なんでもない話
この世界には、妖精と呼ばれるものが数多くいる、と考えられている。
姿形は人に近く、背中に美しい羽を生やして優雅に世界中を飛び回るそうだ。でも人間にはその姿を見ることは出来ないし、もちろん話すこともできない。
普通は、な。
「ブラック無糖を一つお願いします」
図々しく言ってきたその白い妖精に、ダイルは辟易するしか無かった。
ブラック無糖のコーヒーを一缶買ってやりプルタブを開けてやる。白い妖精は器用に前足で缶を掴んでまだ熱いその中身をごくごくと飲み始めた。
白くふわふわな毛に、同じく白くて長い耳。尻についた丸い尻尾がなんとも愛らしかった。性格を抜きに考えたら、ではあるが。しばらくは一心不乱に飲み続けていたが、ふと顔をあげてこちらをじっと見てくる。黒く丸い瞳の奥にあるそいつの心理を知りため息がでた。
「はいはい」
赤いハンカチを取り出してそいつの口のまわりを拭き取った。ついでに体を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。こうして見ると、可愛いのだけれど。
妖精とは、人間の形もしてなければ羽も生えていない。人間が想像している姿とは大きく異なっているのだ。
妖精は言う。
この世で最も偉い生命体は、ウサギなのだと。
生まれ落ちた赤子の目は、暗い青色の中に赤い星が無数に瞬いている不思議なものだった。赤子の両親は、子にはなにか特殊なことができると確信した。そしてその確信は当たる。その子には、妖精が見えた。普通の人間なら決して見ることのできないファンタジーな存在である。
だが、赤子の将来は決して明るくは無かった。
魔法はかつて森を焼き尽くすという大失敗をして以来使用禁止。剣を振るえばなぜか自分が怪我をし、弓矢は謎の方向へと飛んでいく。勉強は下の中で体力もない。人とは違った妖精を見る能力は、ぶっちゃけ全然役に立たない。
そんな赤子も気付けば社会人。親の元ですねをかじるわけにもいかず、騎士として働けるほどの能力もない。そんな時に手を差し伸べたのは、幼い頃から嫌味を言われ続けてきた妖精だったのだから大変その男も驚いたようだ。やがて男は事務所を立ちあげる。何でも屋ダイル、特技は千里眼。
散歩の帰り道をダイルは妖精と共に歩く。ウサギの形をした妖精はもちろん空なんて飛べない。
「ウギ…?どうした?」
ふと、妖精の様子がおかしい事に気づいたダイルは心配そうに妖精を見つめる。白い妖精、通称ウギ(命名ダイル)は一点を凝視して耳をピクピクと動かしていた。
「人が来ます」
ポツリと口にされたその一言にダイルの心臓は跳ね上がった。ウギたち妖精は人間の何倍もの聴力、というよりもウサギ並みの聴力をもっている。きっと人の声が聞こえたのだろう。ダイルは急いで中身が空になった缶コーヒーを近くのゴミ箱にスローインすると、赤いハンカチを無造作に上着のポケットに突っ込んだ。人にこの現状を見られるのは大変まずいのである。だって道端に缶コーヒー置いて虚空に向かってハンカチ差し出してその上おしゃべりしているのだから。
「あ」
茂みから現れたのはランドセルを背負った小学生だった。パチクリと大きな目をしばたかせて、その後にパァッと顔を明るくさせた。とてとてと小さな足で足元まで近づいてペコリとお辞儀をする。一体なにごとだろうか。
「ダイルさん、カギを探してください!」
何でも屋ダイルの名は街中ではずいぶんと広がっているようだ。そのことにウギもダイル本人でさえ驚きを禁じ得ない。まさかこんな少女にまで知られているとは。ダイルは特殊な目をしているため特徴さえ覚えていれば人違いをすることもなく見つけられる。ただの突然変異とはいえ……とダイルは内心ため息をつく。ウギに聞いたところ、妖精が見えることとこの特殊な目はまったく関係がないらしい。ただのちょっとおかしい目が人の視線を集めるのは、慣れたとはいえ落ち着かないのだ。まだ、この目が原因で妖精が見える、ということならばまだ救いはあるのに。
そんなダイルは今『千里眼』を使っている。と言っても、一回意味ありげにゆっくりと瞬きをしただけで実際はなにも変わっていない。一応少女には「力を使ってるから話しかけちゃ駄目だよ」と優しく忠告をしておいたので、今現在少女は少し離れた所で様子を心配そうに見守っている。
やがて、各地を飛び回っていたウギが猛スピードで戻ってきた。地を蹴り、素早い動作でダイルの肩に乗る。
「ここから一キロ先にありましたよ、南東あたりです」
声には出さずに口の形で「サンキュ」と伝える。少女の探し物が見つかった。
ウギは空間の妖精だ。どこにでも入れ、どこにでもいける。室内でもお構い無しに侵入できるのだ。
ダイルが千里眼を使う動作をしてすぐにウギはその足で地道に捜索する。妖精のスピードと勘の良さで捜索にあまり時間はかからない。やがて戻ってきてダイルに報告した後、千里眼を使い終わったという動作をして言うのだ。「見えましたよ」と。
これがダイルの千里眼の正体である。
家のカギを無くしたらしい少女に見つけたカギを渡すと、少女は元気な声で「ありがとうございました!」と言って勢い良く頭を下げる。ペコリ、ではなくブン! という感じに。
やがて少女が帰っていった方向を見ながらダイルは呟く。
「今の子……俺の好み!」
「黙れ変態」
耳で頭を叩かれて危うく天に召されそうになった。妖精は中々にバイオレンスなのである。
「ランドセルがやっぱいいね、小学生って感じがする。元気だし、背伸びしてないし」
あの少女はダイルの『いつか結婚したい子ベスト3』にランクインした。
良いことをしたと上機嫌で家へと帰る。やはり人間、良いことをすると気持ちが良い。お金は入ってないけれど。まぁ別に困っているわけでもないし。
途中で缶コーヒーを自販機で購入してそのまま持ち帰る。仕事の後に奢らされるのは毎度の事だが、妖精は食事を必要としないので痛い出費にはなっていない。自宅に帰ってすぐにウギにコーヒーを渡して自分は音楽を聴くためにCDを捜索し始めた。ロックはウギが嫌がるからアウト。クラシックは眠くなるからアウト。最近の流行にはついていけないし、だからといって演歌を聴く気にもなれない。あれ、なんで異国の歌とかあるんだよ、聴かないのに。
酔った勢いで買ったろくに聴かないCDからようやく今の気分にピッタリのものを見つけて再生する。流れてきた曲はゆったりと、しかし元気になるような歌。流した瞬間ウギが盛大にコーヒーを噴出した。
「な、それは……!」
流れてくる声は完全にウギのもの。幼い頃に一度だけ歌ってくれた童謡だった。あわてて停止させようと動き出すウギをむんずと捕らえて落ち着かせる。耳に響く心地よい歌声を消して欲しくはなかった。
「『川の流れが見える城には 幼い二人の女の子』……これってさー」
なんなの? とウギに聞く。人間が作った童謡の意味を妖精が知っているかはわからないがなんとなく冗談半分で聞いてみる。
「私の知っている中で最も偉大なる人たちですよ」
「え、これって実在の人? もしかして妖精?」
「違います」
きっぱりと否定された。なら誰だよ、と頬を膨らませるダイルに「大の大人が頬を膨らませないで下さい。気持ち悪い」と無情にもウギはつっぱねる。
「泣くぞ?」
「どうぞ」
「かわいくね~~~~!!!」
ソファに横になってぐったりと力を抜く。腹の辺りにウギがとことこと乗ってきた。暖かくて気持ちいいけどくすぐったい。あと人の腹の上でコーヒー飲むなよ。こぼすなよ? 絶対こぼすなよ?
「お前ってさー、何者?」
童謡に出てくる奴と知り合いなんて普通ありえない。しかもそいつは人間で、ウギ曰く『偉大』ときた。お前人間嫌いじゃねーかと呆れる。呆れると同時にちょっと拗ねた。
「さぁ? あなたが勝手に決めてください。ろくでもないのは却下ですが」
……勝手に決めろと言われても、思いつかない。
「暴君、横暴、我侭、コーヒー中毒、毒舌、可愛くない、人間嫌い、ナルシスト」
あげられるだけ挙げてみる。全部却下された。
(親友、相棒、家族、兄弟、なんだかんだ言って力になってくれる、黙ってれば癒し)
なんだかスペックの羅列みたいになってきた。
「あ、車洗わねーと」
野ざらしになっている赤い愛車を思い出してがばっと起き上がる。ウギが反応できずにシャツに盛大にコーヒーがかかった。
「あー!」
お気に入りだったのに……と落ち込むダイル。
「コーヒーが……」
まだ残ってたのに……と落ち込むウギ。
やがて二人はお互いを睨みつけ、間合いを取った。童謡が終わると同時に人と妖精のデスマッチが始まる。
散々暴れていると、ガシャーンと一際大きな音が部屋中に響いた。恐る恐る音の方を向く。そこには、液晶に巨大な穴が開いたテレビ。しかも最近買った高価なテレビ。
「散歩行くか」
「そうしましょう」
目の前の現実から逃避するかのように、一人と一匹は再び散歩に出かけたのだった。
長編にしようと思ってた時期が私にもありました。