対決
「残念ながらそれは叶わんよ」
スローモーション。
振り返った後の光景は、すべてがスローだった。大黒を使用したワケでもないのに、全部がゆっくりだった。心象だけで時間がゆっくりになった。
脳が加速している。加速した脳で捉えた映像は、二人の男の影。光が届かない、薄暗い、入り口付近に、男が二人立っていた。扉がゆっくりと閉まり、二人の男が一歩前に進んだ。
一人は紳士。
一人はハードボイルド。
紳士は、言わずもがな、我が校が誇る人格者。校長。たが、ここ数日で見知った校長とは、まるで別人だった。僕の知っている校長は、裏で何をしているか知らないが、見た目だけは確かに紳士であった。でもいま目の前にいるのは、紳士の格好に身を包んだ外道。
見た目だけでもそれがわかる。温厚なニコニコとした眼差しは、下卑てニヤニヤとした眼差しに変わり。ピンと伸びて、凛とした背筋は、うんと反り返って、フンと人を見下す背筋に変わっていた。表情から、態度から、何もかも全てが異なっていた。まるでジーキル博士がハイド氏に変わったかのようだった。
ハードボイルドの方は、見た事のない人間だが、見た目だけで、ハードボイルドとわかるという事は、こいつが蒔苗を誘拐した実行犯だろう。
その人物を見て、蒔苗が吼えた。吼えたと同時に、戦闘態勢にうつった。
腰を落とす。それと同時に、全身の筋肉が適度に緊張する。骨が力強く軋む。隣にいてもピシピシ、音が聞こえてくる。
蒔苗は一丁の拳銃と化し、撃鉄を起した状態となった。
「蒔苗、待て」
僕は片手で蒔苗を制した。
「……」
無言でのにらみ合い。
いや──睨んでいるのは、僕と蒔苗だけだ。相対している二人。校長はニヤニヤと僕らを蔑むように、哀れむように、見下している。
ハードボイルドは無慈悲に、無表情だった。口元はシニカルに結ばれていた。
「僕らを、どう、する気ですか?」
僕は彼らの意を問う。わざわざ、用心棒と黒幕の二人で侵入者の前に姿を現したんだ。ただ見下しに来ただけではあるまい。
校長は、表情も、態度も、崩す事なく、相変わらずのにやけ顔で口を開いた。
「どうする? どうするというのは、選択肢の中から、何かを選ぶ場合の言葉だよ。君たちは自分たちの処遇に、何か選択の余地があるとでも思っているのかい?」
声だけは変わらない。深く重い声。人格者の声。声だけで人を説得する力がある。反して顔は実に下卑た表情を浮べている。顔と声の表情にギャップがありすぎる。
「そうは──思ってませんけどね。何と言いますかね。まあ口火をきっただけですよ」
フンと鼻がなる。
「わかっているなら良いじゃないか。ここで君ら二人は死ぬ。見る限り、君の武器も既に臨戦態勢だし。口火をきられたからには、ここで言葉を尽くす必要はあるまい。真田よ、やれッ」
校長がそういった瞬間。
腕が肩から抜けるかと思うほどの力と速度で、僕の体が引っ張られた。いきなりの衝撃に僕の足元は揺らぎ、横へ倒れそうになりながらも、ぎこちなく体はスライドする。
横目に僕の手を引いている蒔苗の手が見えた。
蒔苗に引かれている僕の腕の反対側の頬と肩を、何か凄い勢いでかすめる。その衝撃は僕の耳に切り裂くような残響音を残して突き抜け、そのまま後ろのガラス窓に衝突した。
少し遅れて耳の奥の残響音は、衝撃音に変化した。
「は?」
倒れそうになる身体を翻して、蒔苗ごしにガラス窓を見る。
ガラスには放射線状のひびが走っている。しかし、その原因となった物体はない。
頬が生温い。
「なんだ、これ?」
触れるとぬるりとした感触。見ると手が朱に染まっていた。
「雑賀、下がってて」
呆然とする僕の手が再びひかれた。
今度はバランスを崩して、部屋の隅にドスンと、腰砕けに倒れこんだ。
「蒔苗、これ!」
僕は頬の傷と、朱に塗られた手を、交互に蒔苗に見せようとした。
「わかってる!」
僕の報告をかき消す怒号を発しながら、すでに蒔苗は戦闘を開始していた。
しかし、これを戦闘と言っていいのだろうか?
ハードボイルドは、帽子のつばに手をかけたまま、一歩も動いていない。
一転、蒔苗は激しく動いている。何もない空間に向って、手の甲で打撃を避けるような動作を繰り返している。僕には何も見えないが、蒔苗には何かが見えている。一度闘って、一度敗れて、打ちひしがれて、何かを理解したのだろうか。何かを得たのだろうか。その何かが蒔苗には確実に見えている。
一見、蒔苗は劣勢だ。敵は余裕の表情で、高みの見物。対して蒔苗は、見えない何かと応戦中。普通だったら、この状況で勝敗は決まっているようなモノだ。
だが。良い意味でも、悪い意味でも、蒔苗は脳筋だ。
脳筋とは、脳みそまで筋肉で出来ている。という意味の蔑称だ。しっかりとした言葉で表現すれば、浅慮。短絡的。考えなし。このあたりだろうか。どれもこれも悪い意味だ。でも僕は、蒔苗の脳筋がそこまで悪い事だとは考えていない。
脳みそまでが筋肉。という事は、裏を返せば、筋肉が脳みそ。という事になる。つまりは蒔苗は筋肉で思考しているという事になる。全身で思考している人間。蒔苗がそれだ。天才だと思う。ただそれが肉体的な闘争以外に適応されないだけで。
学習しながらの戦闘。戦闘しながらの成長。成長しながらの学習。
このループにハマった蒔苗は無敵だ。今もきっとそのループにハマっている。
つまりは負けない。僕はそれを知っている。
「勝て、蒔苗」
僕の言葉に、蒔苗は一瞬微笑んだ。
しかしすぐに表情を引き締めると、ハードボイルドに向って言った。
「あんたの手の内。だんだんわかってきたよ」
ハードボイルドは無言を返した。
「前回はワケわかんない状態で攻撃を受けて、ま、まま、負けたけどね。あんた以外から攻撃が来るってわかってれば、来る攻撃の気配だけで避けるなんて簡単なのよ」
簡単? いや──目に見えない攻撃を、気配だけで避けるなんて芸当が簡単に出来るのはバトル漫画の登場人物か、お前だけだと思うぞ。
見えない攻撃をかわしながら、蒔苗は言葉を続ける。
「あんた、きっと暗器なんかを使ってる人よね? パパの知り合いでもそういう人いたもの。そんな人にパパはいつも勝ってたわ。だから、あたしも──もう、負けない」
気配だけで攻撃を避けている蒔苗は、敵をまっすぐに見据えていた。
「お嬢ちゃん……」
「な、なにッ! よッ! あッぶないわね!」
今まで一言も喋る事のなかった男が急に口を開いた事に驚き、見えない攻撃を避けそこねて、打撃が肩を軽くかすめ、蒔苗は体勢を崩した。
「お嬢ちゃんは何者だ?」
「何者ッて! ただの女子高生よ。何者でもないわよ」
「俺の夜叉を避けた普通の人間を、俺は今まで見た事がない。これが神憑だってんなら、避けられる理由もわかるが、お嬢ちゃんは俺の夜叉を暗器だと言った。これは神憑の発言じゃあない。もう一回聞くが、お嬢ちゃん、何者だ?」
神憑! いまこの人、神憑って言ったか? 言ったな!
……また出てきた。なんだッてんだ。今まで神憑なんて頓狂な事を言い出すのは、僕の家族くらいのモノだったのに。ここ最近の神憑の大安売り。気持ち悪い。
「だーかーらーッ! あたしは普通の女子高生だって言ってるでしょ! 空手がちょっと得意なだけのふッつうの女子高生よッ! ほんッと、ワケわかんない事言って、惑わすのはやめてよね。噛付きってなんの暗号よ! そもそも、他人に素性を聞くなら、まず自分の素性を語りなさいよ。あんたこそ何者だって話よ」
ハードボイルドが喋った驚きから回復した蒔苗は、見えない攻撃を確実にさばく。
確実にさばきながらも、悪党に正論を突きつける。
悪党に正論。馬の耳に念仏。通じるワケがないよね。
「確かに、お嬢ちゃんの言うとおりだ」
通じたッ! ハードボイルドは一歩前に出る。
「俺の名前は真田。毘沙門天の神憑だ」
しかも神の名前まで明かしたッ!
「だから──」
蒔苗がイライラした口調で口を開く。
「マヂで噛付きとか意味わかんない。もうちょっと普通の自己紹介してよ。職業年齢とか」
言いながらも、ハードボイルドの攻撃はやまないし、それをさばく蒔苗の手も止まらない。
「なるほど、お嬢ちゃんはほんとに一般の人間だ。それが夜叉をさばくか。面白い。じゃあ、一般人的に自己紹介しよう。そうだな、まるで合コンに参加したかのようにな」
おっさん、その年で合コン行くんだ。いや、年齢知らないけど、高校生の僕らから見たら、完ッ全におっさんだし。そもそも、闇商売の人間が合コン行ったりするの?
「あらためて、俺の名前は真田郷。三十歳独身だ。結婚願望はまあ──ある。運命の人に出会えるように、今日、ここに参加した。よろしく」
ほんッとに合コンみたいな、ってか合コン用の自己紹介始めちゃったよ。
「合コンって職業とか言わないの?」
のっちゃった! 蒔苗まで合コンネタにのっちゃった!
「それもそうだな。俺の職業は──」
「職業は?」
「ハードボイルドだッ!」
帽子に手をかけて、決めポーズで言った。職業、ハードボイルド。
それって。
「職業じゃないじゃないッ!」
全面的に同意する。というか、蒔苗に正論しか返させないって凄い。
「何を言っているんだお嬢ちゃん。職業は生き様だ。そして俺の生き様はハードボイルドだ。つまり、俺の職業は、生まれながらのハードボイルドだよ」
この人は駄目な人だ。闇商売だとか、神憑だとか、そんな次元を超越した状態で駄目な人だ。
中二なんだ!
蒔苗はと言えば、真田の言った事を、考えるような表情の後、すぐに納得の表情に変わった。
「つまりは、雑賀の生まれながらの騎士と同じって事?」
え? 騎士? なに? ぼく? 何でいきなり?
「お、そっちの坊主の生き様は騎士か。だが、お嬢さんに守られるようじゃ、騎士失格だな」
「ん? なんかね、騎士は勘違いだったって、こないだ言われたわ。だから今は違うみたい」
「そうか。だがな、坊主。生き様はやめられるモンじゃないぜ。坊主はまだ若いからそれがわからんかもしれないけどな。男が一度決めたなら、坊主は立派な騎士になる。それは決定だ」
……………………。もうさ。あのさ。僕の黒歴史はいいからさ。
「さっさと片付けないかッ!」
怒号が部屋にこだました。
校長が、イライラとして発したその声は、奇しくも僕の心の声を代弁していた。
「何をだらだらとくだらない話をしているんだ。私はそこの二人を始末しろと命令した筈だ。狗が命令も聞かずに何をしている? 無能な狗は処分されるだけだぞ」
怒号が消えた後、部屋中には沈黙が垂れ込めた。ただ蒔苗が打撃をさばく音だけが響いた。
誰も言葉を発する事はなかった。
僕も。蒔苗も。ハードボイルドこと、真田郷も。怒号を発した校長さえも。
みな心情を異にしながら、みな一様に苦々しい表情を浮べていた。
「資本家さんよ」
真田が口を開いた。
「なんだ」
実に苦々しい口調だった。
「多分、俺は勝てないよ。あんたの言うとおり無能な狗だ。夜叉がやぶられちまった今、俺の毘沙門天は無効化された。そして俺には戦闘能力はない。はっきり言ってもやしっ子レベルだ。そんな俺がこの嬢ちゃんに勝てる道理がない。俺が負けた後の処遇は好きにしてくれ。依頼をこなせなかったハードボイルドの末路は野垂れ死にと、相場が決まってる」
歯噛みの音が響く。
「クソ犬がッ!」
汚い言葉を吐き捨てる。
同時に蒔苗のまわりでなり続けていた打撃音がやんだ。真田が見えない攻撃をやめた。それをさばく蒔苗の手もとまった。
そうすると部屋の全ての音が消えて、残ったのはかすかに耳を触る程度に聞こえてくる、オークション会場の音だった。
いざ静かになってみると、その音がやけに騒がしく聞こえる。
「俺の負けだ。嬢ちゃん」
真田は、両腕を大きく開き、まっすぐと蒔苗を見つめて言った。その目は己へのとどめを願っていた。しかし蒔苗は、首を小さく横にふるだけで動かない。
「嬢ちゃん……」
再度、真田は蒔苗の名を呼ぶ。懇願するように。
「出来ない」
大きく首を横にふった。完全な否定。闇の世界に生きているモノなら当然の事であろう、最後の仕事。しかし蒔苗に無抵抗の相手を打ち倒すなんて芸当が出来るはずがない。
勝負が決した段階で、こいつの中では終わっている。スポーツの中でしか生きてきていないんだ。それも当たり前だ。自分でも言っていたが、蒔苗は普通の女子高校生だ。闇世界のルールなんて知った事ではない。
場はこう着状態となった。
見ての通り、勝負は決している。しかし、幕は下りない、暗転もしない。
ただ続く。続く。悲劇的に。
全員が台詞を忘れて、己の役も忘れて、ただ立ち尽くす舞台。前衛的なシーン。
そんなシーンを破ったのは渇いた音だった。
破り裂く音。文字通りの破裂音。
音から少し遅れて、真田が膝から崩れ落ちる。
ゆっくりと。誰も動けない。
膝をついて、そのまま、前のめりに倒れこむ真田を、僕らはただ眺めていた。
ドサリと。
重い荷を、ようやっと下ろしたような音がして。それから時間が動き始めた。
真田の掠れた呼吸音。
蒔苗の悲鳴。
僕は蒔苗に駆け寄る。
校長の怒号。
「黙れッ! 長柄ッ!」
銃口を突きつけられて、蒔苗は悲鳴を止める。
「それから、坂嵜。お前もそこから動くな」
そう命じられた僕も、蒔苗を抱きしめて動きを止めた。
それを確認した校長は、銃口はそのままに、倒れた真田を一瞥した。
「駄犬めっ! 誰が望みどおりに殺すものか。それ以上の苦しみを与えてやる」
僕の知っている校長とはまるで別人だった。今までも別人のように思っていたが、今の校長は、それ以上に別人だった。目が血走り、口角に泡をため、獣のような息で呼吸する。
悪魔。角と尻尾があれば、そう言っても差し支えのない程に変容していた。
「……資本家さん」
血の海に倒れた真田が、消えそうな声で校長を呼んだ。校長はそれに蔑視線を投げた。
「まだ、喋れるか」
破裂音。
短く、低く、こもった悲鳴。
太腿に空いた風穴。
吹き出る血液。
校長の頬に浮かぶヒビのような笑み。
真田は痛みに身をよじり、うつ伏せから、仰向けになり、大の字になっていた。
「安心したまえ、駄犬。まだ命までは奪わん。水蛭子で傷をなかった事にした後に、また傷を負わせて、それもなかった事にして、延々繰り返し、私が飽きたら、存在を消してあげよう」
校長は酩酊の表情を浮べていた。下衆な喜びに酔っていた。
真田の呼吸音が響く。それは短く、細く、さっきよりもさらに掠れたモノだった。
瀕死とはこういう状態なのだろう。
僕は真田を見た。
口がかすかに動いている。暫くは声にならず、口の動きだけだった。声にならない事がもどかしいように、真田は大きく息を吸った。少しむせて、そこで口の動きがやっと声に変わる。
「……喜んでるとこ悪いけど。……あんた、もう手遅れだぜ」
全てをふりしぼって、それでも小さな細い声。
「負け犬の負け惜しみか? あまり苦しみたくないのなら、キャンキャン吠えるのはやめた方が懸命だと、私は思うがね?」
真田は大きく息を吸い込む。
「負け惜しみ? そんなモノは俺の生き様には存在しないよ」
「なんだと?」
「耳をすまして聞きなよ。あんたの終末のラッパがなってるぜ」
みな口を閉じ、耳に神経を集中させた。
食器の割れる音。バタバタとした足音。男の怒号。女の悲鳴。それらは全て混乱の音だった。
扉の近くに立っていた校長は、跳ね上がって、階下を見渡せるガラス面に、駆け寄って、貼りつくようにして、オークション会場を見下ろした。
そこでは大捕り物が繰り広げられていた。




