとった。
「契約書だ」
ソレは確かに契約書だった。頭に契約書という題名が入っていて、その下には条文がびっしりと書き込まれた、ありがちな契約書。高校生の僕でも見た事がある程に、ありふれた契約書。
もちろん、その最後には契約者の名前が書いてある。
──坂嵜雑賀と。
「契約書?」
「そう、君がサインしたあの契約書だよ」
視線が須藤さんの目と、契約書の文面の間を、しばらくの間上下する。最終的には自分の手元で視線移動は止まった。
──やられた。
僕は視線を上に上げて、須藤さんを見る。
実に厭な笑顔で僕を見ている。
つまり、犯罪を通報しない代わりに、自分のために働け、と言っているのだろう。
解決できない事件を解決する探偵社で。神の力で閉じられた事件を解決する探偵社で。
僕に神が憑いている事をはじめから承知で。全てはじめっから承知の上で。
須藤さんはこの図面を描いていた。
負けだ。素直に、負けを認めて、諦めよう。こんな所まで図面をひいて動ける人間は、坂嵜家歴代の中でも少なかっただろう。今の僕では勝てない。
僕は手元の契約書を見つめながら言った。
「わかりました。ここで──働きますよ。それ以外に手はないようですし」
「ふむ──」
須藤さんは満足そうに頷き、凱歌を高らかに歌う。
「これで君は宝船に『掬われた』!」
こんなに嬉しそうな表情の須藤さんを初めて見た。反対に僕は苦々しい顔をしているだろう。「よかったですね!」
ねめつけるような批難の視線とともに、皮肉をこめて僕は言った。しかしそんな言葉にも、須藤さんは嬉々とした表情を変える事はなかった。
僕は須藤さんを見ながら溜息をついた。いくら仕方ないとは言っても、これから先、こんな素性も知れないおっさんの下で働くのかと思うと、溜息が止まらない。
僕は再び、カウンターに突っ伏して、特大の溜息を垂れ流した。
数日前も、僕はこんな風に溜息を吐いていた気がする。
心境は違うが、状況は同じだ。そこから、状況は悪化したり、好転したり、死の危険に遭ったり、他人を巻き込んだり、大事件の当事者になったり、色々した挙句に。
僕がいるのは『宝船』で。
カウンターに額づいて。
でてくるのは溜息ばかりで。
打つ手もなくて。
元通りだった。
確かに僕は全部元通りにしたいと願った。だけど願った着地点はここじゃない。願った場所に戻りたかったワケじゃない。
ほんッと──皮肉な話だ。これじゃあ元の木阿弥だ。
じゃあ、皮肉ついでに、最後は敢えてこう言おう。
『僕は今日、人生を失った』




