続ける準備
キングカズが、サッカーを続ける価値を変えてくれたと思う。
僕は、サッカーが好きなかあちゃんが好きだ。
僕は、かあちゃんが女子チームでサッカーを始めてから、生活のリズムが変わったことに気がついた。
LINEの返信時間が変わったのだ。
以前は、仕事が終わるとすぐに「今日こんなお客さんがいてさー」とか、「コンビニでアイス買った」とか、どうでもいい連絡が飛んできていた。それが最近は、夕方に既読がつかない。二時間後くらいに、
「今、かえりー」だけ来る。
最初は残業かと思った。でも、送られてきた写真の遠くにサッカーボールが映っていた。
公園のライト。
ベンチ。
映り込んだ汗で濡れたジャージ。
全部、かあちゃんのサッカーだ。
律からも連絡が来る。
「お前のかあちゃん、練習後も残ってるぞ」
知ってる。
「止めなくていいの?」
止まる人なら始めてない。
「そりゃそうだ」
そうは言ったが、本当は少し心配だった。
かあちゃんは、努力の方向がおかしい時がある。
僕が小さい頃も、キーパー練習に付き合うために、自分でFWの本を読んでいた。GKに付き合うためのシュート練習をする母親なんて聞いたことがない。しかも、僕より先に倒れ込んで手首を痛めていた。
「地面って硬いね」
じゃないんだよ。パートのレジ打ちどうすんだよ。
そういう人なのだ。
そして今、その情熱が、自分自身に向いている。
問題は、かあちゃんの体が二十代じゃないことだった。
僕はプロになってから、「休むこと」も練習だと知った。食事、睡眠、ケア、筋肉疲労、体重管理。好きなだけでは続かない。でも、かあちゃんはそこが雑だ。
練習後、夕飯がアイスだけとか普通にやる。
律に聞いた。
ちゃんと食ってるかな?
「微妙」
だろうね。
「終わった後、なんか魂抜けてるわ」
想像できた。
全力でやって、電池切れみたいになるのだ。
「あとさ」
と律がとうちゃんの親友の顔で笑った。
「練習後、めちゃくちゃ足揉んでる」
あー……
「だるいんだろうな。乳酸溜まって」
そりゃそうだ。
今までプレーヤーとして使ってない体を、急に県リーグレベルで動かしてる。筋肉も関節も悲鳴を上げてるんだ。
でも、かあちゃんはやめない。
やめるどころか、もっと上手くなりたいと思ってる。
どうする?ドラゴンマスク。
なんとかしなくちゃ。
まず、スポーツ用の食事本を送った。
『初心者でもできる疲労回復メシ』
とにかく、タンパク質を食え。
試合前には炭水化物だ。金曜の夜はパスタを1.5人前は食え。
そして、練習前は走って筋肉を温めてからストレッチをする。
30分前には500mlは水を飲め。
スポドリは薄める。
お茶は、利尿効果あるからダメ。
練習後は、必ず十分にストレッチ。
グレープフルーツジュースを飲んで、風呂でしっかり体を揉む。
シャワーは。冷たいのとあったかいのを交互にかける。
普段、僕がやっていることだ。。
キングカズはアップとダウンにそれぞれ2時間かけてるらしい。
プロサッカーを長く続けるって、そう言うことなんだ。
その二日後、
「鶏むね肉を美味しく食べる方法はないか」
とLINEが来た。かあちゃんは「パサパサ」したものが嫌いだ。
よし、ちゃんと読んだな。簡単にできる低温調理や味付けのレシピを送った。
でも、ドラゴンマスクの話題には触れてこない。
次に、フォームローラーを匿名配送した。
最初は警戒していたらしい。
「ドラゴンマスクから変な棒きた」
と画像が送られてきた。
変な棒じゃない。「筋膜リリースだ」と説明した。
その数日後、律から動画が送られてきた。
体育館の隅で、かあちゃんがフォームローラーに乗って悶絶している。
「いっっった!」
「だから『それ痛いよ』って言ったじゃん」
「なんでこんな痛いの!」
「筋肉が張ってるからだよ」
「撮らないでよ!変態!」
律が大爆笑していた。
コントのようなやり取りに、僕も笑った。
でも、ちょっと安心した。
ちゃんとケアしてる。
それからドラゴンマスクとして、少しずつ“生活”を送り始めた。
『寝る前にストレッチ』
『練習後30分以内に補食』
『アイスだけで済ませるな』
『水飲め』
『前日のアルコールはNG』
これだけは文字を強調した。
数日後、かあちゃんから突然LINEがきた。
「最近ね、寝起きの体が違うのよ」
ドキッとした。
怪我かと思った。
調子悪い?
「ううん。前より軽い」
少し間が空いて、
「なんか、自分の体をちゃんと管理できてる感じ」と来た。
おーい。誰のおかげだよ。と突っ込みながら、その言葉が、なんだか嬉しかった。「ドラゴンマスクはふふふと笑った」とか、ト書きが見える。
かあちゃんは今、自分の体と初めてちゃんと会話しているのかもしれない。
今までは、誰かを支えるために使っていた。
僕を育てるため。
働くため。
生活するため。
でも今は、自分が走るため、ボールを蹴るために使っている。
そのことが、少し嬉しくて、少し怖かった。
好きなものに、本気になってしまった人は強い。
でも、壊れる時も突然だ。
もっと早く、好きなことに打ち込ませてあげたかった。
だから僕は、今日もドラゴンマスクを続ける。
練習メモを作る。
動画を送る。
食事を調べる。
サプリメントのレビューを見る。
そして、正体を隠したまま、願う。
どうか、かあちゃんが、サッカーを好きなまま、続けられますように。




