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ツキの種銭

掲載日:2026/06/01

綺麗に整備されたコンクリートに街路樹が立ち並ぶ。

そこそこの人通り、平日の都心のとある街中に、不釣り合いな者が1人、

ゆらゆらとおぼつかない足取りで歩を進めている。


ボサボサに伸び放題になった髪と髭で顔が良く見えない。

よれよれで使い古されたサファリハットを被っている。

ハットの色は、元はベージュだったと思われるが、今は黒っぽい灰色でところどころ薄汚れている。

濃い深緑の上着を身に纏い、紺色のズボンを履いている。服の上下もハット同様の汚れ具合だ。


ホームレスを絵に描いたような風体の男は、端からは見えない瞳で、

世の中を物色するように見回している。特に行くところは無く、帰るところも無い。

当ての無い足取りだ。


ドンッ!


前を見ずに談笑しながら歩いていた2人組のうちの1人にぶつかり、男がよろける。


「あ、すみません…!」


ぶつかった青年が一声謝りそのまま去っていく。よろけた男は地に手をつく。

派手にこけることはなかったものの、両手で地面を押さえつけるぐらいには体制を崩す。


「大丈夫ですか…?」


そんな男に声を掛けたサラリーマン風の男が1人。

多くの人が遠目から心配そうに少し視線を送るだけだったが、

彼だけはホームレスに近寄りポケットティッシュを渡した。


「おお、ありがとう。ネハハ…」


しわがれた声でホームレスはサラリーマンに御礼を述べる。


「君は随分と親切な人のようだね。」

「まさか、よろけた人が居たら誰だって声掛けますよ。今回はたまたま僕だっただけです。」


さも当然のことのようにサラリーマンは答える。

彼にとっては珍しいことでも何でもない行為なのだろう。


「ネハハ、そんな君に良い物をあげよう」


ホームレスはそう言うと、小汚い手でサラリーマンに何かを差し出す。


「ああ、これはどうも丁寧に。って1円玉…?そんな悪いですよ。」


ホームレスからの思いがけない贈り物にやや戸惑いながら遠慮する姿勢を見せるサラリーマン。

見た目で人を判断するのは良く無いが、どう見てもお金持ちには見えない。

そんな人物から御礼とは言え、金銭を得ることに抵抗があるようだ。


「気になさんな。ネハハ…好きでやってることだからよぉ。それにこいつはただの1円玉じゃねぇ」




「『ツキの種銭』と言う。」




「月の…種?」

サラリーマンが聞き返す。


「『ツキの種銭』だ。運勢とかのツキに、植物の種にゼニの種銭だ。」

「はあ、この1円玉がそれだと。」

「ああ、今宵は新月だから始まりの日だ。満月まで大事にとっておくとお前さんに幸福をもたらすよ。」

「あなたのお守りのようなものってことでしょうか。まあ、取り敢えずありがたく頂いておきます。」


要領は得ないが、押し問答で時間を浪費するのも本意ではないので、サラリーマンは、

そのまま1円玉を受け取り、御礼を言う。彼にとっては長話で消費する時間の方が1円玉を断るより、

マイナスが大きい。


「ネハハ、達者でなぁ。」


軽く手を挙げてサラリーマンは去っていく。その後ろ姿を見送るホームレスは不敵に笑うが、

髪と髭に埋もれたその表情に気づく者はどこにも居ない。



「361円になりまーす」

「ええっと、お、ちょうどあった。361円で。」

コンビニでお茶とおにぎりを買ったサラリーマンは現金で支払いを終える。


近くのベンチに腰掛けてすぐに、サラリーマンは昼食に取り掛かる。

「あ、そう言えばあの1円ってホームレスが何か言ってたような…

 まあ、おかげでキリ良く支払えたな。感謝感謝。」


ホームレスから1円玉を貰ったことは覚えていたが、彼の語りは話半分だったのか、

サラリーマンの記憶には大して残らなかったようだ。



「あー、だりぃ。早く交代の人来ないかなぁ」

コンビニの店内でぼやくのは、アルバイト歴半年の専門学校生。

「来てまだ1時間も経ってないでしょーが、もうちょっと我慢しなさいな。」

その言動を窘めるのは彼より1年先輩の同じ学校の生徒。


「あー、でももう0時回りそうっすね。ログインボーナス取らなきゃなあ。」

「陳列はちゃんとやってよね…」


そんな2人の近くにあるレジの中には、先程サラリーマンの支払った1円玉が入っている。

硬貨の種類毎に区切られたレジの中で、その1円玉は時を待っていた。


チンッ!


時刻は0時を回った直後、その1円玉はレジの中で少し跳ねた。

レジの中であり、音自体もささやかなものだったので、アルバイトの2人は何も気づかない。


その1円玉は形を変えた。


「ありゃ?1円玉の中に5円玉が混ざっているなぁ。あ、でもこのレジ私しか触って無いか…」


ダルさを訴えていたバイトは自身がレジ対応時に小銭を間違ってレジ内に分類したと思い、

変化した5円玉を1円玉のカテゴリから5円玉のカテゴリに移した。


その後、深夜帯ということもあり、コンビニ内のお客はまばらであり、

更にお釣りの発生する状況、且つその中から5円玉に変化した『ツキの種銭』が使用されることはなく、

朝を迎えた。そして、アルバイトも交代を経て昼に差し掛かる前になって、転機が訪れた。


「これ、下さい。」


駄菓子を4~5個集めて支払いを求めたのは、小学生の男の子だった。


「495円です。」

「500円でお願いします。」

「5円のお釣りです。レシートはいかが致しますか?」

「お願いします。」

「ありがとうございましたー。」


つつがないやり取りが行われる中で、例の5円玉は男の子の手に渡った。

帰宅した男の子は買った駄菓子を2つ程食べると残りは戸棚にしまった。

自室へと戻り、5円玉は机の上に無造作に置かれた。


「はー。5円じゃ何も買えないか。次のお小遣いまで待つか。」


深夜、男の子が寝静まっている中、時刻は0時を迎えた。


チンッ!


5円玉が男の子の机の上で少し跳ねて10円玉に見た目が変化した。

跳ねはしたものの規模が小さいため、机から落ちることは無く、

その音で男の子が目覚めることも無かった。


――翌朝。

「タカちゃーん、起きなさーい。」

母親にタカちゃんと呼ばれた男の子は、いそいそと通学の支度を行う。

起き抜けだからか、視界に机の上の10円玉が入るが気に留めることは無かった。


帰宅後、宿題もそこそこに集中力が切れてきた頃、ようやくタカちゃんは違和感を覚える。


「あれ?昨日コンビニで貰ったお釣りって5円じゃなかったっけ…?」


ただ、自身の記憶違いの可能性もあり、それ以上は深く考えなかった。


次なる深夜、この部屋で0時を迎えた10円玉は…


チンッ!


と小さく跳ねて50円玉になった。


――更に翌朝。


「!ご、50円だ!」

昨日の5円が10円とはワケが違う。10円が50円、5倍もの金額になったことで、

タカちゃんはついにこの硬貨に注目をし始めた。


「…変身?もしかして魔法のお金では?」


興奮は抑えつつ、冷静になったタカちゃんは、未使用の虫籠を持ってきてその中に50円玉を入れる。


「よし…これで大丈夫。」


タカちゃんなりの「検証」が始まった。虫籠なので当然空気の通る穴は多いのだが、

一応閉ざされた四角い箱は、子供にとってはそれなりの密室である。

つまり、誰かが金銭を入れ替えることが考えにくい状況を作り、その硬貨に潜む魔法を、

検証しようとしているようだ。


「魔法なら…凄いぞ。」


その日の深夜、この部屋で0時を迎えた50円玉は…


チンッ!


と小さく跳ねて今度は100円玉になった。


――更に更に翌朝。


「わー!魔法だ!魔法のお金だ!お金持ちだ!」


100円玉を手にしてタカちゃんは、自分の検証が成功したと知り、

テンションが昂っている。


「ん…でも今回は50円が100円で2倍…その前は10円が50円で5倍…お金の種類が変わる魔法?」


変化の法則性に疑問を持ちつつもタカちゃんは100円玉を虫籠に戻す。


「…じゃあ、きっと明日には500円玉になっているかも。」


その日の深夜、この部屋で四度目の0時を迎えた100円玉は…


チンッ!


と小さく跳ねて500円玉になった。


キキッ!


そんなタカちゃんの家の前に停車したタクシーが一台。

闇夜にハザードランプが明滅する。


タクシーから降りてきた男はタカちゃんの家に入る。

そして小さな声を上げながらリビングに向かう。


「マミー。ごめん、820円ある?」


リビングでノートパソコンで動画を観ていたマミこと、タカちゃんの母親が応じる。


「ちょっ、どうしたの?タクシー代足りないの?」

「ごめん、飲み会の支払いのことすっかり忘れてて。出来れば、お釣りの出ない形の方が助かる。」

「えー、ちょっと待ってね。」


マミは自身の財布を確認する。


「ソウくん、320円ならある。」

「あー、あと500円か。そう言えば、この間タカちゃんにお小遣いあげたばっかだっけ?」

「よしなさいよ。子どものお金をあてにするの。それにお菓子買ってたと思うけど?」


ゆっくりとタカちゃんの寝室に入ったソウくんこと、タカちゃんの父親は、

リビングから差す光を頼りにタカちゃんの学習机周りを物色する。


「虫籠…?あ、貯金箱代わりってことか。良かった、これで足りる。」


ソウはタカちゃんの虫籠から500円玉を拝借し、マミの320円と合わせてタクシーに戻り、

代金を支払う。


「お待たせしてすみません、その代わりお釣り出ない形で揃えました。」

「あー、ありがとうございます。それでは。」


タクシー運転手は代金を受け取ると、発車した。

近くの電信柱にホームレスの風体の男性がそのやり取りを見守っていたが、気づく者は居なかった。


ソウの姿がバックミラーから完全に見えなくなってから運転手は独り言を呟く。


「あーもう、何でキャッシュレス決済に対応してないかな、ウチの会社は。面倒で仕方が無いや。」


受け取った代金は硬貨と紙幣で分けて専用のボックスに保管されている。

深夜ということもあり、日中の支払い対応によって硬貨は随分少なくなっている。

彼の会社は高齢のドライバーも多く、彼ら多数派の意見によりキャッシュレス決済が導入されていない。


「まあ、いいか。明日もがんばるぞー。」


自分への鼓舞をしつつ、タクシーは深夜の闇を駆けていく。


太陽が昇り、一旦会社に売り上げを納め、タクシーは再び街を駆ける。


「平日だりぃ。」


とぼやきつつもそつなく仕事はこなしていく。

そして、時は深夜0時を迎え…


チンッ!


とタクシー内のボックスの硬貨を収めた箱の中、500円玉だけでまとめてある箇所で、

1枚の500円玉が音を立てて、1000円札に変わる。硬貨から紙幣に変わったのにも関わらず、

これまでと変わらぬ金属音を鳴らし、少し中で跳ねてから変化した。


「ん?」


運転中のドライバーに聞こえるレベルの音ではなく、ボックスを外側から見ただけでは、

変化は視認出来ないが、何となくレベルの違和感を覚えたであろう運転手はボックスに目をやる。


「何か動いた…?」


運転手である伊勢谷は、この手の違和感には自信がある方だ。

次の角を曲がったら、お客が居そうだ、という予感がした時は大抵当たっていることが多い。

この為、小さな違和感でも自身がキャッチしたものはなるべくその真偽を確かめるようにしている。


幸い、今はお客を降ろした後の会社への帰り道。誰も乗せていないので一旦道路脇に寄せて停車する。

伊勢谷は、現金の入ったボックスを取り敢えず開ける。


「ん?」


普段であれば、硬貨と紙幣は種類別に分類して保管している。

が、500円玉のみを入れている仕切りの中に1000円札が紛れ込んでいた。


「100円玉が紛れ込むなら分かるけど、札が紛れている…?」


身に覚えが無さ過ぎて伊勢谷は少し混乱する。

余程疲れていたとしても硬貨と紙幣を取り違えることは無い。

ましてや今日はそれ程疲れる日でも無かった。


念の為に今日の売り上げを数え直してみたが、500円多かった。

計算が狂うことはここ最近の伊勢谷の中ではかなりレアケースだ。


「ま、いっか。」


が、伊勢谷は特に深く考えない。「足りない」ならまだしも「多過ぎる」状況は別に困らない。

こういう時、少額だと伊勢谷は自身の懐に収めるところがある。

近くのコンビニで紛れていた千円札を用いて伊勢谷は自身のスマホに電子マネーをチャージした。


「ラッキー。」


伊勢谷は余剰500円を無かったことにしてその日の売り上げを会社に報告し、帰路につく。


翌日も伊勢谷にとっては変わり映えのしない日だった。

ただ、深夜0時を過ぎた頃…


チンッ!


最早跳ねる硬貨も変化する紙幣も無い中で、小さな金属音が鳴る。

伊勢谷がポケットにしまっているスマホが一瞬だけ光ったが、伊勢谷自身はそれに気づかない。


「ん?何だこれ?」


日が昇り、朝の仕事もそこそこ終えたところ、車内で休憩中の伊勢谷は自身のスマホを見て呟く。

電子マネーの残高がチャージしていないのにも関わらず増えていたのである。


「履歴から夜中に1000円チャージしたのは残っているが、合計金額がそこから4000円多いな。

 でも、チャージした覚えはないし、履歴にも特に何も無いな…」


入出金の履歴は基本的にアプリ上に全て残る仕様だ。それにも関わらず伊勢谷のスマホには、

1000円チャージした後に4000円謎の増加が起こっているのだった。


「まあ、多いに越したことねぇか。」


減ったのであれば、問い合わせる必要があるものの、増えている分には困らないので、

伊勢谷は気にしないことにした。


「何かフツーは多めに金貰ったら、申告して返した方がいいんだっけ?まあ、いいか。」


違和感に気づく割には、特に気にしないところが伊勢谷の悪いところでもある。

まるで1000円が5000円に化けたような状況をスルーしつつ、今日も街中を走り回る。


この日も深夜0時を過ぎた頃…


チンッ!


謎の金属音と共に伊勢谷のスマホが少し光る。そして朝になり、伊勢谷がスマホを眺めて…


「おおう、どういうカラクリだ?」


明らかに不審に感じた。画面上の電子マネーは昨日から更に5000円増えていた。

そして何の通知も届いておらず、同じく履歴にも残っていない。


「何かのエラーか?どちらにしろ、使えるうちに使っておくか。」


アプリのエラーが濃厚と目している伊勢谷だが、エラーであればこの合計9000円増えた電子マネーは、

いずれ回収されて無くなる可能性が高い。


「出来ればその前に使っちまうか…警察には面倒掛けるが、これの出どころは正直分からんし…」


伊勢谷はそそくさと近場のコンビニに立ち寄り、タバコを買い込み電子マネーで支払った。

現金を少し足して約1万円分のタバコのまとめ買いだ。


「ちょいとタバコ代が浮いたな♪」


同僚のタクシー運転手は自分より年上ばかりだが、ことタバコに関しては数少ない共通の話題で、

伊勢谷が理解出来る趣味の1つだ。買ったばかりのタバコを1つ取り出し、早速1本を大きく吸う。


「タダタバコうめぇ~」


満足げな伊勢谷のスマホ上の電子マネーの残高はゼロとなり、これ以上光ることは無くなった。



「あの人、タバコめっちゃ買ってたね。ヘビースモーカーってやつ?」

「単にまとめ買いしたってだけだろ。沢山買ったからって一遍に吸わないよ。」


コンビニでは専門学校生のアルバイトである先輩と後輩が先程の伊勢谷の購入について会話している。


「これでタバコの対応も問題無さそうだね。次からは1人で頑張ってね。」

「お任せください。最早タバコは私のおハコです!」


後輩は元気よく答える。深夜から明け方となり、再び深夜を迎えたコンビニで0時になり…


チンッ!


という音と共に電子マネー決済用の端末が一瞬光る。明るいコンビニの中でそれを気に留める者は、

居なかった。同日の朝10時頃、通勤時と昼食時の間の時間でレジを整理していた店長が違和感に気づく。


「電子マネーの売り上げが多い…?」


直近では1万円分のタバコ代を除けば、数百円~千何百円程度の支払いしか受けていないはずだが、

何故か4万円分の売り上げが余分に立っている。何をいつ購入したのかはっきりした履歴が無い。


「気持ち悪っ…」


機械は正確なものというイメージが強く、事実これまでその通りだったので、

店長は言いようのない不気味さを感じる。端末上に履歴が残っていないので、

レジ、クラウド上の管理画面、直近の売上との比較を行い、余分な値の出どころを調べる。

が、どこにも4万円分の売り上げが増えた確たる痕跡が見当たらなかった。


「こんなことあるか…?」


翌日の深夜0時に差し掛かり…


チンッ!


という音と共に電子マネー決済用の端末が再び光る。この日の深夜帯に店長は不在、

店内のアルバイトも端末が光ったことに誰も気づかなかった。


「また…増えてる」


同日の午前中、店長は再び確認すると謎の売り上げが10万円になっていた。

履歴の残らない売り上げの乖離に疑問を覚えて、電子マネーの会社に問い合わせるも、

その日は結局会社側も分からずじまいだった。


決して少なくない金額ではあるものの、電子マネー会社側の管轄のエラーとして処理され、

10万円分の売り上げは店長のもとに入ることになった。


「ラッキーなのか…?これは。」


イマイチ腑に落ちないものの、締め日を迎えたため、謎の10万円を含めた売り上げを、

店長は銀行から降ろしてきた。その帰り道…


バキッ!


店長は黒づくめで顔を隠した3人の集団に強盗に遭い、売り上げを盗まれてしまう。

3人は近くに止めていたバンに乗り、急いでその場を離れる。


「やりぃ!大したことなかったな。」

車を運転する1人が言う。


「ザネさんの言った通りでしたね。1人だし、弱いしで楽勝!」

助手席のもう1人も応じる。


「うーん、でも80万円ってとこか。コンビニって案外儲からないのかもな。」

後部座席の男が奪ったお金を雑に数えて答える。


「まあ、でもコンビニ直接襲ってレジのお金取るよりは多い方だろう。」

運転手が答える。


3人は郊外の雑居ビルの2階に入っていく。特に看板も掲げていない、ただ間借りしているだけの、

いつでも抜け出せるトクリュウ的利用場所だ。


「おし、じゃあザネさん来るまで戦利品はそこにまとめておいてな。」


奪った80万円は無造作に大きな袋に詰められる。そこには既にある程度現金が入っており…


「これで合計500万円ってとこか。あー、これそのまま持ってずらかりてぇな。」

3人のうちの1人がそう呟くと…


「やめといた方がいいぞ。前にそういうヤツ居たらしくて海に沈められたって話だぜ。

 俺らもお互いが逃げたらチクる約束だからな。」

もう1人が答える。


「分かってるよ、冗談、冗談。」


3人は各自部屋の中で思い思いに時間を潰し、やがて深夜0時を周り…


チンッ!


という音が鳴ると共に現金の入った袋もドサッとした音を立てる。


「ん?中で金が崩れたか?」


1人が袋の中を確認する。


「何か…増えてね?」


違和感を覚えた3人は手分けして現金を数え直す。


「やっぱり、夕方にここに来て数えた時は527万円。ザネさんに報告済みの額だ。

 だけど、今数えたら567万円。40万程増えてる…?どんだけ数え間違えてんだ、おい。」

「まあ、取り敢えずザネさんに改めて報告か。多い分には怒らんだろ。」


そんな雑居ビルを外から見上げるホームレス姿の男が1人居る。3人の会話が聞こえることは無いが、

電気のついた窓から、時折その姿が少し見える程度だ。ホームレスはそれだけで満足なのか、

目を細めて笑うが、髭で覆われた顔からその表情はハッキリとは見えず、また見かける者も居なかった。


3人のやり取りから2時間後、ザネと呼ばれたスーツの男がズカズカと部屋へ入ってくる。


「よし、お前らご苦労!数十万も数え間違えた時はピンハネを疑ったが、金額に間違いはないな!」


ハキハキとした声で3人に話すザネ。


「はい、間違いないです。恐らく袋の隅の束を数え漏らしてただけかと。」

3人のうちの1人が答える。


「そうか、分かった!分かっていると思うがくれぐれも妙な気は起こすなよ。

 じゃあ、お前らそこから10万ずつ持ってけ。残りは俺の分を引いた上でボスに届けておく。」

「「「はーい」」」


キビキビしたザネとは対照的に間の抜けた返事をする3人。

袋を持ってザネは事務所を後にする。


「はー、500万も協力して奪ってきて1人10万とは世知辛いねぇ~」

「まあ、もっと欲しけりゃ上を目指さないとなぁ」

「上は上で、果たしてどんだけ貰ってんだろうねぇ」


思い思いに愚痴る3人であった。一方、ザネは目的地へと車を走らせる。

3人の居た事務所はあくまでも末端の活動拠点に過ぎず、元締めは別の場所に居る。

ザネは中間管理職的なポジションで3人と元締めの間を行き来している。


「ったく、郵便屋じゃないんだよ俺は。無駄に遠いし、ボスも近所に住めよ。」


2時間程のドライブの末、ザネはボスの指定したビジネスホテルに泊まる。

ここにボスが居るわけではない。ボスのアジトはまだ先にある。

ザネ自身はそこまで疲れていないからそのまま運転することも可能だが、

これは「ボスの保険」だ。3人やザネに落ち度や手抜かりがあった場合、

このダウンタイム時に警察に捕まることになるが、ボスには手が及ばない。


「用心深いことだよ、ホント。じゃなきゃ悪党なんてビジネス続けられねーんだろうけど。」


ビジネスホテルでダラダラと深夜番組を観て過ごしている間に時刻は0時となり…


チンッ!


という音が鳴ると共に現金の入った袋がドササっとした音を立てる。


「っ!!」


思わず音のした袋の方を見やり、構えるザネ。

職業柄、音には敏感な方ではある。侵入者などの気配が無いことを確認すると胸をなでおろす。


「そんな不安定な場所に置いたつもりはねーが、何だ?」


現金の入った袋は、ベッドの寄りかかる形で置いていた。

なのに、袋が急に音を立てて倒れたことに違和感を覚える。

心無しか袋が膨らんでいるようにも見える。


ジーッ


言いようのない違和感を抱えたまま、ザネは現金の入った袋を開く。

確かに現金はそこにある。何も抜き取られたような形跡もない。

そもそもチェックインしてから部屋を出ていないし、ルームサービスも頼んでいない。

目を離した時間も無ければ、誰かが介入する余地も無い。


「…な、何だこれは。」


ただ、目算で分かるぐらいに「現金が増えている」ことがザネには見て取れた。


「増えている…?数え直して見るか。」


現金は、587万円あった。


「俺が事務所から持ち出した時は、537万円だったはず…俺の給料分はまだ引いてねぇから、

 50万円増えている…?」


3人の数え間違いの報告をザネは思い出す。彼らが対面したのと同じ現象が起こっているのだろうか。


「金や袋に仕掛けの類は無さそうだな。どうなっている?」


ボスから何かを試されている可能性をザネは考えた。理屈は理解出来ないが、

必要以上に現金を得た状態で裏切るかどうかを見ている?もしくは正直に報告するか待っている?


「分からんが、あの3人みたいにバカ正直に報告するのも得策とは思えんな。様子見るか。」


ザネは特に何もせずにそのまま一夜を過ごした。


翌朝、ザネは次のホテルに向かう。消毒期間は3日。この間、ザネはホテルを3ヶ所周り、

最後にボスのアジトへ現金を届ける手はずになっている。


『――――コンビニの店長は重体ですが、命に別状はありませんでした。』


ザネは自身が走らせている車内のラジオに耳を傾ける。

どうやら、事件自体は明るみになったようだ。


ボスのシナリオとルートは回りくどいが、これまで捕まったことは無い。

今回は現金が増えるというイレギュラーが発生しているものの、それ以外は順調だ。

取り敢えずは問題は無いだろうとザネは捕まる心配はしていなかった。


2つ目のホテルで迎えた0時…


チンッ!


という音が鳴ると共に現金の入った袋がズンッと鈍い音を立てる。


「またか!」


ザネは反射的に袋の方を見る。そして周囲を見渡す。今回も袋以外に違和感は無い。


「0時…昨日もこれぐらいだったか。」


時計にも注意を払いつつ、ザネは現金を数え直す。


「やはり…昨日より増えている。それに、これは昨日より…」


現金は687万円になっていた。


「何だ?今度は100万円増えた?どれも偽札にも見えないし…」


謎は深まるばかりだったが、ザネのやることは変わらない。

翌朝、ホテルを出て、また次のホテルへと向かう。

朝や道中のニュースでコンビニ事件の犯人が捕まったような話が無くて安堵する。


3つ目のホテルの0時前、ザネは最早袋に注視した状態でその時を待った。0時になり…


チンッ!


という音が鳴ると共に現金の入った袋がズズンッと鈍い音を立てる。

ザネはもうそれぐらいでは動揺はしない。冷静に袋を開けて現金を数え直す。


現金は1087万円になっていた。


「倍率は読めないが、この袋もしくは金は0時になると増える。これは間違い無い。」


今日の昼にはこの袋はボスに渡す手筈になっているが、ザネはこれを千載一遇のチャンスと考える。


「謎も多いが、毎日金が増えるのは確かだ。なら、こいつをみすみすボスに渡す必要も無いか…」


ザネは組織の規模は知らない。自分と同じ立場の人間が何人どこにいるかも把握していない。

もしかすると、このホテルに見張りが居る可能性もゼロでは無いだろう。


「ま、なるようになれだ。どうせ、このまま生きてても、

 しょうもない小悪党として、しょっ引かれて終わりかもしれん。」


翌朝、ザネはホテルを出るとボスの指定されたルートを途中まで守りつつも、レンタカー屋に寄り、

自身の車を預けて別に借りた車で走りだし、ボスの指定ルートから逸れて走り出した。


ザネの部下3人は、ザネに金を渡した時とは別の拠点となるアパートに身を隠して過ごしていたが、

3人のスマホからアラートが鳴る。


「!!何々?」

「あ、これなんだっけ。初日に入れたアプリだよね、どうするんだっけ?」

「待て待て。触んな、紙でも貰ってるからちょっと確認する。」


驚いた3人が手元の紙の資料を基にアプリを操作する。


「ザネさんの車がずっと同じところに止まってて、まだボスのもとについて無いらしい。」


3人のスマホに入っていたのはザネの行動を管理しているアプリであった。

3人とザネは相互監視のような状態となっており、3人が不審な動きをした際も、

ザネ側のアプリのアラートが鳴る仕組みだ。


3人は不慣れな操作をしつつも、アプリからボスに連絡を送った。


「ザネさんやっちゃったかー。」

「俺らのお目付け役も交代かなー。」

「やべぇやつじゃなきゃいいけどね。」


やることを終えて、気が抜けた会話をする3人は、

そのテンションとは裏腹に、内心ではもうザネに会うことは無いと確信していた。



人里離れた自然に囲まれたところに一軒の家が建っていた。

別荘と呼ぶに相応しい広さを持つ、その家の広いリビングでゆらゆらとしたウッドチェアにもたれ、

大柄な老人がスマホを眺めている。


「ザネめ…これまで目を掛けてやっていたというのに。何故だ?」


ザネの上司にしてボスである男だ。ザネからは裏切り者特有の気配を感じたことはなかった。

これまでは裏切りそうな奴は決まってその前から行動や言動にある種の異質さを持つことが多かった。

ザネの仕事ぶりから、その気配を隠し切れるとも思っていなかった。


「何か…何かあったのか…?まあ、ワシのやることは変わらんが。」


そう言うとボスは器用にスマホを操作して各所に連絡を取り、ザネを捕まえるように指示した。



「はてさて…どうなることやら。」


ボスの指示には無い4つめのビジネスホテルの一室でザネは呟く。

車をレンタカー屋に捨てて、2時間経った時点で裏切りはボスには露見しているだろう。

別の者の裏切りを目の当たりにしたことがあるザネには車に発信機があることを知っている。


スマホも道中で捨てた。服も着替えた。組織から支給されたものは現金の入った袋だけとなった。


「この袋には何か秘密があるかもしれんから、手放せんよなぁ。」


一応、発信機の類が無いことは念入りに確認はした。ただ、現金が増えた袋だ。

ここでザネはベッドの上に現金の山と袋を別に分けて置いた。


「誰か入ってきたらヤバいが、検証にはこうするのが一番だ。」


そして0時を迎えると…


チンッ!


という音が鳴ると共に現金が目の前で増えた。袋は微動だにしない。


「おおっ!マジで増えやがった。」


まるで沸騰したお湯の泡のごとく現金がみるみると増えたことを視認したザネは、

自身の検証が当たったこと、現金が増えたこと、2つの喜びに震える。


「と、いうことは袋に何かタネがあったわけではないってことか。」


そして分析も続ける。


「現金は…5087万円…!?これまでよりまた増えたな。」


一応、まだ袋には収まりきる量だったので、ザネは現金を袋に戻す。

が、これも限界だろう。次の倍率は分からないが、2倍なら袋にはもう入りきらない。

それに組織の備品を持ち続けることに抵抗感もある。

袋の買い替えを検討しつつ、ザネは眠りにつく。


翌朝、ザネは周囲を警戒しつつ、袋を載せて車を走らせる。

まだボスには見つかっていないようだが、確認する術はない。


「良し、ここを振り切れば俺の勝ちだ。」


が、背後に急接近する車をミラー越しに捉えて、ザネは戦慄する。


「ただの煽り運転ならまだマシだが、マズイな…」


無いに等しい車間距離まで近づき、背後の車はクラクションを鳴らす。

ザネは取り敢えずスピードを上げて振り切ろうとするが、前の車に追い付きそうになり、

それ以上身動きが取れなくなってしまう。その間に2車線の横側にも車が接近し、

ザネと並走する形となる。


「…ここまでか。案外早かったな。」


並走する車の助手席の窓が開き、そこから拡声器を持った男性が窓を開けるように訴える。


「うるせーなぁ。ちくしょーが!!」


男性の指示を無視し、ザネは力いっぱいハンドルを切り、並走している車に体当たりをした。


ガシャン!ボンッ!キキ―ッ!


耳をつんざくような様々な音がけたたましく鳴ったかと思うと、

ザネの車と並走していた車は中央分離帯に衝突し、燃えていた。

煽り運転をしていた後方の車は掠った程度で2台を残し向こうへ走っていったが、

車内の人間は驚いて後方の光景を眺めていた。


煽り運転の車のドライバーのスマホが鳴る。


「すみません、ボス。ザネのヤツ、自ら死を選んだようで。」

「…そうか。失うものがないヤツってのは厄介だな…金は?」

「回収出来ませんでした。恐らく、車と一緒に燃えてしまってます。」

「こちらから撃ったわけではないのだろう?」

「はい、拡声器で対話を試みたところで…って感じです。」

「ダメだ。年を取る程、若い奴の行動は分からなくなっていく。」

「お言葉ですが、ボス。ザネも別に若いってわけではないですよ。」

「すまん、50より下は皆若者に見える。その辺もお前とは見え方が違うだろう?」

「確かに…50歳が若者には自分は見えません。」

「まあ、失ったものは仕方ない。気を付けて帰って来い。」

「承知しました。」



炎上した車を遠くから双眼鏡で眺めている男がいる。

ホームレスのような見すぼらしい風体で、帽子と髭でその顔はほぼ見えない。


見晴らしの良い展望台で、ホームレスの姿は少々場違いだが、

今は展望台の客のほとんどは黒煙の上がった道路に釘付けで、彼を気にする者はほとんどいない。

そのほとんどから外れたラフな服装の女性がホームレスに声を掛ける。


「ありゃー、派手に燃えちゃってるみたいだね。福ちゃん今回もダメそう?」


女性はホームレスを「福ちゃん」と呼び、声を掛ける。


「ネハハ…ままならんもんだな。満月まではもっていて欲しかったが。」


福ちゃんと呼ばれた男が答える。


「ってことはー、ハイスコアはアタシがトップのままってことだね!」

「難しいもんだなぁ。コツとかって無いのかい?姫ちゃん」


福ちゃんと呼ばれた男は女性を「姫ちゃん」と呼び、アドバイスを求める。


「うーん、実際人間相手だしアタシが今1番なのも運によるところが大きいから、

 一概には言えないけどね…」


と、前置きをしつつ姫ちゃんは言う。


「全体的に短期決戦過ぎるってぐらいかな。そりゃ早く額が跳ね上がるに越したことはないけど、

 満月迄の15日で1億狙うのは難しいよ。説明もしなさ過ぎるし。最初の人とのやり取り見たよ。

 あの人何も知らないまま手放しちゃってたじゃん。」

「あんまり説明し過ぎると効力が無くなるだろう?それで前は意味ない時間だけ過ごしたし…」

「それにしても、だよ。多分だけど、もうちょっと説明しても大丈夫だった。」

「そうか…」


落ち込む福ちゃん。


「結構、いい神器だったと思うんだけなぁ。難しいもんだな。」

「まあ、ロマンはあると思うよ。『ツキの種銭』って、人間が好きそうだし。

 現に気づいてハマっている人も居たようだし。でももうちょっと効果落として、

 説明足さないとバランス悪いかもなーとも思うかな。」


黒煙はまだ遠くで上がったまま。双眼鏡は外したが、福ちゃんはまだ同じ方向を見つめている。


「ネハハ…神器なんぞ人間の手に余るのだから、これ以上要らんとも思うがなぁ。」


福ちゃんが呟く。且つては「福の神」とも呼ばれていたが、人間達のイメージからは、

今は随分と見た目がかけ離れてしまっている。


「でも、何か作らないと神じゃいられなくなっちゃうかもよ。今もあまり神には見えないけど…」

「神でいるのも潮時ってことかもしれんなぁ。ネハハ…人間になるのも面白そうにも見えるわい。」

「それに何なの?あの訳の分からない法則。5倍、2倍の繰り返しってややこしい。」

「ネハハ…まあ、神器としての機能の他にちょっとした遊び心もあってな…」


福の神は理由を聞かれて少し嬉しそうに答える。


「人間ってのは金をコツコツ稼ぐのが美徳って側面もあってよぉ。

 コツコツ、5252(コツコツ)ってな。ネハハ…誰も気づかんかったようだが。」

「うっわ、しょーもな。」


呆れた顔で姫ちゃんは福の神を見やる。


「でも、不思議ね。アタシの時もそうだけどさ。お金ってやつは増えれば増えるほど、

 そういったコツコツとは無縁なヤツらにばっか渡っている気がするわ。」


姫ちゃんもぼんやりと黒煙のあった方角を眺める。

少し笑いながら、福の神が答える。


「それがきっと、金と人間のサガなんだろうな。ネハハ…」


日は暮れて、夜空では月は満月の一歩手前、待宵月の状態で輝いている。

事故の遭った路上では火の手が収まり、『ツキの種銭』は燃え尽きてしまい、

これ以上、その効力を発する機会は失われてしまった。


END

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