人を食う機械
あっしは五年ほど前まで西部市の食肉加工場で働いてました。なに、食肉加工といったって特別な腕前なんざいらんのです。ちょっと器用なら誰でも勤まりますよ。組み立て工や力織機の監視員と同じ程度、煙突掃除夫よりはちょっとましってなぐらいの仕事ですよ。
あっしの勤める加工場は泰和(編注:第四共和国)に住んでるA社長の所有でした。もとは華族さまだそうで、場長(編注:工場長のこと)は社長とは呼ばず『A様』なんて呼んでいましたっけ。あっしらの直接の雇主は場長ですから本当に華族さまかどうかは知りません。年に三度は視察に来るんでお顔だけは知っておりますがね。
A社長は泰和にだだっ広い牧場を持っておって、加工場ではその牧場から運んできた家畜を解体して、肉を部位ごとにばらすんです。腸詰やら燻製やらも作りますよ。泰和で肉にしちまうと運んでる最中に鮮度が落ちるってんで、生きたまま貨車で運んできて帝都でばらすわけです。ま、食肉加工場なんていや通りもいいですが、実態は屠畜場です。屠畜は卑しい人間の仕事なんて見なす人もおりますけど社長や冗長は違ってました。「帝都の人が鮮度のいい肉を口にできるのはうちあってのものだ。だからみんなこの仕事に誇りを持ってがんばってくれ」ってのは視察に来た社長の言葉です。
家畜ですか? 四足も家禽も扱います。ほとんどは牛、豚、鶏ですがね。あいつらも人間みたいで、育て方や血統で銘柄が違ってくるそうですね。つっても、それで連中の体の仕組みが違うって道理もないんで解体する側にとっちゃ同じもんですが。その他には羊や馬、アヒルやらガチョウやらがそれぞれ週に一二回は送られてきます。獣(編注:猪や鹿のこと)はうちじゃ見ませんでしたね。ありゃまた別の技術がいるみてぇで、ええ。
加工場は西部市の運河沿いにありました。貨車で泰和から南部市まで運んできて、そこで家畜用の艀に積みかえて加工場まで持ってくるんです。で、肉にしたら市場に持ってく。鮮度が勝負ってんで夜明け前からひっきりなしの仕事ですよ。どれだけさばいていたかですか? わかりませんね。数えてる暇もないぐらいに次々と落とされてくるんですから、さばく側にとっちゃもう必死なんですよ。
そうです、家畜を落とすんです。ああ、そこも説明しましょう。加工場は地下にこしらえてあるんですよ。地上の建物は倉庫とか事務所とか洗い場になってました。
艀からおろされた動物たちは囲いにそって誘導されていきます。建物の壁と床に面した部分に家畜を落とす穴がくり抜いてあって、そこに追いこんでくんですよ。穴は三種類あります。大型用が牛と馬、中型用は豚と羊、鳥用はそのまんま。穴は一丈ぐらい下の処理場につながってます。
地上の追いこみ役が「牛!」とか「豚!」とか落とす動物を叫んで合図のボタンを押すと場内全体に鐘の音が響きます。慣れないうちは耳が壊れるかと思うほどに大きな音ですよ。それを聞くとあっしらは素早く肉切り包丁やらナイフやらを手にして家畜の落下に備えます。ほどなくすると追われた家畜が落とされてくるんです。本当なら床にぶつかった音とか、家畜どもの鳴き声なんかが聞こえるんでしょうけれども、そこはほら、解体中はずっと鐘が響いてますから、それでうまい具合に消えるんですね。入ったばかりのころのあっしはこの仕組みに感動しました。まったく人間ってのは良心ってのの痛みを和らげる方法をよく心得てるもんだとね。
家畜は大型なら四人の班を三つ、中型なら三人の班を四つ組んで処理します。鳥だと班は組みません。
落ちてきた家畜はすぐに班員が取り押さえて班長がのどを斬ります。下手なやつが斬ると血が噴水みたいに出てこっちが血まみれになりますよ。奴さんも暴れますし、大変です。首尾よく斬ったらすぐに次の班に場所を譲ります。のどを斬った家畜からあふれる血が収まったら、台を足場にして鉤にひっかけます。これが一番の力仕事です。鉤にかけたら次の班と交代、また落ちてきた家畜を処理する、てのを繰り返します。
鐘が止むと地上にいる家畜は落としきったってことでこの作業はひと段落。そのころには床は血の海になってます。皮の切れ端やら細かく砕けた骨で溝がすぐ詰まるんですよ。そうそう記者さん、加工場ってのは帝都の中にあっても煤煙の臭いが一つもしないんですよ。なぜだと思いますか? あそこはね、血と臓物の臭いの方が強すぎて、さすがの煙にも勝てねえんですね。
落ちてくるのが止んでも作業はまだ終わりじゃありません。そのころには最初のうちに鉤に吊るした家畜の血があらかた抜けているんで、班別で順々に解体を進めます。
さっき煤煙の臭いがしないっていいましたけど、加工場では機械もほとんど見かけません。天井から下げられた鉤や加工した肉を奥へ回す流路経路ぐらいでしょうか。燻製でもない肉に煤煙の臭いがつくってのが理由みたいですけど、肉を加工するほどの技能を持った機械が作られてないってのが本当のところでしょう。最初に云った「ちょっと器用」の部分が機会に再現できないそうで。おかげで仕事を奪われないんでありがてぇことです。
あの加工場にはもう一つ機械がありましてね、そいつがこのお話の本当の主役です。余ったくず肉を挽肉にする機械です。
地下の床から天井までの背の高い機械でしてね、なんでも社長がどこかで直々に買い入れてきたものだそうです。場長は社長に心酔してましたから、その機械を下賜された宝物のように大切に扱ってました。機械は丹念に掃除されて、いつもぴかぴか光ってました。肉の加工場にある金属ってのは血や臓器なんかにしょっちゅう触れますから普通に手入れしてるぐらいじゃ鈍い光を放つものなんですけど、あれだけはまったく別世界の機械のように輝いてましたよ。加工場の薄暗いガス灯の光を受けて不気味なほど白く光るんです。
機械は上の方に四尺ちょっとの口がぽっかり空いてまして、そこに肉を放りこんでやると中で切り刻んで挽肉にして下の口から出てくるんです。本体には大きな腕が五本ついていて、加工場に来るまえはその腕を操作して肉を放りこんだって話ですが、その機能はとっくに故障したみたいで、脇にだらんと柳みたいに垂らしてました。他にもいろいろ機能があったみたいですけど、修理には出さなかったと場長から聞いています。挽肉さえ作れたらいいっていう社長の判断だそうで。それにこっちは毎日肉をこしらえなきゃならないんで、機械を修理にでも出した日にゃ地下が家畜で詰まっちまいます。
あの冬の日、世間では終末の予言ってのが流行っていた時分ですが、地下には関係ありません。あっしらはたぶん世界が終わる日が来てもいつもと同じ仕事をしてるんです。だもんで、あっしらはその日も家畜の解体にいそしんでました。
その日何度目かの鐘が鳴り止んでほっとしてると、場内がにわかに騒がしくなりました。おそらく鐘が鳴っている間も騒がしかったんでしょうけれど、そこはほれ、動物の悲鳴をかき消すような音ですから、誰の耳にも入らなかったんでしょうな。騒がしくしているのは、例の挽肉機械の操作に割り振られたTという男でした。いつもおどおどしている気の小さな奴ですから解体班には回されず、もっぱら鳥を絞めるのや加工に回されている男です。そのTが何かあわあわ云って震えてやがるんですよ。他の連中が先に詰め寄ってましたけど、そいつらも何が起こったかはまだ把握してないみたいでした。あっしらも興味をそそられてそっちへ向かいます。すると、天井から吊るされた鉤に何か赤茶けた、ひらひらしたものが引っかかっているのが見えたんですね。あれはなんだろう、と。さっきまで加工していた牛の腸か何かが引っかかっているのだろうかとも思いましたけど、それにしては妙に薄っぺらくて、ひらひら揺れてる。
そこへ異変に気付いた場長が駆けつけてきました。場長の姿が見えると、Tは青ざめた顔のまま、「Mが機械にひきずりこまれた」って、そう云って機械の上の口を指すんですよ……。あっしはその加工場ですでに五年生ぐらいでしたけど、過去にそんな事故が起きたなんて聞いた覚えがありませんでした。場長や先輩も同じだったとみえて、「Tは何を云っているんだ」という顔をして互いを見合わせてましたよ。でもTは、「Mが機械にひきずりこまれた」と繰り返すばかりで、金屎ほどの役に立ちそうもない。
だけどTに云われて初めて、Mの姿が加工場に見えないのにみんなが気付いたんです。あの日のMは鉤に吊るした家畜の血の抜け具合を確認する役目でした。解体班と違って鐘の鳴動には関係のない役割ですから、まだ鉤の近くにいてもおかしくない。なのにどこにも見当たらない。場長はあっしらに命じて事務所や便所に行っていないか確認を取らせようとしましたが、ふと上を見上げて何かに勘付いたらしく、鉤棒を持ってこさせました。鉤棒ってのは鉤に吊るしてある家畜を降ろすのに使う補助具です。場長はそれを使って鉤にかかっていたものを手元に引き寄せました。それはさっきあっしが見た、赤茶けたひらひらしたものでした。それは牛の内臓なんかじゃなくて、ちぎれた布きれでした。赤茶けているのは血で染まっているからです。ええ、あの時のあっしらも同じ色に染まったシャツを着てたんです。
そのころになってTもようやく多少の落ち着きを取り戻して、「Mが鉤に引っかけられた。どうにか抜け出ようともがいているうちに外れたが、それが機械のそばだったもんだから、口にひっかかった。何とかして助けようとしているうちにMをそのまま口の方に落ちた」てなことを、ぽつりぽつり口にするんです。場長が引き下ろした布きれってのは、記者さんの云った通りMが着ていたシャツだそうです。
それから場長がTとやり取りしたところ、機械の垂れた腕が勝手に動いてMを持ち上げ、そのまま鉤に引っかけてしまったこと、Tはすぐに操作盤をいじりましたが、彼は挽肉に加工する機能の操作しか知らなかったので機械腕を止めることができなかったこと、大声で呼んでも鐘の鳴っている中で誰も反応しないこと、そうこうしているうちにMが鉤から外れて機械に落ちたこと、Tはすぐに挽肉の機能を止めたこと、……などでした。場長は、「なんですぐ俺に訴えに来ないんだ!」と怒鳴りましたが、おそらくTには無理な話でしたろう。なんせ気の小さなTですから、あまりの状況に腰を抜かしてその場から動けなかったのだろうとあっしは感じました。その場にいた他の連中も同じ感想を持ったような顔で、非難がましくTを見てました。
Tの話を聞いた場長は、「落ちてすぐに機械を止めたのは本当だろうな」と何度も確認します。Tはバカになったばねみたいに首を縦に振ってうなずく。すると場長、今度は梯子を持ってこさせました。場長は、「Mはまだ無事かもしれん」と云うのです。なるほど、Tがすぐに機械を止めたというのならひょっとするとMはまだ無事かもしれない。細切れになってなければ助かる見込みがあります。だけどすでに目を覆いたくなるような光景が機械の口のあたりに広がっている場合の方があり得そうです。場長はそれを確認させようというんですね。確認役には豪気で知られる先輩が指名されました。場長は操作盤もしっかり確認します。先輩も同じように指差しで確認しました。「故障してる腕が勝手に動くわけはないんだ」と場長が口にしたのをはっきりと覚えています。安全を確認した先輩はせっせと梯子を登りはじめました。下では同僚が梯子を支えています。先輩はあまり身を乗り出さないようにして機械の口をひょいっと覗きこみました。
恐ろしいことが起こったのはそのすぐ後でした。
機械が突然ごうごうとうなりを上げて作動しはじめたのです。しかも垂らしていた腕をさっそうと振り上げるじゃありませんか……。みんなはあっと息を呑んで呆気に取られてしまいました。場長も含めたその場の誰もが呆けたように機械を見上げ、先輩がひきずりこまれていくのをじっと見ていたのです。先輩もなにも云わずまっさかさまに口の中に落ちていきました。
あっしはその時になってようやく、Tが場長に訴えに行けなかった心境というのがわかったんです。理解したというより身にしみたといった方がいいかもしれません。Tの気が小さいとか腰が抜けていたかどうかなんていうのはちっとも関係ないんです。人ってのはとっさにああいう事態に陥ったときには全く身動きがとれないもんなんです……。誰がTを気弱だなんて責められましょう。
そんなことを考えている間も時間は過ぎていきます。機械はどうやら先輩だけで飽き足らなかったようで、下で梯子を支えていた同僚までも素早くつまみ上げちまって……。つかまれた同僚の一人が、「操作盤!」と叫びました。でも、誰も動けないんです。「操作盤!」と、もう一度同僚が叫びましたが、その声はすぐに悲鳴に変わりました。その恐ろしさといったら身の毛がよだつほどの叫びでした。普段は鐘を鳴らしてごまかしているんですが、牛や豚も命を失う寸前にはきっとあんな鳴き声を上げているんでしょうね……。絶叫がかき消えて、ごうごうという機械の音がまた耳に付くようになったころ、Tが弾かれるようにして操作盤に取りついてボタンをがちゃがちゃやりました。
Mも含めて四人を食った機械は拍子抜けするほどにあっさりと停止しました。でも、そのころには機械の下の口から毛やら服やらが混じった挽肉が出てきてしまっていて……。一緒に流れ出た血も、なんだか機械が「もっと食わせろ」と唾を垂らしてるみたいで不気味でした。
これがあの加工場で起きた恐ろしい出来事の一切です。
でも、これは力織機に腕を巻きこまれた工員の話、煙突から落下した掃除夫、噴き出した火で大やけどを負った火夫、こんなのと同じ類の、帝都じゃよくある事故の話にすぎないんでしょうね。誰かが誰かを殺したというんじゃないのですから。ああ、帝都では誰かが誰かを殺すのも珍しくはないのでしたっけ。これはあっしより記者さんの専門ですね。
どうしてあんなことが起こったのか、ですか?
わかりません。最後に機械を操作したTが云うには、スイッチはきってあったのに動いていたんだそうです。お話ししたように機械が動く前には場長も先輩も操作盤を確認しています。だから、突然作動するなんていうのはちょっと普通では考えられないんです。あっしは機械が自分の意思で動いたように云いましたが、あの時は本当に機械が人を引きずりこんだように見えたんです。Tが口にした「Mがひきずりこまれた」という意味そのまんまに。
すぐに警察を呼びましたけど、うちじゃ機械なんて捕まない、誰が悪いって話じゃないから監督官庁に届け出るように云ってすぐに帰ってしまいました。で、お上からのお達しで加工場は閉鎖されました。といっても入り口を封印しただけで、血を吸った機械も建物も中にそのままです。それも二年前までの話だそうですけどね。今は西部市の爆発事故の被害を受けてすっかり更地になってますよ。
A社長はすぐ別の場所に加工場を確保して人間も引き継いだんですが、あっしはこの一件を機に加工場を辞めました。同僚の悲鳴が忘れられなくて、なんだか次には自分が同じ目に遭うのではないか……、そう感じた途端に空恐ろしくなったからです。時間とともにそんな怖さもすっかり失せましたが、当時はそれを理由に辞めるほど怖かったんです。
わざわざお話に来たのは加工場を辞めてから何度も、『人を食う機械』の話を耳にしたからです。人の口に戸は立てられないといいますが、あの話はどう聞いても加工場の事故をほのめかしていました……。あの機械に関する話も耳にしました。なんでもあの機械は大戦時代には軍の研究施設で用いられていたもので、社長がその払い下げを安く手に入れたってやつです。その施設では人体実験をしていて……、みたいな話ですよ。
(ここで記者、事故の挽肉をどうしたのか問う)
え? とんでもない!
事故の時に出てきた肉はそのまま破棄しましたよ。他のみんなに聞いても同じ答えです。そんなもの出したら信用にかかわりますからね。社長や場長が許すわけがないんです。あっしはそれを伝えたくてこうして打ち明けているんですよ。あんな話が本当だと受け取られたらたまりませんよ。他の加工屋にも迷惑がかかります。後ろ暗い話なんて誓ってありません。
機械に何らかのいわくがあるのかないのか、あっしにはさっぱりわかりません。ですが。どこかから漏れた事故の話が先にあって、後からそれらしい逸話として付け加えられていったとしか考えられません。
これが『人を食う機械』の真相です。
……あっしが今でも本当に恐ろしいと感じているのは『人を食う機械』の話や、挽肉になった同僚の悲鳴じゃないんです。目の前で起きる予想外にとっさに対応できる人間がいないという状況。本当に恐ろしいのはこれなんですね。
記者後記:氏が語ったように、例の工場はすでに跡形もなくなっている。いまは噂話だけに存在している『人を食う機械』はまさに幽霊や妄想の類に他ならない。